明日もシアター日和

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観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

 

原作 ベルトルト・ブレヒト

上演台本/演出 瀬戸山美咲

木下晴香/眞島秀和/sara/平間壮一/加藤梨里香/一路真輝

 

 ブレヒトが1944年に書いた戯曲です。ソ連時代のコーカサス地域が舞台で、幼児を救って育てた貧しい出自の娘が、その子の裕福な実の母よりも「母親に相応しい」と判断されるという寓話……なのだけど、今回の舞台は時代を近未来に設定し、また別のメッセージを込めて再構築し、そこから現在を批判的に俯瞰する芝居になっている。

 原戯曲で注目されるのは、生みの親と育ての親が幼児を巡って張り合うシーンですが、演出家はそれよりも「戦争が起きた時に人間がどうなっていくのかに興味を抱いた」とおっしゃっていて、その観点から上演台本を書いたそうです。

 

 ネタバレあらすじ(長い🙇‍♀️)→時代は近未来のいつか。以前の大戦争で人間は滅び、AI搭載の人間型生物(アンドロイド)の世界になっており、いま彼らは、かつて人間の土地だった場所の所有を巡って争っている。そこに旅一座の歌手(一路真輝)が現れ、以前の人間たちの大戦争での、ある出来事を語り始める。

(ここから劇中劇としての本編→)地域でクーデターが起こり、人々は逃げ惑う。使用人グルーシェ(木下晴香)は戦場へ赴く兵士シモン(平間壮一)と結婚の約束をする。地域の太守は殺され、太守夫人ナテラ(sara)息子ミヘルを置き去りにして逃げる。グルーシェはその子を拾い、兄の住む辺境の地へ逃げて、ミヘルを育てながらシモンを待つことにする。

 飲んだくれのアズダク(眞島秀和)はこの混乱の中で裁判官に選ばれる。内乱が終わり、ミヘルを連れ戻したいナテラはグルーシェを探し当て、どちらが彼の「真の母」かを、アズダクによる裁判に委ねる。アズダクは床に白墨で輪を描いてその中にミヘルを置き、グルーシェとナテラに両側から引っ張らせる。グルーシェはミヘルが気の毒で強く引っ張れずナテラが彼を引っ張り寄せるが、アズダクは「真の母はグルーシェだ」と判決を下す。

 グルーシェはシモンと結婚するがシモンは戦争によるPTSDで酒に溺れ、グルーシェは心を病み、成長したミヘルは軍隊に入り才気を発揮。主導権を握った彼は独裁政治を行う。ミヘルは大胆な粛清を行って世界を恐怖に陥れ、戦争の種を蒔いて死ぬ。大戦争が始まり、人間は姿を消し、今に至る……と旅一座の歌手は話し終える。終わり。

 

 カーブを描く道が舞台奥から手前に向かって作られていて、そこが演技の場。この「道」は過去から現在までの歴史の流れにも見え、客席に面した手前部分が破壊されたみたいに途切れた作りなので、その先の未来は「私たちに委ねられてる」ということなのかな。

 芝居の最後、大きな白い布が客席後方から頭上を包むように流れてきて、そのまま舞台の床面を覆い尽くします。芝居の中で、戦争で亡くなった幼子を両親が白い埋葬布で包むシーンがあるんだけど、最後のこの演出は私たちが埋葬布にくるまれ葬られるような感覚になりました。

 

 原作戯曲は、グルーシェがミヘルの母であると勝訴したところでハッピーエンドですが、(上記あらすじのうちの)その後の顛末は、今回の演出家が書き足したもの。面白い脚色だと思います。グルーシェに拾われ育てられたミヘルは善なる存在ではなく、大戦争を引き起こす独裁者になった。ここにメッセージが込められています。残念だったのは、この部分がナレーションのみで説明されたこと。あそこまで詳しく具体的な後日談にする必要もないし、セリフなしでも演技+映像など視覚的に見せる工夫がほしかったな😔

 いずれにしても、善き育ての親に養われたミヘルの世界は必ずしも善き未来に向かわないのです。善と悪が曖昧というのは、ろくでなし裁判官のアズダクが期せずして最善の判決を下すところからも伺える。「裁判官はいつの時代も人間のクズがやるもの」というセリフも皮肉です😓

 

 ミヘルは人間の姿はしていなくて、大きな卵形の培養器に入った受精卵です。なのでグルーシェのミヘルへの気持ちは、育ての母としての愛情というより「拾ったモノ」への執着とも見える。一方、ナテラがミヘルを取り戻したいのは亡くなった夫が財産を全て息子に遺したからで、ナテラにとってもミヘルは「富の所在」でしかないのですよね🥹

 疑問だったのは、この「培養器の中の受精卵」であるミヘルは、ナテラ夫妻が大金を払って精子と卵子を買い受精させて得た子であること(これは原作にはない設定です)。そうなるとミヘルはナテラが腹を痛めて産んだ子ではないわけで、「生みの親と育ての親との争い」という、ブレヒトが本来提示したかった問題が全く意味ないものになるのでは? なぜわざわざこういう(ナテラの実の子ではない)ことにしたのだろう🙄

 

 グルーシェの木下晴香アズダクの眞島秀和ナテラのsaraという核になる3人、大変良かったです。その弱さに共感できるときもあれば、欲や打算を抱えた嫌な部分もあり、人間の本質をきちんと表現していたと思う👏 他の役者さんたちも何役もこなすハードな舞台ではあったと思うけど、ブレヒト戯曲の猥雑な雰囲気も十分に出ていて良かったです。

 

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企画/振付 ウィリアム・フォーサイスほか

 

 う~、何か自分的に間違って観てしまったという感じの作品でした💦 コンテンポラリーダンスが好きな方には大変に面白い作品だろうと思うけど、そういう嗜好が強いとはいえない自分には、完全に Not my cup of tea でした🙇‍♀️

 公式の紹介文をお借りすると「フォーサイスが新進気鋭のアーティストと協働し身体的コミュニケーションを通じてダンスの多様性と可能性を提示する実験的なショーケース」ですと。私はフォーサイスのダンス作品のいくつかは好きなので(一番は「In the Middle, Somewhat Elevated」、近年なら新国バレエの「精確さによる目眩くスリル」とかね)、そのフォーサイスの、まだ観たことのない作品が上演されるんだ…と、それ以外は何も考えずにチケットを取ったわけでして。上演時間は1時間ほどですが、2,3回意識が遠のきました😓

 

