明日もシアター日和

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観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

 次の観劇=新国バレエ「くるみ割り人形」はもう少し先で、またまた観劇ブランク真っ最中です😞 ということで、配信で観たバレエ作品の感想をちょっとずつ。

 

大和シティー・バレエ「いばら姫」(2025年8月収録)

原作 グリム兄弟

演出/振付 佐々木三夏/竹内春美

大谷遥陽/猿橋賢/本島美和

 

 今年夏に行われた公演が期間限定で配信されています。主役の2人=いばら姫と王子は、12月21日~31日配信分がこの大谷&猿橋ペア、来年1月1日~11日配信分が菅井円加&山本勝利ペアです。

 そして、えっ、何ですか? すっごく面白かったんですけど😃 好きなタイプのアダプテーションです。ダンスは振付家2人を起用しただけあってクラシックとコンテが混ざった独創性あるもので、衣装も個性的。色々な大きさのキューブを使うというシンプルな舞台美術で、その無機質な抽象性が、振付と衣装の良さを引き立てている

 いばら姫の造形も良くて、深層の令嬢なんかではなく、花婿候補(1人のみ)にあからさまにイヤ!を見せるなどちゃんと意思を持った、キュートなお転婆っ子です。招待された妖精たちの中に男性が混じっているのも良いです。そして「招待されなかった妖精」の本島美和さんがまた美しくもカッコいいんだわ😆 造形も一元的な悪というのではなく、本当はいい人なんだけど祝宴の席に乗り込んだところ雷に打たれて邪心が芽生え姫に呪いをかけてしまうという脚色がされていて、彼女にも100年越しのドラマがあるんですね✨ いばら姫と王子とは別に、サイドストーリーとして少年と少女のちょっと切ないエピソードもあるんだけど、それはなんか余計のような気がした💦

 

フィンランド国立バレエ「クリスマス・キャロル」(2023年収録)

原作 チャールズ・ディケンズ

振付 デイヴィッド・ビントリー

 

 以前にも配信で観ていました。それを忘れていたほどつまらなかったんだなと、今回観ながら思い出した😓(でも最後まで視聴しましたよ)。そもそもディケンズの小説ってバレエ向きじゃないし、振付は「物語る」のが好きなビントリーだし。

 リアリズムに徹した舞台美術と衣装(19世紀半ばのロンドンの庶民)、ストーリーを語るように追っていく展開。実際、小説のプロットほぼすべてを見せていく感じで、パントマイム劇を観ているように感じるときも。ダンスも印象的な振付ではなかったな、フォークダンスみたいなのもあるし。それに、せっかく幽霊とか精霊とかが出てくるんだから、もう少し幻想的な演出があるといいのにとも思います。Xマス・シーズンに子どもを連れて観る作品としても、ダークなシーンがあるからどうなんだろう?と思うけど、道徳的なお話だから教訓モノとしてはいいのかな?

 

ウクライナ国立バレエ「雪の女王」(2023年収録)

原作 アンデルセン

振付 アニコ・レフヴィアシヴィリ

 

 今年もウクライナ国立バレエが年末年始の来日公演を打っていますね(今回、私は行きません🙇‍♀️)。演目は「雪の女王」「ジゼル」「ドン・キホーテ」。そのうち「雪の女王」の2023年公演フル映像がアップされているので観ました。

 かつて同バレエ団では毎年、Xマス時期の定番「くるみ」を上演していたんだけど、2022年2月ロシアがウクライナに侵攻したのを受け(今もロシアは攻撃し続けている😖)、チャイコフスキーほかロシア人作曲家の楽曲を取りやめると同時に「くるみ」に変わる作品としてこの「雪の女王」を位置付けたのだそうです。ウクライナの人たちの思いと矜持がこもった作品なんですね😢

 アンデルセンの原作に則り、ゲルダがカイを探して雪の王国へ行く途中で、魔法の花園の女主人とか、魔法の王宮の廷臣(カラスの夫妻)とか、山賊の集団とかに遭遇するという展開です。お話は単純で、ダンスを見せる作品。良い意味でオーソドックスな振付で、魔法の宮廷に使えるカラス夫妻、山賊軍団、カイをさらった雪の女王など、長身ダンサーたちによるキレッキレのダンスは胸のすくような素晴らしさ🎊 衣装も配色にニュアンスがあって好きですね。

 

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ジョニー・リー・ミラー/ルーシー・リュー

 

 アメリカのCBS TVで、2012年9月~2019年8月まで放送されたドラマです。日本では WOWOW や CS で放送されてたけど私は未加入。それがAmazon プライムビデオでも配信されていると最近になって知り(遅!😓)観たらすっごく面白かったので感想を書いておきたい。

 

↑もちろん本編は日本語字幕あり。

 

 舞台を(放送当時における)現代のニューヨークに置き換えてアレンジしたシャーロック・ホームズもので、全7シーズン154話というロングラン。1話(45分前後)完結スタイルで、お話がサクサクと進むのも、観やすさ=人気の高さにつながったかも。エミー賞はじめ数々の賞を獲得していて、ホームズを演じたジョニー・リー・ミラーは映画やTVで最も数多くホームズを演じた俳優になったそうです。

 

 原題は「Elementary」で、かつてホームズを舞台で演じた俳優ウィリアム・ジレットのセリフ「Elementary, my dear Watson. (初歩的なことだよ、ワトソン君)」から取っている。原作小説では、ホームズはこの通りのセリフは喋っていないらしいけど、「elementary」という言葉はちょこちょこ言ってます。

 

 ちなみに、このドラマの少し前2010年にイギリスBBC制作によるベネさん主演のTVドラマ「シャーロック」が創られ、日本でも超話題になりましたね。で、今回こちらを視聴しまして、私はベネさん版よりこちらの方が、お話としても人物造形としても好みだわ👍

 

 かつてスコットランドヤード(ロンドン警視庁)のコンサルタントをしていたホームズは、いろいろあって薬物依存に陥り、リハビリ療法を受けるためNYに移住。リハビリを終了し社会復帰したあと、NY市警の顧問となり犯罪捜査に協力することに。そこに、ホームズの父親からの命を受けて、薬物依存離脱者の付添人として派遣されたのが、元外科医の(ジョン・ワトソンならぬ)ジョーン・ワトソン(=女性)という設定。

 2人は共同生活をスタートさせ、ワトソンはホームズが携わる事件の解決に関わるようになり、ホームズの鋭い観察眼と天才的な科学的思考法、そしてワトソンの医学的知識や何げない助言などによって難事件を解決していく。やがてワトソンは実質上ホームズの仕事上のパートナーとなり、2人でさまざまな事件に挑むという展開です。

 

