明日もシアター日和

明日もシアター日和

観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

原作 ヴァージニア・ウルフ

翻案 岩切正一郎

演出 栗山民也

宮沢りえ/山崎一/河内大和/ウエンツ瑛士/谷田歩

 

 ヴァージニア・ウルフによる1928年の小説を戯曲化した芝居です(“オーランドー” という日本語表記が一般的だと思うけど、本作では “オーランド” )。小説は、16世紀後半にイングランドに生まれた貴族の息子オーランドの、16歳頃から、この小説が出版された1928年時点で36歳までの、数百年にわたる一代記で、男として生まれ、途中で女に変わります。今回の舞台では、オーランドは現代も生きている、みたいにしてあったような。

 小説自体は、ウルフの恋人だった女性ヴィタ・サックヴィル=ウェストがモデルで、ウルフにもヴィタにも夫がいたけど、2人は3年間ほど恋愛関係にあったらしい。ちなみに私は、小説「オーランドー」は読んでいて、ティルダ・スウィントン主演の映画「オルランド」と、多部未華子主演の2017年の舞台「オーランドー」は観てます。

 

 ネタバレあらすじ→麗しき少年オーランド(宮沢りえ)1586年16歳のとき「樫の木」という詩を書き始める。エリザベス1世の寵愛を受け、17世紀になって女王が死去すると、ロシア大使の姪と恋に落ちるが失恋。傷心のなか詩作に没頭するが、陰険な詩人ニックに酷評される。ルーマニアのハリエット公女から猛アタックを受けて辟易し、国外脱出しようと、外交官としてコンスタンティノープルへ行く。30歳を迎えた彼は政務に努めながらもロマの生活に憧れるが、暴動の最中に昏睡状態に陥り、目を覚ますと女性の身体になっている。自分の変化を受け入れたオーランドはイギリスに戻る。ルーマニアのハリー太公(かつてのハリエット)に再び付き纏われ、書き続けている詩集の出版をニックに今度は後押しされ、娼婦たちと遊び、18、19世紀を生き抜く。20世紀になり、36歳船長ボンスロップと結婚、子どもを産む。出版した詩集「樫の木」が文学賞を取る。戦争が始まり、空爆を受けた瓦礫の中から赤子の亡骸を拾い上げ、抱いて去っていく。終わり。

 

 えーと、脚本のスタイルが全く受け付けられなかったです😔 役者たちも演出も舞台美術なども良いのに、戯曲として自分に刺さってこなかった、ですね😑

 けっこうな長編の小説を上手く翻案してあるけど、2/3くらい(特に1幕の大半)は、オーランドが状況や心情を「説明」している=ほとんどオーランドのモノローグ、ナレーションです。そこで発せられるセリフは散文詩ふうで美しくはあるけど、「詩」として文字で読んでもいいのでは?と思えてしまい、「芝居」の形として面白くなかった(しつこく言う💦)。

 

 翻案された方はフランス文学者、詩人(ご専門は近現代フランス詩、演劇)だそう。フランスの戯曲の翻訳などはされているようだけど、なぜその方にイギリス小説の戯曲化を依頼したのだろう。普通に、演劇畑の専門家(=劇作家)に脚本化してもらうわけにはいかなかったの?と思ってしまう。

 また、最後、いきなり反戦っぽい方向に持っていくような終わり方で、バックに戦場の映像もけっこう映されるし、それってちょっと違うような気がしました。何故そっちに着地させる?🙄 まぁ、一人で喋りまくっていたオーランドが、瓦礫の中で声にならない叫び声をあげるシーンは印象的で、そこに何らかの意味は感じたけど、男でもあり女でもあるオーランドの、自らを追求する数百年の人生の旅……ジェンダーをめぐるアイデンティティーの模索、そこから人間の本質に迫る、というようなのを期待してたんで。

 

 オーランドを演じた宮沢りえさんは素晴らしかったです🎊 最初の登場では黒い上着と細身のパンツ姿で、舞台中央に置かれたドア枠のようなモノに寄りかかり、片脚を反対側の枠にかけたそのポーズが異常にカッコよく、男から女に変わっても、常に中性的な雰囲気をまとっている。ほぼ喋りっぱなしのセリフが詩的リズムを感じさせ、さまざまな人と出会い、別れ、時代の変化に揉まれ……という波乱の400年近い人生を、その時ごとに感情を交えて語っていく。そこに、大胆さ、可愛らしさ、迷い、達観などを見せ、時にシャープに、時にしなやかに動きながら、自分の在り方を見つめる、とても繊細な演技でした。

 

 4人の男性はシーンごとにオーランドの相手として役を演じるほか、ロマや娼婦たちになり、コロスとして物語を進行させていく。ナチュラルな演技をするわけではないので(自然な対話というのがほとんどない)結構大変だったんじゃないかな。河内大河さんの老エリザベス女王は怪演で、少年オーランドに欲情するところなど、もう不気味でした😅 山崎一さんも手堅い演技で、ヘボ詩人ニックの嫌味な感じなど、とても良かった。

 

 雲が動く映像がバックに映されるのが、時空の流れを感じさせてよかった。オーランドが女になると雲がうっすら紅色づいたりして。舞台下手の上方から大木の枝葉が垂れ下がっているのが象徴的です。オーランドが書いた詩のタイトル「樫の木」は原作では「The Oak Tree」で、オークはイングランドでよく目にする巨木です。寿命が長いのが特徴で、樹齢数百年というものも多く、それがオーランドの人生と重ねられるのですね。

 

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橋之助/新悟/歌之助/芝翫/歌女之丞/中村福之助/松江

 

 国立劇場恒例の歌舞伎鑑賞教室を観てきました。会場は、7月前半はティアラこうとう、後半は調布市グリーンホールと、国立劇場があんなことになってるんで公共の外部施設を転々と……。音羽屋型なので、宙乗りなど派手なケレン無しヴァージョンです。

 午前Aプロ、午後Bプロで、佐藤忠信/源九郎狐はA=橋之助、B=芝翫、義経はA=歌之助、B=中村福之助、川連法眼はA=芝翫、B=松江。両プロとも静御前は新悟、法眼妻は歌女之丞。橋之助の忠信を観たかったのでAプロに行きました。良かったです~👏

 

 橋之助の忠信/源九郎狐は今回が2度目で、2021年3月に南座の花形歌舞伎で既に勤めてるんですね(私は未見)。おそらく今回は、そのときよりレベルアップした演技だったことでしょう。前半に登場する忠信は端正で精悍な雰囲気。どっしりとした重さや大きさはまだ足りないものの、凛々しい武将っぽさが全身から感じられます。セリフもキッパリと聞かせてくれ、上手に引っ込むところでのキリッとした見得も良かった。