 開演前に会場に入ると、四方を客席に囲まれた舞台で2人のダンサーがレスリングの寝技みたいな動きを始めている。開演前のパフォーマンスという位置付けらしい。本編が始まるとダンサーがもう1人出てきて、手脚が絡まったような状態のその2人を引き離し、3人で動きを見せ、やがて1人が去り、残った2人がダンスを続ける。そのあとも同様に、ダンサーが入れ替わったり加わったりしながら(ダンサーは全6人)、プロットのない抽象的なパフォーマンスが最後までずっと続きます。

 くっついたり絡まったりほぐれたりシンクロしたりという動きは、身体の関係性と動きの可能性を試しているよう。時には即興で踊っているように見えたり、ユーモラスな動きを見せたりする。演出としては、電子音が流れたり無音だったり、照明が時々消えたり、という風でした。

 

 ダンサーが身体で対話する過程で、相手の独自性を受け入れそこから創造されたものを進化させていくという “実験” らしい。「枠組みやシステムを創り、それを壊し、そこから新たなものを生み出す」「動きを核心まで削ぎ落とし(抽象化し)再構築する」とも説明されていたな。

 少なくとも自分は、何をどう見ればいいのか全く分からず、感じ取れるものが全く無く、動きや形の面白さを純粋に楽しむこともできずで、これを鑑賞するセンス、ゼロでした😅 フォーサイスに申し訳ないです。

 

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作 リチャード・ビーン

演出 西沢栄治

いわいのふ健/大川原直太/遊佐明史/小池のぞみ/荒井晃恵/手塚耕一/宮崎佑介

 

 この日は「ジキル&ハイド」のチケットを取ってたんだけど、こちらが上演されることを知り、急遽「ジキハイ」チケを譲渡してこちらを観ることにしました。2014年に森新太郎さん演出、内野聖陽、成河、浦井健治などが出ている同公演を観てとても良かったので、また観られる今回のこの機会を見逃すわけにはいかなかった。期待通りすごく面白くて、2014年の感動が蘇ってきました。ちなみに「ジキハイ」は東京完売で、以前に鹿賀さんと石丸さんのを観ているから(今回のは新演出らしいけど)まぁパスしてもいいかなと😓

 

 作者リチャード・ビーンはイギリス人の戯曲家で、私は過去に「ハーベスト」(渡辺徹主演)を、NTLiveで「ヤング・マルクス」「1人の男と2人の主人」(←脚本のみ)を観ています。どれもかなり面白かったな。

 この「ビッグ・フェラー(The Big Fellah)」初演は2010年ロンドン、タイトルは「大した奴/大物」という意味のスラングで「組織などにおいて支配的な権力や影響力をもつ人物」のことだそうです。北アイルランドでイギリスからの独立闘争を繰り広げるIRA(アイルランド共和軍)に、資金と武器の調達で協力しているNY支部のメンバー(アイルランド系アメリカ人たち)。その支部長コステロがビッグ・フェラーとあだ名される人物で、彼らの1972年から2001年までの、約30年にわたる話です。

 

 ネタバレあらすじ→1972年、北アイルランドのデリーで起きた「血の日曜日事件」の、NYにおける追悼集会でコステロが演説をし、イギリスへの報復を改めて説き支持者から莫大な資金援助を受ける。芝居のメイン舞台は支部メンバーの隠れ家の1つである、消防士マイケルの住まい。北アイルランドで英兵を殺し逃亡してここに潜伏していたルエリは、プエルトリコ系女性カレルマを連れ込んでいるが、彼女は部屋に現れたコステロに追い出される。コステロたちは現地IRAへの武器調達を強化し、リビアから武器と資金の提供を受ける。カレルマはFBIの職員だがルエリは市民権や仕事ほしさに頻繁に会うようになる。一方、男たちにとって目障りな女性幹部エリザベスが抹殺される。

 リビアからIRAへの武器密輸船がIRA内部からの密告により拿捕され、裏切り者探しが始まる。北アイルランドでのIRAの過激さが市民から反発を受けNYのメンバーに焦りが見え始める。すでに妻と別れ一人娘を薬物中毒で亡くしているコステロは支部長引退を決意、最後の演説で、FBIに情報を漏らしていたのは自分だと告白する。その後マイケルの部屋に現れたコステロはメンバーと共にバスルームに入り、銃声音が💥 2001年朝、消防士としての仕事に出たマイケルの部屋のラジオから爆音が流れてくる(9.11同時多発テロ発生)。おわり。

 

 終盤、バスルームに入ったコステロに続いて、銃を手にしたマイケルと、メンバーの1人のトムが入ったところで銃声が1発轟くのですが、そのあとコステロもトムも舞台に登場しないので、どちらが誰に殺されたのか分からないのです。コステロが裏切り者としてマイケルかトムに成敗されたのか、「早くコステロを撃て!」と急くトムがそれをためらうマイケルに逆に殺されたのか……。どちらもアリですけどね。

 そして最後の、同時多発テロが起きた朝ですが、仕事に出て行った消防士マイケルがその消化活動中に死んだのかどうかも想像するしかありません。IRAメンバーとしてテロ活動に携わっていた彼が、別のテロ事件の犠牲になったのか、テロの被害者を助けたのか……。どちらにしても大きな皮肉です。

 

 ここで描かれているのは、IRAに資金と武器を援助しているNYのIRAメンバーの活動そのものというより、メンバー1人1人が抱えるドラマです。支部組織のロマンティシズム、理想、もろさ、非情さ、メンバー間の忠誠、裏切り、暴力、目標喪失といった内部問題を通して、個々のメンバーの変化を見せていく。誰のための、何のための闘争なのかを考えさせられます😔 コステロは「戦争をやっていいのは道徳的に正しい時だけだ」と言うけど、戦いを挑む方・応戦する方、どちらにも「道徳的な正しさ」はあるわけで。

 

 支部長コステロを演じたいわいのふ健さんにカリスマ性があり、30代から60代までの心境の変化、強さと脆さがその容貌と演技に現れていてしみじみ良かった。最後の演説で「妻と娘を失い精神的に弱っていた頃にFBIが近づいてきた」と暴露するのだけど、敢えて潔く告白したのは「さすがグッド・フェラーと言われただけの男だと思われたいから」と言うとき、一番苦しんでいたのは彼であると分かり、その疲れたような演説に感涙しました。ルエリを演じた大川原直太さんの、20代のちゃらんぽらんな様子からの変化、50代になって組織から抜けたくて足掻く姿もよかったです。

 

