明日もシアター日和

明日もシアター日和

観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

原作 ウィリアム・シェイクスピア

原案 出口典雄/演出 高山健太

 

 シェイクスピアシアター創立45周年記念公演と冠した公演を観ました(公演はすでに終了)。シェイクスピアシアターは演出家の故・出口典雄さんがシェイクスピアの全作上演を目指して1975年に旗揚げした劇団です。1981年に37作品上演を達成した以降も、それらを再演する形で上演を続けている。2020年に創立45周年記念公演が企画されたもののコロナ禍で中止になり、出口氏もその年の12月に逝去。そして今回、ようやくの上演ということです。劇団は現在も新体制で活動を続けています。

 

 同劇団は当初、渋谷の公園通りにあった小劇場ジァンジァンで、シェイクスピア作品を毎月1本1週間の期間で上演していたんですよね。私は初めて生の演劇を観たのがこのシェイクスピアシアターでして、その一瞬で演劇の、そしてシェイクスピア劇の虜になり、毎月ジァンジァンに通ったものです。そこから中・大劇場などでの商業演劇→ミュージカル→歌舞伎→バレエと広がり、舞台芸術を観るのが余暇の一部になったので、シェイクスピアシアターには特別な思いがあります。

 が、しばらく観なくなっておりまして、今回の観劇は2011年の「シンベリン」以来かな。記念公演ということで選ばれたのはやはり「十二夜」。これは出口さんの演出が冴えた作品で、シェイクスピアシアターを代表する芝居ではないでしょうか。

 

 以下、超辛口です🙇‍♀️(全くの個人的感想ですよ~💦)。同劇団の公演を観なくなったのにはいろいろ理由があるのですが、今回、久しぶりに観て、演出と演技において残念な部分が多かった。演出に関しては、良く言えば、言葉を伝えることを第一にした、余計な解釈をしない、シンプルな、かつての出口氏を忍ばせる演出。でもサスガに、すでにいろい観てきている自分には新鮮味がなく、もはや物足りない。演出にもう少し工夫・主張が欲しい、2024年に上演するなりの “今らしさ” が欲しい。終盤の兄妹再会シーンは、舞台上の照明が暗くなり、離れて見つめ合う2人が舞台を回りながらセリフを言う、という見せ方で感動しました。でもその後の、2組のカップルが誕生する所こそ、せめて今風の解釈による演出をしてほしかった、とかね……いろいろ思った😓

 

 演技に関しては、言葉をきちんと伝えること=役者の演技、とつながるわけですが、その役者さんたちの演技力にバラつきがあり辛かったです😔 上手い人は普通に見ていられるけど、そうでない人は「これにお金を払ってるのか……」とガックリくるレベル。セリフ術が身に付いてなくてそれらしく言葉を発しているだけとか、言葉はクリアなのに気持ちの乗せ方がワンパターンとか、相手の言葉に微妙な反応を見せて心理を表すような細かい演技ができてないとか……まあ、いろいろと😓 

 そんな中、ヴァイオラ、サー・アンドルー、マルヴォーリオの役者さんたちはとても上手かったし、マライア、アントーニオ、フェービアンも悪くはなかった。いずれにせよ「十二夜」ってすごく面白い芝居なのに、それが半分くらいしか伝わってこなかったな😔

 

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振付 ジョン・ノイマイヤー

音楽 フレデリック・ショパン

フリーデマン・フォーゲル/エリサ・バデネス/アグネス・スー/マッテオ・ミッチーニ/アドナイ・ソアレス・ダ・シルヴァ/マッケンジー・ブラウン/ヘンリック・エリクソン/ジェイソン・レイリー

 