 後半、源九郎狐になってからがとても見応えがありました。まず、その高い身体能力ですね。軽やかな動きとシャープな決めポーズ。静御前の「さてはそなたは狐じゃな?」で、藤色の小袖に長袴という姿のまま床下にストンと落ち、次の瞬間、白狐の毛縫の衣装になって登場するという最初の見どころでは、屋敷上手からサササーッと出てきて階段の手すりをポーンと飛び越えて平舞台にトン……と着地する、獣っぽい見事な動き。「涙ながらの暇乞い」から欄干渡りは、平舞台からヒラリと欄干に飛び乗ると腰をグッと低く落としてスススーと小走りする動きが軽やか。義経が登場してから、黒御簾の中にシュワッと消えるところも綺麗なダイヴでした。 足を伸ばした狐っぽい形や膝軸ピルエットも魅せます。 若さからくる身の軽さ俊敏さはサスガでした👍

 そんな感じで身体の躍動感はあるんだけど、一方で柔らかさは弱めだったのと、狐っぽさ、特に子狐としての愛らしさはやや不足だったかな。鼓を賜って嬉しがるところは、いとおしげに愛でるというより激しく喜ぶ感じ。

 でも、狐詞はあまりわざとらしくなく自然で聞きやすいし(もっと獣っぽさがあるといいのかもだけど、私はこの方が好み😌)、親を慕い悲しむ哀れさもよく出ていました。荒法師との立ち回りも勢いがあり、荒法師の膝に後ろから乗って立つ?のは初めて見たかも。私は荒法師の、あの独特の化粧と首の動きがとても苦手で、もう「怖い」というレベルです💦(悪夢に出てきそう😖)。なのでなるべく目に入れないようにし、橋之助に焦点を合わせて見るようにしましたよ。

 

 新悟の静御前はしっとりした雰囲気があり、源九郎狐に哀れ味を覚えるところの、抑えた中に見せる感情表現がよかった。義経は歌之助。大きさはまだないですが、お顔が綺麗なので品の良さが感じられ、セリフにも格を乗せていました。Aプロでは中村福之助は亀井六郎なんだけど、成駒屋3兄弟は歌之助が女方をやれば兄弟でもっといろいろな狂言ができるのでは?と思うのですよ(例えば神谷町小歌舞伎とかでね)。そういうわけにはいかなかったのかな🤔 芝翫が法眼で、冒頭から舞台を重厚に引き締め、そのあとの若手たちによる芝居に、丸本の香りを残していった感じでした。総じて、大変面白く観ました🎊

 

 舞台上方に義太夫のセリフが字幕で出るの親切だなと思いました(今までもそうだった?)。ただ、歌舞伎用の劇場ではないので花道は本舞台下手から斜めに壁ぎわに入る形で、距離も数メートルと短いし、しかも揚げ幕の音がチャリン……ではなく、ガラゴロ……っていうのがちょっと興醒め😅

 

 この「四の切」の前に、いつも通り「歌舞伎のみかた」があって、MCは玉太郎。彼は今風のルックスで人気出そうなのに、若手役者たちの本流になかなか入れないのが気の毒です😢 もっとお役をいただいて舞台に出て欲しい。解説MCとしては喋りにあまり慣れていない(というか、アドリブ対応が苦手)風だった。橋吾が逸見藤太になって登場し玉太郎と絡むので、解説に歌舞伎色が加わる感じになり、良かったです。

 

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作 ジャック・ソーン

演出 サム・メンディス

マーク・ゲイティス/ジョニー・フリン

 

 1964年にブロードウェイで上演され超ロングランを記録した、ジョン・ギールグッド演出、リチャード・バートン主演の舞台「ハムレット」。その創作過程の裏側を描いた作品です。それに出演した2人の俳優がそれぞれ稽古場風景を綴った本を出版し、それを読んだ演出家のサム・メンディスがその舞台化を思い立ち、脚本をジャック・ソーンに依頼した、という経緯。ギールグッドは当時59歳で往年の名シェイクスピア俳優、既にナイトの称号を受けており、バートンは38歳でキャリアの絶頂期にあった頃の話です。

 芝居を創っていく過程での演出家と俳優の、演技スタイルや解釈に関する相違と衝突、葛藤と内省、そして理解。シェイクスピア好き、演劇好きの心に深く刺さる作品でした🎊

 

 ザッと概要→稽古1日目の顔合わせから公演初日まで、日を追ってお話が展開していく。演出家ギールグッド(マーク・ゲイティス)主演俳優バートン(ジョニー・フリン)は演技に対する考え方が違い、最初から火花が。ギールグッドは斬新な「ハムレット」を創るという演出プランの中にも、セリフ術によって古典としての重厚な香りを出したい。バートンは現代的リアリズムに立つ自然な演技でハムレットを見せたい。稽古が進むにつれて2人の信念とプライドが衝突し、プレッシャーを乗り越えようと模索する過程で、個々が抱えるトラウマが顕在化していく。バートンの当時の妻エリザベス・テイラー(タペンス・ミドルトン)が2人の関係の修復を図ろうとする。やがて、自分を曝け出し互いを理解しようと努め相手の意見を尊重していくようになる。2カ月弱の稽古を経て初日の幕が上がる前、ギールグッドはバートンに最後の助言を与えて去っていく「舞台は君のものだ。演出家のことは忘れろ」終わり。

 

 タイトルは、ハムレットが旅役者と会った後の独白のセリフから取ったもので、ギールグッドがバートンに言います。「motive は役の背骨=知性と理性、cue は情熱=心に火をつける内なるスイッチだ。どう演じてもいいが、motive と cue からは逃れられない」と。

 脚本としてよくできてるなあと思ったのは、「ハムレット」の制作過程を描きつつ、会話の随所に「ハムレット」内のセリフが巧みに使われていること、演出家や俳優の苦悩や逡巡を観てるんだけど、次第に「ハムレット」の舞台そのものを観ている感覚になっていくこと。「ハムレット」に関する新解釈がチラホラ語られるのも面白いです。例えば「ホレイショーは物語の核心に触れない役でハムレットの引き立て役だ。ロズギルの役割と似ているから、1人の役者がやってもいいくらいだ」とか「ハムレットは父王を愛していなかったのではないか?」とか。そういう解釈の「ハムレット」を観てみたいですね😊

 

 イギリス演劇界の巨頭のひとりギールグッドは名門の出だけど「株式仲買人だった父は “平均的” だった。自分が同性愛者であることを理解してくれていたかどうか分からない」と苦笑し、同世代のローレンス・オリヴィエと自分を常に比べてしまう。ホテルの部屋に呼んだ男娼に “母親のように” ハグされて涙を流すギールグッドが切なかったー😭