 ちなみに、各シーンは実際に起こった事件とリンクしています。1972年北アイルランドのデリーで非武装のデモ行進にイギリス兵が発砲し十数名が死亡した「血の日曜日事件」。1981年IRA囚人たちのハンガーストライキで10名が死亡。1987年北アイルランドのエニスキレンでIRAによる爆破事件が起こり一般市民10名が死亡。1994年IRAとイギリスとで一時的な休戦、1998年包括的な和平合意が成立するも、同年、北アイルランドのオマーで(主流から離脱したIRAの分派の1つ)リアルIRAによる爆弾事件が起こり200人を超える死傷者が出る。痛ましい歴史です。でも、そもそもの始まりを遡ればイギリスが100%悪いんですけどね😑

 

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巳之助/時蔵/芝翫/扇雀/又五郎/亀蔵/歌之助/萬太郎/莟玉/種太郎/新悟/男寅

 

 1月に新国立劇場で観た「鏡山旧錦絵」の後日譚ということで、あのとき、局岩藤から屈辱を受けて自害した中老尾上の仇を討った召使お初が、今回は二代目尾上(時蔵)として、また、討たれて死んだ岩藤が霊(巳之助)となって登場するのだけど……。

 いや、これは、岩藤の霊に操られ多賀家の乗っ取りを企む弾正(芝翫)が主役じゃないか?って思うほど芝翫の大悪党が、押出し良く、貫禄、威厳、憎たらしさ溢れていて良いのですよ。ご本人も悪党を楽しんで演じている感じで、なんか生き生きして(変な表現ですが😅)見えた。

 弾正は妻のお柳の方(扇雀)と組んで悪巧みをするんだけど(2人は表向きは兄妹と偽っている)、扇雀が珍しく悪女の役で、2人きりになると急にシナっとなってその色っぽいこと。悪党たちのラブラブシーンはなかなか魅力的です。弾正の家来は蟹江一角(亀蔵)主税(歌之助)という兄弟。亀蔵の悪役は時々見るけど、ニンではない赤っ面を堂々と勤める歌之助、声は大きく荒々しく力が入っていて、意外とハマっていて良かった👏 悪党たちに存在感があり魅力的だと芝居が面白いです。

 

 そして、もちろん巳之助も。この狂言の通称「骨寄せの岩藤」にもなっている「八丁畷三昧の場」は、岩藤の骨が土手に捨てられていて、尾上がその供養に来たたところ、ひとだまがヒュ~と現れ、散らばっていた骨が吸い寄せられるようにして集まって人の形になり、そして岩藤の霊が尾上の前に現れる……という仕掛け、なんだけど、この日は骨寄せが上手くいかなくて、右脚が絡まったまま引き寄せられ変な姿の状態で立ち上がってしまい、そのせいなのか、すぐ引っ込んでいった💦う~ん……😑

 そのあと現れた岩藤の霊が尾上に恨みごとを言うのだけど、その声にエコーがかかっていて(たぶん録音、巳之助は口パク)ちょっと興醒め。その演出って必要?となりました。古典の歌舞伎に現代的テクニックを使うのやめてほしい😔凄く違和感あります。

 で、一転して満開の桜の間を蝶が飛ぶ中(蝶は、あの世とこの世を行き来する「死者の魂の化身」とされているらしい)、美しい衣装を着た岩藤がふわふわと舞う、その舞台転換の見事なコントラストと遊び心が歌舞伎らしくて好きです。

 

 そのあとの「多賀家奥殿草履打の場」も見所。多賀家当主の妹の花園姫(男寅)を見舞う尾上のところに弾正が来るのだけど、突然部屋が闇に包まれ、弾正に変わってそこに居るのは岩藤の霊。その巳之助がこれまた素晴らしくて、シャープで凛とした姿の中にヒンヤリとしたクールな感触があり、圧倒的な凄みを発散。眼光鋭い悪い顔が爬虫類を思わせヒッと息を呑むレベルです😱 それにおののく時蔵の尾上がまた上手くて、余計に巳之助の不気味さが引き立つ。岩藤の霊が、かつての仕返しに尾上を草履で打ち「打った、叩いた、それがどうした!」(←大意です)と言うセリフに怨念がこもっていてゾゾッとします。でも尾上に観音像を突きつけられてヨタヨタと慌てる様子がちょっと滑稽だった。ちなみにここでの男寅の赤姫、以前と比べてセリフや所作が良くなっていてホッ……。キリッとした濃いめおのお顔なんで立役(特に悪党とか)が良さげなんだけど身長がねー、残念です。

 

 巳之助は岩藤の霊のほか2役目として、又助(多賀家当主の忠臣である求女に仕えていた人物)も勤めています。弾正に嘘を吹き込まれ、そうとは知らずに多賀家当主の正妻である梅の方(新悟)を殺して川に飛び込んだあと、川から上がり、短刀を口にくわえて濡れた髪を整え着物の水を絞る時の所作と表情の色っぽさよ

 このあと又助が責任をとって切腹するとろこを1場しっかり取って丁寧に見せ、又助の妹(莟玉)や盲目の弟(種太郎)の見せ場もあるんだけど、ちょっと湿っぽくて個人的にはココ好みではないんですよね💦「仮名手本忠臣蔵」の勘平切腹の場と似てるんだけど。

 

 大詰は、まず芝翫弾正と四天(捕り手)との大立廻りが派手で華やかで目に楽しい。槍→梯子を使った見せ場が続き、四天のトンボも気持ちよく決まります。荒ぶる弾正が花道に出てカッと開いた口の中が真っ赤でウワァ~となる😊

 でも、お柳の方が自害するとこは見せるものの、亀蔵と歌之助の悪兄弟はすでに成敗されていて、さらに岩藤の霊も知らないところで滅びたことになっていて、おかげで花園姫の病気も全快したって、それらがセリフで説明されるだけなのは物足りなかったかな。せめて岩藤の霊が尊像を突きつけられ骨がバラバラになって滅びるところを見せてほしかった。一方、弾正は捕り手にやられて断末魔の足掻きまで見せ、最後は捕り手たちに高々と掲げられて去っていく……やっぱり「主役は弾正ですね」感ありました😅

 

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作 デイヴィッド・アイルランド

演出 フィン・デン・ヘルトック

ジャック・ロウデン/マーティン・フリーマン

 

 作者のデイヴィッド・アイルランドはベルファスト出身の劇作家で、私は日本で上演された「サイプラス・アヴェニュー」と「アルスター・アメリカン」を観てます。これらが割と暴力的&破滅的で面白かったのに対し、2024年初演のこの「フィフス・ステップ」はそれらとはちょっと違うけど、やはりエッジが効いたブラックコメディー作品(2人芝居)で、大いに笑いました。

 

