明日もシアター日和

明日もシアター日和

観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

演出/振付/台本 熊川哲也

音楽 カール・オルフ

飯島望未/杉野慧/小林美奈/堀内將平/山本雅也/成田紗弥/石橋奨也/熊川哲也

 

 2019年に初演、2021年に収録映像が有料配信されたそうですが、私は今回が初見。ダンサーと奏者と歌手、250名を超えるアーティストによるコラボ作品です。悪によって崩れかけた世界が再び秩序を取り戻すまでを描いているのだと。

 悪魔の子(飯島望未)が人間の世界に紛れ込み、社会に蔓延する悪の象徴、堕落と欲望の化身となって、すべてを闇に引きずり込んでいく。太陽(杉野慧)を打ち負かして動植物を絶やし、ヴィーナス(小林美奈)を官能の喜びに溺れさせてダビデ(堀内將平)たちに支配させ、一人の男(山本雅也)をサタンに変えて生贄の白鳥(成田紗弥)を殺させ、敬虔な神父(石橋奨也)たちを堕とし、天使たちを死なせていく。最後に人類(熊川哲也)が立ち向かい、敗れ去った者たちも現れて、悪魔の子を闇に追いやる。

 

 ちょっと???という後味も残ったけど、圧倒される作品でした🎉 プロローグから痺れましたよ。熊哲が薄暗い舞台奥からゆっくりと前方に向かって歩いてくる。その、微妙にしなる身体、それに合わせて優雅に動く手脚たったそれだけなのに、その完璧な身体表現はまさしくバレエダンサー、表現者のそれ。クラクラしました✨

 その彼の背後で悪魔の子の手がチラチラと動き、その手が伸びて熊哲の白いシャツに黒いシミを作る。初演では運命の女神フォルトゥーナが悪魔ルシファーと恋に落ち、子を産んだという設定らしい。配信時の上演でフォルトゥーナ→人類の象徴(=熊哲)になり、その彼の内部から悪魔が生まれてくるという表現です。人間はもともと邪の闇を持っているということなのかな。とても印象的なプロローグでした。

 

 そのあと悪魔の子がさまざまな存在を悪に染めていくんだけど、その初っ端、太陽を踊った杉野慧さん、ゴールドに輝くタイツ姿が眩しい💖 ステップのしなやかさが強調されます。逞しさを見せる踊りからは威厳と神々しさが放たれる。その太陽の光を浴びて草花や水や鳥たちが踊る。自由で流線的なフォーメーションは喜びに満ちた幸福感を見せていて良かったです。

 もう一つ印象に残ったのが、終盤で神父を踊った石橋奨也さん。悪魔に惑わされ抑えていた欲望をあらわにします。そのダンスが実に不穏で鳥肌もの~😆 腕のしなり、頭の振り、引きつったような動き、シャープでスピーディーな動きに邪悪な感じが溢れていてカッコ良い。群舞も加わっての “堕ちた神父たち” の踊りはパワフルで、フォーメーションも含めて圧巻でした🎊 最後の方でひざまずいて神に祈る時せせら笑ってるんですよ~😓

 

 悪魔の子を踊った飯島望未さん、とても良かったです。軽やかなステップと大きく伸びやか動き。その場を操っていく求心力を感じました👏 基本的な造形は無邪気な好奇心かな。自分が何かすると相手が崩れていくのが不思議でしかたなく、それを面白がっている。太陽が消え花や鳥たちが命を失っていくのを「あれれ?」って感じで見ていたり、白鳥がサタンに羽を折られ悶え苦しみながら死んでいくのを笑って眺めていたり……そんな、狂気と毒をはらんだ子どもかと思いきや、時々、寂しさや虚しさを浮かべるのは、孤独であることの痛みを感じてるからなのだろうか。天使を掴むと死んでしまうのを見て「どうして?」と悲しい顔になっていたし、皆んなと踊るときは楽しそうだった。結局、悪魔の子は最後には人類によって追い払われた……のだと思ったけど。

 

 で、ネガティヴな感想だけど、悪魔の子の名前がアドルフだとプログラムで知り、登場した飯島さんの、例の人にそっくりなペッタリとした横分け髪型や、ナチ・サルートやグース・ステップ(脚をまっすぐ水平に上げた行進)を見た時は、さすがにエッ?となりました😓 最後は闇に葬られたと私は解釈したのだけど、皆が例のサルートやステップを見せる、あれは、悪は今はただ身を潜めただけで再び到来するときが来るゾという警鐘なのか?

 ドイツの作曲家カール・オルフがこの曲を創ったのは1936年というナチス・ドイツの時代。当時の政治的背景を意識した本作、上演3回めの今回もそこは変えてないのには、熊哲なりの意図があるのでしょう。

 ナチス、ヒトラーを称揚しているわけではないし、むしろ否定しているし、最後には人間の力で排除されるのだから(あるいは、再びあのような悪魔が現れるという前兆を含むとしても)、「正」のメッセージ性はあると思う。ただ、やはり、悪の元凶としての主人公を特定の人物にする必要はあったのか、別の表現=例えばもっと象徴的な見せ方はできなかったのか🤔というモヤモヤは残りました。

 

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作 ウィリアム・シェイクスピア

演出 森新太郎

吉田羊/吉田栄作/佐藤誓/飯豊まりえ/広岡由里子/牧島輝/大鶴佐助

 

 とても面白かったです🎊 森新太郎さんらしい硬質で知的な演出。激情に溺れたりせずナチュラルにじっくり言葉を聞かせる役者たちも良かった。以下、長いです💦

 

 スルーしてもOK🙇‍♀️→他所でも詳しく解説されてますが「ハムレットQ1」の「Q1」について少し書きます。アルファベットは本のサイズを示し、当時の全紙を4つに折ったものを「四折本=クォート/quartro=Q」、2つに折ったものを「二折本=フォリオ/folio=F」と呼びます。「ハムレット」には3つの異なる印刷原本が残っていて、まずクォート判で1603年に出た「Q1」と、続く1604-5年に出た「Q2」、そしてフォリオ判で1623年に出たシェイクスピア劇作品集(「F1」)に収められているものです。現在、最も用いられているのはF1(またはQ2とF1を突き合わせて編集したもの)だそうです。

 そのF1と今回のQ1との違いは、まずセリフ量。行数にしてQ1はF1より1400行近くも少ない、つまりシーンやセリフがカットされてる。また、シーンが入れ替わりったり、言ってることや人物の造形が違ったりもする。全体的にハムレットの内省的かつ哲学的セリフは少なめで、物事がトントンと進んでいく感じです。しかも今回はハムレットを女性が演じるということで、いろいろ楽しみでした。

 