 ドイルの原作小説に登場する、ホームズの宿敵そして永遠の「The Woman:あの女性(ヒト)」でもある人物は、アイリーン=実はモリアーティとして宿命的対決をしたり、イギリスに住む兄マイクロフト(リス・エヴァンス)レストレイド刑事が事件に絡んだり、原作では出てこないホームズの父が事件と関係する形で複数回に登場したりする。

 ホームズがライヘンバッハという名の悪党と対決し、撃たれてハドソン川に落ちて死んだとされたり、実は生きていてチベットはじめ各国で修行や事件解決をしていたとか、その間ワトソンは「シャーロック・ホームズの事件簿」という本を出していたとか、オマージュ満載で、原作小説好きにはたまりません😆

 

 複数の人が脚本を書いているので各話の事件の中身が濃くて深い。巨額のお金が動く投資話や不動産売買や密輸といった金融関係の事件や、さまざまな政府機関や国際機関がからむ政治事件はとてもリアルだし、科学が関わる話ではその理論に説得力がある。容疑者や、その犯罪の目的も二転三転するので、観る方も頭をフル回転です。わずか40数分の枠内でよくこんな複雑な、それも小手先ではなく専門的内容に突っ込んだプロットを考えつくなと思います。

 

 ジョニー・リー・ミラーのホームズは、リハビリを終えたとはいえ依存症という負の影を背負っている。シリーズ初期の頃は傲慢で我儘でエキセントリック。これはドイルが形成したホームズに近い感じですが、なおかつ父や兄に対する屈折した思いを抱いている。そんな彼がシリーズ終盤にかけてどんどん人間らしくなっていくのです。

 ワトソンを演じたルーシー・リューがまたカッコいいんです👏 頭脳明晰だしタフだし、男にも女にも上司にも媚びないし、そして恋愛もする。ホームズが人の心を取り戻していくのは、このワトソンの存在が大きいのですねー。

 

 何よりも良いのは、ホームズとワトソンは男と女で、2人ともヘテロセクシャルで、仕事の便宜上、同居しているのだけど、2人(あるいはどちらか)が恋愛感情を抱くなど、男女の関係に全くならないこと、お話としてそれを仄めかしもしないこと。ずっとプラトニックな関係であり、仕事上のパートナー(相棒)であり、親友であり、兄妹のようであり、そういう関係性が全く不自然じゃないのです。

 そして最終話は、男女としての愛情はもちろん、単なる人間関係としての愛をも超えた何か、信頼と尊敬による揺るぎない絆が2人の間に生まれる感動的なエンディングになっていて、観ていてちょっと泣きました🥹

 

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作 三島由紀夫

演出 松森望宏

谷佳樹/小松準弥/小西成弥/森田順平

 

 三島由紀夫の戯曲です。同演出家による2022年の初演を観ており、それがすごく面白かったので今回の再演を楽しみにしていました。初演時とは感想が少し変わりました。以下、役者さんについては辛口です🙇‍♀️

 1932年、ヒトラーが党首を務めるナチ党が選挙で第一党となり、首相に就任したヒトラーは党による独裁を強化していく。そうした経緯を背景に、この芝居は1934年、ヒトラーが起こした「長いナイフの夜」事件(突撃隊参謀長レームとその幹部たちやナチ党左派のシュトラッサーを含む、政敵や邪魔者数百人?を銃殺した)におけるヒトラー、レーム、シュトラッサー、鉄鋼王クルップ4人の姿を描いた作品です。この事件によってヒトラーの独裁権力は確実なものになり、約1カ月後にヒトラーは総統(首相職と大統領職を統合)になります。

 

 原作本の解題で三島は「ヒトラーは全体主義体制を確立するために、国民の目をいったん “中道政治” という幻で誤魔化さねばならなかった。その “中道政治” の幻に説得力を持たせるには、極右レームと極左シュトラッサーを切り捨てる必要があった」と書いている。ポイントは、レームとヒトラーは同志であり、レームはヒトラーに強い友情と忠誠心と信頼を抱いていたけど、ヒトラーはレームに対してそうではなかったことです。

 

 ネタバレあらすじ→1934年6月某日、ヒトラー(谷佳樹)は首相官邸にレーム(小松準弥)シュトラッサー(小西成弥)、武器商人クルップ(森田順平)を招き、それぞれと個別に話し合いを設ける。まずレームに、過剰な行動を慎むよう忠告するが、レームはヒトラーの本心を理解できない。次いでヒトラーはシュトラッサーに、左派的な考え方を改めるよう諌めるが、シュトラッサーは逆にヒトラーを糾弾する。ヒトラーはレームとシュトラッサーの処刑は止むを得ないと決断。ヒトラーの意図を察知したシュトラッサーはレームと会い「自分たちはヒトラーに殺される、そうなる前に2人で手を組んでヒトラーに対抗しよう」と誘うが、レームは相手にしない。同年6月末、レームとシュトラッサーを含む邪魔者たちを殺害したその夜、ヒトラーとクルップはドイツの将来を語り合う。終わり。

 

 開演前から客席内には、ヒトラーが好んだというワグナーの壮大な音楽(タイトル知らない😓)が流れていて、その音がクレッシェンドになったところで芝居が始まります。登場人物のセリフが核心に触れると心の中に滑り込んでいくような密やかな音が流れ、殺戮を想像させる真紅の照明が舞台を染めるなど、音響や照明が劇的効果を見せる。最後は舞台奥から群衆の「ハイル・ヒトラー」という歓呼の声が響き、暗い舞台に立つヒトラーにスポットライトが当たって彼の姿が闇に浮かび上がり、幕でした。硬質でピンと張り詰めた緊張感ある演出が良かったです。

 

 とにかく戯曲そのものが凄く面白い👍 「長いナイフの夜」事件の前にこの4人が首相官邸で会ったというのは三島の創作で、ヒトラーがまだ “人間的” な面を持っていた時期の話だと言ってます。お話の肝は、馬鹿正直なレームがヒトラーに対して少年じみた友情を示し、最期までヒトラーを疑わず死んでいく(銃殺される)ことです。しかしヒトラーは、レームが自分に友情心を持ったことは罪であり、自分にも友情を期待したことはもっと重い罪だとしてレームを見限る。三島はそのレームに感情移入し、レームを実際よりも愚直で純粋な男にしたそうで、友のために命を捧げたレームを美化しています。

 

 しか〜し、そのレームを演じた役者さんが、役作りとか演技以前に、発声も含めたセリフ術ができてなくて辛かった😔 セリフの最後の言葉(語尾)のトーンが落ちるので、何と言い終えているのか聞こえないのです。「俺はお前に大統領になってほしいと思っ…ゴニョゴニョ…」(思って「いる」のか「いない」のか分からない)。「その命令の内容については俺の了解が…ゴニョゴニョ…」(了解が、何ですって?)。「その時は突撃隊が…ゴニョゴニョ…」(突撃隊が、どうするって?)。万事こんな感じ😮‍💨