 AA(アルコホーリクス・アノニマス/Alcoholics Anonymous」)という、アルコール依存症者たちの自助グループがあって、AAに新しく参加したメンバーは、長年のメンバーで既に依存症から回復している人を「助言者」とし、彼と何度も対話をしながら依存症から抜け出ようと試みるのです。AAには回復を目指すための行動指針が12ステップあり、フィフス・ステップはその5番目の「自分の過ちの本質を認める(人に告白する)」ことです。

 この作品は、AAに新たに参加した若いルカが、中年の「助言者」ジェイムズに導かれながら依存症からの脱却を目指すのだけど、5番目のステップに入ったあたりから何やらややこしいことになっていき……という展開です。

 

 ネタバレあらすじ→アルコール依存症のルカ(ジャック・ロウデン)はAAの新メンバーになり、自分をサポートしてくれる助言者としてジェイムズ(マーティン・フリーマン)を選ぶ。彼らは徐々にステップをクリアしていく。「自分の意思と生き方を “自分なりに理解した” 神の配慮にゆだねる」というステップでは、ジェイムズはルカに「キリストでなくてもいい、自分が信じるものが “神” なんだ」と助言し、ルカは「紙コップ”でもいいのか?」と聞くとジェイムズは「そうだ」と答える。ジェイムズは宗教は偽善だと言うが、ルカは神の存在を信じ始める。

 第5ステップ「自分の過ちをありのままに告白する」という段階に来たとき、ルカは教会で知り合った年上の人妻と不倫関係になったことを告白する。さらにルカは、ジェイムズがかつてAAの若い女性に強引に迫り関係を持ったことを他の人から聞いて知り、そのことをジェイムズに追求し、ジェイムズの偽善や威圧的言動を非難する。一方ジェイムズはルカの不倫相手は自分の妻ではないかと疑いだしルカを問い詰める。2人は取っ組み合いを始めるが、再び元の関係に戻る。部屋の上から紙コップが落ちてくる。おわり。

 

 うー、なんだかよく分からないあらすじになったけど、すごく面白かったんですよ。冒頭、ジェイムズが紙コップに紅茶(コーヒー?)を入れ、彼とルカはそれを飲みながら対話を始めます。これが実は伏線で、「誰かにとっての “神” は紙コップでもいい」という会話をチラッと入れ、最後に紙コップが「神」として降臨するのです。ところが「神」を信じていないジェイムズにはその紙コップは見えず、ルカにだけ見えて、彼は驚愕します。このラストは、笑っていいのか神妙に受け取るべきなのか悩みましたね😓

 

 2人の立場が逆転するところで舞台の空気がガラリと変わり、突然スリリングな展開になっていくところが面白い。ルカの話を静かに聞き適切な回答をしてきたジェイムズなのに、彼自身にも秘密=告白すべき汚点があった。それを追求していくルカはいつしかジェイムズを支配するようになるのですね。その過程で、権力の生まれる場所、有害な男らしさ問題、偽善と道徳心の曖昧さなどがブラックな形で浮き彫りになっていきます。

 

 役者2人のなりきり演技がリアルで素晴らしく、会話における間の取り方とか間髪入れない感じとかほんと上手いのです🎉 ルカを演じたジャック・ロウデン、神経質そうで最初からずーっと貧乏ゆすりをして落ち着かない、精神が不安定という見せ方が巧み。自分は女にモテないと自己嫌悪し、自分の居場所がわからなくて寂しいと吐露する姿にはちょっと同情してしまいます。ジェイムズの妻に異常な興味を示したり、ジェイムズの偽善を追求したりとなると威圧感が半端じゃなくて恐ろしかったけど😓

 ジェイムズ役のマーティン・フリーマンは、一見おだやかで思慮深い中年男なのだけど、実は……の変化ぶりがまた凄い。隠してきたことに触れられて突然あせりだし、自己弁護し、凶暴になる(ルカを殴る😩)。自分の嘘を暴かれうわべの姿を剥がされ信念が揺らぎ始めるわけで、ルカに支配された時の恐怖心など真に迫ってました👏

 

 四方を客席に囲まれた正方形の白い舞台は格闘技のリング場、まさにバトルの場という感じでした。同時に、そこは四方を閉ざされた密室のようでもあり、逆に、彼らの本質が公衆の面前にさらされる場のようでもあった。俯瞰からの撮影とか、カメラワークにも工夫があったのも良かったです。

 

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演出/振付 熊川哲也

音楽 セルゲイ・プロコフィエフ

栗山廉/エリザベータ・ココレワ/武井隼人/石橋奨也/山田博貴/木下乃泉/田中大智

 

 幸運にも、栗山廉さんのプリンシパル昇格の瞬間に居合わせることができました。おめでとう!㊗️ 客演で素晴らしいジュリエットを踊ってくれたココレワが事情を理解して、長年このカンパニーで一緒に踊ってきている仲間のように、ものすごく喜んでくれて何度もハグしたり。それにも感動しました。

 

 Kバレエの「ロミオとジュリエット」を観るのは初めてです。自分にとってデフォルトになってるマクミラン版の「ロミジュリ」と比べた場合の、熊川氏による演出の違いがいくつかありましたね。新鮮だったのは街娘たちの存在が割と目立ってたこと。1幕冒頭の広場では、最初に諍いを始めるのはキャピュレット側とモンタギュー側の街娘たちで、そこに加勢するかたちで男たちが剣を取って喧嘩を始める流れだった。

 驚いたのはティボルト(石橋奨也)マキューシオ(武井隼人)を殺すところ。ロミオを見つけて向かっていくティボルトを街娘の1人(長尾美音?)が止めようとして、その彼女をティボルトが押し倒そうとするんでマキューシオが彼女をティボルトから引き離して連れていく、その背後からティボルトはマキューシオを刺す。ティボルトは意図的に、小うるさいマキューシオを追い払ったという感じだったけど(致命傷になるとは思わなかったにしろ)、マキューシオにしてみれば街娘を守ろうとしたゆえの事故で、もし彼女がティボルトを制しようとしなければ……という、なかなか切ない展開だった🥲

 ロザライン(木下乃泉)のフィーチャー度も高く、冒頭でロミオたちと踊ったりティボルトの死を嘆くのがキャピュレット夫人ではなく彼女だったりという演出は興味深かったです。

 

 また、十字架がシンボリックに使われていたのも面白かった。結婚式のあと僧ロレンスはロミオに十字架の首飾りを渡し、ロミオはそれをジュリエットに愛の絆として渡し、パリスとの結婚を強いられた彼女はその十字架を握りしめて僧ロレンスに助けを乞うことを思いつく。あの十字架は神の加護の象徴と見たけど、それは結局(現世で結婚することは不可能ゆえ)死ぬことで永遠に添い遂げられるという悲しい加護でもあるのか? 最後、2人が息絶えた墓室の上方に十字架が輝いてたのも印象的だった。