 舞台の下手後方に向かってスロープが作られ、スロープの先端は険しい山の頂のように天を指して尖っている。ほかには、舞台上手に手すりのついた台座が置かれているだけ。背景の図柄は、海氷が漂う海のようにも、ひび割れた大地のようにも見え、北欧をイメージさせます。全体的にグレイの濃淡による無機質な舞台だけど、照明によって、いぶし銀になったり漆黒になったりするのが綺麗だったな。

 

 ハムレットを演じた吉田羊さん、とにかくセリフが良い。最初の独白で心を鷲掴みにされました👏 転がるような滑らかな言葉、その一言ずつに感情と意味がこもっている。大袈裟に張り上げたりしない代わりに微妙に声のトーンが違い、それが1つの文になるとリアルな心情の吐露になる。思惟的セリフが少ないぶん行動派に見えるけど、その仕草や動きに女性ならではのしなやかさがあり、それが繊細な神経の持ち主だと思わせる。男性軍の中にいると小柄なので、却ってセリフや行動に現れる芯の強さが際立って見えました

 ポローニアス(佐藤誓)を過って殺した時はかなり動揺していました。また、女性が演じることで母ガートルード(広岡由里子)との関係は(例えば、マザコンではないか?とかいう)余計な邪推をすることなく、普通の母・子として受け止められた。終盤の決闘で、死に際のレアティーズ(大鶴佐助)の願いを受け彼の手を握り和解するところ、すごく良かったな。

 最後、毒が回ったハムレットは舞台中央に立って両腕を広げ、十字架にかけられた殉教者のような姿になり「天よ、我が魂を迎えたまえ」と言って死んでいきます。そのセリフからこのポーズにしたのだろうけど、両腕を広げ天を仰ぐ姿には、苦しみを背負って生きる現世からようやく開放されたという思いが感じられた😢

 Q1の大きな特徴のひとつは「To be or not to be ……」の独白が早い時点でされることだけど、それ、とても納得できました。この独白でハムレットは死後の恐怖を語り、この世の苦痛を甘んじて受けて生きる方がいいのではないかと悩み、行動を起こせない自分の臆病心をなじる。彼のそうした葛藤や逡巡が早い段階で分かるので、最後に昇華されるまでの経過がドラマティックに感じられます。

 

 Q1では、ガートルードは夫だった先王の殺害に加担していないどころか、クローディアス(吉田栄作)が殺したとは知らなくて、ハムレットに教えられてショックを受け、ハムレットがやろうとしている復讐に陰ながら協力するとはっきり言ってます。なので、最後にクローディアスがハムレットに飲ませるつもりだった毒入り杯をガートルードが飲んでしまうシーンで、クローディアスが慌てて止めたとき広岡ガートルードは王を見てしばらく思案する。そして、杯に毒が入っているのだと理解し、ハムレットの身代わりになる覚悟で飲んだのだと納得できました。

 

 クローディアスの吉田栄作さんが良かったな。ご本人の持ち味もあり、根っからの悪党には見えない。当たりはソフトだし誠実にすら見える。そんな彼がなぜあんな悪事を?と考えたんだけど、兄王へのコンプレックスがあったのかな。お兄ちゃんが持ってるモノは全部欲しがる次男坊😅 その兄の妃と王座と権力を奪うことで、兄に勝ちたいと思ったのか? 自分はその器(うつわ)じゃないのも知らず……。(同じことをプログラム内で栄作さんご本人が言っていて、答え合わせができた👍)。悪事を暴かれるのを恐れ執拗にハムレット殺害を企むという、泥沼から抜けられない弱さも栄作さんから感じました。

 そんなクローディアスだけど死にザマ(殺されザマ)は今まであまり観たことない解釈で、そうきたか❗️と思わず膝ポン(←死語💦)。すべてを暴いたハムレットが自分を殺そうとしていると悟ると、ハムレットに向かい合いって立ち、ハムレットが向けた剣先が胸に当たると身じろぎもせず、刺されるがままになって死んでいく。あの潔い表情は「さあ殺すがいい」だったのか「もう殺してくれ」だったのか……。私には、自ら堕ちた悪事の連鎖から解放されホッとしているように見えました😔

 

 佐藤誓さんのポローニアスが、浅はかで、王にお追従を言ってばかりいる、嫌なヤツだな~と思わせる廷臣でした😅(子供たちのことは大事にしてるけど)。

 全体を通して気になったのは、ハムレットは狂気を装うとき、いかにもという感じに声色を変えて喋ること。そこまでコミカルにせずとも、微妙なセリフ回しや演技で狂気を装うのではダメだったのかな? また、劇中劇やオフィーリア(飯豊まりえ)狂乱の場で歌うシーンが長く感じ、展開のテンポの良さが削がれてしまう気がしました。あの辺、もっとスパスパと進めて欲しかったかも。

 

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作 エンダ・ウォルシュ

演出 白井晃

田中圭/奈緒/富山えり子/荒井康太(ドラム奏者)

 

 アイルランド出身の劇作家エンダ・ウォルシュの作品、というのに惹かれて観ました。初演は2021年イギリス。彼の芝居は、今回同様に白井さんが演出した「バリーターク」「アーリントン」を私は観ているほか、デイヴィッド・ボウイと共同執筆したミュージカル「ラザルス」を配信で観ました。

 ウォルシュの作品では、閉ざされた空間、そこに居る普通のようで普通じゃない人、その人が抱える孤独、その人が語る物語、外に出ていくことの意味などが描かれる。不条理劇っぽい面があり、乾いた笑いが散りばめられているけど、胸にグサグサ刺さってきます😢 そういうところが好みです。

 

 ネタバレあらすじ(長い💦 説明的なセリフが一切ないので、以下は私個人が理解したあらすじです)→病院の一室に患者ジョン(田中圭)が入ってくる。ジョンは何らかの不安障害を患っていてこの施設に収容されている。今日はジョンにとって1年に1度、ドラマセラピーを受ける日。そこで問題がなければ病気が治癒したということで退院できる……と期待している。そこにメアリー1(奈緒)メアリー2(富山えり子)が入ってくる。2人はミュージカル俳優で、ドラマセラピーの仕事を単発で引き受けた。

 セラピーが始まる。ジョンが書いた自分の人生の物語に沿って、俳優2人はそこに登場する人物を演じジョンの過去を再現して、ジョンに再体験させる。彼の人生は過酷だった。望まれずに誕生した彼は生まれた瞬間から両親にネグレクトされ、学校では陰湿ないじめに遭い、初恋は実らず、ずっと孤独に生き、やがて頭と心が分裂した😢 この病院でヴァレリー(メアリー1が演じる)という女性と仲良くなる。ヴァレリーはジョンに「欲しいものは自分の手で掴むのよ」と言い、ジョンは彼女と一緒に施設を出る夢を語る。