 また、セリフに緩急などメリハリがなく、意味や真意を掴みにくい「(アドルフ)のために)俺はこの命を捧げよう」こんな大事なセリフをサラ~と言って欲しくないのですよ😞 演劇ではリアリズムの会話調で喋るのではなく、名詞だったり動詞だったりの大事な言葉を強調してほしい。役者さん自身がセリフの中の、何を、どの言葉を、観客に伝えたいのか理解していないのではないか? ヒトラーと並んでレームも主役といってもいい舞台なのに、とても残念でした。

 

 そんな思いに駆られながら観ていたので、もう配役そのものに疑問が湧いてしまった。「長いナイフの夜」事件の時、ヒトラー45歳(役者は38歳)、レーム46歳(役者は31歳)、シュトラッサー42歳(役者は31歳)なんですよね。それぞれ相応のオジサン俳優で観たかったと思います。ある方が「これは、若くて美しい男優を雇う芝居じゃない……もう若くない中年男たちが友情だとかなんとか言って若さの残骸にしがみついてもめてるのが面白い芝居なんじゃないのか?」とコメントしておられて、激しく同意しましたよ👏 初演を観た時も年齢の齟齬は感じたけど、あのときはレームを演じた役者さんがかなり良かったので “役者の若さ” は許せてしまったのでした。

 

 なので、クルップを演じた森田順平さんが出てくるとホッとしたし、舞台がギュッと引き締まる感じでした。クルップは石炭・鉄鋼・兵器を製造する巨大企業の会長で、日和見主義者です。その、慧眼だけど古狸っぽさもある感じや、後半で一抹の不安を見せる(それまで自分がヒトラーを操っていたつもりが、終盤で自分がヒトラーに操られていく予感を覚える)ところとか、非常に良かったです。演出(舞台効果)と森田さんに救われた舞台でした。

 

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作 サイモン・スティーヴンス

演出 上村聡史

伊礼彼方/音月桂/伊達暁/浅野雅博/夏子/八頭司悠友/竪山隼太/佐藤祐基/坂本慶介/森川由樹/鈴木勝大/近藤隼

 

 サイモン・スティーヴンスの作品は(調べたら私は NTLive のも含めると10作以上は観ていた)決して嫌いではないしテーマも面白いのだけど、自分のツボにピタッと収まる作品というわけではなく、感想はいつも「収まり所が見つからず自分のツボの周辺でユラユラ揺れている」という感じです😓 背景に社会性を持たせたものもあるけど社会派ドラマではなく、個人や人間関係のドラマとして観られる。そのあたりが好みではありますが。

 2011年初演の本作はそんなスティーヴンスの作品の中で割と社会性(人身売買、性搾取、東西ヨーロッパの関係など)を前面に出した、メッセージ性の強いお話だと思う。それでも、伊礼彼方さん演じる主人公の「個人」のお話であり、彼の内面と過去にズブズブと切り込んでいく残酷な生々しさが、終盤で頂点に達します。

 

 ネタバレあらすじ→ロンドンで猟奇殺人が起こる。被害者はポルノ映画に出演していたロシア語圏出身の女性で、それがドイツで制作されたこと、容疑者がハンブルクにいることがわかり、ロンドン警視庁の警部チャーリー(浅野雅博)巡査部長イグネイシアス(以下イギィ:伊礼彼方)はハンブルクへ飛ぶ。現地の刑事シュテッフェン(伊達暁)の協力のもと捜査を始め、殺人容疑者を逮捕。また、売春ビジネスを仕切っている男レバンはエストニアのタリンにいると分かる。チャーリーは容疑者を連れてロンドンに戻り、イギィはシュテッフェンと共にタリンへ。結局レバンはロシアに逃亡、部下たちは捕まる。

 この流れに連動してイギィ個人の話が同時展開していく。イギィは25年前ドイツに留学してた時、未成年の少女をレイプする事件(その少女は首を絞められて殺されたらしい?)を起こし大学を除籍になっていた。シュテッフェンはイギィのその不祥事を調べ上げており彼につきまとう。イギィは幻想やフラッシュバックに悩まされていく。黒衣の女性シュテファニー(音月桂)が、事あるごとに幻影として現れ、彼に過去を思い出させる。タリンでイギィ自らの暴力性が解き放たれ、尋問され、追い詰められた彼は銃を口にくわえる😱 おわり。

 

 最後のシーンはイギィの幻想なので、彼は本当に自殺するわけではないのだけど😮‍💨「自分の中の何かを抹殺した(抹殺しようとした?)」と考えられます。それにしても、はぁぁぁ……現実と幻影が混ざっていく、この感覚😵‍💫 女性殺害事件の捜査の過程で、ヨーロッパに蔓延する性的人身売買、男たちの欲望による性的搾取と無自覚な買春行為など、社会の裏に潜む暗部が観客に突きつけられていくのだけど、それに呼応するように、イギィ自身もそちら側への無意識な欲念があったのか?と、彼が封印していた深層心理が呼び覚まされていくわけです。

 

 犯罪を取り締まる「善人」のイギィは実はロリコンで、過去に未成年少女と関係を持った。そして、そのロリコン趣味は今もある(イギィの妻は彼より15歳年下💦)。自分の中のタガが外れていくにつれ、奥底に潜む闇、悪、渇望、それを肯定する気持ちが表に出ていき、自分も女や子供の性搾取(人身売買、売春、ポルノ映画強制出演など)に加担していたのか?と自責の念にかられ、自分の「善人」としての立ち位置を見失っていく。過去の罪や自身の性癖と向き合うことから、イギィはもはや逃げられないのです。

 演出家はシュテッフェンを、イギィの潜在的な悪を引っ張り出す者=ゲーテ「ファウスト」の悪魔メフィストフェレスと重ねていました(イギィの幻想の中で頭に真っ赤なツノを付けてた)。一方、幻想として現れイギィを過去に引き戻すシュテファニーは、かつてイギィが関わった少女たちのイメジャリーなのでしょう。2人の名前、シュテッフェンとシュテファニーが相似を成す(同じ語源での男性名と女性名)のは暗示的です。

 

 イギィのロンドンの家の外にカモメの群れが飛んでいたり、ハンブルクのホテルの部屋でカモメの鳴き声が聞こえたりするのは、演出家が言及するとおり、チェーホフ「かもめ」を連想します。チェーホフでは「主人公コスチャがカモメを撃ち殺す」という出来事や「かもめのように自由に生きる少女を男が気まぐれに破滅させる」というトリゴーリンのセリフがあります。今回の舞台で象徴的に現れるカモメも、男たちの欲望の「玩具」として犠牲になった少女たちのことですかね。イギィが最後に自殺のポーズを見せるのは、「かもめ」でコスチャが実際に銃で自殺する結末を思い出させます。また、ここでの人身売買・売春ビジネスの元締め的組織の名が「ホワイトバード」というのも「ホワイトバード/白い鳥=カモメ」を商品として扱う組織という、皮肉な仄めかし?などと深読みしてしまう。