 

 パリス(田中大智)が紳士的で優しくいいヤツそうなキャラなのも良かった。「ジュリエットよ、ロミオよりパリスの方がいいじゃん🙄」と観客に思わせる方が、「好きになってしまったんだからどうしようもないのです」という運命の非情を感じさせ悲劇性が高まると思うから。パリスがダメ男だと「ロミオを選ぶのは当然」となり面白くないのでは? 熊川版では、仮死を決心したジュリエットはパリスとはほとんど踊らないのね。彼女の頬にキスして去っていくパリスが寂しげだったな。

 

 栗山さんのロミオは彼の持ち味のせいか、育ちの良いボンボンで性格もマイルドな感じ。そのため、やんちゃな若造が本当の愛を知り→苦い事件を起こして→人生の無常を悟る、みたいな成長変化はあまり見られなかった。逆に言えば、清潔感ある王子風ロミオという意味でハマり役だったし🎉ジュリエットの寝室シーンや追放の地マンチュアで見せる姿には深い後悔を思わせる憂いが見えました。バルコニーのソロでの幸福感に満ちたはじけるようなステップや、ジュリエットの難しいリフトも手堅くこなしていて、多幸感が伝わってきたし、寝室のPDDでは離れ難い切なさがよく表現されてた。墓室に横たわるジュリエットに寄り添い毒薬を飲むところはもう少しタメを作って欲しかったかも💦

 最初の予定では栗山さんのジュリエットはマリア・ホーレワだったんだけど、マリインスキー側の勝手により(←敢えて書く😠)ホーレワのゲスト出演が破棄。私は栗山さんのロミオが目当てだったのでジュリエットの配役変更は別にいいのですが、栗山さんの3回公演のうち1回目はマトヴィエンコと、2、3回目はココレワと踊ることになり、ものすごいプレッシャーだったはず。よくここまで👏……と称賛せずにはいられません。

 

 そのココレワのジュリエット、私は初めて知るダンサーということもありニュートラルな視点で観たけど、舞台に居るのはまさにジュリエットでした。最初に登場するときの跳ねるようなステップ、そのあとの弾むような動き。溌剌としたティーンエイジャーそのものです。舞踏会でのパリスとのPDDは神妙で、一方、ロミオへのほと走る愛情表現は見事。そこから「女」として強く輝き自立心が芽生えるという変化が見えました。薬を飲む決心をしてからの顎を上げ気味にした凛とした姿にも説得力があった。ダンスは恵まれた身体と高いテクニックにより表情豊かで美しく👏リハーサル期間は短かったはずなのに、ロミオとのPDDも栗山さんを信頼している様子が伺えました。薬を飲む前に上方にロミオの幻を見たり、最後に自死するときロミオに短剣を握らせて自らの胸を刺したりという演出は、なかなか良かったです。

 

 石橋さんのティボルトが印象的だった。高慢な乱暴者風なのだけど、キャピュレット側の仲間たちのリーダーらしい風貌と存在感があり、キャピュレット氏との両輪の1つとして家名の威厳を守っていくという責任感ある男にも見えたし、陽気なロザラインとはお似合いだと思った。地に倒れたマキューシオの死体を嘲るように蹴って転がし、その横で両脚を広げて仁王立ちして「お前の友達を殺してやったよ、ロミオ、さあ来いよ!」って感じでロミオを待っている姿にちょっと萌えました😅

 舞台美術と衣装も見応えがあり、熊川版「ロミジュリ」総じて大変おもしろかったです。

 

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振付 ケネス・マクミラン

音楽 ジュール・マスネ

小野絢子/福岡雄大/奥村康祐/木村優里/中家正博/水井駿介/湯川麻美子/小柴富久修

 

 初日に相応しい第1級の舞台だったと思いました🎉 前回2020年の公演は、自分が買った日はコロナ禍で中止になってしまったので観ておらず、新国版を観るのはその前の2012年以来です。

 絢子さんのマノン、良かったですー🎊 絢子マノンには最初から “はすっぱ” な感じは見えなくて(個人の感想です💦)、デ・グリューが出会いのソロを切々と踊っているのを見ている時、一般的なのだと「こんな純粋な坊や、初めてだわ、可愛い」みたいに、ちょっと面白がって興味を示す感じだと思うけど、絢子マノンはもうその時点で彼に素直にハートを掴まれたみたいだった。なのでその後のデュエットですでに甘い香りを漂わせていて、2人で逃げる行動も(マノンが好奇心に引っ張られてついていくって感じではなく)とても自然に見えました。

 寝室のPDDは振付をとても丁寧に見せていて、そこから穏やかな幸福感が溢れてた。GMと一緒に寝室から去る前にベッドのシーツとカーテンに触れるのだけど、そのザラ…ゴワ…とした手触りに貧しさを感じて見切りをつけるのではなく、2人で過ごした日々の記憶を留めている、そしてデ・グリューに詫びているように見えたし、イカサマゲームをデ・グリューに勧めるところでは、彼をやっぱり心底から好きでまた一緒に暮らしたいという必死さが感じられた。それでも “贅沢” を手放したくない自分に嫌悪を覚えているようで、その娼家で男たちに掲げられ宙を漂う姿には陶酔しているように見えながらも魂を失ったような表情が印象的だったな。

 沼地でのマノンは絢子さんらしさが全開だった思う。儚さ純粋さ一途さ。手を宙に伸ばして何かを掴もうとする動きからは、生きたい、今度こそデ・グリューと幸せを掴みたいという声にならない叫びが聞こえ、精一杯生きた末に静かに横たわる姿に、何か安堵を覚えてしまった🥹

 

 デ・グリューですが(それぞれが本来的に持っている資質としては)福岡デ・グリューと奥村レスコーはキャスティングが逆だよね、と、どうしても思わざるを得ないわけで……😔 私は今回、奥村くんが出る回ということでこの日を取りまして、正直、マノンやデ・グリューが別キャストでもいいかな、くらいの気持ちだったのです。でもマノンとのアクロバティックなPDDが多いから絢子マノンだったら踊り慣れている福岡さんの方が安心ですよね。

 それでも福岡さんのデ・グリューは、さすがの表現力でした👏 振付のちょっとした違いによって役の感情を的確に表現できるの素晴らしい。例えば1幕での出会いの時と、娼家でのマノンに「戻ってきて!」と訴える時との、2つのソロ。出会いのソロは控えめな感じを残しつつもすっきりとした純粋さが見え、娼家でのソロはマノンへの狂おしい愛情がこもった、ねっとりと粘り気のある手脚の動き……。そうした、ニュアンスあるダンスにベテランの力を感じました

