明日もシアター日和

明日もシアター日和

観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

観劇予定がしばらくないので、最近読んだ本を書き留めておきます。新刊ではないし、むか~し読んだ本の再読もあるので、感想はごく簡単に🙇‍♀️

 

「ケルトの解剖図鑑」(エクスナレッジ/2022年)

 著者 原聖 

 ケルト諸語文化圏の各地の歴史、神話、美術、考古学などから全体像を探る本。ケルトについてはここ十数年の間に研究が大きく進み、これまでの定説が実はそうではなかったことが分かるなどして見直しが行われていて、今とても流動的みたいです。その最新の研究成果を盛り込んだ内容で非常に興味深い。それにしてもあのユラユラしたタッチの頼りなげなマンガ風イラスト😑「~図鑑」と称している以上もうちょっと何とかならなかったのか? 写真もひとつも載ってないし。原聖さんはもちろんケルト研究の第一人者です👍

 

「写本の文化誌~ヨーロッパ中世の文学とメディア」(白水社/2017年

 著者 クラウディア・ブリンカー・フォン・デア・ハイデ訳者 一條麻美子

 活版印刷技術が誕生する前の中世ヨーロッパで、写本制作に関わった人たち(注文する人=パトロン、手稿する人、製本する人など)の仕事内容や、書かれた本がどのように売られ読まれ所蔵されたのかや、書物が当時の文化・社会に与えた影響などを解説。特に写本制作の過程がとても細かく具体的で、羊皮紙(ヴェラム、パーチメント)の作り方は生々しく、装飾文字や挿絵やレイアウトの項は興味深く、本作りに携わった人たちの個性やプライドや本音などが伝わってくるようで、非常に面白かったです。

 

「新版 歌舞伎十八番」(世界文化社/2013年)

 著者 十二代目市川團十郎

 解説 服部幸雄撮影 小川知子

 十二代目團十郎さんが書かれ2002年に河出書房新社から出た「歌舞伎十八番」を、加筆訂正して新版として発行された書籍です。2013年夏の刊行ですが團十郎さんは同年2月には逝去されてるんですよね。歌舞伎十八番の全作品についてその見どころなどを語っていますが、特に「家の芸」として十二代目がどういう心持ちで演じているかの部分がとても興味深かった。そこには市川宗家としての強い矜持、十二代目の真摯な姿勢、荒事への思い入れが感じられる。今年は十二代目が逝去されて10年という区切りの年、その年が終わろうとする今、改めて読んでみました。懐かしすぎて何度も胸がキュッとなった😭

 

「クルミわりとネズミの王さま」(岩波書店/2000年)

 著者 E.T.A.ホフマン訳者 上田真而子

 バレエを観るんで久しぶりに読み直してみました。“岩波少年文庫” シリーズで、小学5、6年用とあり、訳文がお子さま仕様なのはまぁ良しとして、イラストをもっと入れるべきだよねー。ドロッセルマイヤーが語る、ピルリパート姫と魔法使いネズミと宮廷時計師(とその甥っ子)のくだりは、奇妙で怖くて児童向けとは思えない毒があり……なのにユーモラスで本当に面白いんですよ。

 

「図説 中世ヨーロッパの暮らし」(河出書房新社/2015年)

 著者 河原温/堀越宏一

 お馴染みの “ふくろうの本” シリーズで図版豊富。①農村の暮らし②都市の暮らしという2部構成で、その成り立ち、社会システムや仕事、衣食住に関することまで詳細&具体的に解説されており、読み応えありました。文化、特にエンターテインメント(音楽やダンスや演劇など)についてほとんど触れられていないのが残念だけど、当時は演劇は好ましくないものとされていたし、あっても宗教劇だしね。イギリスは中世のころは後進国、地理的にも辺境にあるのでどうしても付属的記述になってしまう。本書のような内容でイギリスに特化した本があるといいなあ。

 

「アーサー王最後の戦い(普及版)」(原書房/2023年)

 著者 ローズマリ・サトクリフ訳者 山本史郎 

 図書館で借りました。歴史物を得意とする児童文学作家サトクリフによる、アーサー王3部作の最終巻で、第1巻は「アーサー王と円卓の騎士」、第2巻は「アーサー王と聖杯の物語」。本書は11月に出た新刊だけど、2001年刊のやつの普及版です。予想はできたけど、アーサー王ものをいろいろ読んでいる人には物足りない😔 ランスロットとグィネヴィアのロマンスを中心に据えた、砂糖をたっぷり使ったスポンジケーキに砂糖をたっぷり使った生クリームで化粧しシロップ漬けのフルーツをどっさり載せてシュガーを吹雪のように振り掛けたスイート&ロマンティックなケーキ味でした。

 

「イギリス庭園の文化史~夢の楽園と癒しの庭園~」(大修館書店/2003年)

 著者 中山理

 いま読んでいる本です。内容が予想・期待していたのとちょっと違うかも……💦

 

 

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演出/振付 熊川哲也

原振付 レフ・イワーノフ

音楽 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー

杉野慧/世利万葉/石橋奨也/飯島望未/成田紗弥/吉田周平

 

 バレエ「くるみ割り人形」の季節になりましたが、今年も観るのはKバレエだけです。昨年これに誘われたのをきっかけにすっかり熊川版くるみのファンになり、Kバレエの他の作品も観るようになったのでした(それまでKバレエとは全くご縁がなかったんですよね)。

 

 熊川版を気に入ったのはホフマンの原作に近づけたストーリー展開になっていることです。クララが住む人間の世界とパラレルに人形の国が存在するという設定で、最後、あれはクララが見た夢じゃない、本当にあったことなんだという余韻をもたせる終わり方、いいなあ✨ ロマン主義時代に書かれた作品特有の、個人の想像性を刺激するような味わいがあり、現実と異界とが混じり合う幻想的なお話は好みだわ。

 実際のところホフマンの原作はとても込み入っているので、さすがに熊川氏はその通りには描いていません。話を簡略化し、ホフマン流の不気味ファンタジーなテイストは完全になくした、あくまでも明るいメルヘンタッチなんだけど、それでも物語としての説得力と感動を誘う深みがある。

 演出では巨大化するツリーや吹雪のような雪の国のシーンがなんと言っても圧巻ですね。衣装は、ただ綺麗とかロマンティックとかではなく、キャラクターによって配色やラインに鋭いアクセントが効いている。まあこの辺は好み分かれるかもねー💦

 

 プロローグが終わって1幕、シュタールバウム家のパーティーシーンで、他の人たちが踊っている時にドロッセルマイヤー(杉野慧)クララ(世利万葉)がしている小芝居で、ドロッセルマイヤーがクララこそ彼が住む「人形の国」を救ってくれる少女だと確信したようだとか、ドロッセルマイヤーが見せる人形劇は自分の国で起こった出来ごをとクララに見せているのだとか、細かい部分に意味付けしているところ良いなあと思う。