 そのシーンになったとき看守(メアリー2が演じる)がヴァレリーに「ジョンに外の世界を持ち込んではいけない」と言って彼女を殴り、それで錯乱したジョンに “食事” と称して薬を飲ませる。室内の拡声器から監督官?の質問が流れ、ジョンは「夢を見たのは間違いだった」「自分はここにいるのが相応しい」「僕はみんなと違うからここにいる」と “今まで何度も言わされてきた” かのように無表情に答える。メアリー2は今日の仕事は終わったと言って帰る。メアリー1は部屋に残り、ジョンと並んで椅子に座る。手を握り合う2人を柔らかなな光が包む。終わり。

 

 社会から疎外され孤独の中に生きている人の話。それはジョンであり、2人のメアリーであり、私たちでもありうる。本作についてウォルシュは「アイルランドの精神病院で患者と見なされた人たちがどう扱われてきたか」を読んだことや「施設へ移った自分の母親とアルツハイマー病の人たち」を見たことなどに影響を受けて書いたと言っています。

 

 ジョンは「僕は人に見えないような存在でいたい」と呟きます。なんて悲しい言葉だろう😢 自分の過去を再体験することで苦痛を受け入れトラウマを克服し自由になりたい。でも、辛い思い出しかないジョンにとってそれは古傷をこじ開けることでしかなく、セラピーどころか、底なしの沼にズブズブ埋まっていくだけ。実はそれこそ病院側の意図なんでしょう。彼を混乱させ「ここから出ない方がいい」と再認識させ、言わせるという。

 でもメアリー1はセラピーの途中から、自分のやっていることに疑問や罪悪感を覚え始めます。そしてヴァレリーを演じている最中に自分の気持ちが重なり、ジョンに憐憫を覚え、ジョンを尊厳あるひとりの人として見始める。 最後、彼女がジョンに寄り添う情景を見ると、メアリー1はこのあと時々彼に面会に来るようになるかもしれない。だとすればジョンには救いがあるよね🙏と思いました。

 

 ただ、そういう思いを打ち砕く残酷な事実も窺える。1年に1度のこのドラマセラピーはもう何十回となく繰り返されてきていて、今のジョンはすでに老人になっているらしいこと😖 この芝居がトリッキーなのは室内のどこかにある拡声器から録音された声が流れてくることだけど、時々そこから病院の監督官の声がジョンに「この病院に入ってどのくらい経つ?」「なぜここに入った?」「だれに連れてこられた?」などの質問をする。その度にジョンは「分からない……」とぼんやり答えるんだけど、最後には、彼の録音された返事が拡声器から流れてきて、そしてそれは老人の声だった……😭 ジョンはもう何十年もこの施設に閉じ込められていてるってことでしょう。

 

 人格を否定され疎外されたジョンを演じた田中圭くんは、普通の青年のようでありながら精神を病んでいる様子も見せ、その境界線あたりの演技がとても良かった。感情をほとばしらせるときのセリフは魂の叫びだったし、朦朧とした中でのうつろな姿はまさに抜け殻で痛々しかったです。メアリー2の富山えり子さんはジョンに対して威圧的な態度をとり彼を蔑ろにするんだけど、本職である俳優の仕事には恵まれていないらしく(このセラピーの仕事の後は子ども相手の芝居でロブスター役を演じるというのが辛い😔)、その苛立ちや悔しさが滲み出ており、コミカルな演技のところではその鬱憤を晴らしているようでした。メアリー1の奈緒さんは彼女自身も孤独で誰かと心を通わせたいと望んでいるのが分かった。最後、セラピーの仕事を放棄しジョンと寄り添うところに慈愛が溢れていました。

 観終わって、私たちは “皆んなと少し違う人たち” とどう接し、彼らをどう受け入れればいいのかを考える。少なくともジョンを癒す “メディスン” は、病院が与える薬でも、彼を外界から隔離する施設でもなく、理解と思いやりという人の心なんだよね💖

 

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作 ウィリアム・シェイクスピア

演出/上演台本 吉田鋼太郎

柿澤勇人/北香那/吉田鋼太郎/正名僕蔵/高橋ひとみ/白洲迅/渡部豪太/豊田裕大

 

 カッキー柿澤勇人の演技(セリフ術と身体表現)を観る&聴く舞台だったなという第一感想。そして彼のセリフの力に圧倒されました🎊 演出としては、凝った解釈や大上段に構えたテーマや変化球は付けてないので、なおさら言葉が直球で迫ってくる

 演出した鋼太郎さんはプログラム内で「役者の台詞と肉体だけで勝負するシンプルな芝居もやっていきたい」「言葉のみの会話劇で成立させるシェイクスピアに挑戦したい」と言っている。それにしても、その第一弾に「ハムレット」を持ってくるとは何と大胆な。

 

 セットはミニマル。舞台の左右に円柱が数本ずつ立っており、屋外シーンではそれが取り払われる。舞台上にあるのはほぼそれのみで、役者は立つか歩くか床を這いずるかという姿で演じます。言葉と動きがむき出しになり、演技に誤魔化しが効きません。シーン転換もシームレスで、ひとつのシーンが終わり登場人物たちが捌けると同時に、後方や左右から別の人物たちが喋りながら現れて次のシーンになる、これが全く不自然に感じない。ロンドンのグローブ座を思わせる舞台使いでした。

 

 カッキーのハムレットはエキセントリックとかメランコリックとかではなく、いくつもの矛盾や苦悩を抱えていて、そこから抜け出そうと葛藤している青年だったな。膨大なセリフに込められた、相手や自分に対するさまざまな思いや意味……愛情、憐憫、悲嘆、嫌悪、憎悪、焦燥、絶望……そうした感情を吐き出すとき、その言葉の一粒一粒に彼の生々しい熱がこもっている。緩急、強弱の付け方などセリフ術が巧みで、感情を爆発させるかと思えばそっと囁く声になり、場面や心理に応じて調子が見事に変わる。それでいて自然なセリフ、完全に普通の会話になってるんですよね。

 独白が素晴らしい👏 よくある “謳い上げる” 口調ではなく、やはり心の動きがこもっていて生々しい、だから彼の内なる叫びとしてこちらの胸に突き刺さってきます。それに伴う身体表現は痛々しく、床を這い転げ回ったり……。特にフォーティンブラス率いる兵士たちを見送った後の独白はとても説得力があり、そこでの自問自答やフォーティンブラスへの敬意と憧憬が後半~ラストにつながるのが納得できました。

 