 寝室のPDDでは幸せを謳歌するようなキレキレのダンス。その弾けっぷりが可愛いくらいだった。沼地では、彼自身の生への希求をもっと激しく見せてもいいのでは?と思ったけど、絢子マノンのサポートは完璧で、2人の吸い付くようなデュエットはその意味で美しかった。息を引き取ったマノンを前にしての幕切れの表情は激しい慟哭ではなく、生気が抜けた感じで、そこも良かったです。

 

 奥村くんのデ・グリューを観られないのは本っ当に残念で、1幕冒頭で妹マノンとデュエットしてる時この2人で……と思わざるを得なかったのですが(しつこく言う😅)、木村優里ミストレスと濃厚なキスを交わしたところでは「レスコーになってる、本気だ」と感心しました。マノンを去らせた後デ・グリューをやり込めるところはスカッとするくらいワルだったし、酔っ払いのソロはフラフラだけど軸足がきちんと効いていてバランスの取り方が絶妙。でも、その状態での優里さんとのデュエットでは、サポートをコミカルに危なっかしく見せるのは控えめだったかな、確かにこれはとても難しいデュエットですよね。

 そもそも、幕が開き、舞台中央に死神のようにうずくまっている冒頭シーンからして、レスコーは妹の運命を操るだけでなく、ある意味で物語全体の狂言回し的存在のように見え、奥村くんからはレスコーという小悪党キャラを超えた印象が残りました。

 

 ムッシューGMは中家さんで、GMとしてはまだ若いので役作りは難しいだろうなとは思ったのだけど、威圧的で好色でマノンを「モノ」として扱っている、自分のアクセサリーの一部にしている感はよく出ていたと思う。暴力性も適度にあって、裏切ったレスコーを妹マノンの目の前で射殺する時のクールさに痺れました。水井さんの乞食リーダーは妥当な配役だと思ったけど意外とおとなしかっかも。もっと弾けても良いと思いました。

 

 今回は舞台美術と衣装が、ロイヤルにおける「マノン」初演オリジナルを担当したジョージアディス(ロイヤルバレエのプロダクションのものを使用)ということで、その意味でもロイヤル色が濃かった。各幕の群舞の小芝居に、本家ロイヤルのにも負けない猥雑さが溢れていて、そちらに気を取られてメインのキャラの方を見過ごしたりも💦

 特に娼家の客人たちの好色な下衆男っぷりが半端なくて良かったです。メイクも含めてああいう感じにしないとマノンほか女性たちが背負う残酷な悲劇性が際立たないと思うから。2024年のパリオペ来日公演「マノン」では、そのシーン、放蕩男たちとはいえ皆んな若い美形男子だったんで、娼婦たちも結構キャアキャア楽しんでるのでは?と思ってしまったのを思い出しました。

 

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監督/脚本 ヨアヒム・A・ラング

サム・ライリー/ジェイソン・レイリー/エリサ・バデネス/マルティ・パイシャ/フリーデマン・フォーゲル/ロシオ・アレマン/ヘンリック・エリクソン

 

 感動しました🎊 クランコとその作品およびシュトゥットガルトバレエのことを知る上でも、とても貴重な映画だったと思う。

 ロンドンのバレエ団で振付家として活躍していたクランコは同性愛行為の罪に問われ、イギリスを出る。その彼が、1961年にシュトゥットガルトバレエの常任芸監となってから、1973年のアメリカ公演遠征からの帰途、飛行機内で飲んだ睡眠薬の副作用で窒息死する(享年45歳)までを描いたものです。

 

 クランコの伝記的映画、ではあるんだけど、才能ある1人の人間がその魂から絞り出して創作した作品を通して、彼の愛と苦悩と葛藤、そして孤独を描いたものでした。彼の内面に深く入り込み、そこから抽出した人生の断片を一つの流れにして繋いだような感じ。彼の瞳の中にダンサーたちが踊る風景が現れるシーンが何度もあるのだけど、彼の作品は、心の目が見た美しいイメージを振付で具象化したものに思えました。

 

 クランコの天才的な面と同時に、ネガティヴな面も誤魔化さずにきちんと描き、彼の人生を綺麗事ではなく赤裸々に見せていた。感性豊かでセンシティヴで傷つきやすく、頑固でワンマンでちょっとエキセントリック、批評家のコメントに一喜一憂するほど神経質で、主演したダンサーについ本音で冷たい言葉を吐いてしまい、後で素直に謝ったりする、とてもとても複雑な人間だったんだな🥹

 

 何より強調されていたのは彼の孤独かな。「自分専用のオフィスはいらない、ダンサーたちとスタジオや食堂で一緒に過ごしたいから」と言うのだけど、それはダンサーとの信頼関係を築くためと同時に、1人になることへの恐怖もあったのでは? 恋人に去られるたびに絶望的に落ち込む(ガスオーヴンに頭を突っ込んで自殺未遂したり😓)彼の、求めても満たされない喪失感の闇が深すぎる🥹

 幼少期に両親が離婚し、自分を引き取った父も病死して孤独な子供時代を過ごし、ロンドンにも見放された形で飛び出した彼は「シュトゥットガルトに家族を作りに来た」と言うけど、果たして「家族」を見出したのだろうか。NYでの「オネーギン」公演大成功のパーティーで皆が浮かれている中、何か淋しげなクランコの表情が印象的だったし、彼の最期も象徴的でした。ちなみに「シュトゥットガルトの奇跡」とはNY「オネーギン」公演の成功時にNYタイムズの批評家が書いた言葉だったんですね。

 

 彼は振付どおりに完璧に踊って見せるバレエではなく、感情を伝えるバレエを生み出した。そこがタイトルにある「バレエの革命児」たる所以でしょう。「人生の暗い部分から目を逸らしてはいけない、そこも見なければ良い作品は創れない」「直線より歪んだラインの方が美しい、人間も同じだ」「大切なのは、ステップでも頭で考えることでもなく、心で考えることだ」……彼のセリフがいくつも記憶に残ります。

 彼の代表作「ロミオとジュリエット」「オネーギン」「イニシャル R.B.M.E.」が創られていくその要所を丁寧に見せるところも良かったです。一部の振付には恋人との同棲と別れを経験したクランコ個人の思いが重ねられているんですね。恋人が自分の元を去っていく後ろ姿がレンスキーの決闘前のソロと重なったりとか。