 大感動しました~🎊 「椿姫」は、配信やディスクは別として生舞台では、パリオペラ座とハンブルクバレエでしか観てないんだけど、そもそもノイマイヤーはシュトゥットガルトバレエのマリシア・ハイデのために本作を創ったので(1978年初演、アルマンはエゴン・マドセン)、本家のパフォーマンスをようやく生で観られたわけです。お目当てはフォーゲルくんですが、彼も今45歳。シュトゥットガルトの来日が3年後だとして、作品に関わらず彼が全幕を踊るのはもはや難しいから、これが最後かもと思って観ましたよ😢

 

 タイトルロールであるマルグリットを踊ったエリサ・バデネス。正直いうと、エリサはお顔から受けるイメージとして「ドン・キホーテ」キトリ系キャラだし💦 クルティザンヌは高級娼婦と和訳されるけど知性と教養を併せ持った女性であり、エリサにはそういうのも感じないし🙇‍♀️……で、マルグリットはあまり期待してませんでした。でも観ているうちにそういうのが気にならなくなったんですよね。「踊り+仕草+佇まい=心情を語る演劇的表現」でその人物になるって、こういうことなのか、と改めて思いました。

 無意識に纏っていた心の飾りを純な青年に剥ぎ取られ、本当の愛を受け、そして与えることを知ったけど、その愛する人のために自己犠牲を払い、皮肉にもその代償で生まれた齟齬を回収できず孤独のうちに死んでいく、彼女の物語がちゃんと描かれていた🎊

 

 1幕で、取り巻きたちと一緒になってアルマンを子ども扱いして楽しむところはエリサのもつ屈託のない明るさ、と同時にプライドの高さも感じられた。その強さが、紫のPDDを踊るうちに次第に和らぎ、彼に心を開いていき、踊りの最後には一人の純な女性になっている。自分の足元にひれ伏すアルマンを観て笑いながらも、自分の中に新鮮な感情が湧いてくるのを覚えて驚いた表情を見せる、その顔の輝きに、私もハッとさせられました。

 2幕の白のPDDではエリサは乙女のような無垢な喜びにあり、軽やかにフワフワと飛ぶように踊るステップが、その気持ちをちゃんと表している。そこから、デュヴァル氏との対峙で、反発、迷い、逡巡、決意、絶望と、短い間にさまざまな感情が怒涛のように込み上げては消えていくところ、まさに劇的な表現でした。

 3幕のエリサは、後悔と寂しさと未練ですっかりやつれて見えた。黒のPDDでの、感情が昂るのに任せてアルマンに身を委ねるまでの葛藤と、愛に負ける心の弱さ、その苦悩の中での官能表現が素晴らしい。そして、最後の観劇に出かけるマルグリット、このときいかにも精神を崩したみたいに頬を真っ赤に塗ったりと、周りが困惑するようなメイクする人が多いけど、エリサはそのようなことはせずすっぴん風で、黒レースのヴェールかぶって現れた時は生きる屍の姿でした。マノンとデ・グリューとマルグリットのパドトロワは美しく、“あちら” に運ばれていくエリサマルグリットの弱々しさが痛々しかったです😢

 

 そしてアルマンのフォーゲルくん。期待通りでした🎊 舞台上に居るのは生身の20代のブルジョワのボンボンだった。出自からくる甘えとわがままと自惚れを漂わせ、無謀にも身分違いの女性に恋焦がれ、(世間知らずという意味での)ナイーヴさゆえ愛する人の自己犠牲を裏切りと勘違いし、心に癒えることのない傷を負う。でも彼はひとつ大人になった、最後のフォーゲルくんの姿にはそれが見えました。

 

 プロローグ、オークション会場に駆け込んできたフォーゲルくんアルマン、髪の毛を乱し憔悴しきった表情が彼の過去を語っているようで胸が詰まり、ああ、ドラマが始まると思いました。1幕ではマルグリットにひたすら気持ちをぶつけるアルマン。紫のPDDで彼女に頭を優しく包まれたときフッと目を閉じる。そこで、自分は受け入れてもらえたのだと悟るのかな、そのあとのパッと花やいだ喜びの表情がキラッキラ✨ 流れるようなダンスには感情の昂りが感じられ、そしてとにかく脚のラインが綺麗!