 

 ミニマルで白黒モノトーンな舞台、時々輝く鮮やかな色彩、それらはイギィの脳内・思考を表現したものらしい。その脳内で、事件の捜査という現実を覆い隠すように幻影がフラッシュするような感じ。そりゃぁ確かに精神を消耗しますよね。

 

 で、結局イギィは葛藤と苦悩を経て過去を清算し、新しい自分として生まれ変わったと考えていいのだろうか? 私にはよく分からなかったな😓 ともかくも、そのイギィをほぼ出ずっぱりで演じた伊礼さん、まさに心身を消耗させる体当たりの、突き抜けた演技でした👏 ミュージカルでのイケメンヴィランやクセつよキャラのイメージを捨て、丸裸にされ(←比喩です😅)ボロボロヨレヨレになっていく姿が、切なく痛々しくもあった。

 伊礼さん、ミュージカルももちろん良いけど、演劇の舞台にももっと出てほしいですね~。そして、こういう、心に潜む悪や欲や闇に苛まれ心理的に苦悩したり感情的に掻き回されたりして情けなく崩れていく、翳りや狂気をまとったお役を見たいです🙏

 

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松緑/権十郎/雀右衛門/齊入/中車/亀蔵/吉之丞/男寅/左近

 

 幕見で観てきました。松緑の丸橋忠弥は2015年の團菊祭で観ています。1651年に起こった慶安の変(軍学者である由井正雪を中心に浪人たちが江戸幕府の改革を目的に反乱を企てたものの未遂に終わった事件)が背景ですが、時代ものではなく全体に世話っぽさがあり、肝は終盤での大立ち廻りですね。

 

 ネタバレあらすじ(超簡単に)→反乱側の1人として大役を任されている丸橋忠弥(松緑)、江戸城の外濠端でお酒を飲みながら、密かに濠に石を投げて水の深さを推測するなど偵察を怠らない。家に戻ると舅(権十郎)が訪ねてきて小言を言うので追い返す。そこに仲間の浪人(亀蔵/吉之丞)が来て、飲んでばかりでなかなか行動しない忠弥を責め立てるので、忠弥は「酔ったふりをして期を窺っているのだ」と真相を明かす。それを表で立ち聞きしていた舅は慌てて幕府に告げ口しに行く。捕り手たちが家に押し寄せ、忠弥は立ち回りで応戦する。終わり。

 

 松緑の忠弥は無骨で豪快。花道をベロンベロンに酔っ払って出てくるところから、やる気があるのかどうかも分からないダメ男風だけど、実際は、酒豪だけど酒にめっぽう強いから実はあまり酔ってはいなくて、謀反企てを秘密にするためわざと酒浸りの日々を送っているフリというキャラは「仮名手本忠臣蔵」七段目の由良助みたいだし、実際にお酒好きな松緑にぴったりかも?😅

 人目を忍んで、濠の深さや距離を目測する時に目つきがキリッと変わるところ、そこに幕府側の伊豆守(中車)が近づいてくると一瞬で再び酔態に戻るところ、痺れを切らした仲間(亀蔵/吉之丞)に切り付けられ咄嗟にそれをかわしてスパッと武士の顔と動きになるところなど、切り替えが見事だわ。

 

 そして、これ黙阿弥の作品だから、七五調のセリフが耳に心地いいのです。松緑はセリフの歯切れも良く(個人的にいつも気になっている)口跡の癖も引っ掛からなかったな。

 忠弥の企みを舅(権十郎)が知るところは、前回観た時は、意見された忠弥が舅を納得させるため本音をバラしてしまうという「おいおい、ちょっと不用心すぎませんか?🙄」という不自然な展開だったけど、今回は忠弥が仲間に事情を説明しているのを舅が立ち聞きするという形に変えてあった。こちらの方が、忠義に熱い骨太の忠弥というキャラとしてしっくりきますね。

 

 そしていよいよ大立ち廻りだー! ここまで世話ものトーンで進んできたお話は、この終盤のための助走だったのか?と思うほど、立ち廻りが全部持っていく👏 これ20分近くあるシーンで、忠弥と捕り手たちとの動きが徐々に激しくダイナミックになっていく展開も面白さを煽ります。

 最初はゆったりした音楽/唄に合わせた、型で見せるちょっとスローな乱闘。忠弥は太い鴨居(自分ちの鴨居をベリベリと外した😅)をブンブン回しながら応戦するんだけど、ちょっと扱いが難しくやりにくそうに見えてしまった。

 その鴨居を捨ててからグンと派手な立ち廻りになる。捕り手の刀を奪って向かっていき、石つぶてを喰らい、井戸の水を汲んで本水を浴びる。縄で絡め取られたり、戸板を駆け上って小屋の屋根に駆け上がったり、その屋根から蜘蛛巣状に絡まった縄の上に飛び降りたり、崩れる戸板でバランスをとったり(着地はちょっと失敗したけど😓)。最後は捕り手たちがサスマタで忠弥を押さえつけて幕ですが、その絵柄がまた実に壮絶で絵になります。後ろ幕が落とされパッと明るい背景が現れるのも歌舞伎らしい演出で好き。

 松緑さんカッコいいし、捕り手さんたちのトンボもスパスパ決まり動きはキレッキレでチームワーク抜群だし、ツケ打ちさんもノリッノリ😊 「蘭平物狂」に「小金吾討死」(捕り縄)と「義賢最期」(戸板倒し)の見せ場をミックスしたような派手でスペクタクルな大立ち廻りでした。

 

 今月の歌舞伎観劇はこれのみです。12月歌舞伎座の演目にはいろいろ思うところがありますが(11月のも同様です)、言っても詮無いことなので書きません💦 また、毎年12月は京都南座での仁左さまの舞台を観に遠征するのだけど、今年は仁左さまは「俊寛」……。私、この作品が苦手でなー😞 東京での上演なら仁左さま目当てに足を運びますが、京都まで行くのちょっと気が引けてパスしたのです💦 何気に冬の京都を訪れるのが恒例になっていたので、その意味でもなんとなく寂しいのですけど。

 

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 装飾写本の展示があると知り、見に行ってきました。いろいろ残念でした😔 内容をよく理解せず勝手に期待していた自分が悪いのですが……。

 主催側の紹介文をお借りしますと【中央大学図書館ではいわゆる「三大ケルト装飾写本」のファクシミリ版をすべて揃えることができた。また、当図書館はケルムスコット・プレス刊行本をすべて所蔵するなど、19世紀イギリスの「美しい書物」の収集に力を入れてきた。さらに、本学人文科学研究所では「ケルト」にまつわる研究が盛んに行われてきた。今回の企画展示ではこの3つの点をつなぎ、ケルトにまつわる装飾や挿絵の美しい書物を紹介する】これを読んで、なんか凄い exhibition を期待してしまったわけですよ。