 北香那さんのオフィーリアは、よくありがちな無垢で弱々しい乙女ではなく、芯のある女性という作り。なので、心が壊れてからの狂気の姿も激しいんだけど、そのシーンではダンス風振付がちょっと入っていた。香那さんは幼少期にバレエを習ってたそうで、回転とか四肢の動きが綺麗だったな。

 渡部豪太さんのレアティーズも印象に残りました。精悍かつ颯爽とした佇まいで、ハムレットと対峙しても負けない存在感がありました。正名僕蔵さんのポローニアスはコメディー色は封印し、完全に王ベッタリの重臣という役作り。正名さんは墓掘り役も演じていて、どちらもセリフがとても達者で大変よかったです。

 ただ、これは複数の登場人物に言えることだけど、感情がたかぶると声を張り上げて “がなり立てる” 言い方になることが多々あり、個人的にはとても耳障りだった😖 感情の穏と激のメリハリは付くけど、こういうところは多分に演出家の好みが出たような……。

 

 ミモザの花がキーアイテムになっていました。ハムレットが狂気を装うところからそれが登場する。黄色いミモザとオフィーリアが重ねられ、ハムレットは黄色いソックスを片脚に覗かせる。ミモザの花言葉「密やかな愛」とか、黄色が意味する「裏切り」「狂気」とか、演出家はそれをどのくらい意識したのだろうか。

 最後、誰もいなくなった舞台にハムレットの遺体が横たわり、天からミモザの花束がボタボタと落ちてきて、ハムレットがその花に囲まれていくところで幕となります。ミモザがオフィーリアのハムレットに対する愛の象徴だとしたら、ハムレットは最後には彼女の愛に包まれた、死ぬことで2人は一緒になれた、ということなのか?

 でも思い返すと、カッキー・ハムレットは香那オフィーリアを愛していたのかどうか、よく分からなかったな。狂気を装う前にそういうのを見せるシーンがないせいもあるけど、彼の心にあるのは母と義父だったような。だからこれは、ハムレットが家族の関係をこじらせたドラマであり、周りの人はそれに巻き込まれ無為に殺されていっただけ……?😢

 

 鋼太郎さんは蜷川さんの遺志を継承する形でこのシリーズを演出することになったけど、今までの作品は、さいたまの大きな舞台を持て余している感があり、ヴィジュアル的に意味なく派手な演出をしているように思えました。一方、彼が主催する劇団AUNのシェイクスピア劇は小規模ゆえに凝ったことはせず(できず)そのため言葉がまっすぐ伝わってきていた。なので今回の、奇をてらった演出はせず、役者の力、言葉の力でお話を進めていく舞台は、鋼太郎さんの原点に回帰した感じでした。

 でもって、ここまで書いてきて最後にこう言うのもアレですが🙇‍♀️ 今回の「ハムレット」好きかどうかと聞かれれば微妙だなー💦 以前にどなたかの記事で「テキスト通りにやるというのは……云々……。日本の演劇に足りないのは新解釈を打ち出すこと」というのを読んだけど、個人的には同意で、その部分に物足りなさを覚えました。

 

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團十郎/菊之助/児太郎/右團次/男女蔵/新蔵/錦之助/九團次/新十郎/市蔵

 

 故・十二代目團十郎さんが持ち役として何度も勤めてこられた長兵衛を、現・團十郎が初役で勤めたのは2013年の新春浅草歌舞伎。これが、当時の海老さんがお父さまに教わった最後のお役になったのだそうです。公演当時の1月、十二代目は病床にあり人工呼吸器をつけていて、テレビ電話で話したのが最後だったと😢(十二代目は翌月2月3日に逝去されました🙏)。公演前月の12月に稽古の様子を撮影したものを病室にいる十二代目に観てもらい、その感想を手紙で丁寧に綴ってくれたそう。その中で「悪くないよ」と書いてくれていたと……。なので、長兵衛は現・團十郎にとって思い出深いお役でしょう。今回が4度目、團十郎としては初めて勤める長兵衛です。ようやく十二代目と同じ土俵に立てた。

 

 まず、冒頭の劇中劇「公平訪問諍」なんですが、これが毎度ながらすごく面白い👏 今回も手慣れた市蔵の坂田公平を筆頭に、達者な役者陣(吉弥、玉太郎、歌女之丞、右左次)。公平と慢容上人が争っているとき客の邪魔が入って中断した後、では続きはどこから……というときの、ワチャワチャと和気あいあいになるところが、良い一座なんだな~☺️という和み感があって、何度見ても好きです。舞台番の新十郎がまたすごく良くて、無礼な客(九團次)にキレてドスを効かせた声に変わるところ、スカッとする。結局、劇中劇は中断したまま幕になるんだけど、その続きを観たいと、いつも思いますねー。

 

 本筋です。團十郎の長兵衛、大変良かったです🎉 柔らかさのあるカラリとした粋な親分ではなく、眼光鋭く、ドロッとした闇を抱えた、孤高の侠客という感じ。骨太でどっしりとした落ち着きと貫禄があり、一本気だけど思慮深さも滲ませ、それゆえ皆から頼られ慕われ信頼されているのが分かる、実に “團十郎の長兵衛” になっていました。セリフの(特に語尾の)癖はまだ少しあるけど、独特の抑揚は和らいでいたと思うよ。

 

 劇中劇の最中、客がいちゃもんつけてるその場を収めようと、客席通路から登場した姿は大きく、なだめる様子には冷静さと説得力があり、そのあと顔を現した水野(菊之助)とのやりとりにも鷹揚さが感じられた。その水野から呼び出しを受け、死を覚悟してからの演技がとても良い。妻子や子分たちへの情をストレートに見せないところがむしろ切ないし、最後までカッコいい親分を装うところが團十郎らしい。「人は一代、名は末代……」のセリフには、怖気付いて逃げたという生き恥をさらすより潔く死んで名を残そうという、男の意気地を貫く気骨が感じられてよかったなあ。妻(児太郎)との別れでは突き放す辛さが感じられ、息子との別れではその将来を思う父としての優しさが見えました。

 水野の屋敷で対峙するところは、團十郎と菊之助のツーショットだけでも眼福なり😊(こういう絵面をもっと見たいのよ~)。お風呂を使う決心をする前に一瞬だけ腹をくくった表情を見せたね。湯殿での長兵衛と水野とのやり取りは真に迫るものがあり、その死に際(形)は美しかったです✨

 

 児太郎の女房お時、海老さん時代から相手を務めてきているせいか、夫婦としての姿がしっくりくる。夫の覚悟を悟ったあとは侠客の妻としての意気を見せ、衣装を着替えるのを手伝うところ、世話女房風の所作が自然で心が温まります。しつけ糸が残っているのに気づいてスッと取る何気ない動作に妻としての情がこもっていて、これが最後のお世話なのねと思うと、切なくなりました😢