 続くネズミと兵隊のバトルシーンはとても好きです👍 ネズミたちは完全に着ぐるみで、そういうの普通ならあまり好みではない造形なんだけど(仮面とかメイクで見せる方が好き)ネズミたちの動きは、茶色のぷくぷくしたいかにもドブネズミ風の外見を裏切るような、妙な可愛らしさがあります。バトルで繰り広げられる動きもよく考えられているし、スプーンの大砲でチーズのかけらを飛ばしたり、クララがパーティーでもらったキャンディーのスティックでネズミの王様をやっつけたりと、ユーモラス~😊

 一瞬だけ元の姿に戻ったくるみ割り人形(石橋奨也)がドロッセルマイヤーとクララと踊るパドトロワがとてもロマンティック。ドロッセルマイヤーが狂言回しだと強く感じさせるシーでもありますね。そしてその間、後方に降りてきたカーテンが波打つ演出がすごく素敵だし、そのカーテンが上がると舞台は雪の国になっているという転換お見事! 粉雪の精たちのフォーメーションは個性的で、雪の女王(成田紗弥)王(吉田周平)のダンスはメリハリの効いたシャープなステップで良かったです。

 

 2幕で、クララがネズミの王様の武器を使ってクラカトゥク胡桃を破るところをちゃんと入れてあるのは大変良いと思うのです👏 とっても硬いくるみを割ることでネズミの王様による呪いが解けるというの、お話の要といってもいいから。それをくるみ割り人形ではなくクララがやるという演出も、またうまく考えたなと思う。

 ディヴェルティスマン(人形たちの踊り)では、大久保沙耶さん栗山廉さんグレゴワール・ランシエによるアラビアの踊りが印象に残りました。大久保さんの四肢の動き柔らかで、栗山さんとランシエも息が合っていて流石の踊りだった。姫と王子とのGPDDのヴァリエーションのあとドロッセルマイヤーとクララがPDDを踊るのもすごく良いですね。ドロッセルマイヤーがこのお話のキーパーソンであることを印象付けます。

 マリー姫は飯島望未さん。優美で気品があり、腕の動きや上半身の形が綺麗。くるみ割り人形/王子の石橋奨也さんはエレガンスがこぼれる王子らしい佇まい、回転系には安定感がありジャンプの後の着地が完璧。サポートも盤石で飯島さんとのデュエットが美しかった🎊 クララの世利万葉さんはキュートで可憐な雰囲気が役柄にぴったり。表情もとても豊かで、喜び悲しみ不安や勇気などコロコロ変わるクララの心情を丁寧に見せていました。

 

 でもって、ドロッセルマイヤーの杉野慧さんですよ。私の観劇のベースは演劇なので、バレエでも、お澄ましして踊る人より演劇的表現力があるダンサーにどうしても興味がいく。杉野さんはそこが巧みで、作品に命というかカラーを吹き込むことができるのね。彼のドロッセルマイヤーは人形の国の王の遣いとしての貴族性(品性)と誠実さが見え、全編を通してクララへの温かさと優しさが溢れていた

 私はKバレエのダンサーの階級システムがよく分からないのですが、杉野さんは今プリンシパル・ソリストというランクです。この階級になるともうプリンシパルになることはないということ? ずっとキャラクターダンサーということなんだろうか? ファースト・ソリストの栗山廉さんはもう主役を踊ってるしなー。そういうシステムだとしたら残念です😔彼が真ん中で踊るところを見たいのに。

 

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作 アントン・チェーホフ

英語版上演台本 サイモン・スティーヴンス

演出 ショーン・ホームズ

原田美枝子/八嶋智人/松尾貴史/安藤玉恵/川島海荷/村井國夫/成河/天野はな/川上友里/市川しんぺー/竪山隼太/前原滉/永島敬三/中上サツキ

 

 プレミアムシアターで放映されたのを遅ればせながら視聴しました。チェーホフの作品は「桜の園」ほか「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」という主だったものはいろいろ観てきたものの、一度も心にしっくりきたことがなく、ある時期から「チェーホフの世界を何とか理解したいから観る」みたいな意地になっていたんだけど💦 ようやく、チェーホフの作品は自分の感性に合わないんだと素直に認めることにしました。それ以来、観るのをやめたのですが、今回はせっかくのTV放映なので録画しました。結論として、やっぱり苦手😔 戯曲として全く面白く感じなくて、チェーホフはダメだわと再確認しましたね。

 

 でも、演出と演技は良かった。今回は、British-Irishの戯曲家サイモン・スティーヴンスによる英語版上演台本を使っていて(もちろん、それを翻訳したもの)、演出のショーン・ホームズによると「チェーホフの時代と今の時代との架け橋となるような台本」なのだそうです。演出にも現代性が加味されていて、その点はとても面白かったです。

 

 幕が開くと舞台上に巨大なコンクリートの塊が置かれている。照明によって切り取られたフォルムが逆台形だったこともあり、霊廟などにある石棺を連想しました。そこに、オレンジ色の防護服と透明のフェイスシールドを身につけた作業員風の男(永島敬三)が登場。観客に向かって笑顔を見せお辞儀をして口笛を吹き始める。すると不穏な音と共にコンクリート塊が吊り上がっていき、隠されていた舞台面が現れます。そこにはビニールシートをかぶされたモノが置かれていて、作業員が2箇所のビニールシートを取り除くと、それはロパーヒン(八嶋智人)メイド(天野はな)でした。作業員が舞台から去り、芝居が始まります。亡霊たちが過去を物語っていくように見えた。

 舞台には室内を思わせる小道具(椅子とか空っぽの本棚とか)が置いてあるけど、後方には金網のフェンスが連なっています。過去の亡霊たちは、屋敷と果樹園が解体されつつある工事現場の敷地内で芝居をしているかのよう。例の作業員は芝居の途中、例えば、ガーエフ(松尾貴史)が訳のわからないこと喋っているときに、敷地内を眺めながらフェンスの向こうを通り過ぎていったり、敷地を買い取ったロパーヒンが「桜の木を切り倒して……」と言っているときに、チェーンソーを手にフェンスを開けて入ってきたりする。彼は果樹園の木を伐採する “現在の” 作業員なのか。過去と今との時間の境目が溶ける瞬間です。

 巨大なコンクリート塊は上方に吊られたままで、芝居の間ずっと役者たちの頭上にあることで、押しつぶされそうな圧迫感を観る人にも与えます。芝居の最後、老僕(村井國夫)が床に眠るように横たわると、作業員が再び入ってきて老僕にビニールシートをかぶせて去っていく。上からコンクリート塊が降りてきて老僕を覆い隠し、芝居は終わります。桜の園は閉ざされた立入禁止区域、封印された過去。その終焉は古き良き時代の終わりであり、コンクリート塊はその歴史を封じ込め、そこが何だったのか、誰がいたのかを忘れさせてしまう

 

 役者たちの衣装は現代ものです。中盤の屋外シーンはピクニック風で、ビニールプールで家庭教師(川上友里)が遊んでいました。後半の舞踏会シーンは乱痴気騒ぎっぽい仮装舞踏会みたいになっていて、その、ちょっと軽薄な見せ方が面白かった。ロパーヒン意外だれひとりとして、桜の園の屋敷がなくなることなど本気で心配してなどいないみたいだった。