 「ロミオとジュリエット」「オネーギン」の公演シーンは臨場感溢れるカメラワークのおかげで、実際に舞台を観ているような感覚になり、涙ぐんでしまった🥲 映画のエンディングで、登場したダンサーのうち今も存命の方と、それを演じたシュトゥットのダンサーが並んでクランコの墓前に花を手向ける演出も感動的だった。クランコの遺産が今もダンサーたちにしっかり受け継がれていることを強く感じました。

 

 クランコを演じたサム・ライリーの、感情の揺れを繊細に見せる演技も心に沁みました。彼のちょっと陰りのある神経質そうな、表情を大きく崩さないクールな雰囲気が、内に混沌を抱えたクランコ役にぴったりだった👏

 現役のシュトゥットのダンサーたちも出ているのは知ってたけど、踊りで役を演じて見せるのだと思ったら、役者としてセリフを喋って演技しているのにはびっくり。セリフが割と多めだったのはジェイソン・レイリー(レイ・バーラ)、エリサ・バデネス(マルシア・ハイデ)、フォーゲルくん(ハインツ・クラウス)で、ハイデの出番が多いだけに演じたエリサの上手さが印象的でした(ダンサーであることを思えば、です)。他にマルティ・パイシャ(リチャード・クラガン)、ヘンリック・エリクソン(エゴン・マドセン)、ロシオ・アレマン(ビルギット・カイル)が演じてました。 

 

 コロナ禍が明けた2022年にシュトゥットガルトに遠征し、フォーゲルくん主演の「マイヤリング」を観たことを思い出しました。映画にも出てくる州立歌劇場の美しいカーブを描く建物やその内観、劇場前にある大きな池、周囲の穏やかな風景などの映像が懐かしかったな✨

 

 そういえば、クランコとアシュトン派との確執にも言及するかなと思ったけど無かったですね、まあクランコ個人の問題ではないし。(一説によればそのために)クランコは囮捜査の罠にハマり、同性愛行為の現行犯で摘発されイギリスから出ることになるのだけど、ちなみに、イギリスでは1885年に男性の同性愛行為は違法(=犯罪)となり、それが合法化(=非犯罪化)されるのはイングランドとウェールズでは1967年のこと。スコットランドと北アイルランドではもっと後に非犯罪化されるんです。

 

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巳之助/時蔵/隼人/染五郎/左近/歌六/橘三郎/橘太郎/吉之丞/男女蔵

 

 百両の金と、盗まれた名刀(庚申丸)を巡って3人の盗賊(白浪)が因果な運命に操られる物語。2023年@歌舞伎座以来の通し上演でしょうか、そのときは和尚=松緑、お嬢=七之助、お坊=愛之助だった。やっぱり通しで観ると面白いー🎊

 

 とにかく実に黙阿弥らしいお話です。盗賊(だけど、南北ものに出てくるような極悪人ではなく小悪党)を中心に据えた複雑な人間関係、因縁に翻弄される弱者たちのちょっと切ない展開、そして七五調を効かせた粋なセリフ。欲を言えば、例えば伝吉(歌六)が犯した過去話、すなわち、旗本の侍=お坊吉三(隼人)の父が将軍から預かっていた名刀の庚申丸を盗んだ時、ブチ模様の孕み犬を殺したことでその因果がついて回るというところは、セリフではなく芝居で見せてほしいところだけど、そういう部分をセリフで見せるのが黙阿弥の芝居なのですよね。今回は伝吉を演じた歌六の語りに説得力と分かりやすさがあって、とても良かったです。

 

 巳之助の和尚は、兄貴分にしてはちょっと線が細いのだけど、眼光鋭く、ドロリとした陰りを纏い、低く深い声とその口跡のキレの良さとも相まって、ピカレスクの主役にぴったりです👏 父伝吉(歌六)や弟十三郎(染五郎)や妹おとせ(左近)との複雑なしがらみを背負いながら、義兄弟の契りを結んだお嬢(時蔵)お坊(隼人)にその義を通す、その心根がしっかり見えて、背景がハードゆえの彼の運命の非情に心で泣きましたよ🥹

 知らなかったとはいえ近親相姦という畜生道に堕ちた実の弟妹を手に掛けるとき「2人を殺すのが兄の慈悲」というのが悲しい皮肉です。このとき十三郎とおとせがブチ模様の衣装を着ているのが、かつて父の伝吉がブチの孕み犬を殺した、その因果を物語っているのですね。2人の首を、お嬢とお坊の身代わり首としてお上に差し出すことで、お嬢とお坊を助け、おとせと十三郎も犬死ににはさせない、というのは上手く作ってあるけど、結局偽首だってバレちゃうのもなんだかね……🙄

 

 今まで通しで観た時のお嬢は、玉さま、菊五郎父子、萬壽、七之助などが記憶にありますが、今回の時蔵のお嬢かなり「男」の匂いが強くて新鮮でした👍 特に大詰「火の見櫓」の場。木戸を開けるために自分が櫓の太鼓を叩こうと決心したときから、そのセリフ回しや所作が男になっていた。捕り手に囲まれてからも、着物のたもとを結んで首に回して立ち回りを繰り広げる姿が勇ましいレベル。

 でも、序幕「大川端」で花道から出たところ、獲物=おとせにロックオンしたところでフワ…と身体にシナを作り「女」になると突然に色気が溢れ、ゾクッとしましたね〜。そのおとせを川に突き落とし、追っ手から庚申丸を奪って追い払ったあと、ガラリと低い声になってすっくと立った姿が、いかにも男が女装していると分かる明確さ。「男」と「女」の切り替えが自在で見事でした。そのせいか吉祥院でのお坊とのやりとりにはあまり(お坊に対する)色っぽさは感じなかったけど、それで良いと思います。

 

 そのお坊は隼人です。なんといってもあの流し目が、もうね……💓 そのコツを仁左さまにいっぱい教わったのかな、と思わずにはいられません。お坊吉三は元旗本の御曹司(お坊ちゃん、というところから「お坊吉三」)、父の切腹でお家断絶のち浪人になった悲運を背負い、盗まれた庚申丸を探し当ててお家再興をという使命を抱え、という複雑な背景。隼人は、小悪党だけどクール且つ品があるとういう出自にぴったりです✨ 「お竹蔵」で伝吉を斬り殺すところはほぉ〜っとなり、さらには「火の見櫓」では雪で濡れた髪の水気を手で拭うところが色っぽく、しかも “シケ” がいい具合に垂れ下がっていてそのまま絵になる姿でね〜😊 そのあとの、火の番小屋の屋根の上での立ち回りもなかなかの見せ場でした。

