考えはそれを思考した源(心)を離れないとあなたは教えられてきた。
それならばその考えがもたらす結果が体験される場所もその源である心の中だけということになる。
今のあなたはそういうふうには知覚していない。
あなたにとって原因と結果は常に分離したものと知覚されているはずであるが、考えが存在しているのは心の中だけなのだから原因と結果は常にひとつのものだということになるはずである。
あなたを通して為されたものは必ずあなた自身に対しても為されたこととなる。
この考えがあなたを全ての苦痛から最終的に救ってくれるものとなるのであるが今のあなたは自身の利益に対し間違った使い方をしているのである。
例えば他者に対し自分には起こって欲しくないことを望むことはあなたにとって喜びであり幸せなことだろうか。
だがあなたがそう願う時あなたよりも他者の方がもっと苦しむようになることが喜びであり幸せなことだと宣言しているのである。
自分自身よりもっと苦しんでいる者がいるのだから自分はまだ安心していられるという考え方は正気だろうか。
あなたにとって敵(加害者)がいることが喜びであり幸せなのだろうか。
苦痛を理由に感謝できる者は正気だろうか。
あなたの願望の先にあるもの(最も深いところにある必要)は安心していたいという思いであることを思い出して欲しい。
敵がいる世界が安心をもたらすことができると信じている者でない限りそのような世界を必要とはしないはずである。
敵(加害者)がいることが喜びであり幸せである者(被害者)だけがそのような世界を必要としているのである。
そうしてそう信じている者は自分が望む通りの世界を体験することになる。
自分自身の怒りと攻撃を常に正当化するために何でも利用しようとする。
あなたは安心していたいのである。
矛盾しているゴールを同時に達成することは不可能なことではないだろうか。
戦場に平安は存在できない。
攻撃的な考え(不満)を抱くことはあなたのゴール達成にとって役立つものだろうか。
もう一度あなたの目的を思い出しなさい。
自分が攻撃できる存在だと信じてはならない。
そう信じることは自己攻撃となることに気づきなさい。
あなたを通して為されたものはあなたに対しても為されたものとなるのである。
考えが存在することができるのは心の中だけなのだからその考えがもたらす結果もその心の中にある。
攻撃的な考えを抱く心はあなたをか弱く傷つきやすく破壊されやすい者として知覚させることになるのである。
自分が攻撃できる存在だと信じるために必要なことはなんだろうか。
攻撃するためには行動しなければならない。
ならば心ができることとはなんだろうか。
私たちは今日新しい概念を導入しようとする。
「身体は行動(攻撃)するが心は行動(攻撃)しない」という概念である。
今までのあなたは心と身体を同一視してきた。
しかし行動するものと行動しないものが同一であるはずはない。
同一視するためには心が身体の一部として存在していると信じられている必要がある。
心とは知覚できるものではない。
あなたが心だと知覚しているものが心であるはずはないのである。
行動できないものが行動できるものと同時に存在できることは矛盾してはいないだろうか。
どうすればそのような矛盾した状態を確立することができるだろうか。
一方が存在しているように見えるところではもう一方は存在していないように見えている場合が考えられるのではないだろうか。
同じ土台上で相反するものが成り立つためには2つある内のひとつと同化することでもう一方のは存在しないようになっている状態が作り出されている必要がある。
先行するものは常に考えであるならば身体と心のどちらが主体となるのだろう。
あなたのアイデンティティーは身体と心のどちらにあるのだろう。
身体と心のどちらが自由なのだろうか。
今日の新しい概念はあなたを幽閉から解放するものである。
自由の名は永遠にあなたのものだからである。
今のあなたはどうだろうか。
あなたが信じている自己の概念は自由の名に相応しいものだろうか。
概念とは与えられたものではなく学ばれたものである。
あなたは今も信じ疑うことが不可能なほどの自己の概念を学んできたのである。
それはすでに学ばれてしまっているのである。
だからあなたには新しい自己を学ぶ自由がある。
あなたは平安を望んでおり幸せでありたいと願っている。
だからあなたが学んだ過去の学びはあなたに平安も幸せももたらすことができなかったことを自覚しよう。
過去の学びは全て間違ったものだったとして認識しよう。
あなたの学びの持つ力は素晴らしいものである。
その力を自分が本当に望んでいるもののために使うことはあなたにも異論はないはずである。
あなたは自分が何であるかについて間違っていたのだから他者についても間違っているはずである。
あなたは学び直すことができる。
今までとは違った生き方は今までとは違った考え方から生じるものである。
何でも自分が望む通りになると信じられている心は自由だろうか。
一見その考えには自由があるように見える。
しかしそう信じているがゆえにそこに自由はないのである。
そう信じている者が体験する世界に自由はあるだろうか。
そのような世界に生きる者で何をするにも必ず必要というものがある。
そう信じている者で不満を抱かない者はいない。
なんと不自由な世界だろうか。
そう信じている者は神よりも自分の方が上手く自分を喜ばす世界を創造できると信じているのである。
そのような世界に常しえの平安があるだろうか。
しかしあなたはここで自由を学ぶことができる。
喜びなさい。
実を結ばぬ枝は切り取られるのである。
神はあなたが苦しむような世界を創造しなかったのである。
愛する我が子が苦しむことを喜ぶ親はいない。
神はあなたを愛し大切に思っている。
それ以上のことがあるだろうか。
あなたはここで神の意志を達成する。
あなたが忘れている神の記憶は安らかなる心に甦るのである。
あなたには神のように考えることを学ぶことができる。
あなたには心があるだけである。
この世界はあなたにその事を思い出させないように働いていることを学びなさい。
この世界、身体、あなたが関わる関係の全てを神が存在する心にアクセスするために役立てることを学ぶことができる。
あなたはその心があることを忘れているのである。
必要なのはあなたの意欲だけである。
あなたの心の中に真に存在しているものはあなたが神と共に共有する想念だけなのだからあなたの心の中で待っている者はなんと神聖なる者だろうか。
ありのままのあなたが今もあなたをそこで待っているのである。
あなたは今も神が望む通りの者である。
ただ神の子であるあなたが自覚していないだけである。
聖なる神の子であるあなたの心に常しえの平安がありますように。
愛と感謝そして祝福をこめて。
発芽レイキアカデミー認定レイキティーチャー、Blessing Reiki Academy主宰 谷端光博