 

 ロパーヒンの八嶋智人さんがとてもいい感じでした👏 商才に長けお金のことしか頭にない陰険な男というより、真摯にラネーフスカヤたちのことを考えているように見えた。成り上がりの小物感を出しつつも、決して悪い奴ではないと思える演技だったな。原作ではワーリャ(安藤玉恵)にプロポーズしようと思っているのに何もできず……みたいな感じだったと思うけど、ここでは彼はワーリャには最初から興味はなく、彼の心はラネーフスカヤにしか向いていないようだった。屋敷を買い取ったのもラネーフスカヤのため、あわよくば彼女と……という彼の気持ちは最後まで置いてきぼりにされ、切なさが残りました。

 原田美枝子さんのラネーフスカヤは美しくて気高くて浮世離れしていて目の前の現実など(娘のことすら)全く気にかけない、そういうふわふわした空気感があって良かったです。また、老僕を演じた村井國夫さん、華やかだった屋敷の過去を全て背負ったまま、誰からも相手にされずに忘れ去られていく、あの感じ……しみじみと愛おしくなりました😢

 

 ロパーヒンの構想「果樹園の樹木を伐採して別荘地にすれば金が入る」というのは、今まさに東京で起こっていることとモロ重なる話ですね😞 ラネーフスカヤ(だったかな?)の「唯一価値のあるものは、美しいもの」というセリフが胸に沁みた。

 

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作 マイケル・フレイン

演出 森新太郎

藤井流星/羽野晶紀/平祐奈/伊礼彼方/葛山信吾/紅ゆずる/山路和弘/福本伸一/小南満佑子

 

 イギリス人戯曲家マイケル・フレインのバックステージものドタバタコメディで、初演は1982年。タイトル「noises off」は舞台の演出用語で「舞台裏から聞こえてくる物音」という意味らしい。ある芝居を演じる役者&スタッフのプライベートでのゴタゴタが実際の上演に影響して、最後あれでいいのか?😅ってなる。難しいこと考えずに笑えました。

 出演者のうち、伊礼くんは演出家福本さんは舞台監督小南さんは舞台監督助手他の方たちは俳優の役です。上演する劇中劇は洋物なので、そこでは役者たちは洋名および日本語標準語で喋るけど、プライベートになると皆んな本名かつ関西弁になる。日本の実在のカンパニーが芝居をやろうとしてるというリアル感があり、劇中劇とプライベートとの区別もよくわかり、名案でした。プライベートでは流星くんと晶紀さんは歳の差を超えて交際中、伊礼くんは祐奈さんと小南さんの2人と二股交際しているという設定💦

 

 ネタバレあらすじ→ある芝居の上演に取り組むカンパニー。初日を明日に控え最終リハーサル真っ最中……なのに、俳優たちは段取りやセリフや小道具の扱いをまだ覚えきれず、演出家はキレ気味、時計は夜中の12時を回り、リハーサルはなんとか終了。本公演が始まって2週間目。十分なリハができないまま上演となったのでトラブル頻発のうえ、カンパニー内で恋愛のゴタゴタが。すなわち、前日に晶紀さん葛山さんと飲んで家まで行ったのを流星くんが見てしまい晶紀×流星は一触即発。伊礼くんは二股交際がバレて祐奈さん小南さん三つ巴でのもつれ状態。他の人もそれに巻き込まれて右往左往。それが上演中の芝居に影響しドタバタが悪化(観客はそういう芝居だと思って大笑い)。いよいよ千穐楽公演。恋愛トラブルは解決しないどころか泥沼に。それが演技に反映し、元の筋は放棄され芝居はますますカオス。最後に、福本さんが泥棒の代役で出ているところに本来の泥棒役の山路さんが現れ、さらに何故か伊礼くんも泥棒姿で出てきて訳わからなくなる。ゆずるさんがアドリブでまとめ上げようとするも、伊礼くんは小南さんに「赤ちゃんができたの!」と告白されてパニクり、収拾つかないまま、福本舞監は強引に幕を下ろす😵‍💫 おわり。

 

 劇中劇の舞台となる邸宅には、書斎、キッチン、家政婦の部屋、バスルーム、リネン置き場、寝室などがあり、いろんな人が「他の人に見られない形で」入れ替わり立ち替わり部屋を出入りし、そのたびにいろんな小道具が行き来するという、ただでさえややこしい滑稽さ満載の劇中劇です。その最終リハーサルが既に怪しくて(1幕)、しだいに崩壊し始め(2幕)、最後はもう何が何だか状態(3幕)と、同じ劇中劇が3回繰り返されるんだけど、徐々に別物の芝居になっていくんですね。

 特に2幕は出色で、劇中劇を上演中のセットの裏側で人間模様が繰り広げられ、それに伴って小道具や衣装にトラブルが起こったり、ワインボトルをめぐって取ったり取られたりがあるんだけど(私たち観客が見ているのはこの裏側でのすったもんだ)、後半の、セリフほぼなしでドタバタした動きだけで滑稽さを見せるところが素晴らしい。劇中劇での自分の出番と舞台裏でのドタバタとのタイミングを合わせるの神業的で、セリフや動きや小道具の出し入れのタイミング1つでもズレると大ごとなんだけど、役者さんたち、時には小走りであっちに行ったりこっちに来たりと、ものすごい運動量です。

 

 藤井流星くんは劇中劇の主役で手堅い俳優という役。私は初見でしたが、コメディーセンスがあり(ベタな動きもあったけどそこはコテコテの笑劇ということだからね)とても良かったです。常識あるベテラン俳優という役の紅ゆずるさん、その場を仕切る姿がなかなか男前でした。気性が荒く厳格な演出家という役の伊礼彼方くん、本番に来られなかった理由が「与野本町(彩の国シェイクスピア・シリーズのことですね)で『ロミオとジュリエット』の稽古してたから」っていうのリアルで笑いました。山路和弘さんはお酒大好きという役で、酒瓶見つけるとそれ持ってどこかにこもっちゃうんだけど、大ベテラン役者なんでみんな遠慮して気を遣っているのが可笑しい😄 周りの騒動は我れ関せずで、飄々ととぼけた感じが何とも良い味わいでした。

 正直言うとドタバタがちょっとtoo muchで観ていて少々疲れたりもしたけど、とにかく凄く面白かったです。

 

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作 ヘンリック・イプセン

脚色 ダンカン・マクミラン

演出 栗山民也

森田剛/三浦透子/浅野雅博/櫻井章喜/谷田歩/梅沢昌代

 

 戯曲は1886年に出版、翌年ノルウェーのベルゲンで初演。イプセンの戯曲の中でも特に難解で捉えどころがない作品のひとつとされているらしい。上演台本はダンカン・マクミランが手がけています。タイトルは英語風に言えば「ロスメル(ロスマー)のホーム」になる? 主人公ヨハネス・ロスメルの屋敷、および代々続く彼の一族も意味するようです。ロスメルスホルムに根付く強い道徳観が自由を求める人たちの信念や愛情を束縛し、その考えや行動の自由を奪ってしまうという話かな?