 ちなみに、こういう “衣装を着替える” シーンもひとつの見せ場にするのって歌舞伎の面白いところだなといつも思う。一つ一つの段取りが面白く、今回は裃の着付けでどこに力を入れどこを緩めるのか、なんていうのが見えて興味深かった。

 子分たちのあれやこれやがまた楽しい。右團次の唐犬はスキッとした粋の良さや侠気が感じられた。その右團次を筆頭に、血気盛んな子分たち(男女蔵、歌昇、尾上右近、鷹之資、廣松、莟玉、男寅、蔦之助)が何気に華やかで、ずらりと並んだところはなかなか壮観。團菊祭やな~と改めて思いました。

 

 菊之助の水野は少々貫禄不足に思えたけど、品性があり、旗本のプライド(そして驕り?)が感じられた。それにしても、水野のような役を役者さんはどういう気持ちで演じるんでしょうか。水野は明らかにワルじゃないですか?🙄 前もって保昌(新蔵)や腰元と示し合わせ、お酒を注ぐふりをして着物にわざとこぼし、(長兵衛は悪い予感がして嫌がるのだけど)無理やりお風呂を勧める。湯殿では、長兵衛は当然ながら浴衣一枚で丸腰なのに対して、水野は槍を、近藤(錦之助)は刀を持ってこっそり現れ、2人して長兵衛を襲う。卑怯極まりないだろーがっ😡 古典作品によくある理不尽さって “ま、そういうお話だから” と大抵は許容範囲なんだけど、これは何度観ても受け入れ難いな。

 そういう水野というお役を、かつて菊五郎さんは何度も勤めているし、仁左さまも勤めたことある。悪モン風な人物造形にはしていないですよね。よく分からない😔

 そういえば、腰元が長兵衛に「着物が乾くまでお風呂にお入りなさいませ」と勧める所で客席から和やかな笑い声が起こりました。お話の顛末を知らない場合そこでクスッとなるの分かる。でもそれって実は “風呂場で長兵衛が騙し討ちにあって殺される” 悲劇への舵取となるセリフなんですよね〜💦

 

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男女蔵/又五郎/松也/権十郎/梅枝/時蔵/松緑/男寅/鴈治郎/萬次郎/菊五郎/團十郎

 

 男女蔵の粂寺弾正は2004年の新春浅草歌舞伎以来20年ぶり2度目なのだそうです。ずいぶん空いてしまってるんですね。男女蔵はベテランの域に入っている役者さんだけど、最大の不運は、左團次パパが後ろ盾になってくれなかったことだと思う。インタビューで父親との関係を聞かれると好意的に答えているけど、要は「何も教えてもらえなかった」ということです。男寅にしても同じで、名優の御曹司たちなのに本当に気の毒😔

 私は基本、歌舞伎の家に生まれた歌舞伎役者の場合、父親が早くに亡くなって後ろ盾を失ったり、(男女蔵のように)ほったらかしにされたりした役者さんには同情を覚えずにいられません😢 だから男女蔵は応援しています。“左團次一年祭追善” なのにこういうこと言うのもなんですが、左團次は確かに個性的な人柄で上手い役者さんだったけど、その芸を息子や孫に伝えて後継を育てなかったことに関しては納得できない。

 

 男女蔵は、昨年の京都南座顔見世「助六」(團十郎襲名披露)での意休が大変良くて、これは回を重ねて、いつか歌舞伎座でも見せてもらいたいと思ったのですが、今回の弾正もとても立派でした🎊 役者としては堂々たる押し出しで口跡も良く、見得もきちんと決まる。弾正としては大らかで機知に富んだ感じ、強さと可笑し味を持ち合わせている。愛嬌や柔らかさがイマイチ足りなく感じたけど、左團次とはまたひと味違う、男女蔵の弾正になっていました。教えてもらえなかったのだから、左團次に似せる必要はないよね〜(←しつこく言う🙇‍♀️)。

 

 序盤で、屋敷の当主を待っている間に煙草やお茶でもてなされるところ。まず秀太郎(梅枝)を、続く巻絹(時蔵)を、一目見て目がキラっと輝き口元をニヤッとさせ色目を使う好色さ😅が好かった。2人にフラられ、客席に向かって「面目ない」と謝るところは、もう少し愛嬌を見せてもいいかなとは思ったけど。

 続く、毛抜きと小柄は踊るのにキセルは踊らない……から推理するところは型もよく丁寧に見せていて、そのあと万兵衛(松緑)の嘘と企みを見抜くところは爽快、豪快、小気味好い👍 そういえば、万兵衛の登場で弾正は舞台中央から脇に下がるんだけど、その位置が、成田屋は下手奥だけど、男女蔵は上手奥だったな。そして、後ろ向きじゃなく正面を向いてコトの成り行きを聞いていた。閻魔大王宛の手紙を書くのも、成田屋は下手奥で密かに筆と紙を持って来させて書いていたけど(私の記憶違いかな?)、男女蔵は中央に出てきて万兵衛と話す流れの中で書いていました。宗家とは違うやり方ってことなのだろうか。

 万兵衛を成敗した後、錦の前(男寅)の奇病の謎を解き、玄蕃(又五郎)の悪事を暴くまでもトントンと気持ちよく進む。最後、幕外になって花道の引っ込みで「ご一同様のおかげで、身に余る大役もどうやら勤まりまして……」と言うと「大当たり❗️」の大向こうが掛かり、何か無性に嬉しくなりました👏

 

 でもって、團菊祭ということもあって共演者も豪華。万兵衛の松緑が滑稽味のある上手い芝居で、中盤で芝居をキュッと締めていた。時蔵梅枝は親子で弾正を袖にするお役で、スンと澄ました感じが可笑しくも素敵。又五郎玄蕃権十郎民部の硬軟の対比も良かった。錦の前の男寅は自然な柔らかさと可憐さがあり、以前にこのお役を勤めたときから思うと随分よくなっていました。実際、男寅は役者としてはまだ緩い感じではあるけど、とにかく舞台に立たないことには力も付かないわけだから、もっと色々なお役を演らせてあげてほしいですね~。

 小野春道の菊五郎さんは終盤のみの登場。歩くのが少しおぼつかない様子で、後見さんに支えられていました。でも声には張りと伸びがあり、とてもお元気そうで何よりです☺️ なんと言っても菊五郎さんが出ることで芝居の格があがりますしね。そして幕外での後見が團十郎で、ちょっとジ~ンときてしまった。

 

