これ、昨年も放送されましたね。そもそもこの2023年の公演「ベジャール・プログラム」、私は、ユーゴが「ボレロ」メロディーを踊るというので、それに合わせて日程を組んでパリ遠征したのです……が、ユーゴは1回目を踊った後に怪我をしてしまい、私がチケットを買った2回目、3回目は降板という😱(開演10分前にキャスト表を見て知った😓)「バレエ海外遠征あるある」体験をした思い出の公演。ユーゴの代役でメロディーを踊ったのは、2回目がアマンディーヌ、3回目がオドリックでした。
実際の公演は「火の鳥」→「さすらう……」→「ボレロ」の順に上演されたんだけど、放送では「ボレロ」を最初に持ってきてある。何故だろう? 各作品の前にベジャールの過去映像コメントを入れてあり、冒頭でベジャールが「ダンスは言語であり、何かを語るためのものです」と言っているのが印象的です。
「火の鳥」
マチュー・ガニオ/フロリモン・ロリュー
フォーキン振付のバレエ・リュス版とは違い(曲自体も短いし)、ベジャール版「火の鳥」が描くのはレジスタンスの精神、概念。ダークグレーの衣装に身を包んだグループはパルチザンで、精神的エネルギーを象徴するような赤い光を浴びた彼らの中から1人(マチュー)がリーダー=火の鳥となって姿を現し、皆を引っ張っていく。
マチューは希望を掲げ、皆を鼓舞し、闘志を見せて戦う(踊る)んだけど、残念ながら前半はレジスタンスの闘士には思えなかったな💦 たくましさ、怒りにも似たパワー、反骨心のほとばしりみたいなのがもっと見えるといんだけど、マチューはどうしたってエレガントでノーブルなんだわ。彼に引きつけられて踊る同士たちのフォーメーションが美しい。
でも後半は訴えてくるものがありました。挫折し倒れたマチューの背後から不死鳥(フロリモン・ロリュー)たちが現れ、立ち上がって復活したマチューからは、勝利の喜び、その崇高なる魂みたいなもの……その抽象的な存在としてのマチューはとても輝いて見え、彼の美しさが相乗効果となってクライマックスを作っていました。不死鳥とその取り巻き(=彼から放たれる熱い炎?)とが一つになって踊る、集合体としてのダンスのダイナミズム、身体が作る形の美しさは格別。希望を感じさせるエンディングでした~。
「さすらう若者の歌」
フロラン・メラック/オドリック・ブザール
この作品についてベジャールは「運命に苦しむ若者、彼は自己という敵と闘う、その2人の物語です」「肝心なのは、テクニックや姿形ではなく、秘めた内面や感性を見せることです」と。「パトリック・デュポンへのオマージュ」公演で、ジェルマン&ユーゴのこれを観てしまいましたからねー、それが、近年観た「さすらう……」の中では出色で(まさしく、イレールさま&ルグリ版の路線✨)、他のペアのが霞んで見えてしまう。
それでも今回のフロラン&オドリックは、ダンサーの雰囲気がそれぞれの役柄に合っているので、一つの作品として成り立っていたと思う(上から目線😅🙇♀️)。フロランは道を見出せずに迷い、求めているものの不確かさにうろたえ、失われていくものが何かすらも分からない、でも時々希望を見つけて表情に光が刺す……そんな無垢でナイーヴで、ちょっとワガママ?な青年に確かに見えました。
それと対峙するオルターエゴとしてのオドリックは硬質な雰囲気を保ち、最初は友好的にフロランを鼓舞するも、その未熟さに苛立って、突き放し、現実を突きつけ、最後は歩むべき道へと引き摺り込んでいく。オドリックが放つ微かな陰りが仄かな闇を感じさせ、作品に独特の意味合いを加味するようでもあったな。ベジャールの言う「自己の中に潜む “敵” と戦う」という言葉が浮かんだりしました。
「ボレロ」
アマンディーヌ・アルビッソン
上述したとおり、アマンディーヌのメロディーは遠征にて(ユーゴの代役で)観ましたが、急な代役(今回の収録日より2週間ほど早い日の舞台)でもあったせいか、力の出し方の時間配分がまだコントロールできていないような……ちょっと消化不良でした。
それに比べるとこの放映でのアマンディーヌは自信に満ちていて、メロディーの精神性を感じさせるパフォーマンスだと思いました👏 序盤は、女性の身体が持つ特有のしなやかさあがり、曲線と直線が織りなす肢体ラインが美しい。リズムが8人くらいに増えたあたりから動きがかなりシャープになり、アマンディーヌという自己がなくなり、音楽の中に自己陶酔していくようだった。中性的なものに変身していくような……。
終盤近くなるとさすがに脚のバネの力が十分でなくなるのか、ジャンプはちょっと弱くて(私が鑑賞ポイントにしている→)ヒンドゥー神のポーズも、空中で形を決める前に脚が開いてしまって残念ではあったけど、最後は溜めんでいた力を発散させ、リズム隊と共に昇華していく感じでした。踊り終わったときのアマンディーヌの表情、あれは何と言えばいいのか、会心というのでも、踊り切ったという満足感でもない、ちょっと苦しさすら感じられる、不思議な姿だったな。ところで曲のテンポがすっごく早かったんですが、アマンディーヌの希望なんでしょうか。