 

ネタバレあらすじ→1880年代後半のノルウェーの小さな街。ヨハネス・ロスメル(森田剛)は200年続く名家ロスメル家の当主。彼の妻ベアーテは敷地内にある橋から入水自殺した。それから1年、いまロスメルはレベッカ(三浦透子)家政婦(梅沢昌代)と共に屋敷で暮らしている。レベッカはベアーテの兄クロル教授(浅野雅彦)の紹介で、ベアーテの話し相手として、また、精神を病んだベアーテに代わって家の切り盛り役として同居していて、ベアーテ亡きあとも住み続けており、ロスメルとは友人(および同志?)の関係にある(←以上前提)。

 自由思想に感化されていたロスメルは、牧師という職と信仰を捨て、自分の置かれた社会的束縛から自身を解放し民主主義の理想を求める決心をしていた。超保守的なクロル教授はそんなロスメルを「支配階級としての地位と家柄と責任を裏切る行為だ」と糾弾。クロル教授は、進歩的なレベッカがロスメルを操ったと非難し、子どもを産めない体だった妹ベアーテはロスメルとレベッカが結婚できるようにとこの世を去ったのだと攻める。それを聞いたロスメルは自分が早くからレベッカを愛していたことに気づく。彼は妻の愛を裏切っていた罪悪感から「その罪を背負ったまま理想を求める資格はない」と、新しい社会への信念を捨てる。レベッカは、ベアーテを自殺へと促したのは自分だと告白。それはロスメルに会った時から彼に愛欲を抱いていたからで、しかし、妻が死んでロスメルが自由になったとき官能の欲望は消えて彼への献身的な愛情に変わったと。信じるものを失ったロスメルに対し、彼への愛を証明するためにレベッカは橋から身を投げてみせると言う。ロスメルはレベッカと一体化することを望み、2人は一緒に橋へと歩いていく(=入水自殺する😓)。おわり。

 

 リベラル思想VS保守反動という政治的社会的対立がテーマかと思ったら、後半から話は個人の内面に深く入り込んでいき、やがて愛の形の話になっていきます。登場人物につきまとうのは白い馬のイメージ=ロスメル家に漂う亡霊、直接的にはベアーテの霊の気配として言及される。ロスメルもレベッカもそれから逃れたくて出口を探すけど、ベアーテが歩いた跡を追うしか道はない。ベアーテの(あるいはロスメル家一族の)白い馬が2人を黄泉に運んで行ったのでしょうか。

 

 正直なところ2人が死を選ぶ理由がよく分からなかったな😔 2人とも道徳的な罪悪感から逃れられなかったということ? ロスメルは妻ベアーテの愛を裏切っていたという罪、レベッカはベアーテの愛を自分とロスメルとの愛ために利用したという罪。2人は男女として愛し合っていることを知ったのに、それを現世で成就するには罪深すぎるということ? その罪悪感の前には進歩的でリベラルな理想社会への強い信念など何の役にも立たないんですね。罪悪感を抱かせる道徳感のほうが強すぎる、それこそ古い価値観以外の何ものでもない。その束縛から逃れるには愛を証明するための行動しかなくて、この場合は2人が1つになって共に「そこへ」行くことなのか?🙄 ロスメルは妻が橋から入水自殺して以来その橋を渡るの避けてきたのだけど、最後にレベッカと2人でその橋を渡る(そしてそこから飛び降りる)ことで妻の呪縛から解放された……といえるのだろうか。

 

 ダンカン・マクミランの脚色は、原戯曲のセリフを変えたり加えたりしてそこに独自の解釈を多分に入れてるんだけど、特にレベッカの造形が現代的で、且ついろいろな含みを感じさせました。レベッカに主体性をより強く持たせていて、それゆえ主役はもはやレベッカ。性格は違うけど「人形の家」のノラ的立ち位置に感じられたな。

 

 舞台となる居間の壁にはロスメル家代々の当主の肖像画が飾られていて、そこにいる人を威圧するかのようにじっと空間を見つめています。上手(かみて)に大きなフランス窓があり、開けると風が入ってふわっとカーテンを揺らす。それは自由への扉で、吹き込む風は新しい社会の息吹のようにも感じられる。奥の玄関ホールに続く廊下の壁(客席から見ると正面)に縦長の鏡が掛かっていて人が出入りするたびに全身が映ります。鏡をあの場所に置く以上はそこに意味があるのだと思うけど、それはよく分からなかったな💦 静寂に包まれた室内を照明が繊細に照らし、それが作る光と影と陰のコントラストが、美しさと同時に登場人物の心情や風の色を感じさせたりしました

 

 演出は硬質で、役者の立ち位置や小さい動きまで計算され尽くされているようだった。絵画的な絵面を感じるのはそのせいかも。静けさを壊すようないくつかのシーンがアクセントになっていた。例えば、レベッカがロスメルへの愛欲を告白するところで、彼女は長テーブルの上に乗って這うように身体をくねらせるんだけど、堪能的であり苦悩を絞り出すようでもあった。あるいは、ロスメル家の古い価値観=伝統とか格式とか因習とか特権とかに精神的に支配されていることに苛立ったロスメルが怒りを爆発させ、壁に飾られた一族の肖像画に花を投げつけるところ、本音を曝け出して荒ぶる彼と壁に飛び散った赤い花(薔薇?)とが対照的で美しくさえありました。

 クロル教授の浅野雅博さんの演技が手堅くてサスガでした。戯曲を読んだときは教授のガチ保守で権威主義的なところがすごく不快だったんだけど、浅野さんの演技を観てると、とても真っ当なこと言ってるように思えてくるから不思議だった。役者の力を感じました👏

 

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 歌舞伎座は公演の方向性を変えたのでしょうか。古典をやらなくなりつつある。11月、12月、1月……もうね、古典作品が少なすぎる😔 古典であっても見取りが多くなり、通しで打たなくなったのもすごく残念だけど、やらないよりはましと思ってしまうレベル。私は新作歌舞伎とか、ゲームやアニメや漫画などを元にした作品とかには全く興味ないのです。この点に関して「考え方が時代遅れ」と思われても構わないし「はい、そうです」と応えるしかない🙇‍♀️ 今後もこういう作品の上演が増えるとしたら歌舞伎座へはだんだん行かなくなるな。例外は「仁左さまが出るなら観る」😅 あるいは「シェイクスピア劇の翻案もの」も観るでしょう。とにかく実際のところ、12月と1月は歌舞伎座で観たい作品はないので行きません。1月の「曽我対面」はお正月に相応しい演目だけど、他月でもここんとこ何度も上演していてちょっと食傷気味。次の歌舞伎鑑賞は、12月は京都南座、1月は浅草歌舞伎と新国立劇場です。1月新橋演舞場は他の配役が出てから検討する。歌舞伎を観る回数が減るのは悲しいけどお財布には優しいですね。

 

