3回目は外苑西通り(観音橋交差点付近)
2回目は渋谷区神宮前3丁目
敦子(渡辺典子)は久しぶりに海外から日本に戻った父親(斎藤晴彦)と食事をした後、洋服を買いにコーラ(古尾谷雅人)のブティック(実は偽ブランド品店)に入るも途中で父親は失踪してしまいます。
撮影に使われたコーラの店は渋谷区神宮前3丁目の外苑西通り沿いにありました。
隣はUSオートという名の店で、看板のSとオの字の左側が少し見えてます。
また、向かいは原宿団地で敦子の父親が電話をしに行く電話BOXもそこにありました。
そう言えば、近くにある霞ケ丘団地も新国立競技場を作るので取り壊しが始まってました。さようなら昭和の団地

今回のロケ地に行ってみたは1984年公開の"いつか誰かが殺される"
また、オールローケーション映画なのでロケ地も多く、調べたけれど分からなかった場所もありました。
1回目は世田谷区岡本三丁目
主人公である守谷敦子(渡辺典子)の家がある場所です。付近で通学のシーン等も撮影されました。
坂をバイクでかけ上るシーンは仙川という川の東側、教習所がある辺りから撮影されました。
この坂のシーンは映画の中盤でコーラ(古尾谷雅人)が敦子を家まで送るシーンでも出てきます。
この坂、かなりの勾配で自転車で上ることは無理でした。。。バイクでもセカンドかロー迄落とさないときついと思います。
残念ながら、守谷家は既になく駐車場となってました。
今回は横長の食卓で家族が並んで食卓するシーンが印象的な家族ゲーム
舞台となる沼田家が住んでいるアパート。現在も現存しています。アパート周辺にあった倉庫群(日本食糧倉庫等)は既になく商業ビルとなり、松田優作が女性に沼田家の場所を尋ねた道もありません。
晴海埠頭公園には行けますが、途中にあった運動場と朝汐埠頭の辺りを工事中でした。
当時はこのアパートが一番高かったのに、背後に高層ビルが多く建設されてます。
豊洲と有明の間にあった貯木場や豊洲にあった東京ガスの工場が見えます。
この辺りは東京で最も変わってしまった所でしょう。豊洲には当時、東京火力発電所や石炭埠頭、鉄鋼埠頭、それを運ぶ貨物線が通ってました。
東京ガス工場の跡地は、移転が延期になった上、盛り土問題が露見した豊洲市場になってます。
7回目(最終回)は成田空港
ラストシーンのロケ地です。
アメリカに旅立つ新井直美(薬師丸ひろ子)、そこに辻山秀一(松田優作)が見送りに来て二人はキスをします。
撮影当時は4階出発ロビーから3階の出国審査へと降りていく階段とエスカレーター(ラストシーンの場所)が4階中央部にありしたが、現在は航空会社のチェックインカウンターが並んでおり面影すらありません。残念っ