 隼人には仁左さまの色悪路線を踏襲してほしいけど、ドロッとした色気はまだまだ醸し出せていなくて、もしかしたら愛嬌あるユーモラスなお役をやることで身についていくのかも。また、セリフがフワフワした感じに聞こえる時があるのでその辺も良くなるといいなぁ。

 

 吉祥院本堂の場にチラと出てくる捕り手の頭がえらく上手いなと思ってよく見たら、男女蔵じゃないですか。ここにほんの少し出るだけなんて気の毒すぎます😔 男女蔵は伝吉をやってもいい役者さんだと思いますよ。父親にあまり取り立ててもらえなかった(歌舞伎ではこれ大事なのに)のがこういう形で出てしまうのね……。男女蔵は上手くていい役者さんなのにいろいろ不遇なので応援してしまうな。

 

 ところで、よく考えたらこのお話って、十三郎が夜鷹のおとせと遊んで百両を落としてしまったことが全ての発端なんだよね(とんでもない若造だな😅)。そんなことしなければ、百両を拾って届けようとしたおとせがお金をお嬢に奪われ川に落とされることもなかったし、十三郎も百両を無くしたお詫びにと川へ身を投げることもなかったし(それってただの逃げだよね😅)、救われた2人が出会うことも、双子だと知らずに近親相姦を犯すこともなかったし、兄の和尚の手にかかって殺されることもなかったよね。そして、お嬢が百両を盗まなければ、お坊の手に渡ったその百両を巡って伝吉が斬り殺されることもなかったわけで。まあ結果的に、お坊は親の仇を討てたし(伝吉が庚申丸を盗んだせいで父は切腹した)、庚申丸もお坊の手に戻ったわけだけど😑

 

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振付 アンジュラン・プレルジョカージュ

音楽 モーツァルト

アリス・ルナヴァン/マチュー・ガニオ

 

 シネマ上映とはいえ、この作品を全幕で観られてよかった。期待通りの面白さでした🎊 初めて観たのは2008年パリ・オペラ座来日公演での上演で、私が見たのはプジョル&ルグリの回(別回はコゼット&ル・リッシュ)でしたが、初見だったこともあり、何かユニークな作品だなくらいで、あまり印象に残ってないのです🙇‍♀️ このときアリス・ルナヴァンが「女性たち」の1人として出ているんですね。

 そのあと、2012年発売のDVDでイザベル・ゲランとローラン・イレールの舞台を観て、虜になりました。映像は1999年収録のもので、この2人は1994年初演時のキャストだそうです。このゲラン&イレール版が私の「ル・パルク」デフォルトになり、以後ガラで “フライング・キス” 部分だけ観てきた限りで言えば、ゲラン&イレールを超えるものに出会ったことはありません。でも今回のアリス&マチュー版は、全幕で観たからでもあると思うけど、それに勝るとも劣らないものでした〜😊

 

 ロココ時代(1730頃~1770頃)、貴族たちが庭園で恋愛ゲームを楽しむ1日の風景を描いた作品。これを創るにあたってアンジュランはラファイエット夫人の小説「クレーヴの奥方」(1678年刊。恋愛心理小説と呼ばれている)を読み「恋を拒む女性」をテーマにしたのだそう。またラクロワの書簡体小説「危険な関係」(1782年刊)などにある「優雅な遊び」としての恋愛ものにも影響を受けたそうです。

 

 ネタバレ概要→1幕(朝方)庭園に女性たちと男性たちが現れて互いに観察しあい、駆け引きをするように、思わせぶりなダンスをしたりゲームに興じたりする。女性たちは徹底して無関心を装い、男性たちは翻弄される。その中で女(アリス・ルナヴァン)男(マチュー・ガニオ)は互いに惹かれるものを感じるが、マチューの誘いをアリスは拒む。2幕(昼下がり)庭園の別の場所。暑さに負けて女性たちは重いドレスを、男性たちは上着を脱ぎ、カップルが誕生したり取り残された男性たちが悔しがったりする。マチューはアリスに想いをぶつけるが、アリスはまだ自分を解放できない。3幕(夜更け)庭園のまた別の場所。今度は男性たちが主導権を握り女性たちを抱えていく。アリスは夢遊病者のように無意識の世界を漂い、マチューが現れると自ら彼の手を取り、2人は “解放のPDD”(=例のフライング・キスのデュエット)を踊る。終わり。

 

 プロローグとエピローグ、そして2、3幕の冒頭に4人の庭師が登場するんだけど、この庭師たちの存在がとても印象的。ゴーグルをつけた外見、抽象的な振付、彼らのところだけ流れる現代音楽など、とても異質で、宇宙から降りてきた者?と思ってしまう。天を仰いで宇宙のどこかと交信しているような動きを見せるしね。

 でも彼らの、数をかぞえるように指を1本ずつ動かしたり指を口の中に入れたりという動きを、アリスもするので、庭師は彼女の無意識のどこかにいる存在で、彼女の心に働きかけている、彼女のねじれた感情を整理し心の扉を開いて、彼女に愛の道を示そうとしているってことでしょうか🙄 庭を整然と整え花を咲かせ実をつけさせるのが「庭師」の仕事だから。でも最後、役目を終えた庭師たちはやっぱり宇宙のどこかと交信しているような動きを見せるのですよねー😅

 

 振付はクラシックとモダンがミックスされた感じで、とても美しい。椅子取りゲームとか女性たちに相手にされずに焦る男性たちとか、ちょっとユーモラスなシーンもあり面白いです。当時のデコラティヴな衣装が当然ながら皆さん似合いすぎで、個人的には男性たちのポニーテイルが萌えポイントです。

 マチューはもう別格的に美しいダンサーですが、私自身は彼にあまり色っぽさは感じないのですよ。でもここでは非常に官能的でした✨ 女性を舐めるように観察するその目の動きとか、積極的にアリスに迫っていき彼女の身体を触る手の動きとかね😅 そうした表現はとてもなまめかしいのだけど、それでもマチューには清廉さと気品があるんですよね。

 アリスはコケティッシュな魅力を持っていると同時に自律性の強さも感じさせるダンサーだなと思っていますが、今回もその両面がとてもよく出ていたと思う。マチューの誘惑を交わす時の毅然とした動きから、自分に素直になって彼に身を預ける時の弱さまで、プライドや貞節観念が壊れていくところはむしろ官能的でした。

 

 今回のシネマ上映版は、カメラが主張しているというか、指先や視線の動きなどを丁寧にアップにしていて、スクリーンを通してでもダンサーたちの熱量を感じさせるものがありました。コロナ禍に2日間を使って収録したもので、終演後の拍手はオーケストラメンバーでしょうね。この作品、やっぱりとても好き!と再確認しました👍

 

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