 行動の理論づけではなくセリフをどう伝えるかにこだわるギールグッドは、自分でセリフを言ってみせ、バートンにセリフの読み方を教えたがる。叫び口調でセリフを言うバートンに呆れ「がなりたてることは無言劇と同じだ、自然の節度をわきまえろ」と諭す(←これについては私も激しく同意👍)。1幕の最後、ギールグッドが一人残り、このように演技して欲しいんだと一人語りするシーンに、シェイクスピア愛、演劇愛が溢れていてウルッときました😢 ハムレットが旅役者に言うセリフから取っているんだけど「感情が昂ったからといって大声を張り上げればいいわけじゃない、そういう時こそ抑制したセリフがいいのだ、大袈裟に腕を上げて振り回すな……」(←大意)とかね。

 

 ウェールズ出身のバートンは労働者階級の出自で幼少時に母が亡くなり「炭鉱夫の父にネグレクトされ、以後は姉夫婦に育てられた」と父との確執を吐露します。「自分は王子ではない、ハムレット王子の気持ちなどわからない!」と、ハムレットを演じることに自信をなくしていくバートンに胸がキュッとなる。どう演じればいいのか悩むバートンの葛藤が生々しく展開します。ギールグッドは彼に「ハムレットは父を愛していなかったとしたら? 尊敬していない男のためになぜ戦うのか? ハムレットが復讐に踏み切れないのは、その勇気がないのではなく、その理由がないからでは?」と問います。そのあとバートンによる「To be or not to be ……」の迷いの独白はとても!とても!胸に沁みました😭

 

 これは父と息子の、対立と許容と和解のドラマでもある。ハムレットは「自分の仇を打て!」と復讐を強要する父王の亡霊に囚われ、ギールグッドとバートンはそれぞれ自分の父との関係をひきずり、そして父が息子に自分の道を見つけさせるように、ギールグッドはバートンにハムレットを指導するのです。

 

 バートンを演じたジョニー・フリンは、破天荒な感じと超売れっ子俳優という自信の陰に不安を抱えていて、弱気な一面を覗かせる時がすごく良かったな。ギールグッド役のマーク・ゲイティスは途中からもうギールグッドにしか見えなくなって😅 大御所らしい威厳、抑制した演技、セリフの妙、時代の流れから離れていくことへの恐怖……。説得力のある演技だった。ゲイティスはこの作品で今年のローレンス・オリヴィエ賞の最優秀主演男優賞を獲りました。納得の受賞です。

 

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仁左衛門/吉弥/歌六/萬壽/壱太郎/孝太郎/歌昇/梅花/彌十郎

 

 大阪松竹座に日帰り遠征してきました。仁左さまの “いがみの権太” は昨年6月以来ほぼ1年ぶり。あのときは集大成っぽく感じましたが、いやいやどうして、新たに観ればまた新鮮な感動で震えます。仁左さまの権太は、ワルだけど愛嬌があるという、「ごんた=やんちゃ者、わんぱく者」の言葉通りの男。強請りやたかりだって、お金のある奴からしか取らないだろうなと思えてくる。家族への愛情深いところは仁左さまご本人の地が覗くし、母には甘え上手、そして父のために自分と家族の幸福を犠牲にする心根。悲劇で終わるお話を仁左さまはセリフと型で見せ、そこに感情を乗せていく。その硬軟の演じ分けの素晴らしさは唯一無二🎊 今回は特に目線の繊細な動きに感情の起伏を感じました。

 

 まず「木の実」。上手から登場する仁左さま権太の軽やかな足取りに、ちょっとホッとしました。持ってきた荷物を小金吾(歌昇)のものとワザと間違えるとき、素知らぬ感じでチラっと目線を逸らす。この、目の表情が、仁左さまとても雄弁なんですよね。そして声ね👍 お金を盗んだと疑われた小金吾が反論するのを遮って「黙りやがれっ!」とガラリと態度を豹変させ、啖呵を切ってからのドスの効いた低い声が、とっても好き~😊

 まんまと20両をせしめ、ほくそ笑んでいるところに現れた女房小せん(吉弥)と倅くん。「バクチ打ちから出世して、今やスリやタカリで……」って、イヤ、それ自慢することじゃないのに😅 仁左さまの、女房にちょっと弱いところが可愛いらしく、今もベタ惚れなのがわかっちゃう。倅くんに対する、目の中に入れても痛くないほどの溺愛っぷりは、もはや地でいってるのでは? 花道で、女房の後ろ姿に惚れぼれするところもコッテリ見せる仁左さま。これがあるからこそ、後半の展開に胸がえぐられるわけで……😢

 

 そして「すし屋」。ここでの登場も、花道をヒョイヒョイヒョイと軽やかに歩いてくるあたり、「今日はあの手でお袋を丸め込もう……」なんて算段している権太の脳内が透けて見える。仁左さまの関西弁が軽やかで、母(梅花)をうまいこと乗せてお金をせしめるまでのやり取り、ホント、調子いい奴やなーって、笑っちゃいます😆

 後半、身代わりにした妻子と共に現れてから、仁左さま真骨頂を発揮。頭に巻いていた鉢巻を取り、後ろを向いてそれで目頭を抑えるところから、もう仁左さまにロックオーン❗️ 首実検では両膝を突いて中腰になり手をこぶしにして、気持ち前のめりで構えている。梶原景時(彌十郎)の「相違ない!」で力をフッと抜くのだけど、これで女房と倅の運命は決まった、という覚悟の悲しさも見えたような😢 妻子の顔を上に向かせるとき自分も顔を上げるのも、涙をこらえているように見えました。花道を去る妻子を座った状態で目で追いかけ、女房が振り返ると膝をほんの少し進める動きに、立ちあがって追いかけたい!引き止めたい!という気持ちがこもる。陣羽織を頭から被り体を震わせて悲しみをこらえる姿に、涙腺崩壊しました😭 父親(歌六)に刺されたあと目が霞んでいく手探りの動き、死ぬ間際に倅くんの笛が入っていた巾着を頬にそっと当てる仕草、そうした細かい演技がさらに涙を誘います。最期、手を合わせて宙を仰ぐ仁左さま権太が見せる柔らかな笑み。安堵の顔なのか何なのか、幕が降りても色々考えたりしました。

 

 権太の女房小せん吉弥さんも凄く良いです。なんといっても吉弥さんには不思議な婀娜っぽさがあるんですよね。すっきりした佇まいながら世話女房風、そして権太の冷やかしに照れたときポロッと溢れる色香が、何とも言えず良いわ~。権太のことも、しょうもない夫だけど嫌いになったことは一度もない、みたいなのが伝わってきます。

