「アンナ・カレーニナ」@シアターコクーン | 明日もシアター日和

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観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

原作 レフ・トルストイ

上演台本/演出 フィリップ・ブリーン

宮沢りえ/浅香航大/土居志央梨/渡邊圭祐/小日向文世/梶原善/大空ゆうひ

 

 上演時間が、休憩20分入れて3時間45分と知って、なんとなくいや~な予感がしたんだけど、やっぱり……💦 そのシーン必要❓っていうのが結構ある(と個人的に思う)、そういう意味での長すぎで、疲れました。

 

 有名作品なのであらすじは書かないけど、芝居も原作どおり1870年代の帝政ロシアを舞台にしている。プロットを構成する骨組みは3つあって、アンナ(宮沢りえ)夫カレーニン(小日向文世/政府高官でアンナより20歳年上)と青年将校ブロンスキー(渡邊圭祐)の三角関係、リョーヴィン(浅香航大/貴族だけど地主として農地経営&労働に人生の価値と喜びを見出す)とその妻キティ(土居志央梨)アンナの兄スティーヴァ(梶原善/公務員で浮気性)とその妻ドリー(大空ゆうひ)です。リョーヴィン夫婦とスティーヴァ夫婦はそれぞれアンナとは異なる家庭問題を抱えているんだけど、それがアンナの結婚生活と愛の行方を映す鏡みたいな位置付けになっています。

 で、本作はこの3組の話を並行して展開させているので、自己破滅していくアンナのお話がメインのはずなのにその比重が小さく、なんだか群像劇みたいになっている。もっと言えば、アンナと対照的に描かれているリョーヴィン夫婦が中心軸なの❓と思うほど、この夫婦のシーンがかなり多くて長い。彼らは地に足を付けた暮らしを選ぶんですよね。

 

 原作が大部だし、見せたいことが沢山あるのも、アンナの人生との対比で他の夫婦を見せるのが大切なのも分かるけど、盛り込みすぎ・語りすぎで、焦点ボケボケに感じました。しかも、上記の3つの夫婦の話だけでなく、リョーヴィンの兄(菅原永二)その恋人(深見由真)のエピソードまで入れてある。兄は確かにリョーヴィンにとって反面教師みたいなところはあるけど、この芝居にそこまで見せる必要ある❓と思うわけです😔

 いろいろなエピソードをもう少し整理して一部をまとめたり、抽象性や象徴性で見せたりと、演劇ならではの工夫がほしかった。アンナと夫とヴロンスキー、この3人に焦点を合わせ、彼らの感情をもっと深く掘り下げてほしかったです。

 

 舞台は一応「アンナの息子の子ども部屋」ということでドールハウス、ロッキングホース、マトリョーシカ、子ども用ベッドなどが置かれ、おもちゃの汽車(アンナの運命を象徴)で息子が遊ぶシーンが何度も出てくる。そこにさらに意匠を凝らした椅子がゴタゴタと入れてあり、とっ散らかっているのだけど、それが「子ども部屋から見る大人の世界」「上流社会の複雑な感情や対人関係、愛や人生のゴツゴツした不完全さ」を見せたい、というデザイナーの意図らしいです。そこまで分からなかったけど😓

 アンナと夫、アンナとヴロンスキーが対峙し互いに真意を聞き出そうとする場面で、相手への言葉の前に、自分の本心を客席に向かって傍白する(例えば、ヴロンスキーはアンナを「愛している」と言う前に、傍白で「憎んでいる!」と言ったりね)ところは、互いの駆け引きの手管が分かって面白かったです。

 

 宮沢りえの渾身の演技に圧倒されました🎊 美しくわがままで繊細で、 “愛” に飢え美貌を失うことを恐れ、誰の言葉も信じられずに疑心暗鬼になって自滅していく、そういうアンナが本当にそこにいた! 自分が何を愛しているのか、誰にどうして欲しいのか、自分はどうしたいのか、もう分からなくなってしまった終盤のりえさんの演技に飲み込まれました。アンナは自分の意思で運命を切り開いていこうとしたけど、それができない時代と社会だったんですね。ところで、りえさん、今までシェイクスピア劇やったことないそうで(プログラム内コメントより)意外でした。絶対に観てみたい。マクベス夫人とか、どうでしょう👍

 小日向文世はアンナの夫カレーニンとはイメージが会わなかったな。優しさの中に怒りと残酷さが隠れていると見ればいいのだろうか。根本のところでりえアンナを愛しているのだとしたら、そこをもっと見せてほしかった(脚本の問題です🙇‍♀️)。そして残念ながら、ヴロンスキーの渡邊圭祐は存在が曖昧で弱く、りえさん相手では力不足でした。立ち姿や動きに貴族らしさがなく、騎兵隊の将校にも見えず、役としてどういうブロンスキー像を見せたいのかよく分からなかった。

 

 最後、アンナが汽車に飛び込んで自殺するところは、上から吊り下がっている幾本もの電管の間に入っていき、轢音と共に暗転という演出。電気は鉄道と同様、近代化の象徴なのでしょう。しかし、先に書いたように色々盛り込みすぎのために、アンナはなぜヴロンスキーとの関係に悩み始めたのか、なぜ自殺にまで追い込まれたのか、その理由が分かりにくい。そのへんのアンナの心理をもっと丁寧に描いてほしかったですね。

 しかも、アンナの轢死で終わりかと思いきや、残った人たちが登場してその後の展開を見せ、最後はリョーヴィン夫妻が残り、リョーヴィンのカッコいいセリフで終わります。主役は彼らなの❓アンナでしょ❓と思わずにはいられないエンディングで、最後の最後まで蛇足っぽかったです。

 

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