 全体的に豪快で華やかな感じの一幕でした🎉 男女蔵はとても緊張していただろうし、かなり一杯一杯の演技だったと思う、でも真摯に勤めているのが伝わってきました。まぁ確かに、メリハリがないというか、どこかでフッと空気を緩める場があってもよかったかもとは思う。でも、私自身が気を張り詰めて観ていたのでそれを感じる余裕がなかったのかも。男女蔵にはこれからも真ん中はもちろん、重みのある敵役や要になる脇役といったお役をどんどん勤めていってほしいです🙏

 

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菊之助/歌六/雀右衛門/米吉/芝のぶ/團十郎/右團次

 

 最初に言ってしまう。“床下” の場の最後、幕外で二木弾正が面明かりに照らされて花道にひとり立ち、これからゆっくり去っていくという、真っ暗な場内が張り詰めた空気に包まれているその時に、1階上手でスマホの能天気なアラーム音(結構長く鳴ってたよねっ😠)を鳴らした人に、その日のうちにバチが当たってますように‼️🙏

 

 気を取り直して……なんですが、なんか本当に通し上演っていうのがなくなってきたよね~という残念な実感。今回も “御殿” と “床下” のみ。序幕 “花水橋” はまだしも、“竹の間” と “対決” と“刃傷” も出してほしいよ。通しでのお話として十分に面白いんだから。特に今回、このあとの「四千両小判梅葉」が個人の感想として😔だっただけに、夜の部を全部使っての「伽羅先代萩」を観たかったです。

 “花水橋” から “刃傷” までの通し上演は2015年@歌舞伎座が最後。それ以前は2014年、2009年、2008年、2006年と、割と頻繁にやってたんですね。今やそういう、1つの作品の長丁場にわたる舞台は観客が飽きる、集客できないということなんだろうか。でも、そもそも今回私が観た夜の部だって、平日とは言え初日から1週間も経ってないのに、1階席は空席がかなり目立ってましたけど(2階、3階は言わずもがな💦)。

 

 さて、菊之助の政岡、7年ぶり3度目だそうです。ナルホド~(←何が😅)。凛として美しく貫禄もあって、その佇まいから芯の強さが感じられました。そして、一つ一つのセリフと動きをとても丁寧に演じていたという印象🎉 特に飯焚き、段取りが多いけど、美しい所作で細かいところまできちっと見せていたと思う。でも、お米を炊く水を千松(丑之助)に毒味させるところは割とあっさりだったな。何かもう少しリアクションがほしい、母親の複雑な心情(不安や安堵など)が感じれらなかった。この後も、心情表現が控えめに感じられた箇所がいくつかありました。菊之助らしいと言うか、政岡の役柄としてそれでいいのかもですが。

 

 栄御前(雀右衛門)が訪ねてきたと聞いて、何かあるなと覚悟を決め、キリッとした表情で花道の方を睨む菊之助が良い。そのあと八汐(歌六)が登場するんだけど、“竹の間” がないので政岡と八汐、そしてここでいきなり現れる沖の井(米吉)松島(芝のぶ)も含め、それぞれの立場、どういう役どころなのかがわかりづらいですよね。

 そして、いよいよ見せ場、菊之助は、千松がお菓子を食べて苦しみ出しても驚かないというか、ビクリともしなかった。全く表情を変えずに前を見ている他の役者さんの時も割とそうなんだけど、お菓子に毒が入っていた!と明らかに分かるのだから、ほんの数ミリでも何か動きがあるといいのでは?といつも思うのですよね🤔

 で、八汐が千松を刺したところでハッとひるみ身体を揺らせる菊之助。でもその後、我が子がなぶられている間も正面をキッと睨んだまま全く動揺を見せない。千松が呻き声を上げるところでは思わず顔を歪めて目線を逸らすけど、再び無表情に戻って正面を見据える。ここって、動揺を見せず平静を装わないといけないのだけど、観客には母親としての気持ちが伝わるようにしたい、その見せ方の塩梅は難しいですよね。菊之助は、観客にも心の揺れを見せるのを最小限に抑えていたような感じ。

 栄御前の姿が見えなくなったところで一気に力が抜け、ガクッと倒れかけるところから、ひとりの母になりました。亡骸に駆け寄り感情をほとばしらせるところでも品を失ってないけど、我が子に向かって「よう死んでくれた」と、本心とは真逆の言葉で褒め悼むところは泣けます。

 

 歌六の八汐は恐さと強さと迫力があり大変よかったです。あとちょっとの憎々しさと同時に女っぽさも見えるといいかなと思ったり。そして雀右衛門の栄御前は、残念ながらあまり悪モンには見えなかった。悪事を企んでいる秘密めいた雰囲気も感じられなくて、まあ、ニンじゃないということで……。

 

 そして “床下” です。右團次の男之助は、派手な拵えにも隈取にも負けていない華やかな豪傑。パキパキと歯切れの良いセリフとも相まって、荒事のエッセンスを見せてくれました。團十郎の弾正、すっぽんからドロドロと姿を現した途端に放たれる、妖気をまとった色気と凄みのある怪しさ、品格すら感じさせる国盗としてのオーラ、舞台と客席の空気を支配する圧倒的な存在感です。セリフは一言もないのに、その鋭い目つきと不敵に歪めた口元が多くを語っていた。滑るような引っ込みも魅せました🎊

 

 ところで、松島を勤めた芝のぶ、とても立派でした。このあいだ読売演劇大賞で選考委員特別賞を受賞したのを受けての大抜擢なのかな。なのに、チラシに名前が載らないという、この非情😔 役者さんの序列の関係で、お弟子さんとか、研修生から役者さんになった人とかは、たとえ大きなお役でも載せないのでしょうか(こういう内部時事情に疎い🙇‍♀️)。配役決定が遅くてチラシ作成に間に合わなかったのではないはず。だって、その気になればいつだって追加できる「歌舞伎美人」公式サイトには未だ名前が載ってないのだから。これも「歌舞伎の伝統を守る」習わしのひとつなのか?