 小金吾は歌昇なんだけど初役というのは意外でした。“主君を守らねば” という熱く健気な中にも、若さと未熟さが見え、それが、ムキになったり思わず刀を抜きかけたりという行動と自然に結びつく。討死の場では綱を使った立ち回りも決まり、内侍(孝太郎)と若君を見送って死んでいくところは壮絶でした。

 時蔵あらため萬壽さんの弥助じつは維盛は、その佇まいに気品がダダ漏れ。夫婦になれると喜ぶお里(壱太郎)の横で、都に残してきた妻と子を思って心で泣き、お里への申し訳ない気持ちで悩むところに繊細な感情表現があり、弥助としては優男風だけど、武将としての芯の通った強さも感じさせる。最後に維盛として登場したときの姿に高貴さが見えました✨

 

 このあと舞踊を挟んで切狂言が、梅枝あらため時蔵さんの襲名披露狂言「嫗山姥」なんだけど、申し訳ないけどパスしました🙇‍♀️ 日帰り遠征ゆえ、これを観ると帰りの最終新幹線ギリギリ、何かあったら間に合わない可能性もあるので……。菊之助がお相手を勤めるという豪華な顔触れですが、いつか東京でも観られますように。

 

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振付/演出 ヨハン・インガー

 

 遅ればせながら、録画しておいたのを観ました。ちょっと???なところはあったけど、かなり面白く観まして、基本、好きなタイプのバレエ作品でした🎉

 バレエ「白鳥の湖」の原作の1つと言われている「奪われたヴェール」を元に、それを再解釈した作品で、この公演が世界初演らしい。「奪われたヴェール」は1780年代にドイツ人作家ムゼーウスがドイツのメルヘンを蒐集発表した作品群の1つだそうです。

 振付&演出のヨハン・インガーはスウェーデン出身で、さまざまなバレエ団に作品を提供しているらしい。振付はクラシックとコンテンポラリーの動きを融合させているそうですが、本作はかなりコンテ寄りでした。私は彼の作品を観るのは初めてです。

 

 基本情報として、妖精(レダの末裔?)の血を引くある種の人たちのうち、神に選ばれた者に魔法のヴェール(若さと自由の象徴)が与えられる。それをまとうと白鳥に変身する。そして年に1度、白鳥になって湖に飛んでいき、そこで人の姿に戻って水浴びすることで若さと美を取り戻す。ヴェールを奪われたり破られたりすると白鳥になれない=湖に飛んで行けないので、自由を奪われ普通の人間のように老いていく。

 

 ネタバレあらすじ→1幕、横暴な王とその王妃がいて、王妃は妖精族。王は王妃に対してパワハラ全開で王妃の尊厳を踏み躙っている。そこに客人ベンノが現れ、王妃と恋に落ちる。嫉妬に狂った王はベンノを勾留。王妃の味方である重臣はベンノを逃し王妃の秘密を教える。ベンノは「白鳥の湖」に旅して王妃が来るのをそこで待ち、再会した2人は愛を育む。王妃は宮廷に戻るが怒った王は彼女のヴェールを引き裂く。王妃は2度と湖へ飛ぶこともベンノと会うこともできなくなり、王の囚われ人と化す。

 2幕はその約20年後、王は亡くなっていて、王妃には息子(王子)がいる。戦いに出た王子は「白鳥の湖」近くで負傷し、王妃を待ち続けている年老いたベンノに介抱される。ベンノは王子に、湖にやってくる白鳥=妖精族の秘密を語り、やがて死んでいく。王子は湖で水浴びする妖精族のオデットに一目惚れし、彼女のヴェールを隠してしまう。飛べなくなったオデットは王子と共に暮らすことにし、やがて子供を産む。王子が隠していたオデットのヴェールを子供が見つけ、オデットは王子に騙されていたと知る。王子はオデットを失いたくないためヴェールを引き裂こうとする。そこに、息子(王子)を探し歩いていた王妃が現れ、オデットが自分と同じ妖精族と直感した王妃は、王子からヴェールを奪ってオデットに返す。オデットはそれをまとい湖に帰っていく。おわり。

 

 まず人間ドラマとして見応えがありました。ヴェールを引き裂いてオデットを自分に縛りつけようとする王子を止めるのが、その母=王妃。かつて自分が王によってそうされたから、息子に夫と同じ轍を踏ませたくない、そして、自分と同じ妖精族のオデットに自分のような運命を辿らせたくない。負の輪廻を断ち切る王妃のお話でした。

 

 セットはシンプルかつスタイリッシュ、上方にある円形のオブジェが様々に使われますが、特に湖での妖精たちのダンスがそこに映るところはとても神秘的。振付も面白かったです。レオタード姿の妖精たちの有機的で植物っぽい、あるいは水の動きっぽいクネクネした曲線的な踊りが、まだ人の形になりきっていない「生き物」感を与えます。ヴェールをまとった妖精たちの流れるようなダンスはとても幻想的だし、妖精たちとベンノのダンスも美しかった。ベンノと王妃の愛のPDDではリフトはほとんど使わないのねー。

 人間たちの動きは、時に鋭角的になり、時に滑稽味があり、とてもユニーク。王妃の怒りと悲しみと苛立ちに満ちた踊り、ヴェールを引き裂かれ自由を失った悲壮な踊りなど、感情的心理的ダンス表現も雄弁です。

 宮廷から湖に行く路程でいろいろな国を通過するという設定らしく、そこでハンガリーやスペインなどの曲が使われていて、ここではユーモラスな踊りを見せる。戦いに出る前の王子と兵士たちの踊りでは王子の利己的で奔放な性格が出ていました。4羽の小さい白鳥の曲は戦闘シーンで使われていて、しかも動きをスローモーションで見せていてビックリ。オデットが湖の仲間たちを懐かしがるシーンのフォーメーションが綺麗だった。

 

 ヴェールを取り戻したオデットは、我が子を義母(王妃)に託して白鳥の湖に帰っていくんだけど、そこはちょっと納得いかなかったな。王妃のように1年に1度湖に行って若さと美を取り戻すのではだめだったのだろうか。オデットはもともと王子に愛は感じていなかった、ヴェールを失い(王子が隠したんだけど😑)行き場のなくなった自分に手を差し伸べてくれた王子にすがっただけなのかもだけど、子供は気の毒(そもそも子供を出す必要があるのか疑問)。また、重臣に探し出された王子が宮廷に帰りたがらない理由も分からなかったな。まぁ、深くは考えまい😔

 

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作 ウィリアム・シェイクスピア

演出 鵜山仁

横田栄司/sara/浅野雅博/増岡裕子/石橋徹郎/上川路啓志/千田美智子

 

