「ナターシャ・ピエール・アンド・ザ・グレート・コメット・オブ・1812」@東京芸術劇場 | 明日もシアター日和

明日もシアター日和

観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

音楽/詞/脚本/オーケストレーション デイヴ・マロイ

訳詞/演出 小林香

出演 井上芳雄/生田絵梨花/小西遼生/霧矢大夢/原田薫/松原凛子/水田航生/はいだしょうこ/武田真治

 

 トルストイ「戦争と平和」全4巻(+エピローグ)のうち第2巻第5部をミュージカルにした作品で、1811年〜ナポレオン軍がロシアに侵攻した1812年のモスクワが舞台。タイトルにも入っている大彗星は小説でも言及されていて、1811年3月に発見され、1812年1月まで明るさを保ち続けたそうです流星

 全てのセリフを曲に乗せて展開するソング・スルー(正しくはsung-through)形式。そして、ユニークな形のイマーシヴ・シアターです。舞台にいくつかオケピみたいなピットがあり、そこに椅子とテーブルを置いてレストラン風にして一部の観客を座らせ、たまに役者がピットに降りて観客と混じったりする。私は正面から普通に観たかったので、この席は選ばなかったですけどねニコ

 舞台頭上には星をイメージした大小のオブジェがいくつも下がっていて、その中央にある巨大な球体は彗星かな、それらがシーンによって下にズズーッと下がってきたり煌いたりする。音楽はエレクトロ・ポップ・オペラとやらで、ロシア民謡、ジャズ、オペラ、現代音楽、EDM(electronic dance music)などさまざまなテイストの曲が使われています。アンサンブルたちの歌とダンスと盛り上げ方が素晴らしく、ピットに座っていなくても手拍子するうちに体も動いてくる音符 メロディーには不協和音や跳躍音程も多く、個人的には馴染みのいい曲は少ないけど苦笑い こうした要素の相乗効果で、全体的に面白く観ましたキラキラ

 

 以下からはネガティヴな感想が入りますニコ 小説全体からみれば芳雄くんが演じたピエールは主役の一人、彼の精神の遍歴が描かれているらしいけど、本作に関して言えば主役はナターシャで、彼女の危険な恋の相手アナトールとの花火のようなロマンスを軸に、彼らを取り巻く人たちの思惑が渦巻きながら展開してく。ピエールはずっとその周りで悶々としているんだけど、最後になって彼が話の要にいるんだって分かります。

 それは別に良いんですが、一番悩ましかったのは、ピエール像があまり明確じゃなかったことだな暑い なぜ彼が厭世的になり引きこもりみたいな生活をしているのか、説明が希薄もうやだ~ もちろん最初のほうで、彼は貴族として莫大な財産を相続し、その財産目当てに結婚した妻と愛のない生活を送っていて、虚しさから酒と思索の日々なんだってわかるけど、その不幸な結婚の描写が弱いんですよねかなしい 芳雄君と霧矢大夢が(例え仮面夫婦だとしても)ビジュアル的に全く夫婦に見えなかったのも一因かもがーん

 でも終盤、自殺未遂をしたナターシャを慰めるピエールが彼女に突然の愛情を抱いてから最後の歌までの間に、ピエールが全てを持ってった感ありハート 生きることの意味を見失っていたピエールがナターシャを救うことで新しい人生を見つけた喜びを、夜空を流れていく彗星に重ねて歌い上げるクライマックスは、煌めく星々がグワーッと地上近くに降りてくるダイナミズムと相まって、深い感動を呼びました泣き1

 

 ピエールの数々の曲は芳雄君くらいの歌唱力が必要だけど、役として美味しいのは断然アナトールですねきっぱり 美しくてセクシーでゲス野郎静怒 そういう役を芳雄くんにやってほしいなあきらきら

 で、そのアナトールを演じた小西遼生は美形で身長もあって見栄えがするキラキラ 享楽的で放蕩を繰り返す男で、既婚なのにナターシャと駆け落ちを企てるんだけど、意外と本気で彼女を好きになってしまったんじゃないかと思ったりもしました冷や汗 小西遼生はそういう好青年の雰囲気もあるからかな。残念ながら歌唱が弱く苦笑 特に高音が出てなくて、歌い方もセクシーじゃないし、せっかくの美貌&面白い役なのに惜しいと思いましたQueenly

 ナターシャの生田絵梨花は健闘していたと思う。伯爵令嬢らしい天真爛漫なところがあり、自分が美しいことを知っていて、ちやほやされていい気分になるし、恋の冒険に憧れるナイーヴな女性。こんなふうに感情や感覚に流されていくあたり、演技や歌にもう少しメリハリがあると、もっと鮮やかに表せたかな。

 

 ところで、セリフをすべて曲に乗せて表現するというのは、日本語とメロディーとの関係もあるし、なかなか難しい。詞がセリフとして機能していなかったり、役者の歌い方がセリフになっていなかったりと感じることもありましたQueenly

 また、イマーシヴの形も、そもそも作者がモスクワのレストランを訪れた時「こんな雰囲気の中で上演すべき」と直感し、アメリカでは劇場をレストラン風に改造しての上演だったらしいから、今回のようにピットの中に観客を座らせるスタイルでは役者と観客との親密度が薄くなり、あまり意味がないように思ってしまった土下座 ピットに座っている人には特別な観劇経験でしょうが、通常の客席に座っている大半の観客には、ピットの観客はほとんど目に入っていないわけで、視覚的インパクトは弱い凹 普通に、役者が客席に降りてくるイマーシヴ・スタイルで十分だったのでは(-゛-)

 

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