 

 愚痴っぽいことをグダグダと書き連ねます🙇‍♀️ 場所は中央大学多摩キャンパスにある中央図書館。八王子市の多摩動物公園の近くです。家からだと、4回乗り換えて5つの電車に乗るという、とんでもない面倒なアクセスです。さらに駅から(迷いながら)15分ほど歩きました。降りる駅を間違えたのだろうか……💦 東京都内での移動なのに2時間くらいかかってしまった。これからの残りの人生でもう2度と訪れたくない場所でした😑

 

 大学ってキャンパスに校舎が入り組んで建っていて、図書館は割とその奥の方にあるわけで、ャンパスに入ってから10分くらいさまよいました(入り口で地図をもらったんですが随分と省略化された地図で)。その間、下校していく学生さんたちに尋ねたりしたのだけど、図書館の場所を知りたいだけなのに、みなさん、こちらを胡散臭そうに見ながら避けるようにそそくさと去っていき、4、5人目でようやく場所を教えてもらえました。今時の学生さんって、大学の教師やスタッフには全く見えない風貌のオバサンには、ああいう態度を示すのですか、そうですか😑

 

 ようやく図書館に到着しまして2階の展示スペースへ。てっきり2階のフロアをかなり使ってたくさん展示されていると思ったら、図書閲覧室内に3、4平方メートルほどのエリアを設け、そこに20冊ほどの本があるだけでした。ものすご~く粘っても10分もかからずに見終わってしまった。2時間以上かけてようやく辿り着き、でもって見るのは数分って、膝から崩れ落ちそうになりましたよ😑

 

肝心の「三大ケルト装飾写本(ファクシミリ版)」の展示です。

「ダロウの書」7世紀末にアイルランドで制作されたもので、現存するケルト装飾写本の最古のもの。左ページの、紐が絡み合う円の図柄、右ページの「IN」の文字を作る組紐紋様や渦巻き紋様が凄くいいです。

 

「リンディスファーン福音書」700年頃イギリスで制作されたもの。左ページは組紐や動物組紐で十字架が形作られている。右ページは「INP」の文字、および文章の文字の装飾(形と色)が美しいです。

 

「ケルズの書」800年頃スコットランドとアイルランドで制作されたもの。「世界で最も美しい本」とも言われていて、アイルランドの国宝です。左ページはキリストとその左右に4人の天使が描かれ、右ページは組紐や渦巻き紋様で埋め尽くされた8個の円を持つ十字架。気が遠くなるような緻密さです。

 

 この3冊のほか、18世紀後半以降に書かれた「ケルト復興」期の印刷本が展示されていました。しばらく足を止めて見たのはアーサー王ものかな。

(左)ウィリアム・モリスが制作&出版した「ウェールズのサー・パーシヴァル」挿絵はバーン=ジョーンズ。この、イラストや本文の周りの余白を埋め尽くす装飾には、ある種の空間恐怖症=隙間まで埋め尽くさずにはいられない強迫観念を感じます。そこが好きでなんですけどね。

(右)J.M.デント社が出した「アーサー王の死」挿絵はビアズリー。

 

 

展示内容がちょっとあんまりだったんで、帰宅してからこの本を再読しました。

「理想の書物」by ウィリアム・モリス(ウィリアム・S・ピータースン編/ちくま学芸文庫2006年刊)

 モリスによる「書物芸術に関する講演や論文」を集めたもの。イギリスのヴィクトリア朝時代に興ったゴシック・リヴァイヴァルの中、モリスは中世の手稿本や木版本の美しさに魅せられゴシックの精神的・芸術的価値を評価・尊重しました。彼はケルムスコット・プレスというプライベート印刷所を設立し、自分の美意識に則った書籍を出版していく。モリスがこだわったのはタイポグラフィー(活字デザイン)、語間(文字同士の間隔や行間)、余白(1ページ内の文字面以外の部分=上下左右の空白面積の割合)、活字と装飾の調和、用紙作りなど。結果、(ある意味)美術品としての本が創られていくのです。

 

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改訂振付 アラスター・マリオット

音楽 アドルフ・アダン

米沢唯/井澤駿/中家正博/吉田朱里/池田理沙子/水井駿介/花形悠月/金城帆香/関優奈 

 10月のプレミアム・シアターで放映されたのをようやく観たので、感想を簡単に。ロンドン公演のうち、米沢&井澤ペアの2回目の上演版です。他には小野&福岡、柴山&速水、木村&渡邊という全4組のキャスティングだったけど、奥村くんが無視されたのは酷い仕打ちだと思いましたよ😔 ずーっと新国で踊ってきて、引退も間近というときに、ロンドンの舞台を踏ませてあげて欲しかった。奥村くんのアルブレヒト、あの人とかその人とかよりもずっとずっと良いはずなのに……。彼のジゼル役としてロンドンの舞台に出せるほどのパートナーがいない、ということなのでしょうか。

 

 唯ちゃんのジゼル、素晴らしかったですね🎊 冒頭、家の扉を開けて外に飛び出したときの、風に乗ってふわりと浮かぶような動き、アルブレヒトを探すときの弾むようなステップ、ちょっとした感情の動きまで丁寧に見せるマイム、少し幼さを感じさせる唯ジゼルだった。アルブレヒトとヒラリオンが喧嘩しようと構えると顔を両手で覆ってしまう、あの可憐さときたら。ヒラリオンを決して嫌っているわけではなく、ただ「好き」の対象にはなり得ないだけ、という心根の優しさも垣間見えました。

 アルブレヒトがバチルドの手を取った時の「え…何!?」という表情、状況が理解できなくて両手で頭を抱えた時のこわばった指の関節、真実を知り、顔を上げた時の正気を失ったような目、焦点が合っていなくて何も見ていない……過去を見ているだけだった🥲 手にした剣をヒラリオンに奪われたところで、口元を歪め微かに笑みを浮かべたあと、もう完全にウィリの世界に行ってしまってましたね🥹

 2幕、新米ウィリになった唯ジゼルの、体重を感じさせないダンスはたおやかという表現がぴったりで、ジャンプの時も力みが全くない。無表情だけど、アルブレヒトを見る時の眼差しは柔らかで慈愛に満ちてました。最後、夜明けの鐘の音を聞き安堵して見せた笑顔が、少し「人間」になっていて、思わずウルッときました。

 

 アルブレヒトの井澤さん、私としては久しぶりに拝見します。あと先をあまり考えず、なんとなく唯ジゼルに惹かれてしまった……みたいな純粋な好青年に見えました。バチルドの関昌帆さんは唯ジゼルとは全く雰囲気が違っていて(配役の妙?)、井澤アルブレヒトは唯ジゼルの方が好みっていうの分かりすぎ😊 ダンスで見せる演技も上手くなったな~(エラそうにスミマセン🙇‍♀️)。欲を言えば、貴族らしい立ち振る舞い(踊りの方ではなく、姿勢とか歩き方とか)が出るともっといいのかも。2幕のダンスは美しく決めまくっていましたね。