 休養中だった横田さんの舞台復帰第1作、その初日を観てまいりました。横田さんの舞台を最後に観たのは2021年5月、彩の国さいたま芸術劇場での「終わりよければすべてよし」で、あのときは藤原竜也くん演じる主役バートラムの家臣パローレス(口八丁手八丁で世の中を渡ってきて最後にへこまされる)役でした。お休みを取られてから、どうしているだろうか……と時々すごく気になっていましたが、晴れの舞台が「オセロー」のタイトルロールとは👏 今回の舞台を観た限りでは完全復帰のようで、とにかく目出度いです🎊

 

 鵜山仁さんの演出は、予想していた通り、すごくオーソドックスでした。配信や映画館上映などで、斬新な解釈や尖った演出によるイギリスのシェイクスピア劇を観る機会が多くなったこともあり、正直なところ少し物足りなさを感じてしまうけど、この手堅さが鵜山さんの持ち味ですね。

 舞台中央に骨組みだけの立方体のオブジェが置かれていて、そこがヴェニス公爵の鎮座するスペースになったり、オセロー夫妻の寝室になったりする。イアーゴーがオセローに嘘を吹き込み嫉妬で狂わせていくシーンでは、イアーゴーはオセローをその中に入れオブジェをクルクルと回転させます。檻の中のオセローがイアーゴーの言葉に翻弄され手玉に取られていくという、象徴的な演出でした。それまでグレイだった背景が、そのとき血の色に染まるのも印象的だった。

 もう一つ面白かった演出は、最終幕、デズデモーナとエミリアは死んだあと静かに起き上がり、霊魂のように、目の前の成り行きをジッと見ているのです。さらにデズデモーナはオセローが自害すると彼を抱き起こして、赦しを与えるかのように包み込み、2人はキスをしてゆっくり倒れていく。死ぬことで2人の愛の絆は永遠のものになるのでした✨

 

 オセローの横田さん、登場した途端に圧倒するその堂々たる体躯、大きくて逞しい。そして、最初からセリフが熱い! 豪快な熱血武将です。でも同時に、可愛らしさや駄々っ子っぽい一面も頻繁に見せる、まさしく横田オセロー。そして何よりも、デズデモーナに首っ丈だった😆 彼女の前では甘い表情や態度を見せるし、彼女への言葉にもその愛情が表れている。ところが “嫉妬” という緑の目をした怪物に取り憑かれてからは、その柔らかさは消えて硬直し、言葉は鋭く冷たくなっていく。それは意識下にあった自身のコンプレックスが頭をもたげてくることでもあって、イアーゴーに肌の色のことを言われたとき、とっさに自分の両手を隠したときの表情が痛々しかった😢 妻を殺した理由を「名誉のため」と言うその言葉が虚しく響く。愛嬌と人間味があふれる横田オセローゆえに、尊厳を保とうとする自我に負けた弱さ、ナイーヴさが際立ちました。

 

 イアーゴーの浅野雅博さんは、今作で鵜山さんが描きたかった「オセロー」劇にドンピシャの配役でした。鵜山さんが「オセロー」に見た一つの解釈は「“匿名の大衆”=“凡庸” が、暴力でもって多様性を押しつぶす」という図式らしい。マイノリティーへの偏見・差別という垣根を越えて結婚し多様性のイメジャリーとなったオセローとデズデモーナ、“他と同じ存在” から逸脱した2人、“基準” から外れ目立つようになった2人を、凡人イアーゴーが引きずり下ろすという……ね。

 なので、浅野さんのイアーゴーは偏執狂的でも悪魔的でも野心満々でもなく、(悪い意味ではなく)どこにでもいる一般人だった。誰に対しても人当たりがよく、全く悪党には見えないどころか、個性すら感じられない。その普通の人が、嫉妬して、悪意や敵意が湧いていき、それが自分の勝手な妄想によってどんどん膨らんでいき、やがて行動に移してしまう。オセローに嘘を吹き込むときも、浅野イヤーゴーは不気味でもいやらしくもなく、普通に会話しているような感じで淡々と、ヒタヒタと、オセローの心をむしばんでいくのです。そんな普通の人にも普通に起こり得る感情のうねり浅野イアーゴーからそれを見せつけられた怖さがありました🥶

 そういえば浅野イアーゴーは常に「旗」を持っていて、それは彼がオセローの旗持ちであることを皮肉的に見せているのだと思ったけど、あれはイアーゴーが普通の人=庶民の旗印であるということなのか? 小さくて安っぽくて、何となくお粗末な旗だったような……。

 

 デズデモーナのsaraさんは、ただの深窓の令嬢ではないと感じさせる凛とした佇まいの女性。オセローの高潔さや純粋さだけでなく、ユーモアやちゃめっ気もあるところに、人種や肌の色の違いを超えて惹かれたんだろうなと納得できる、聡明さや芯の強さが見られました。saraさんは文学座の本公演に出るのは初だそうで、その姿には存在感があったし演技も良かったけど、セリフの力はまだ弱くて、時々流れて聞き取れないこともありました。でも、役者としてこれからどんどん大きくなっていく予感がします👍

 

 ところで(私の目が確かなら)横田さんはブラウン系のドーランをうっすら塗っているように見えました。オセローの “肌が黒い” というのは今や1つの記号的表現であって、それは例えば、アジア人だとか太っているだとか、そういう “差別の対象になりがちな外見的特徴” と置き換えられるものだと思う。日本人が演じる際に、オセローは黒人だから、と肌をダークに見せる必要はもはやないのでは? セリフでそう言っているだけで十分。あ、でも、もしかしたら初日以降は変えているかもですが。

 

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脚本 ジョン・ローガン

演出 アレックス・ティンバース

望海風斗/井上芳雄/橋本さとし/伊礼彼方/上野哲也/中河内雅貴/藤森蓮華

 

 昨年の初演では平原サティーン&芳雄クリスチャンで観たので(基本、キャスト違いでのリピートはしないヒト🙇‍♀️)、今度はぜひ望海&芳雄で観たいと思っていました。作品については、沼にどっぷり浸かり初演から何度もリピートしている方達が微に入り細に入ったレポートをしてますが、2度目の観劇となる私はあっさり行きます。

 

↓珍しく画像などを。

 

  

 

 ミュージカルを観る頻度が少なくなったし宝塚は全く観ないため、望海さんは2022年の「ガイズ・アンド・ドールズ」で観ただけなんですが、キラッキラの存在感と歌と演技が脳裏に焼き付きました。その、望海風斗さんサティーン、スッとした面持ちに透明感があり、そのせいか、時々見せる翳りに薄幸な運命が見え隠れする。さらに、スレンダーな姿が “結核に侵されている” という設定に説得力があります。華やかさと儚さが絶妙にミックスされた雰囲気