 

 このあと松緑主演の「四千両小判梅葉」ですが、團菊祭でしか実現しないだろうから、そろそろ、松緑、菊之助、團十郎の3人が一緒に出る芝居を観たいですね。

 

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孝太郎 舞踊(素踊り)「松の緑」

仁左衛門 「聞く勧進帳」(武蔵坊弁慶、富樫左衛門、源義経、四天王、番卒を1人で勤める)

 

 仁左さまと孝太郎さんによるチャリティーイベントに行ってまいりました。能登半島地震による被災に胸を痛めた仁左さまが、何かできることはないかとこの企画を思いつき、孝太郎さんに声をかけて実現したのだそうです。

 

 参加費(観劇料金、寄付金)は、会場費・設営費など最低費用を除いた全額を、義援金として石川県庁へ納付されるそうです。ホテルニューオータニ東京さんがご好意で会場使用料を半額ほどにしてくださったそうです。また設営は、長唄連中さんと囃子連中さんが座る緋毛氈が掛けられた山台、屏風、照明など、最低限のものでした。

 長唄連中さん、お囃子連中さん、司会の中井美穂さん、収録スタッフなどは皆さんボランティア(無償)で協力してくださったのだと。イベントの最後に仁左さま自ら、収支報告を1円単位まできっちりしてくださり、誠意と良心と善意が感じられる素晴らしいイベントでした🎊

 

 演目のうち、孝太郎さんが踊る「松の緑」は復興への祈願を感じさせるものであり、仁左さまが演じる「聞く勧進帳」は安宅の関=石川県が舞台ということで、いずれも地震チャリティーという趣旨にぴったりです。孝太郎さんの踊りの感想は上手く書けないので失礼しまして🙇‍♀️ 仁左さまの「聞く勧進帳」でございます。

 

 もう、もう、大感動❗️ まさに国宝級の舞台でした~😭 いくつか場面を抜粋して演じるのかと思っていたら、そうではない。最初から最後まで全部通して1時間10分ほどを、台本は持たず、立ったまま、所作など動きは一切つけず、声の高低、強弱、緩急、抑揚などを変えて、弁慶、富樫、義経、四天王、番卒を演じ分けるのです。

 長着に袴姿、右手に扇子を持って舞台中央に立つ仁左さま、スポットライトを浴びるスッとした立ち姿が美しく💖 そのあたりだけ別次元の空間に見えたりしましたよ。長唄だけになると(通常はそこで所作が入る)一旦屏風の奥に入るので、おそらく、喉を潤し呼吸を整えられていたのでしょう。

 

 仁左さまは上演前のご挨拶で「勧進帳は長唄がとてもいい、セリフもいいんです。舞台をご覧の時は役者の動きに気を取られがちでしょうが、今回はセリフをじっくり聞いてください」とおっしゃっていました。そして、第一声の冨樫のセリフ「斯様に候う者は……」が始まった瞬間に、一気に「勧進帳」の世界に引き込まれました。富樫の、少し高めにした声色、理性と知性を感じさせるセリフ回し、鳥肌ものでした。それに対して弁慶は、低く太く、でも決して大声だったり力が入っていたりせず、冷静さと思慮深さがこもっていた。そして義経になると、まろやかさのある声の中に品性と格が滲み出ている。四天王番卒も1人ずつ微妙に声色を変えているように聞こえました。見事な演じ分け👏

 

 声の領域が広く、言葉による感情表現が巧みな仁左さまならではの、至極の演技でした🎉 実際、セリフ(言葉)がこんなにストレートに胸に響いてくるとは! 聞いている自分も驚きましたよ。それぞれのお役に言霊(ことだま)がこもっていました。弁慶と富樫が掛け合う「山伏問答」の緊迫感も凄かったけど、それ以上に「判官御手を……」のくだりにじわっと感動しましたね。

 上演前のご挨拶で、孝太郎さんが仁左さまについて「父は絶対に妥協しない人。舞台はいつも録画し、終わるとそれを観て1人反省会をしている。あそこはもう少しこうするべきだった……とか」というお話をしてくださった。まさに日々精進🙏 そして仁左さまが「もう『勧進帳』のどのお役も、私は演じることはございません」とおっしゃっていたのが、じ~んと心に沁み、こちらも覚悟を飲み込みました😭 それゆえになおさら、今回の貴重な上演を観られて(聴くことができて)本っ当によかったです✨✨✨


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作 アントン・チェーホフ

演出 トーマス・オスターマイアー

制作 ベルリン・シャウビューネ劇場(劇団)

 

 チェーホフの戯曲はあまり好きになれなくて、もう観ないことにしてるんだけど💦 この「かもめ」は外せないかなと思い、静岡市まで遠征しました❗️ なぜなら……ドイツを代表する劇場(劇団)であるベルリンのシャウビューネによる上演、演出はシャウビューネを率いるトーマス・オスターマイアーだから。

 シャウビューネの芸術監督オスターマイアーは “同時代性を重視した刺激的な演出によりドイツ演劇界に大きな変革をもたらした世界的な演出家” というキャッチコピーが付きます。今回の「かもめ」は昨年3月にベルリンで初演され話題を呼んだそうで、その日本での公演とあれば、観ておいた方がいいかなと。ちなみに、ふじのくに⇄世界演劇祭2018では、オスターマイアー演出によるイプセン「民衆の敵」が上演された。私は見逃したけど、今年2月にロンドンへ行ったときに、イギリス人俳優によるそれを観まして、確かにとても斬新な舞台でしたね。

 

 で「かもめ」です。そんなにたくさんは観ていないけど、このオスターマイアー版は今まで観た中で一番ストンと面白さを感じられる舞台だった。演出が違うと作品がこんなにも別物に見えるのかという新鮮な驚き、演出家の力、その読み方の鋭さを感じました🎉

 ステージエリアをほぼ円形に囲む形で客席が設けられていて、その最前列と舞台面とはフラットにつながっている。役者が手を伸ばせば観客に触れられるくらいに近い。それゆえ、登場人物たちに振り掛かっている出来事が身近に感じられ、目の前で繰り広げられるドラマに対する共有感というか巻き込まれ感がありました。舞台が狭いので演技自体も、目立たせるような大袈裟なものではなく、ずいぶん自然な動きになっていたと思うし、そのぶん、繊細な表現、親密な関係性が見えていたと思う。

 

 

 何人かの人物の造形は一般的な解釈とは異なっていて、とても説得力ある存在になっていました。例えば、役者志望のニーナ小説家のトリゴーリンに憧れ、結局彼にもてあそばれちゃうんだけど、最初から強いシンのある女性になっていて、最後にはその悲劇を乗り越えて前に進んでいくというポジティブな生き方に無理を感じさせない。

 そのトリゴーリンは、青年コースチャ(作家志望でニーナのことを好き)母(女優)と付き合ってるのに、若いニーナに乗り換え、結局彼女に飽きて元の鞘に収まるというどうしようもない男なんだけど(たいてい二枚目役者がカッコよく演じる😅)、ここでの彼は自分に自信がなさそうな、虚勢を張っている弱い男に見え、共感を覚えてしまった。

 コースチャと母との関係は、セリフにも出てくるように「ハムレット」のそれと重なるのだけど、本作での2人の愛憎はかなり激しかったな。

 