 

 ミルタの朱里さんがとても良かった。アゴをクイッと上げ背中を反らせた姿勢が女王の貫禄。手脚が長いのか、ダンスが大きくて力強いのもあって、ミルタのキャラをきっちり現していました。夜明けの鐘が鳴る直前、踊り疲れて崩れ落ちたアルブレヒトを鋭く指差し、左右にウィリたちを従えて立つミルタの決めポーズがカッコよかった。

 ペザントの水井さん、ダンステクニックが安定しているのサスガ。上半身の動きがしなやかでとてもいいです。理沙子さんは最初ちょっと緊張しているように見えたけど無難にこなし、コーダではずいぶん落ち着いた感じでのびのびと踊っていましたね。

 

 1幕の群舞(村人や貴族たち)の小芝居がとってもよかった。ひとりひとりが自分の物語を作っているのが分かり、それに合わせて表情もしっかりとつけている。そして、ベルタの関優奈さん、ウィリ伝説を話すところが真に迫ってたけど、それ以上に、アルブレヒトに対する態度がきっぱりしていて、いい👍 彼を「あなたどこの誰?」って感じで胡散臭そうに見たり、ジゼルを連れて家に入る時に睨みつけ「娘をほっといてちょうだい」って風にプンッとそっぽ向いたり、倒れたジゼルに近寄るアルブレヒトを突き放したりと、アルブレヒト嫌悪ビームが強くて最高でした😆

 

 すごく気になったのは照明です。背景が暗すぎる😩 1幕冒頭から、家や小屋や踊るエリア以外、(背景の木々の後方が)真っ暗で、まるで夜みたいだった。しばらくすると木々の隙間が少し明るくなるんだけど、それでも秋の宵闇みたいに暗い、昼間に見えない! 2幕は夜だから空には朧月がぼんやり出ているのだけど、背景が真っ暗すぎて、後方に十字架がいくつも立っているのが全く見えない。そこが森であることすら分からないくらいに背景が見えない。夜明けになってもあまり明るくならなかったですよね。そこはオレンジ色の朝焼けを見せて欲しい、お話的にもそういう明るさを感じさせるエンディングなんだし。う~む、日本での上演では照明が気になった記憶はないので、これはTV映像だからなのか? 生舞台では背景はもっと見えていたのだろうか?

 

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作 中島かずき

演出 いのうえひでのり

小池栄子/羽野晶紀/高田聖子/向井理/古田新太/橋本さとし/橋本じゅん/早乙女太一/粟根まこと/木野花/右近健一/川原正嗣/中谷さとみ

 

 劇団☆新感線45周年興行という記念すべき公演です。新感線の舞台はあまり観てませんが、本作は江戸時代の芝居小屋や歌舞伎役者など、歌舞伎が題材というので足を運びました。

 作者の中島かずき氏の言葉をお借りすると「芝居人たちが押さえ付けられ、女が舞台に立つことが禁じられていた時代、それに逆らってでも歌舞伎を演じたいという女たちを中心に、自分たちがやりたい芝居をやるために突き進む芝居人たちの話」です。すごく面白かった🎊 観客も含め芝居に関わる全ての人へのエールみたいな作品でした。

 

 ネタバレ概要(休憩30分入れて4時間近い作品でプロットはすごく複雑ゆえ大筋を簡単に🙇‍♀️)→質素倹約を強いる天保の改革時代(1841~1843)江戸の芝居は衰退状態。かつて役者だった荒蔵(あらぞう:橋本じゅん)は娘お破(おやぶ:小池栄子)に役者修行をつけ「いつか『忠臣蔵』の舞台で大石内蔵助を演じるんだ!」と夢を託したまま姿を消す。

 江戸で芝居小屋橘川座を営む橘右衛門(きつえもん:粟根まこと)、妻おきた(高田聖子)、その息子夜三郎(よさぶろう:早乙女太一)、座付き戯作者天外(てんがい:向井理)、芝居大好きな遠山金四郎(きんしろう:橋本さとし)らの前で即興で演じ皆を感心させるが、そもそも女は舞台には立てない。一方、無宿頭の弾兵衛(だんべえ:古田新太)が営む芝居小屋では女も演じる闇歌舞伎を上演しており、弾兵衛の妻おゆみ(羽野晶紀)や、おきたも役者として立っていた。お破はそこで役者を目指す。夜三郎、天外、金四郎も応援する。

 一方、歌舞伎を目の敵にしている幕府側役人の采女(うねめ:向井理2役め)は取り締まりを強化。しかし皆は反骨精神を奮い起こし「忠臣蔵」を登場人物実名で、女の役者も入れて、江戸の街のあちこちで野外芝居として見せ、大評判となる。その「忠臣蔵」の最終幕で役者たちは「泉岳寺で本当に切腹する(これは幕府に対する抗議であり、そうすれば後世まで語り継がれるだろうから)」と迫る。采女は彼らと和解せざるを得なくなり、荒蔵、お破、天外、夜三郎は新天地を求めて江戸を去る。おわり。

 

 ちなみに、江戸時代に作られた歌舞伎作品は実際の事件を題材にしたものが多いけど、当時の検閲制度により、実名を出したり、事件をそのまま描写したりできなかったので、名前や時代設定を変えて上演したんですよね。

 本作の主役はお破で、同じく闇歌舞伎の舞台に立つ女性おきたおゆみ、この3人が真ん中にいると言う、なかなかカッコいい構成です。演じた小池栄子さん高田聖子さん羽野晶紀さんがとにかくパワフルで、芯の強い女性を胸のすくスカッとした演技で見せてくれて素晴らしかった。

 彼女たちの周りを男たちが、影響を受けたり与えたりして囲んでいるんだけど、その役者さんたちがまたキャラが立っていて面白い。遠山の金さんを演じた橋本さとしさんのお茶目な演技が妙に可愛かったし、素敵な美声を聞かせてくれました👏 早乙女太一さんは歌舞伎役者として女方と立役を演じたのだけど、女方でのしっとりとした妖艶さと、立役での痛快キレッキレな立ち回りに惚れ惚れ。善玉(座付き戯作者)と悪玉(歌舞伎を目の敵にする幕府の役人)の2役を演じた向井理くんも、戯作者のときの流暢で軽やかなセリフ回しと、権力者のときの冷たい強さの切り替えが見事でした。

 