 ショーの舞台の上ではまさしくゴージャスなダイヤモンドだけど、クリスチャンの前では素の女性になり、もしかしたら本当の恋愛をしたことないのでは?と思わせる清らかさ。同時に、真っ直ぐに向かってくるクリスチャンを(今までそういうふうに自分に接してくる男性はいなかったかのように)新鮮な驚きとイタズラっぽい好奇心を抱いて見ている感じもいい。クリスチャンへの愛を貫くか、ムーラン・ルージュの存続かつ仲間を守る(さらにはジドラーへの恩義)のためにデュークの囲われ人になるか、選択を迫られ追い詰められていく過程も胸に響きます。クリスチャンに愛想尽かししたあとの悲痛に歪んだ表情に、思わず泣きそうになりました😢 あれ? これって「椿姫」のマルグリットとアルマンじゃないですか。最後、クルティザンが不治の病で死んでいくとこまで同じだ。それと重ねると、なるほど、これは確かにサティーンの物語だと納得しました。

 

 クリスチャンは20代後半くらいの青年だと思うのですが、井上芳雄くんは、本人の年齢を知って改めて驚いたんだけど、全く違和感ないっ👍 まさに永遠の青年です(役者として、それはメリットなのかどうか何とも言えないけど)。透明感ある伸びやかな声質が生み出す歌は言わずもがな、演技がとにかく上手い。歌が演劇的表現と結びついている、歌詞がセリフになっている。芳雄くんの魅力は、私の場合、そこです。なので、本作のような悲恋を背負った男の役には特に深みが生まれ、作品を引き立てるんですよね。

 サティーンに一目惚れし、何も考えず一直線に進んでいく純粋さ、一直線すぎて不器用が目立ったり、デュークの怖さを理解できないナイーヴさがチラついたり、そのあたりの見せ方が絶妙……というか、もう地で行ってる。いろんなシーンで有頂天になったり迷ったり葛藤したり、その感情の揺れが歌からきちんと伝わってきます。だからこそ、愛に敗れたと知って自暴自棄になる真に迫った様子や、サティーンを失ったときの絶望が直球で迫ってきて、私の感情を激しく揺さぶるのです😭 それでも最後の姿はむしろ清々しく、ほんの少し成長したかなと思わせました。「El Tango de Roxanne」最高です~✨ スティングの曲がこんなにダンサブルになるなんて!

 

 デュークは伊礼彼方さんの200%ハマり役。傲慢で実にいけすかない貴族なんだけど、品性をまとってるし、とにかくすっごくセクシーなんだわー😍 最初に登場していきなり色気を撒き散らす。シュッとした立ち姿で人を斜めから見つめる様子は貴族として庶民を見下してきた姿勢だし、シルクハットを取った時に鏡をチラッと見て髪の乱れを手でスッとなでつける仕草がもうねー😆(いや、乱れてはいないのにそういう習性が身に付いちゃって……というキザな感じがまた良いのよ)。気がつくとデュークに肩入れしている自分💦 

 でも、サティーンを強引にソファに押し倒すところはサドっ気があって恐ろしく、ムーラン・ルージュのショーマンたちを「モノ」扱いする時のセリフには唖然とする。そういうのを抱かせる演技なわけで、やっぱり良いですー。サティーンを見る目が最後まで、自分を引き立ててくれる人形として見ている、感情のない冷たい眼差しだったのも印象に残りました。デュークとその取り巻きたちによる、ストーンズの曲をモチーフにした「Sympathy for the Duke」、ロックする歌とダンスがカッコ良いったらありません。

 

 橋本さとしさんのジドラー、オーナー兼マネージャーとしての求心力とボスっぽさとエンターテイナー性があり、冒頭の曲から観客の心をガシッと掴むところサスガ。サティーンに対しては父親のような感覚で接しているところが人間的でとてもいい。デュークのご機嫌を取ろうと必死の態度にも、何としてもナイトクラブを、ショーマンたちを守りたいという、さとしさんならではの情の深さを感じるし、作品内では言及されないけど、苦労した過去を想像させるものがありました。

 

 以下は脚本に関する感想ですが、「楽屋ではもう一つの恋の話が……」という説明のあと始まるサンティアゴ(中河内雅貴)ニニ(藤森蓮華)のシーン、すごく素敵なんだけど、この2人の恋バナがサティーンとクリスチャンの恋の行方と並行して展開し、時に交差したり逆方向に行ったりという、写し鏡的なものかと思いきや、そういう位置付けじゃないのがちょっと中途半端だと思うんですよね。また、サティーンが命を落としたあとデュークが全く登場しないのも、どうなの? 彼女の死はデュークに何の責任もないとしても、2人の仲をあれだけかき回したわけだから、最後に何らかのリアクション・シーンがあってもいいと思うのだけど。

 

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 先週末に観る予定だった、永田崇人ひとり芝居フィリップ・リドリーの「ポルターガイスト」@シアターウエストと、杉原邦生演出サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」@KAATが、役者さんや演出家さんの体調不良のため、立て続けに公演中止になってしまった😔 楽しみにしていただけに凄く残念です。

 最近読んだ本を書いておきます。新刊ではないんだけど。

 

「アーサー王と中世騎士団」(原書房、2007年)

 著 ジョン・マシューズ/監修 本村凌二

 アーサー王の物語の発端は、5世紀末~6世紀初頭のブリテン島に、海を渡って侵攻してくるゲルマン人を撃退した強~いブリテン人武将がいた、という伝承(文献)です。その彼の話がアーサー王として英雄伝説化して語られ、やがて、アーサー王の一代記に関連づけて、騎士や乙女が登場する冒険や恋愛などの物語が創作されいく。そして、本来は別々にあったそうした物語たちを編纂する形で、15世紀にトマス・マロリーが「アーサー王の死」という物語を書き集大成させました。

 今回読んだこの本は、アーサー王を巡るいくつものエピソードを「英雄アーサー」「神話の王」「預言者マーリン」「円卓の歴史」「湖の乙女たち」「聖杯の探究」「過ぎし日の王、未来の王」という章に分け、各お話の概要、元々の物語の紹介、解説などによって多角的に展開しています。内容は深くて本格的で凄く面白く、カラー図版や写真も多用されていて目にも楽しい本でした。

 

「西洋中世奇譚集成 魔術師マーリン」(講談社学術文庫、2015年)

 著 ロベール・ド・ボロン/訳 横山安由美

 著者のロベール・ド・ボロンは12世紀後半~13世紀前半のフランス人。本書はアーサー王の物語に登場する魔法使い&予言者マーリンの、その不思議な誕生から始まって、3代の国王に仕えながら波乱の人生を歩み、最後にアーサー王の誕生を助けるまでの物語です。神と悪魔の両方から運命を授かって生まれたマーリンが、そのマジカルパワーを次々と発揮して国を操っていく様子が、各王の治世と絡めて語られていて、いろいろと興味深かった。

