八月納涼歌舞伎「梅雨小袖昔八丈」髪結新三@歌舞伎座 | 明日もシアター日和

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観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

勘九郎/巳之助/彌十郎/幸四郎/七之助/片岡亀蔵/扇雀/鶴松/芝のぶ/歌女之丞

 

 今月の歌舞伎、観るのはこの1本だけです🙇‍♀️ 勘九郎が新三は初役というのが、とっても意外でした。本人はもっと古典作品をやりたいと言ってるそうですが「なかなかやらせてもらえないんですよ」って何かのインタヴューで言ってましたよね。松竹さんはなぜ中村屋に古典をあまりやらせなかったのだろう。これを機にどんどん演ってくれるかな?

 

 勘九郎らしい味わいのある新三でした。小悪党として十分骨太なんだけど “柔” の面もあって、その硬軟の見せ方の塩梅、必要な時に見せるコミカルな味がとても上手い。上総無宿という設定だけど、どちらかというと江戸っ子風のスッキリと粋な雰囲気、もちろん悪の翳りも見せるなど屈折した人間性もうかがえる。セリフもいいけど目の表情もまた雄弁でした🎊

 

 白子屋での勘九郎新三、戸口で立ち聞きして名(悪?)案を思いついたと片方の眉をクイッと上げる。忠七(七之助)に駆け落ちを誘いかけるセリフに調子があり、忠七をスルスルと引き込んでいく。忠七がその気になったところで勘九郎の目が「乗ったな!」という感じでキラッと光る。繊細な演技、上手いなあ。髪結いの手捌きもセリフのリズムと合って楽しい。最後、髷のさきっちょに敷いておいた和紙をスッと抜くところがとってもスマート。

 お熊の鶴松はセリフが硬くそのぶん色っぽさより強さが勝っている感じ。でもお熊って自分から忠七に「自分を連れて駆け落ちてほしい」「そうしてくれなきゃ身投げする」って頼むほどの、なかなかの娘なんですね😅 お常の扇雀善八の片岡亀蔵が手堅いのはもちろんだけど、お菊の芝のぶがいい味だったな。

 

 永代橋で態度をガラリと変える勘九郎は、目つきが刺すように強くなってワルの凄み全開。「お熊は俺のイロだ」と(いい加減なこと言って)七之助を足蹴にし、傘を手に見得を切った型が綺麗。七之助の忠七は新三にボコボコにされても哀れっぽさを感じないのは(←個人の感想です💦)、店のお嬢さまに好かれちゃってねーという、自分がモテるの知ってる自惚れがチラ見えするからかな😆 先の白子屋の幕切れで後ろ手に帯をキュッと結び直す所作にイロ男の片鱗が。

 

 そしていよいよ(と言っていいのか😅)新三内です。最初、示談にきた源七(幸四郎)の前で調子よくおべっかを使う勘九郎新三、示談金が10両と知って呆れ返り、途端に本性を出して、啖呵を切って源七をやり込める。勘九郎のドスを効かせた声がスカッとして心地いいくらい。その小悪党の新三が、勝奴(巳之助)としばし見せるほんわかした生活感がとてもいい☺️ せせこましい家だけど裏庭にちゃんと鉢植えを並べてたりね。大家にあれよあれよという間に遣り込められていくところは、その愛嬌の見せ方が上手いです。

 その大家の彌十郎がいかにもな古狸で、人の良さそうな笑顔のすぐ下に欲深さ&したたかさが見えて傑作。30両で了見させるために勘九郎を脅したりなだめたりのセリフのリズムがいい。で、お熊が無事に(でもないんだけど)駕籠で帰っていってからが、ハイ、お楽しみの「鰹は半分もらったよ」です。あの勢いある押しの強い声、太々しさに満ちた口跡。彌十郎の喋りがうまくて観ているこちらも釣られて前のめりに

 勝奴の巳之助は、その軽いセリフまわしが何かすばしっこい感じがして目端がききそう。勘九郎との兄貴分&弟分の感じがよく出ていたけど、巳之助は弟分とはいえ侠客の世界でめきめき頭角を現しそうな抜け目ない様相です👍 「鰹は半分もらったよ」を繰り返す彌十郎家主の言っている意味がだんだんわかっていくところ、下げた頭がどんどん畳に近づいていき「こりゃ負けた……」みたいな感じが伝わってきて可笑しかった😆

 

 最後の深川閻魔堂橋。侠客となり貫禄がついた姿で登場する勘九郎新三が、(示談の失敗で面目を失い落ちぶれちゃった)幸四郎源七に「もうろくジジイめ」って言うんだけど、全く “もうろく” してない幸四郎。その前の、永代橋で登場したところでも思ったけど幸四郎は親分にしては線が細いというか、特に勘九郎と並ぶと同世代感が強くなってしまうかな(実際には10歳ほど違うんだけど若く見えるから)。そもそも、この源七っていいとこあまりなくて、ちょっとパッとしないお役なんですよね。幸四郎、ここは勘九郎に付き合ったという感じなのかな。

 で、今ままでは2人が斬り合って型を決めたところで幕だったけど、今回は立ち回りを途中でやめて正座し「こののち所作ごとをご覧くださりませ」と切口上になるんだけど、それ言う必要あるかなあ。先月の「裏表太閤記」のときもそれあったけど、いつから何故そう言うことになったのだろう? 余韻が吹っ飛ぶからやめてほしい😔

 

 この作品、黙阿弥のリズムが効いたセリフが耳に心地いいですよね。また、夕立に遭い、着物のたもとや下駄で頭をおおって小走りに急ぐ町人たち、お熊を乗せた籠を案内する男がヒョイっと水溜りを飛び越える仕草、朝風呂から戻りサッパリした浴衣姿の新三、絶妙のタイミングで鳴くホトトギス、縁側に立った新三と勝奴が裏庭に並べた鉢植えに水をやり、葉っぱに付いたゴミを団扇でサッと払い落とす新三、鰹売りの威勢良い「かっつぉ! かっつぉ!」の売り声、鰹を手際よくおろす手捌き、夜には担い屋台の蕎麦売り……、初夏の江戸の風情が感じられるのもすごく好きです。

 

 ところで今回は幕見したんですが、左右後ろに結構な人数の、観光客と思われる外国人たち(多国籍)が座っていたんだけど、こういう世話物はストーリーやセリフの意味が分からなければ退屈なわけで、開演早々ソワソワと身体を動かしたり、大きくため息をついたり、声を出してアクビしたりで、こちらも気が散って仕方なかった😖 彼らが予想していた kabuki は荒事とか外連たっぷりのとかでしょう。その辺、英語の作品紹介記事でなどで「本作はそういうのではありません」とか説明してあげてほしい。この作品に限ったことではなく、幕見では大抵いつもこういう光景に遭うんですよねー。

 

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