 彼らが演じるのがなぜ「忠臣蔵」なのか、なんだけど、幕府という体制による理不尽な裁定(吉良上野介はお咎めなし、浅野内匠頭は切腹&お家断絶という処分)を「それは筋が通らない!」と、悩み苦しみながらも目的である仇討ちを果たす浪士たちの物語と、「芝居はやるな!」と強制する幕府権力に屈せず、それに抵抗して工夫を凝らし、芝居を打とう、女だって舞台に立っていいじゃないか、と奔走する人たちの信念を通す姿とが重なるからなんだろうな。とても上手い設定ですね。

 生真面目な采女が芝居を憎む理由は、芝居のもつ虚構性、非現実的な世界が嫌いだから。でも、芝居モノたちは言う「嘘を誠にするのが芝居なのだ」と。芝居は「作り話」だけどその中に「真実」が現れている、という言葉には全ての芝居関係者、芝居好きたちは賛同するのでは? あ……演劇に真実などいらないと言う人もいるでしょうが。

 

 そして、もちろん完全にエンターテインメントになっていて、冒頭が「仮名手本忠臣蔵」五段目ってとこから「わぁ!」ですよ😆 荒蔵扮する斧定九郎が「ごじゅぅりょうぉぉぉ」とほくそ笑むところね。娘のお破が勘平を演じるんだけど、そこにイノシ……いや、クマが出てきて……😅(仕草がなんか可愛い)。劇中劇では他にも、三段目の、高師直が内匠頭を「ふな侍」とバカにする場を演じたりと、「仮名手本忠臣蔵」好きにはご馳走です。

 さらに様々なパロディー劇中劇があり、「ロミオとジュリエット」ならぬ、伊賀と甲賀の敵同士であるミオ之助とジュリ姫がバルコニーシーンを演じたり、「オペラ座の怪人」ならぬ「桶狭間の怪人」で橋本さとしさんが「The Phantom of the Opera」の替え歌を熱唱したり(上手いっ🎉)。

 個人的なツボは、討ち入りシーンで吉良上野介が7人(というか、そのうち1人はクマ)が出てくるところで、これも何かのパロディーらしくて客席は大喜びでしたが、私は分からなかった。新感線の過去作品のセルフオマージュも沢山あったそうですが、これも全く分からず申し訳ないです😓

 

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原作 ジェームズ・グレアム

演出 中村ノブアキ

 

 イギリスの作家ジェイムズ・グレアムが書いた政争劇です。初演は2012年@ロンドン。イギリス議会は、上院である貴族院と、下院である庶民院で構成されていて、首相は下院の第1党の党首がなります。下院は「House of Commons」ですが、タイトル「This House」は、下院議員が自分たち下院につけた名称に由来するらしい。

 グレアムの作品は政治的・社会的なテーマのものが多いけど、一見お堅いお話のように見えて、実は熱いヒューマンドラマなんですよね。私は彼の作品の「インク」を劇団俳優座の公演で、「ベスト・オヴ・エネミーズ」と「ディア・イングランド」をNT Live で観てますが、どれも激しく感動しました。

 

 私は本作のロンドン再演版を、数年前にNational Theatre at Home(オンライン)で観てるのですが、今回の日本初上演をとても楽しみにしてました。日本語だから細部までいろいろ腑に落ちたこともあり、期待どおり、すっごく面白かったです! 

 まず、とにかく戯曲がよく出来てるのですよ👍 1974年にイギリス総選挙でキャラハン率いる労働党が僅差で勝利して政権を保持してから、1979年に内閣不信任決議を受けてサッチャー率いる保守党に政権を奪還されるまでの、5年に渡る下院の舞台裏の話。実話に基づいているけど、ドキュメンタリーではなくフィクションです。会話は架空のもので、登場人物は変更され、出来事が追加され、時系列も調整されているそうです。

 

 党首や首相は名前のみでの登場。主人公はウィップ(whip)と呼ばれる、日本の議会にはない役職議員たちです。彼らは党の方針通りに党員に投票させる執行役。そして、本作で重要な鍵になるのがペアリング(pairing)という慣習です。与野党どちらかの議員が病気や遠方での公務や休暇中などで法案の投票に出席できない場合、ウィップ同士で話し合い、相手の党の議員も同人数で欠席させる(ペアを組ませる)。投票議員の数においてフェアプレイを貫こうという慣習で、いわば紳士協定です。与野党の議席数の差がほとんどない場合、1票、2票が採決を左右するので人数は大事なんですね。

 

 ネタバレ概要(長い🙇‍♀️)→1974年の総選挙で労働党は勝利したものの、保守党と議席数がヒトケタという僅差だったため、法案を通す、あるいは否決するには、1票が大切な状況になる。そして法案が出るたびに様々な問題が起こり、ウィップたちは票の確保のために奔走する。自党の議員に投票を周知させ、造反や離党や補欠選挙で議席を失うなど予期せぬ出来事で投票する議員数が足りなくなると、他の少数政党(自由党、スコットランド国民党、ウェールズや北アイルランドの地域政党など)に見返りを約束して交渉し、さらに、誰かが投票に出席できないとなれば相手の党とペアリングの交渉をする。

 そういう状況の中、ある法案に対する投票において労働党の議員1人が出席できないと分かり、ペアリングで保守党からも議員1人を欠席させてもらったところ、手違いでその労働党議員が出席&投票してしまう。保守党はこれに怒り「もうペアリングは一切しない!」と断言。労働党は以後、法案採決で勝つのが難しくなっていき、とうとう内閣不信任案が出される。その投票において、病状が悪化し登院するのが厳しい状態にあった労働党議員(バトリー)を、労働党のウィップ(ウォルター)は彼の健康のために投票に呼ばないことにする。そして保守党のウィップ(ジャック)にペアリンの依頼をする。ジャックは「ペアリングはもうしない」と決めた保守党の姿勢を捨て、党内における自らの立場が危うくなるのを覚悟で、ウィップである自分が投票を棄権すると申し出る。それを理解したウォルターは「ペアリングの話は無かったことにしてくれ」と言って去る。1979年、労働党政府の不信任案が1票の差😖で可決され、その後の総選挙で保守党が勝利する。終わり。

 

 党のために自分の生死を掛けてでも病身に鞭打って投票に出向こうとするバトリー、そんな彼を気遣い投票に呼ばなかったウォルター、ウォルターの同僚に対する暖かい情を理解し自ら犠牲になって投票を棄権すると言う敵党のジャック、その誠意と潔さを知ってペアリング依頼を撤回するウォルター。この、議員である前に1人の人間であるという立場に帰った、忠義、責任、倫理、信頼、尊厳などが彼らの胸に沸いてくるところは感動的で、その、党派を超えた友情と尊敬のシーンでは胸に込み上げるものがありました🥺

 そこに至るまでの、ウィップたちが1票のために奔走する姿や、党を守るための駆け引きにはユーモアが盛り込まれ、さまざまななてんやわんや、すったもんだ、時には子どものケンカみたいなやりとりには、もうドカドカと笑えます😆 シリアスだったりコミカルだったりしてお話にメリハリがあり、全く退屈しないのです。