 そのコースチャは、母に愛されず、好きなニーナには去られ、作家としても上手くいかず、絶望します😔 戯曲だと最後は、隣室から銃声が聞こえ、見に行った医師が戻ってきてトリゴーリンに「コースチャが自殺した……」と伝えるところで終わります。でも今作ではそのシーンがなく、銃声→鳥が羽ばたく音→暗転、という終わり方でした。余韻が残るし、どのようにも解釈できるエンディングです。自殺したのかもしれないし、カモメを撃ち落としたのかもしれないし、あるいは母を殺したとも考えられる……。

 

 椅子と小さいテーブルのみの小道具。舞台後方は白色幕になっていて、1幕冒頭で裏側からライヴペインティングで墨絵のような風景(湖を抱く山並みと木々)が描かれていく。それが第2幕にはベタベタと黒く塗り潰されてしまいます。これってコースチャの心象風景なのかなと思いました。

 そうした演出も斬新だったし、役者たちの “役柄を演じていない、その人そのものになっている” のが直球で伝わってくる、とてもリアルな演技も良かったです。感情がたかぶったセリフになると本当に自然に涙が流れていたしね。

 そういえば、トリゴーリンが自身の人生についてニーナに話す長ゼリフのところでかなりアドリブを入れており、客いじりもあって、笑わせました。プログラム内の解説によると、役者がセリフを自分の言葉で言い直している(書き換えている)そうで、そのため、よりパーソナルな役柄になっているのだそうです。まぁ、ドイツ語での上演なのでそのあたりのニュアンスは分からなかったですけどねー😓

 

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振付 マリウス・プティパ/演出・改訂振付 牧阿佐美

音楽 レオン・ミンクス/編曲 ジョン・ランチベリー

柴山紗帆/速水渉悟/木村優里/石山蓮/益田裕子

 

 速水さんのソロル・デビューの回を観てきました。速水さんはそのダイナミックなダンス・テクニックがいいな~と以前から思っていて、プリンシパルになり、これから真ん中をいろいろ踊っていくのを楽しみにしている。だから今回のソロル、期待マックス。ところが、う~ん、彼はもしかしたら演劇的表現はダメなのかも、という不安が😓

 

 速水さんソロルは登場したその瞬間から凛々しさみなぎる戦士そのもので、ダンスも申し分ない。力のあるジャンプ、華やかなマネージュ、伸びとキレのある大きな動きが見事。でもね……例えば婚約披露宴の場で、ガムザと結婚するのだと腹をくくったところにニキヤ現れてから彼女の死までの展開、ソロルの心の中では嵐が吹き荒れているはずです。でもその、動揺、後ろめたさ、苦悩、迷い、葛藤、後悔、絶望、そういう心情が全く伝わってこなくて😔 なので、あのシーンがドラマティックな見せ場になりきれてなかった。

 ソロルをどう造形するかはダンサー次第だけど、ソロルって実は演劇的表現がすごく大事な役なんだなと再確認しました。愛しているのはニキヤだけなのか、ラジャに逆らえないとは言えこのまま結婚してもいいくらいにはガムザを気に入ってるのか(ガムザに対する表情や接し方を見てるとそう思う)、それはダンサーごとに解釈があって、ニキヤ・オンリーとしても2人の間で揺れ動いてるとしても、それなりのドラマの見せ方があるはずなのに〜。

 速水さん、その前のもね、1幕でのニキヤとのPDDもそんなにラブラブには見えず、宮廷でガムザを見た時その美しさにフラ~となるところも控えめな動きだったし、蛇に噛まれたニキヤが「この人がやったのよっ!」てガムザを鋭く指差したときも、速水ソロルったら何の反応も見せず立ってるだけだったしな💦 繊細な内面表現ができてなかった。

 今回のお役についての速水さんのインタヴュー記事を読んだんだけど、ソロルの造形についてイマイチはっきりしないと言うか、当たり障りのない解釈してたから、ちょっと肩透かしではあったんですよね。それらしい(決まった)所作をすれば感情を表現できるわけはなく、感情を表すことで自然にそういう所作になるのが演劇的表現。そこまでになるのは簡単なことではないけど、いつかブレイクスルーしてほしいです🙏

 

 ニキヤの柴山さん。私は柴山さんのダンスを役柄としてちゃんと意識して観るのは初めてかも(基本、キャスト違いでのリピート鑑賞はしないので、柴山さんのステージを観る機会がなかった)。長い手脚で見せる表現が雄弁で、踊りもくっきりしていると思えました🎉 ニキヤの、悲しみを湛えながらも芯のある女性としての姿を体現していたと思う。寺院でのソロルとのダンスでは情熱をあらわにしていたし、宮殿でガムザに会いソロルの婚約を知った時には悲嘆と同時に怒りも見せて、感情表現がストレート。フルーツボールに置かれていたナイフを目にしてハッとし、咄嗟につかんでガムザに向かっていくところも自然な演技だった。花籠のダンスのときは、(上階からの観劇ゆえ)ソロルの動きをオペラグラスでロックオンしていたので、ニキヤは見られなかったの申し訳ない🙇‍♀️ 影の王国ではもう少し崇高さが現れるといいなとは思ったけど、どうなんだろう。

 

 ガムザッティの優里さんその美しさと出自からくる絶対的な自信、ひんやりとした冷たさ、とても良いです🎊 宮殿でニキヤを呼びつけ、その意志の強さに嫉妬心燃やして、幕切れ時にキッと真正面を向いて何かを決意する表情が印象的。婚約式ではニキヤが出てきても落ち着きはらい、ソロルに「どうしたの? 彼女の踊りを見ましょうよ」という感じで余裕の誘導、ニキヤが近づいてくるのを察して、ソロルの方に手を差し出しキスをさせる(そこをニキヤに見せる)という仕草にも傲慢さがあって素晴らしいです。そして、踊るニキヤを見ているソロルの方に身体ごと向けて、その彼の顔をじぃっと凝視してるの、こ、怖かった🥶 さながらカエルを睨んで身動き取れなくする蛇のようでしたー。

 

 パ・ダクションは池田理沙子さん五月女遥さん奥田花純さん飯野萌子さんがキリッと締める。同じ振付だけど少しずつ個性が見られて面白いなーと思いました。影の王国は言うまでもなく素晴らしかったけど、ヴァリエーションは3人とも初役のようで、ちょっとヒヤッとしたところもあったな。

 寺院崩壊は、脳内がすっかりマカロワ版のソレになっていたので😅 牧版は少ししょぼいなって思ってしまった。でもニキヤを裏切ったソロルは赦されず、ニキヤの元に行けないまま崩れ落ちる、その倒れたソロルを振り返って見もせず完全無視して去っていくニキヤ……というエンディングは大変よろしいと思いました。

 

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