「松浦の太鼓」

仁左衛門/歌六/松緑/米吉/猿弥/隼人/鷹之資/吉之丞/橘太郎/松之助

 そういうわけで今月の歌舞伎座では2作品を幕見しました。幕見があるのはとても助かるなー。「松浦の太鼓」は昨年も南座顔見世で観たけど、あの時は大高源吾が獅童、お縫が千之助、近習は隼人、鷹之資、橘太郎のほか虎之助と橘三郎が勤めていました。当然ですが、特に大高源吾の役者が変わるだけで全体の印象がずいぶん変わるんだなあと思った。それ以上は言いますまい💦 歌舞伎座では6月以来の仁左さまの舞台、欲を言えば違う演目で観たかったけど、なんと歌舞伎座では2002年以来の松浦公なんですね。それじゃあ皆さん観たいよね。

 

 仁左さまの松浦公、変わることなく絶品なり🎊 硬軟自在で喜怒哀楽の切り替え絶妙。そして何よりも、華やかな品格を失わないままに溢れる愛嬌。憎めないわがまま殿らしく気持ちがコロコロ変わるんだけどその繊細な表現の巧みさを改めて噛み締めました。浅野内匠頭への想いを吐露するところでは豊かな感情と共に仁左さま節が全開。其角とお縫に自分から「帰れ!」と言っておきながら、源吾の付け句を聞きたい、引き留めたい、でも近習の手前もあるのでできない……その見栄の表現が可愛い。陣太鼓の音を数えて「この音は山鹿流……赤穂……? そうかっ!」って理解し、驚きと喜びでパッと晴れやかになった顔! 吉良の首を討ち取ったと聞き嬉しすぎて馬上で腰を浮かせた時の満面の笑み!(このあと馬からずり落ちちゃうところを隼人と吉之丞に抱きかかえられる😆)、討ち入りの様子を聞くときは身を乗り出し、クライマックスの段ではハラハラして体がグ〜ッと前のめり! もう完全に松浦公さまその人でした。今回改めて思ったのは、前半、座っているだけのときでも上半身や腕、顔を微妙に動かした形がいちいち美しいこと。お縫が現れたときや、其角が「源吾に会った」と話し出したときなど、途端に機嫌を損ねて渋面になり、左腕を袂に入れ右腕を脇息にもたせかけて上体を斜め上手側に傾けた姿が絵になってねー😍

 歌六さんの其角は盤石で手慣れた演技。松緑の大高源吾は赤穂浪士らしい(ただの笹竹売りには見えない)内面の含みと重みが感じられました。仁左さま松浦公とのバランスも良かった。近習のゴマスリっぷりも可笑しいです。隼人鷹之資が南座に引き続き近習で出ていることは喜ばしいことで、仁左さまをガン見してしっかり栄養にしてほしい。猿弥さんも近習の1人というのは意外な配役で、いつもの滑稽味を封印した神妙味ある良い部下でした。松浦公と其角の話を聞きながら微妙に変える表情がとても上手かった。

 

 

「鎌倉三代記」

梅枝/時蔵/芝翫/高麗蔵/東蔵/松江/歌女之丞/梅花

 1点を除き(それについては最後に触れます)ガッツリ時代ものを楽しみました。実は時姫が「三姫」の1人であるのを私自身あまり理解できてないのですが、赤姫らしい気品と可憐さが必要なのは分かるけど、愛する人(=三浦之助)と父(=北条時政)との間で揺れ動く内面の表現が難しいということなのかな🙄(三浦之助は源頼家の家来で、北条時政とは敵同士)。最後は父を討つ決心をすることで恋人の方を選ぶのだけど、そのときの凜とした覚悟の姿も見せ所なのだろうか🤔

 

 梅枝の時姫は初役だそうです。古風な雰囲気と品性をまといながらも芯のあるところを見せ大変に良かったです。葛藤を経て「(父) 時政を討ってみせましょう!」と言ったところで表情がキリッと変わり背筋が心持ちスッと伸ばしたところに美しさがありました。

 芝翫さんの高綱に時代ものの重みが。高綱は前半は雑兵の藤三郎として本性を隠しているんだけど、そのコミカルでチャラチャラしたところに道外方の味わいがあり、そういう見せ方は芝翫さん上手いなあと思う。後半、高綱としての本性を顕し井戸から後ろ向きでぬ〜っと出てきて正面を向いたところのおっきさにびっくり(もともと昔体型の人だけど😅 カツラや隈取のせいもあって頭が巨大)迫力十分。ぶっ返った姿は華やかで立派、セリフにも説得力があり聴き入りました。

 藤三郎の女房おくる役の高麗蔵さんがとても良かったです。この夫婦だけで見るとこの作品は「盛綱陣屋」の後日談でもある。「盛綱陣屋」で見せる “盛綱の弟である高綱の首” は替え玉だったんだけど、顔がそっくりということでその替え玉になって死んだ男が、おくるの夫だったのね(水飲み百姓)。最後に高綱が事情を説明するところで、おくるはすべてを受け入れ夫のもとに行くため自害するんですよね😢 この作品の中では大きなお役ではないけど、犠牲になった夫への想いが込もった丁寧な演技で印象付けられました。

 

 しか〜し、今回の「鎌倉三代記」は不満でした。最後、三浦之助の母(東蔵さん)が、時姫が手にした槍を障子から手を伸ばして掴み自らの腹に刺して自害するところ、なぜカットするかなー😖 息子とその嫁のために命を捧げる母……涙を誘う、また物語の根底を押さえるとても重要なシーンなのに。最近そういうカットシーン多くて本当に残念。カットする理由が分からない。時間の関係だとしたら3演目めの舞踊を1つ減らしてでも、そこは入れるべきだと思う。そこを削った=話をシンプルにした=誰が観ても分かりやすくした=お客さん入る、とはいかないはず。こうして本来の脚本通りの舞台は忘れられていく😔

 

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振付 マリウス・プティパ 

新演出・振付 斎藤友佳理

音楽 ピョートル・チャイコフスキー

沖香菜子/秋元康臣/政本絵美/柄本弾/三雲友里加/涌田美紀/足立真里亜/安西くるみ/伝田陽美/二瓶加奈子/加藤くるみ/池本祥真/安村圭太/鳥海創/加古貴也/生方隆之介/中島映理子/ブラウリオ・アルバレス/鳥海創/安村圭太/後藤健太朗

 

 意外だったけど東京バレエ団では2015年2月以来の「眠れる森の美女」なんですね(子ども向けの短縮版は除く)。そのときはマラーホフ版で、マラーホフがカラボスを演じました、踊らないカラボスだったけど。今回の新演出・振付版は古典にありがちな不自然さを払拭しつつ丁寧に物語を紡いだ説得力ある作品で、主役から群舞までテクニックは手堅く、役柄の表現も的確。美しくて楽しくて至福の3時間でした🎊

 