 ちなみに表紙カバーの写真は、イギリス南西部、アーサー王誕生の地 “ティンタジェル城” があったとされる場所の、崖の下にある “マーリンの洞窟” 。ここにマーリンが暮らしてたらしい😅

 

 

 読んでいるうちに脳内がアーサー王になったので、誘われるようにして、手持ちのDVDを久しぶりに観ました。

「エクスカリバー」(1981年)

 監督 ジョン・ブアマン/原作 トマス・マロリー「アーサー王の死」

 アーサー王関連の映画作品はいくつか観たけど、これがダントツで圧倒的に面白い👍 マーリンの魔法の力でアーサーが生まれ、王になり、魔剣エクスカリバーを手にし、王妃グィネヴィアと騎士ランスロットの不倫裏切りにあい、不義の息子モードレッドと戦って倒れ、癒しの島アヴァロンに運ばれるまで、が描かれている。メタリックな燻し銀の甲冑、剣や甲冑が触れ合う乾いた金属音、飛び散る赤黒い血、鬱蒼とした森と泥土、石造りの薄暗い城内、蝋燭の黄色い光……“ヨーロッパの中世前期” の世界がリアルに広がります。たまりませんー😊

 

「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」(1975年)

 監督 テリー・ギリアム/テリー・ジョーンズ

 これも大好きな映画。アーサー王物語のうち、王と騎士たちの聖杯(ホーリー・グレイル)探究をテーマにしたパロディー作品です。

 モンティ・パイソンはイギリスの70年代から80年代にかけて一世風靡したコメディー6人グループ。1969年に始まったBBC TV番組「空飛ぶモンティ・パイソン」で人気となり、TVのほかライヴ、映画、書籍、舞台などで活躍。不条理でシュールで風刺に富んでいてブラックな笑いを振り撒きます。

 この映画は、アーサー王が円卓の騎士を募り、集まったところで神の声を聞いて聖杯探究の旅に出て、その過程で個々の騎士が冒険体験をし、でも結局だれも聖杯を手にすることはできず、現代の警察官に捕まって😅終わり(聖杯探究の途中、現代の歴史学者が解説している時その学者を殺しちゃったんで、警察が捜査していた)。もう笑いっぱなし😆

 

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原作 スーザン・ヒル

脚色 スティーヴン・マラトレット

演出 ロビン・ハーフォード/アントニー・イーデン

向井理/勝村政信

 

 原作小説は1983年初版、舞台版の初演は1987年@イギリス。日本での初演は1992年で、今回が日本で8度目の上演だそうです。私は、小説は読んだけど舞台を観たのは大昔のこと。もはや断片的にしか覚えてないので、今回改めて観てみようかなーっとなりました。

 

 ネタバレあらすじ→キップス(勝村政信)は青年時代のゴースト体験の記憶に悩まされ続けており、それを家族に告白すれば呪縛から解放されるのでは?と思う。長い話を上手く語るにはどうすればいいか、“俳優”(向井理)に相談する。“俳優” は、劇の形でその体験を再現することを提案。“俳優” が当時の若キップスを、老キップスが当時自分が出会った人たちを演じることにして、以下の劇中劇が始まる。

 弁護士の若キップスは、亡くなった顧客ドラブロウ婦人の遺産整理のために田舎町へ赴く。そこで彼は黒衣の女の亡霊を見たり、底なし沼に落ちて悲鳴を上げる子どもの声を聞いたり、婦人の館の子ども部屋で無人のロッキングチェアが揺れているのを見たりと、次々とホラー体験をする。町の地主は彼に、ある出来事を話す→ドラブロウ婦人の妹が私生児を産んだこと、婦人はその子を養子として引き取ったが妹は子どもへの愛情が強かったこと、その子が乗った馬車が底なし沼に落ちて死んだこと、そのショックで母(婦人の妹)も病死、やがて町に彼女の亡霊が現れるようになり、そのあと必ず町の誰かの子どもが死ぬこと。恐怖を覚えた若キップスは仕事を中断してロンドンに帰る。

 キップスの体験の再現劇が終わる。“俳優” は演技が上手くいったことを褒め「それにしても、あの黒衣の女の演技は真に迫っていましたね、あの役者はどこから連れてきたんですか?」と老キップスに訪ねる。老キップスは「そのような女は舞台には居なかった、見ていない」と否定😱 家族(子ども)がいる “俳優” は突然恐怖に襲われる。舞台が暗転し、上方にほのかな明かりが射すと、そこに黒衣の女がボーッと立っている🥶 終わり。

 

 “俳優” が演技中に見た黒衣の女は実際の役者ではなく亡霊だった。それが分かった瞬間に、さっきまでの劇中劇と現実とのボーダーが消え、“俳優” の子どもに何かが起こるのか😰……と思わせる。過去の出来事を劇中劇で再現するという二重構造にすることで、お話の怖さが効果的に増長します。さらに最後の最後、舞台上に現れる黒衣の女を私たち観客が目撃することで舞台と客席とのボーダーも消え、観客を巻き込んだ三重構造になる。演劇だから見せられる面白さですね。黒衣の女を見た私たちにも何か起こるかも🙄……小さい子どもがいる人は気をつけてー💦

 

 芝居の大半を占める劇中劇は、視覚と聴覚に働きかける演出が際立っています。突然現れてフッと消える黒衣の女の姿は恐怖心を煽るし、馬車の音や叫び声などの効果音は、舞台上からではなく、客席エリアのどこか(左右壁あたりや、上方や、通路あたり)から聞こえてくるので、客席を含む劇場全体が、若キップスが訪れている田舎町であり、私たち観客は町の住人になったような錯覚を覚えます。観客巻き込み型演劇で、実際、突然響き渡る物音にはビクッとなる💀 そういうのってテーマパークのお化け屋敷に入り込んだっぽい体験でもあり、その意味では割とオーソドックスなホラー劇かな。

 

 2人の役者は膨大なセリフをよくこなしていて良かったです。本来の役(“俳優” 、老キップス)と、劇中劇で演じる役(若キップス、そのほかの人物)との演じ分けが分かりやすく、勝村政信さんは何役も演じ分ける際に、各人物の身体的造形や声色などを巧みに変えて違いをクリアに見せていた。向井理さんは “俳優” の役のときに老キップスに演技指南するところなどでの明快な演技が良かったです。

 

 ただ、戯曲スタイルとして引っかかったことが。それは、小説の地の文を読んでいるようなセリフが多いこと。行動や心理や状況を表現するとき、それを会話や独り言や舞台効果によってではなく “ト書きを読んでいるみたいに” 説明することが結構あるんです。