 2幕の田園での白のPDD。伸びやかで大きなダンスからは幸福感がこぼれ落ちる。マルグリットと手を繋ぎ遠くを指差しながら舞台を大きく回るシーンは、決して訪れない未来を描いていると思うと、美しいけど泣けるところです。そして、決別の手紙を読んだ後の、絶望と悲しみに襲われて踊る引き攣ったような激しく鋭いダンス、痛々しかった。

 3幕、憔悴しボロボロの表情のフォーゲルくん、オランプと踊る時の投げやりなダンスには、自分を捨てたマルグリットに対するというより、彼女への思いを吹っ切れない自分に対する苛立ちを感じる。そうして黒のPDD。無視したくてもできなくて、突き放したくてもできなくて、ドバドバと愛情が溢れていく、怒りと恋心とそれを制御できない自分への憐憫と、すべてが一体となった激しいダンス。凄まじかったですねー👏

 

 終盤フォーゲルくんは端っこに立ったまま動かずにマルグリットの日記を読んでいるだけなのに、読み終わって顔上げたとき本当に涙を流していて、それ見たら私もブワッと涙が溢れてきた😭 「椿姫」観るたびに感動するけど今回ほど切なかったことないです。あの最後のフォーゲルくんの表情がプロローグの姿に繋がるのですね。そして、このあと最初のオークションのシーンに戻らず、日記を持って佇むフォーゲルくんで幕が降りるのも、彼は一生この思い出を引きずって生きるんだなと思わせる、いいエンディングですね。

 

 アルマンの父親デュヴァル氏を踊ったジェイソン・レイリーが大変良かったです。息子の将来を考えているのだけど、マルグリットと話して彼女の人間性を認め、身を引く決心をしてくれた彼女に敬意を示す。その行動が納得できるほどの、真摯で知的で、温かさを感じさせる紳士でした。所作もとてもエレガントだったな。

 この回ではデ・グリューをおどるマッテオ・ミッチーニに密かに注目していました。前回のガラ公演のときにコンテを踊ったのを観て、そのキレッキレの動きに魅せられ、デ・グリューはまた違ったダンスだけどどうなのだろうと。期待に違わず良い踊りだった。でもマッテオくん、真ん中を踊るにはあと5センチほど身長が欲しいんですよねー😓

 それにしても、本作は全てにおいて本当によくできたバレエ作品ですね。カテコでノイマイヤー氏が登場し、一際高い歓声があがっていました。

 

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原作 テネシー・ウィリアムズ

振付/舞台美術/衣装/照明 ジョン・ノイマイヤー

音楽 チャールズ・アイヴズ/フィリップ・グラス/ネッド・ローレムほか

アリーナ・コジョカル/アレッサンドロ・フローラ/パトリシア・フリッツァ/クリストファー・エヴァンズ/エドウィン・レヴァツォフ/ダヴィド・ロドリゲス

 

 BSのプレミアムシアターで放映されたのを観ました。初演は2019年。ノイマイヤー80歳のときの作品で、アリーナ・コジョカルのために創られたのだそうです。テネシー・ウィリアムズの戯曲に基づきつつ、ノイマイヤーの想像力でもって肉付けしてある。翻案とかではなく、ちゃんと「ガラスの動物園」ですが、限りなく演劇に近いダンス作品でした。

 

 超簡単なネタバレあらすじ→1930年代アメリカ、セントルイスにひっそりと住む家族3人。母アマンダ(パトリシア・フリッツァ)の夫はフラリと出て行ったきり戻ってこないまま。娘ローラ(アリーナ・コジョカル)は片脚が不自由で家に引きこもりガラス細工の動物を集め愛している。その弟トム(アレッサンドロ・フローラ)は靴工場で働いているが芸術家肌で、閉塞的な環境にうんざりしている。母がローラの結婚を心配するので、トムは職場の同僚ジム(クリストファー・エヴァンズ)を家に招く。ローラはジムに心を開きかけるが、ジムは「自分には婚約者がいる」と言って帰っていく。それを知らずに呼んだのかと母はトムを責め、トムは家を出て行く。ローラは暗い部屋に残される。おわり。