 まず演出面で良いと思ったことから。プロローグから1幕へのセット転換中、一般的には、隠れて糸を紡いでいた村娘に王が死刑宣告してそれを王妃が止めるというシーンを見せますが、あれあまり好きじゃなかった。本作では幕前で2つのシーン、下手側ではカラボスと手下たちが薔薇の花束にオーロラを死なせる紡錘を仕組んでいて、上手側では村人が紡錘を役人に渡して代わりに花束をもらうという、面白い趣向でした。

 オーロラの誕生日の祝いにカラボスが紡錘を持って登場するところでは、その前にカラボスの替え玉が入ってきて小姓に追い出されるという目眩しシーンを入れていて可笑しかったです。そうやってみんなの注意をそらせておきコソッと出てきたカラボスがまんまとオーロラに紡錘入り花束を渡しちゃうのねー😅

 

 続く森のシーンは出色👍 リラの精が王子にオーロラの幻影を見せるところ、ここも一般的なのだと、最後にオーロラと王子がデュエットするんだけど個人的には何か違和感あったんです。本作では2人は触れ合わない。王子がオーロラに近づこうとするとドリアードたちがそれを遮るように踊り、王子もオーロラもソロのみ。これは良い解釈だと思うし、王子の行手を遮る群舞が塊になったりラインになったりと揺れ動き、そのダンスとフォーメーションが幻想的ですごく美しい。また、王子のキスで目覚めたオーロラが王子を見て「夢に出てきた方なの?」と数秒間思いを巡らす細かい演技も良かったです。あと、王子がポニーテイルに黒リボンを結んでいるの合格👏 これはmustだと思ってるので。

 3幕では宝石の精たちの後に踊るディヴェルティスマンのキャラクターを、招かれたゲストではなく仮面舞踏会で余興を披露する舞踊手としたのも上手く考えたと思った。この発想だといきなりお伽話のキャラが登場する唐突感がないし、登場のたびに小幕を出してその後ろから出てくるのもよく考えてありました。

 

 オーロラ姫の沖香菜子さん、1幕登場時の愛らしさといったら! 初々しさと気品がこぼれ落ちる。ローズアダージオは王子たちとのコンタクトがあるのが良く、森のシーンの透明感あるソロが美しい、3幕のGPDDは優雅さのなかにも溌剌とした輝きを残していて、とっても良かった。デジレ王子の秋元康臣さん、エレガンスの極み。ダイナミックに踊っても崩れないラインと優美さ。森でのソロが本当にノーブルで惚れ惚れしました。3幕GPDDでトゥール・アン・レールではすべてきっちり真正面で5番着地が綺麗で、そのあとの決めポーズまでキリッ✨ マネージュは大きくてダイナミック。当然ながら2人の息はぴったりなんだけど、コーダでの、2人が前後に並んで片足で後ろへ下がっていくところ(ステップ用語を知らない😓)、音とズレたテンポになることが多いのに対し、今回の2人のステップは完全に音にピッタリ合っていて完璧、見ていてすごく気持ち良かったです。

 

 リラの精の政本絵美さんがすごく良かった。オーロラと王子2人の洗礼の母という設定らしく、2人を見守る眼差しの柔らかさと運命を統べる立場としての自信に満ちた強さが見られる。森ではオーロラと一緒に踊るなど、踊りの見せ場も多く、役割をきちんと担うテクニックと表現力がありました。

 ディヴェルティスマンもとても見応えがあった。宝石の精では1幕で妖精たちを踊った女性群が3幕でもキレの良いダンスを見せてくれました。特に伝田陽美さんや足立真里亜さんのステップ。男性群ではやはり池本祥真くんがひときわ目立っていたな。白猫の涌田美紀さんのコケティッシュな踊りが良くて、顔をすっぽり覆う被り物ではなくハーフマスクなところも好みです。フロリナ王女の中島映理子さんの伸びやかなダンスも去ることながら、ブルーバードの生方隆之介くん、とても軽やかで、高く伸びやかなジャンプ、スッと伸びた後ろ脚、正確な足捌き、素晴らしかったです。

 

 いくつか気になったことも。カラボスがカタラビュットのウィッグを取り、その禿げてるのを大笑いするところ、お約束シーンだとしても今の新演出としては何だかなー。(1幕の時代設定であろう)17,8世紀当時、男性のロン毛カールのウィッグは正装やおしゃれのアイテムだったから、それを取られただけで恥ずかしいわけで、禿げてる設定にする必要はないのでは? 外見を笑い物にすることについては意識をアップデイトしてほしい😔

 もうひとつ、そのカラボスに柄本弾さんが配役されてるから、バンバン踊ってリラの精と対決するのかと思ったらずっと腰を曲げていた😓 カラボスを超高齢者にしたのはカラボスの持っている美徳=オーロラへの本来の贈り物が「長寿」だから? よくわからないけど、カラボスはカラスみたいな車と一体化して登場するんだけど、カラスは長寿のシンボルらしい。とにかく、全く踊らずマイムだけなら、柄本さんと伝田さんという踊れる人を配役する意味ないと思うし、勿体なさすぎると思いました。

 こういう多少の疑問点はあるものの、とても良いプロダクションだったし、それを踊って見せられるダンサーの層の厚さに改めて感銘。願わくば真ん中で踊れるダンサーをもっと増やしてほしいです(実質プリンシパル・レベルの人は何人かいますよね)。

 

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作 デヴィッド・エドガー

演出 松本祐子

 

 イギリス人劇作家デイヴィッド・エドガーの作品で、1994年にロイヤル・シェイクスピア・カンパニーによって初演。Pentecost(精霊降臨)とは新約聖書にあるエピソードのひとつで「イエスの復活・昇天後、集まって祈っていた人たちの上に聖霊が降りた、すると、そこにいた人々はさまざまな国の言語で語りだした」という出来事だそうです。

 東欧の廃教会で見つかった中世の絵をめぐり関係者がそれぞれの立場で議論を交わすところに難民グループが逃げ込んできたことで、異なる国籍、民族、人種、宗派、および難民たちの間で、生々しいやり取が繰り広げられる。

 

 ネタバレあらすじ→1994年、東欧の架空の国の廃教会で、壁に描かれたフレスコ画が見つかる。その国の美術館学芸員は、たまたまその国を訪れていたイギリス人の美術史家を呼び、誰がいつ描いたものかを検討し始め、その絵を国立美術館に移動させる準備にかかる。その国の文化大臣はそれを許可するが、カトリック司祭正教会司祭は快く思わない。ユダヤ系アメリカ人の美術史家が訪れ、その絵に価値はないと言う。そこにネオナチ元反体制主義者なども絡んでくる。突然、その廃教会に難民たち(パレスチナ系クウェート人をリーダーとする、トルコ系アゼルバイジャン人モザンビーク人ボスニア人ウクライナ人アフガニスタン人スリランカ人ロマクルド人ロシア人)が雪崩れ込み、学芸員と2人の学者を人質にして亡命を要求。政府からの回答を待っている間、共通語である英語や各自の言語で話していた彼らの間に絆が生まれかける。しかし政府が出した回答は不十分なものだったうえ、政府軍はフレスコ画が描かれてある壁を外から壊して入り込み難民たちを射殺、イギリス人美術史家も誤って殺される。生き残った学芸員とユダヤ系アメリカ人美術史家に文化大臣は「我が国は難民の掃き溜め(だったかな?正確な言葉を忘れたけどこういう意味の内容)ではない」と言う。終わり。