 “俳優” (向井理)が若キップスを演じているとき、他役で出ていない老キップス(勝村政信)が舞台の端で「彼は書類をひとつひとつ解いて仕分けしていく」「外が薄暗くなっていく」などと説明する。若キップスが子ども部屋にあるオモチャを目にしているとき、老キップスが「オルゴール、トランプ、童話の本……」などと列挙したり、若キップスが「それを見て私は~と思った」と自分の気持ちを解説したりする。あるいは「私は1日も早くロンドンへ帰りたかった」とかね😑

 そういうのをセリフや動きや演出で展開させるのが芝居じゃないの? まぁ、劇中劇は老キップスが綴った体験記を2人で読み合っているもの、と理解すればいいのかもだけど、小説を音読しているような部分は演劇としての面白さを削ぐような気がしました。

 

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追加振付/演出 リアム・スカーレット

ヤスミン・ナグディ/マシュー・ボール/トマス・ホワイトヘッド/ジョンヒュク・ジュン

 

 このリアム・スカーレット版の初演は2018年。それまでのアンソニー・ダウエル版以来31年ぶりの新プロダクションで、フライアーのコメントを拝借すれば “ダークで悲劇性の強い” 作品です。ヤスミン&マシューのペアは他作品でも何度も共演しているのでパートナーシップは盤石、安心して観ていられます。すごく良かった🎊

 

 オデット&オディールのヤスミン。ダンサーによっては白鳥・黒鳥どちらか一方がより似合う、ということがあるけど、ヤスミンは両方の踊り分け&演じ分けが見事で、どちらもなりきり度すごい。場に合わせて気品やパワーや儚さなど醸し出すものを変え、どのステップもポーズも完璧で、長い手脚による表現が雄弁。視線の強さも明らかに違います

 プロローグ、ロットバルトに変身させられたヤスミンオデットは無表情、ロットに操られるかのようにアームスを羽ばたかせる様子は魂を奪われたかのようで、すでに痛ましい。王子と遭遇した時は不安や警戒心を見せるけど、儚げな乙女ではなく、出自としての高貴さを失わない毅然とした強さもあった。王子の真心に触れ少しずつ心を開き表情を和らげていく演技がとても丁寧。王子に触れる時にフッと彼を見るときの、すがるような眼差しも良かったです。

 一方のオディールは、コケティッシュに攻めるのではなく、狙った獲物は離さない的な強さがあって王子をグイグイと引き摺り込む感じ。差し出した手に王子がキスしようとするとサッと翻すなど、焦らし作戦も小気味いいです。強靭なグランフェッテは勝利宣言だったし、王子を騙しおおせて走り去っていくときには高笑いが聞こえてくるようでした👏 4幕では、癒されることのない深い絶望から心を開き、王子の懺悔を受け入れ赦すときの穏やかな表情は聖母的、悲しみの中でのPDDは痛々しく😢 意を決して身を投げるまでのオデットの心理もダンスで丁寧に表現されていました。

 

 結婚や王位継承という“義務” に縛られ苦しむ憂愁のマシュー王子、ガラス玉のような透明感ある目、うつむきがちになったときのメランコリックな表情が美しい✨ 1幕では威圧的なロットバルトの前で何も逆らえず、宮廷人が踊る最中も後方に佇み遠くの空を見つめていて、心ここに在らず風の背中が寂しげだった。

 湖畔でオデットに遭遇し、驚きとトキメキが混じった気持ちを見せながら少しずつ近づいていく感じが良い。デュエットでオデットをサポートする時の、壊れやすいガラス細工に触れるようなソフトなタッチが美しいです。オデットを抱き寄せた時の優しくいたわるような表情や、見つめたときに見せる笑顔は安らぎと開放感を噛み締めているようだったな。

 3幕ではオディールに翻弄されながら絡め取られていくところが上手くて、超絶ピルエットは愛を得た喜びのほとばしりのようです。4幕での王子はロットに倒されちゃって弱っちいんだけど😅 その前に、後悔に苛まれ赦しを請う姿が悲痛です。最後、オデットの後を追って2人が天上で結ばれるのではなく、王子がオデットの亡骸を抱いて幕、というエンディングは私の好みですね(2人が地上で結ばれるハッピーエンドなんてあり得ないでしょう😑)。

 

 ベンノを踊ったジョンヒュク・ジュンがとても良かったです。弾むようなステップ、大きなマネージュ、空中で伸びる後ろ脚の美しさ。ディヴェルティスマンではナポリを踊ったイザベラ・ガスパリーニレオ・ディクソンがとても溌剌としていて際立って見えたけど、2人だけで踊ったせいもあるのかな。ロットバルトはトマス・ホワイトヘッド。王子に対して無言で圧を送ってくる表情からしてもう熱苦しく😆 湖での魔王に変身してからのメイクが不気味でした。

 ところで、ロットバルトはそもそも何をしたいのか、その目的がよくわからない版が多いですが、今回、スカーレット版におけるロットとオデットの行動の意図が(自分なりの考えですが)わかったような。ロットは王座を狙う側近=女王の顧問に化けている魔王という設定。ホワイトヘッドはインタビューで「彼はさげすまれたてきた」と言っていたので、何らかの恨みがあって王国を乗っ取ろうとしているのね。具体的には、王位継承者である王子の権威をおとしめて王国を我が物にしたいらしい。

 でも彼の魔力は、自分が魔法をかけたオデットの「愛する人のために命を投げ出すという犠牲的行為」によって消滅するのだと思う。で、そのことを知っているオデットは、自分が死ねばロットは衰弱し仲間の白鳥たちがやっつけてくれる、そうすれば愛する王子の国を救える、と湖に飛び込んだと解釈しました。愛が結ばれないことや呪いが解けないことに絶望したのではなく、王子のために自分を犠牲にした……というね😭

 

 スカーレット版でどうしても好きになれないところは舞台が暗いことです。背景やセットが黒っぽく、照明も舞台全体を均等に照らさずに明暗をつけるので、ダンサーが見えにくい😔 2幕で湖のほとりにロットバルトが現れるところも、オデットが上手から出てくるところも、よく見えない。群舞もオデットを追いかける王子も、舞台の端や後方に行くと見えにくくなる。王子やロットの衣装がダーク系なので、黒っぽい背景に溶けてしまい脚の動きがよく見えない。3幕でも王子はダークな衣装なので、黒とゴールドを基調にした室内セットと重なって脚の動きがよく見えないんですよっ❗️

 照明も、1幕の宵闇に包まれた屋外、2・3幕の月光のみに照らされる湖畔、3幕の壮麗な宮廷内……という、その場の雰囲気を出すための演出意図があるのでしょうが、リアリズムにこだわるためにダンサーの踊る姿が見えにくくなるって、本末転倒では?

 

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