誰しも自分が恐れているものを見たいとは思わない。
だからこそあなたはそれを見ることができない。
恐れがすることはただそれだけである。
誰しも自分が愛するものに近づき恐れているものからは遠ざかる。
もしあなたが愛を恐れているならどうだろうか。
自分が愛あるものであることなど受け入れ難くその対極をなすものとして自身を見ることにはならないだろうか。
あなたは恐れを愛し愛には恐れをもって対応することになりはしないだろうか。
そして愛を隠しておくために役立つものをあなたは作り出した。
今では忘却の彼方の出来事のようである。
幾重にも張り巡らせた防衛システムがあなたの守護神となっている。
それがあなたが作り出した剣と盾。
攻防一体のプロセスがあなたを愛から遠ざけておくための御守り。
だがあなたには自分の本性を作り替えることなどできない。
それはあなたが作り出したものではなくあなたに与えられているものだからである。
あなたはそれを否定することを選択できるだけでありそれを破壊することもできなければ取り去ることもできない。
自己を否定することを選択していることがこの世界において反映されている結果が自己肯定感の低さとして経験されている。
あなたの心の奥深くにあるのは愛であり光であり喜びだけである。
真理だけがあなたの心を護ってくれる。
心の中に闇を受け入れしまったことからくる艱難をそれを取り消してもらうための機会とすることを選択できる。
あなたが否定してしまったものをそれが真理であるからこそ受け入れることを選択する機会がそこにある。
否定するにはそれが存在していることをあなたが受け入れていることを証している。
あなたは自身に愛を受け入れることを否定することを選択したけれどもそのことはあなたが愛を受け入れてからからこそなのである。
愛はあなたを愛と同じように創造した。
愛があなたの本性。
あなたの必要はあなたが愛を隠しておくために作り出したもの全てを取り下げるために役立てることを選択することだけである。
天と地の全てがあなたの心の中にある。
だからこそ答えはあなたの中にあるのである。
あなたには助力が与えられている。
あなたの心の中にある闇を取り消してもらうための助力を受け入れてその存在と共に闇を通り抜けてあなたの心の中に本当にあるものに近づく意欲を差し出そう。
あなたを待っているものがそこにいる。
あなたの心にはそのものしか存在していないからである。
聖なるものがそこにいる。
神の子キリストがそこにいる。
そしてあなたこそが神の子キリストでなくてなんだろうか。
あなたの神聖なる心に愛と感謝そして祝福をこめて。それを見て55