 

 上記のあらすじはもしかしたら観点がずれているかも🙇‍♀️ で、観る前は、中世に描かれたであろうフレスコ画をめぐる、価値観や思惑が異なる人々のつば迫り合いを通しての謎解きものかと思っていたら、違っていた。フレスコ画の由来を検討する過程で浮かび上がる東欧の過去、絵画の潮流の歴史、異なる言葉を話す人々の間の分断と共感、虐げられた人たち個々の苦悩のドラマ、共通の文化と感情……、とにかくいろんなことが詰め込まれて(詰め込まれすぎていて💦)頭の中がいっぱいいっぱい🤯 その中から私はかろうじて、民族や人種の違いを背景とした国際政治的な問題を提起するものとして受け止めました。

 で、いったんそういうものとして見ているとだんだん胸が痛んできた。1994年初演当時の難民をめぐる国際状況やそれまでの東欧の歴史が背景にあるけど、パレスチナ人やウクライナ人、そして現在、彼らを虐殺しまくっている人たちもいて、彼らの主張は今現在も起こっているリアルタイムの話と繋がるもので、あまりに生々しく、途中から観ているの苦痛に感じて辛かった😖

 

 役者さんたちの演技はすごく良くて、本当に研修生の発表会ですかって感じの驚くレベルでした👏 特に、さまざまな出自を背負った難民たちによる集合的演技は、絶望や希望が混じったエネルギーが渦巻くような空気を生み出していてとても良かったし、フレスコ画に関して関係者たちが持論を主張するセリフには説得力がありました。

 ちなみに、最後の方でイギリス人美術史家によってなされるフレスコ画についての推理は興味深いものでした。ルネサンス絵画に先鞭を付けた画家とされるジョットの代表作の一つが、1305年頃に描かれた「死せるキリストへの哀悼」←ここまでは事実で、以下は架空のお話ですが、今作で廃教会に描かれた絵はそれとそっくりなので、最初は誰かがジョットの絵を模写したのだと考えられたのだけど、中世に書かれた旅人の記述が出てきて、そこから、その絵はジョットより数十年も前に描かれたものだと分かる。そうなると、ルネサンス絵画の源流はジョットではなく、この東欧の国の誰かということになり、それは世界的発見になる。イギリス人美術史家はその東欧国の言語の特徴や難民たちの会話から推理し、そのキリスト教的フレスコ画を描いたのは1200年代にこの国に移動してきたアラブ人ではないかという結論に。なんと大胆な発想よ!

 

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作 ウィリアム・シェイクスピア

演出 鵜山仁

中嶋朋子/浦井健治/亀田佳明/岡本健一/ソニン/那須佐代子/立川三貴

 

 これは作品としてあまり人気がなく上演頻度が低いそうだけど、今回の交互上演で言えば、先に観た「尺には尺を」よりこちらの方が面白かったな。「尺尺」は最後の演出にやや不満があったのと、こちらの方がコメディー味が濃かったことが理由かも。

 

 あらすじはウィキペデアにある通りです🙇‍♀️ ヘレナ(中嶋朋子)バートラム(浦井健治)のことを一途に想い続けていて、彼と結婚したいと強く!強く!思っている。でもバートラムは彼女のことがとっても嫌いで、そもそも割に不実な男。結局ヘレナはベッド&指輪のトリックを使って目出度くバートラムを手に入れる。バートラムは彼女の策略にまんまと引っかかり、しかも王(岡本健一)の命令とあってはもう逃げられず承諾する。

 普通なら、ヘレナよそんな男で本当にいいの? バートラムはちょっと気の毒……と思うのだけど、今回のを観て全くそう思わなかったんですよね。なぜならバートラムの最後の行動が笑っちゃうから😅 最後に王が、ヘレナの協力者ダイアナ(ソニン)に「好きな夫を選ぶがいい」と言うと貴族たちが我こそはとダイアナの前に並ぶんだけど、その時点でヘレナとの結婚を受け入れヘレナと向かい合っていたバートラムが、ダイアナに吸い寄せられるように体がフラ~っとそっちを向いちゃう😆 ここ最高におかしくて、バートラムへの同情心が吹っ飛んだ。諦めが悪いというか懲りないというか、少しも反省してなくて変わらないバートラム、そうこなくちゃ‼️って納得してしまった。

 

 ヘレナ側から見ると、これは「伯爵夫人が母親がわりになってくれているとはいえ、家族も地位も財産もない女性が自分の欲しいものをガッチリ手にする」サクセスストーリーですね👍 そのための彼女の武器が、父が残した “王の病気を治す処方箋” と、賢さと、行動力、そしてバートラム以外の誰からも好かれる人柄。そもそもバートラムの外見に惚れちゃったんで “恋は盲目” 状態になってしまったのだろうし、結婚することでしか自分の人生を真っ当なものにすることができないのなら、その相手はバートラムしかいないと思い込むようになったのかな。一度は身を引こうとするもフィレンツェで再会し、運命の力という後押しを得た!と初志貫徹を決意するわけで。彼女は「終わりよければすべてよし」と言うところで「最後がすなわち名誉です」と言っています。結婚成就こそ価値あるものということだと思うけど、彼に愛されることは二の次なんですね😅 ヘレナ、自分の欲しいものが手に入ってよかったねーと思いました👏

 

 そのヘレナは中嶋朋子。内省的で楚々とした面と芯あるところの見せ方が上手く、表現がとても繊細で独白もしっかり聴かせてくれました。王に処方を施そうと説得する力強い口調に内面の強さが見え、ベッドトリックでバートラムに処女を捧げ “結婚” の既成事実を作ってからの迷いのない姿は美しく見えた。バートラムは浦井健治で、そのソフトな雰囲気は役柄に合っていました。ただ、浦井くんの舞台観るたびに(ってそんなに観てないけど💦)思うんだけど、達者な役者さんの中に入るとセリフの力が弱いのが分かってしまうような……。早口になると言葉が流れてしまい意味がつかみにくくなるし。ちょっと残念(←個人の感想です🙇‍♀️)。

 

 先に書いた “コメディー味が濃い” というのは亀田佳明のペーローレスがすごく上手かったのが第一の要因。保身の術に長けた臆病な口先男を、弾ける感じで生き生きと演じていて、要所要所をキュッと締めていた。最初のヘレナとの丁々発止の会話が面白いし、ラフュー(立川三貴)とのテンポの良いやりとりも滑稽で、コメディーリリーフ的存在としてしっかり機能していました。彼が本音を吐くときは「そうだよなー」と納得してしまうし、時々ハッとするような洞察あることを言う、そういうときの亀田さんがとてもいい。後半でボコボコにされて気の毒だけど、そのシーンでは兵士たちがすごく楽しそうに彼を懲らしめているので笑えました。加えて言うと、このペーローレスとデュメーン兄弟(下総源太朗、宮津侑生)の髪型がヘンテコで可笑しかった😆