 

 舞台はウェストミンスター宮殿(イリギスの国会議事堂)内にある、労働党と保守党のウィップ用の部屋。舞台の下手側を与党、上手側を野党の幹事室に見立ててるので、シーン転換は一瞬です。少数野党を含めメイン以外の議員は役者さんたちが何役も兼ねていて、客席最前列の席を空け、そこに座って登退場することで、スピーディーな展開にさらに拍車を掛けるのでした。

 労働党は赤を基調にしたネクタイ、保守党は青を基調にしたネクタイで、登場したときにどちらの議員かすぐに分かる。さらに、労働党員はラフな口調で喋り、保守党員は標準語で喋るなど、言葉遣いで党の雰囲気の違いを上手く出していた。また、労働党と保守党以外の議員が登場する際にその人がどの政党か(←コレとても重要)字幕で教えてくれるのは非常に助かりました。イギリスの議会&選挙関係の硬いセリフが飛び交うのだけど、とてもわかりやすい翻訳で耳にスルスルと入ってくる。そしてもちろん役者さんたち、演技すごく良かったですよ👏

 芝居は T.レックスの「Get It On」でいきなりノリノリで始まり、ある議員の偽装自殺のところではボウイの「Rock'n Roll Suicide」が歌われるのが可笑しく、「オレたち5年の任期を全うしようぜ!」みたいなシーンでは、やはりボウイの「Five Years」を皆で歌うところは胸熱でした~☺️

 

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 NDTは、NDT1(23~40歳前後の経験豊富なダンサーたちから成る)と、NDT2(18~23歳の若い精鋭ダンサーたちから成る)の2つのカンパニーで構成されていて、今回はそのうち NDT2が約20年ぶりに日本公演を行う、というものです。

 ちなみに昨年は NDT1の来日公演がありましたが、全4演目のうち、苦手なマルコ・ゲッケの作品があったので観るのやめたんですよね~。クリスタル・パイトの作品は観たかったけど、それくらいゲッケが苦手っていうことで😓 今回の NDT2の公演は3演目です。

 

「Folkå」振付 マルコス・モラウ

 タイトル「Folkå」はスウェーデン語、英語だと「folks」と出てきたんだけど、そういうことでいいのかな? プレトークで「生と死がテーマで、神秘的&儀式的な営みを通して生を賛歌する」みたいな紹介をしてました。死の恐怖があるからこそ、その対極にある生への喜びが生まれるみたいな。

 民族性を感じさせる独特の音楽、衣装もエスニック柄。ダンサーがひとかたまりになったりライン状になったりというフォーメーションを描いていき、時々その集団から1人がこぼれ落ちるようにして外側で倒れたり、その倒れた人を他のダンサーが抱き上げたりという動きが入る。ダンサーたちがひとつに固まるとそれ自体が生命体のようにも見え、はみ出た人物は瀕死者に見える。そして確かに、鎮魂というより祝祭を感じるのが不思議で、たぶんダンサーの動きから生命力が発散されているからかな。全体を通してプリミティヴな世界観で、その原始的な動き、そこから湧き上がってくるパワー、腰を低く落としたダンスなど、アクラム・カーンの作品がちょっと重なったりしました。

 照明が秀逸で、例えばダンサーたちを斜め上から当てると床に投影された彼らの影もダンサーの動きに合わせて動くわけですが、その影も意思を持っているかのような動きになる(照明の当たる角度が絶妙なのね)。最後、光の玉の洪水が舞台から客席に流れていくという演出が印象的で、新しい生命が生まれていくような感じでした。

 

「Watch Ur Mouth」振付 ボティス・セヴァ

 タイトル内の「ur」は「your」で良いと思うのだけど(それとも「our」?)、タイトルの意味と振付作品との関係が分からなかった(「口を見ろ」って? ま、深く考えませんが💦)。ヒップホップをベースにコンテンポラリーダンスを組み合わせた振付というものだけど、ヒップホップに詳しくないので、そのことには特に良かったも良くなかったもなく、そのコンビネーション自体は何か新鮮でした。

 ダンサーたちはストリート系っぽいダークな衣装&キャップ姿で、その格好は私にはアーバン・アウトローに見えた。集団、ペア、個、のダンスが展開していくんだけど、集団から逃げていく人を皆が囲んだり、1人がポツンと離れて踊ったり、激しく対立したりする。集団でのダンサーたちの動きはうねりになって襲ってくるような怖さがあり、ペアになったダンサーが踊る横で1人がステップを踏むときは、どうしようもない孤独がじわじわと迫ってくる感じ。

 都会に生きる若者(年代は限らず「私たち」としていいのかも)の日常にある孤独や怒りや苦悩といったネガティヴなものとの戦い&葛藤、閉塞感や圧迫感からの逃避、そこからの回復、仲間との融合などが感じられる作品でした。全体的にちょっと重苦しい空気が広がるんだけど、最後には救い(というのか、誰かと共に前へ進むことで目の前の景色が変わっていくこと?)があることを思わせたかな。

 

「FIT」振付 アレクサンダー・エクマン

 自分は「何かに/誰かにフィット」しているのか?という面白いテーマの作品。誰かに帰属する意味、個人が集団にフィットすることでどういう関係・変化が生まれるのか。その問いかけの見せ方(振付や演出)にユーモアや遊び心があふれています

 冒頭、同じ衣装のダンサーたちが舞台前方に1列に並んで「私たちはフィットしている……」と声を発する。舞台下手から、皆とは違う色の衣装のダンサーがで出てきて前を悠々と歩いていく。暗転して本編が始まり、一人一人がバラバラに他人を見つめ合い、なんとなく集団ができたところで、さっきの異分子に敵意を示したり、彼がそこに入ろうとしたり、という感じでダンスが始まります。その1人は結局は集団と同化するんだけど、最後、冒頭と同じように彼らが1列になって同じセリフを繰り返すと、今度はまた別のダンサーが皆とはちがう衣装で出てきて、再び全員がバラけ「フィット! フィット!……」と繰り返して終わります。

 振付はユニーク且つスタイリッシュで、ダンサーたちのキレの良い動きが気持ちいいです。集団が作るフォーメーションにも視覚的な美しさがあり、また、個人と集団の動きの対比が面白い。自分たちと同じでない人、同じになろうとしない人への、集団意識の怖さとか、個性をなくすことに対する皮肉みたいなものも感じられ、あえて「フィット」しようとしなくても良いのでは?という思いも湧く。だから結局、ある人が皆とフィットしても、別の誰かが「私は違う!」と言って現れるわけですね。

 

 コンテ作品は基本的に自分の守備範囲ではないんだけど(すごく好きなコンテ振付家はいますが)、今回のは自分としてはけっこう刺激的で、脳内がリフレッシュされました。

 

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