 

 上記は戯曲のあらすじで、このバレエでは色々と創作が成されている。そもそも、この戯曲はテネシーの自伝的作品であり、トムはテネシーと重ねられます。そのトムが当時を回想するという構成ですが、バレエでは年月を経たトム=テネシーを(トムと同じ衣装で)エドウィン・レヴァツォフが演じていて、人物と絡んだり全体を傍観したりする。トムがゲイであることは、原作では仄めかされる程度ですが(テネシー自身がゲイだった)、ここではそこもはっきり見せていて、ゲイバーでトムと男性たちが絡む怪しげなダンスシーンなどもあり、彼の鬱屈感や喪失感が伝わってきます。またトムは、戯曲では詩作が好きだけど、ここでは絵を描くことが好きな青年になっていて、言葉ではなく視覚的に訴えるバレエとしては上手い改変です。トムが描いた肖像画のスケッチがキーアイテムになっているとこもよく考えられていた

 

 ローラの脚が不自由なとこは、片足にトゥシューズ、もう片足にパンプスを履くことで表していて、これもサスガの発想。幻想の中で踊るときは両足ともトゥシューズになり伸びやかに踊るんだけど、その切り替えが却って痛々しい現実を目の当たりにさせます。彼女がガラス細工動物の中で一番好きなのがユニコーンで、それは「外見が他と違っていること、現実世界に居場所がない生き物であること」を自分と重ねているからでしょう。ユニコーンの具現化がダヴィド・ロドリゲスで、ローラと寄り添うデュエットが美しいです。

 また、戯曲ではセリフだけで語られる、彼らの過去のエピソードや家の外での出来事などを、バレエではそれぞれ1シーンとして創作してあり、それらが時系列に関係なく挿入されていました。なので、原作戯曲のストーリーを知らないと、この人だれ?今のどういう状況?となるでしょう💦 それにしても、苦悩と挫折しかない全く救いようのない暗いお話で😩 実は私はテネシー・ウィリアムズの戯曲って苦手なんですよね~。

 

 ローラはコジョカルの、まさしくハマり役でした。繊細で儚げで、彼女自身がガラス細工のように脆そうに見え、身体全体に悲劇をまとっている。そのダンスや動きから苦しみや痛みがひしひしと伝わってきて辛かった。ガラスの動物を壊されたところでギクシャクと踊る姿、ダンスホールでひとりぽつんと立ち身体を揺らす時の寂しげな表情、ユニコーンと一体化するような滑らかなダンス、本当に観ていて胸が詰まるダンスと演技でした。

 一方、ジム役のクリストファー・エヴァンズが個人的にはツボでした。ローラの幻想でダンスの相手になったり、ゲイであるトムに好意を持たれてデュエットさせられたりと、かなり大活躍。彼は悪気のない陽気な男で、基本、いいやつなんですよね。彼の男っぽい弾けるようなダンスがお話のアクセントにもなっていて良かったです。

 

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振付 ジョン・クランコ

音楽 チャイコフスキー

フリーデマン・フォーゲル/エリサ・バデネス/ガブリエル・フィゲレド/マッケンジー・ブラウン/ロマン・ノヴィツキー

 

 演目が発表になったときは「ま~た、オネーギ~ン !?😩」と、やれやれって気持ちになったけれど、フォーゲルくんのオネーギン、もしかしたらこれが見納めかも……と思うと、うんざり感も薄れ、実際に幕が上がってみれば新鮮な気持ちで向き合うことができるのでした。「永遠のレンスキー・ダンサー」と思っていたフォーゲルくんがすっかりオネーギン・ダンサーになっていると思うと感慨もひとしおで、心を正座にして観ましたよ。そして実際、彼の集大成みたいなオネーギンでした🎉

