「モーツァルト!」@帝国劇場 | 明日もシアター日和

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「モーツァルト!」@帝国劇場


 井上芳雄くんのファイナル「モーツァルト!」。ハートを鷲掴みにされて揺さぶられたような、痛みを伴うほどの感動……。思えば、私が初めて観た芳雄くんの舞台が「モーツァルト!」で、その1作で衝撃を受けたんだけど、あれから本当に成長したなという(上から目線でゴメンナサイ)感慨も合わさって、泣けました。
 もちろん、脚本も演出もよくできているし、何よりも音楽が素晴らしいということもある。そして、芳雄くんなりに完成されたヴォルフガングでした。子供のような無邪気さ、繊細さと単純さ、プライドと苦悩、エキセントリックなつかみどころのなさ、自分らしく在ることへの切実な希求、35年の人生を駆け抜けたヴォルフの魂が、芳雄くんの体内にしっかり宿っていました。


 1幕前半の、自分の才能をはっきりと自覚して、作曲することが楽しくて仕方がない、すこしやんちゃな弾ける青年ヴォルフとしての芳雄くんは、声もパキパキ弾んでいて、ヴォルフという人に一気に惹きつけられるし、だからこそ、父レオポルドが心配になるのも頷ける説得力がある。溢れ出る才能に喜びを感じて嬉々として作曲に没頭する姿がとってもキラキラしてました。
 やがて起こる周囲との軋轢の中で、なんとかして自分らしく生きようとするヴォルフの姿が切ないです。1幕最後の「影を逃れて」、アマデがヴォルフの腕にペンを突き立て、その血で音楽を綴るとき、自分に課された運命の力に抗えないヴォルフの、痛みと同時に恍惚にも似た叫びに心が震えました。フォルフを利用し操ろうとする人は、結局、大司教やウェーバー家族だけじゃない、シカネーダーや、そして姉や父すらもそうなんですよね。彼らから逃れ自由に自分の人生を生きたいという思いと、自分の才能を生かせという影の声とに挟まれて、それらすべてから逃れようと苦悩する芳雄くん/ヴォルフが痛々しくてたまらない。

 市村さん/レオポルドの、存在感ある父親像が心に残りました。この作品が父と子の物語であることを痛感。父の気持ちがストレートに理解できて「私ほどお前を愛するものはいない」にウルウル。レオポルドは決して理想的な父ではないけれど、彼なりに息子を愛していたんだなあ。市村さんにとっては復帰公演でもあったのですが、この日は歌も安定していて、もう安心と感じました。


 コンスタンツェ初役のソニンが、まさにはまり役。ヴォルフの純粋さに惹かれて恋に落ちるものの、家事はまるきりダメで金銭感覚がなくて、でも可愛くて、そんな蓮っ葉な女の子をパワフルに好演していたと思う。ソニンの歌はいわゆるミュージカル仕込みではなくて独特の癖があるけれど、そのアクのようなものが役に合っていました。愛することも愛されることも上手くできない(ヴォルフと表裏を成しているね)、その苛立ちをダンスで紛らせようとする哀しい女の子の心情がすごくわかる。「悪妻」と言われているらしいけど、本当はそうじゃないのかもと思えてしまった。
 「星から降る金」は好きな歌のひとつ。春野寿美礼さん/公爵夫人の歌は綺麗だけど割と淡々とした感じで、温かさや力強さ、説得力が欲しかったなあ。そのときの、ヴォルフ(とアマデ)、ナンネール、父の3人の位置関係(距離感)が、なんとも言えない虚しさと寂しさを増長していました。

 最後は演出が以前と違っていて(たぶん)、ヴォルフとアマデが命を絶ったあと、小箱(才能)はそのまま残される。天賦の才能は次代に現れる誰かに受け継がれていくということなのか、それと、もヴォルフの魂から紡ぎ出されたものは永遠に残るということ? どちらにしても、このエンディングは良いな~と思いました。