 ソニンのダイアナ、知的な雰囲気がありヘレナに負けない存在感を見せ、特に最後は力あるセリフで聴き入りました。ワザとらしいアクションで観客の笑いを誘うところも上手かったな。岡本健一のフランス王がしっかりお爺さんで(病気が治ってシャンとして登場するところ笑ったけど)、しっかり我儘で、しっかり権力駆使してその場を仕切り、自分の思い通りに若者を結婚させていくところ、むしろ可愛いくらいでした。

 

 演出上、あれっ?と思うところがありました。ヘレナは最初はバートラムの顔に惚れてたんですよね。「彼の “弓形の眉、鷹のような目、美しい巻き毛” を見ているだけで幸せだった」みたいなこと言ってる。そのバートラムが戦いで頬に大きな傷を残して帰ってきます。シェイクスピアがわざわざ彼の美しい顔に傷跡を付けたのには何らかの意味があると思うんだけど、原作では、ヘレナは変わり果てた彼の顔に無反応なのです(それに対する何のセリフもない)。だからせめて演出で彼女に何らかの行動をとらせてほしかったけど、何もリアクションはありませんでした。ヘレナにとってもはや彼の顔の美しさは問題ではなくなっているとか、何か見せてほしかったな。それとも、何らかのアクションがあったのを私が見逃した?

 

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作 ウィリアム・シェイクスピア

翻訳 コラプターズ(明治大学学生翻訳チーム)

演出 高橋奏(文学部3年生)

監修 西沢栄治(JAM SESSION)

 

 明治大学シェイクスピアプロジェクトは明治大学主催のシェイクスピア劇上演プロジェクト。2004年に発足し、今回が20回目の公演です。演出、演技、演奏はもちろん、企画運営、翻訳、制作(舞監補佐、音響、照明、舞台美術、衣裳、映像スチール、宣伝)など全てを学生主体で行い、年に1度、この時期に上演している。私はある時期から見始めたんだけど、学生とは思えない上質の出来でとても感銘を受けました。以下は、プロではない、20歳前後の学生たちによる舞台、というのを踏まえての感想ですよ。

 

 今回の「ハムレット」も、手堅い演出の中にいろいろ工夫があり、よくできていたと思う👏 まず、客電を半分ほど消した状態で舞台に(登場人物である)旅役者たちが出てきて観劇マナーを面白おかしく説明し「私たちはこれから(ハムレットのいる)エルシノア城に向かいます」と言うと、そこにやはり登場人物であるローゼンクランツとギルデンスターンが出てきて「私たちもエルシノア城に行くところです、お先に」と言って袖に入る。本編でロズ&ギルがハムレットに「ここに来る途中で旅役者の一行を追い越しました……」と言うセリフがあるんだけど、そこを見せたのですね。小さいことだけどよく考えたなぁと感心しました。

 そのあと旅役者たちも引っ込んで客電が落ち、本編が始まります。最初はクローディアスとガートルードの結婚祝宴の場かな? 宮廷人が集まって祝福している隅っこに、黒い衣装のハムレットがポツンと座っている。やがて立ち上がって舞台中央に移動すると彼にスポットライトが当たり、いきなり「生きるか、死ぬか、それが問題なのだ……」という例の独白を始めます(「死ぬことは眠ること、眠れば夢を見る」のあたりまで)。ここは原作にはないシーンで、もちろんこの独白は本来のシーンでも演じられますが、ハムレットの憂鬱を最初にずばり提示するような斬新なオープニングでした。

 

 

 そのあと原作の1幕1場である、先王の亡霊が出てくる城壁シーンになり、物語が展開していきます。↑(添付画像)のような舞台セットで、その立体的な演技スペースをシーンによってうまく使い分けていました。また、衣装で人物の性格を表すとこもよく考えられていて、例えばポローニアスの衣装はスタンダップ・コメディアン風で道化っぽさを出しているし、オフィーリアのヒラヒラ、キラキラした衣装はどこか現実味がなく、ふわふわした乙女の世界の住人に見えました。そこにレアティーズが加わった、父兄妹3人のシーンは、なんだかんだ言っても仲の良い親子という雰囲気が出ていて良かったな。それだけに、3人ともある意味ハムレットに殺されてしまう理不尽さが胸を突く😢

 

 そのほかにも “いいなあ” と思った演出がいくつかありました。例えば終盤の決闘シーン、倒れたレアティーズがハムレットに「お互いに許し合おう……」と言って事切れるとき、やはり瀕死のハムレットが彼の手を一瞬握るんですよね。それは和解を意味する(そのあとハムレットも死ぬ)。「ハムレット」はいろいろ観てきたけど、最後に2人が手を取り合う演出は記憶にないなあ(あったけど忘れてるのかも💦)。とても感動しました、美しい演出でした✨

 また、最後のホレイショーとフォーティンブラスのセリフをあまりカットせずきっちり言わせているところも、反戦メッセージ性を出していて良かった。最後、舞台の上段に死んだ人たち(先王、オフィーリア、ロズ&ギルなど)が並び立ち、目の前の悲惨な光景を見下ろしているところで幕でした。演出家によると「生者が死者をみつめている、死者も生者をみつめている」がテーマだそうで、それを視覚化した、良い絵面だった👍

 

 個人的に発見だったのは、ハムレットとホレイショーの関係。ホレイショーはハムレットの後を追って自殺すると仄めかすんだけど、私はいつも「いくら盟友とはいえ、親友が死ぬからって自分も後追い自殺しようとするか? なーにが “古代ローマ人のようでありたい” だよ😑」と、極端すぎて理解できなかったんですよね。今回ホレイショーは女性が(男性としてのホレイショーを)演じていたんだけど、このシーンでハッと思った。そうかホレイショーはハムレットに惚れてたのかって。過去にも、ホレイショーはゲイでハムレットのことを好きだという演出はたくさんあるけど、今回のがいちばん、それゆえの後追い自殺願望であることに納得がいった=女性が演じることで自然にそこに愛の形が見えたのです。もちろん、シェイクスピアがホレイショーをそのように書いたとは思わないけど、そう解釈するといろいろ腑に落ちます。

 役者たちの発声やセリフ回しは素晴らしく、???と思わせる人はいなかった。特にクローディアス、レアティーズ、ポローニアスはプロ並みに達者な演技だったなあ👏 やっぱりセリフが第一だなと思った次第。ハムレットは他の登場人物に比べると悩み葛藤するところの動きが柔らかく、そのぶん時代掛かっていなくて、現代の若者の姿が見えました。

 

 そうそう、ワークショップ講師に成田屋さんとこの市川新八さんのお名前が。立ち廻りや歌舞伎的表現(劇中劇のとこだろうか? そういえばここの衣装は和装をモチーフにしていたし)を指導したのだそうです。新八さんは明大出身(演劇学専攻)で、かつてここの公演で「ハムレット」のタイトルロールや「お気に召すまま」の道化フェステを演じたんですと。知らなかったー。

 

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