 

 舞台の下手奥から登場し、遠くの景色を眺めながら歩いてくるフォーゲルくんオネーギン、友人レンスキーに声をかけられてこちらを向いたその顔に広がる厭世感といったら……。何やっても面白くない、夢中になれるものがない、まだ20代だというのに、すでに人生に飽きたような気だるい雰囲気、これ、これ、この佇まいですよね……と一気に彼の世界に引き摺り込まれます🎊 田舎の文学少女タチヤーナに向ける引き攣ったような作り笑い、そしてすぐに彼女から目をそらし彼方に視線を移した時の、冷たく空虚な眼差し(それが素敵なんだけど😊)。手の甲を額に当てた(私が勝手に「ハムレットのポーズ」と呼んでいる💦)憂いの仕草が今回はひときわネットリして気だるそうでした。

 そのフォーゲルくん、タチヤーナの寝室の鏡から現れたときのキラッキラの笑顔、「眠り」のデジレ王子の顔になっていましたね✨ それはタチヤーナが夢に描いたオネーギンなわけですが、その通りのビジュアルを作ってくるフォーゲルくんサ・ス・ガ👍 相変わらずランベルセで後方に伸ばした脚のラインが美しく、ジャンプもフワ~と軽やかで、リフトには安定感があり、それゆえタチヤーナの高揚感も伝わってくる、ドラマティックな鏡のPDDでした。

 「名の日の祝い」の席で友人レンスキーの恋人オリガをダンスに誘うフォーゲルくんオネーギンの、悪ふざけを楽しむ皮肉な冷笑にちょっとゾッとする。決闘で友を殺してしまった彼は、このとき現実の非情さを突きつけられて愕然とするのですね

 3幕で登場したフォーゲルくん、いい感じにアクが取れ、人生を諦め受け入れたようで、佇まいからは硬直さがなくなっていた。過去を懐かしむ表情は柔らかく、タチヤーナを見つめる目は驚きで潤んでいた。かつて孤独を好んでいた彼が、今は皆の冷たい視線を浴びて孤独におびえ、失ったものの大きさに愕然としている。年月が経ったことがきちんと分かる。

 

 そしてタチヤーナのエリサ。作品タイトルは「オネーギン」だけど、タチヤーナの成長物語でもあると思うほど、人物造形がしっかりしていて良かったです🎊。冒頭、詩の世界に心酔し恋を夢見る乙女……には正直なところ見えなかったんですが💦(これはエリサ自身の持つ雰囲気のせいもある)、フォーゲルくんオネーギンの(作り)笑顔に一瞬で虜になってしまう。そのときの、パッと花開いたように輝いた顔、あの明るさがエリサなのね。だから、そのまま理想化したオネーギンと夢の中で踊るときの、幸福感に満ちた伸びやかなダンスが美しい。そこからの、恋文を破られたことや、決闘で妹の恋人が殺されたことをきっかけに、現実に目覚めたときの変化が劇的で、まさに少女から脱皮したように見えました

 3幕のエリサタチヤーナは、こうした人生の体験、転換を経験し、目の前の男性グレーミン公爵の誠実さ、確かな愛情、足が地に着いた生き方の大切さに気づくことで、理性と思慮深さを身につけた大人の女性に、確かに生まれ変わっていた。グレーミンとのPDDは穏やかな情感にあふれていて、とても、とても胸を打ちました。

 

 でもって3幕終盤、手紙のPDDですよ。ここでタチヤーナが大人の女として冷静な判断を下すところは圧巻だし、ある種のカタルシスを覚える。会話が聞こえてきそうな振付のおかげもあるんだけど、2人のダンス、本当に身体で言葉を発していた。特にタチヤーナの感情のうねり、アップ&ダウンが手にとるようにわかる。オネーギンに再会し、封印したはずの扉が開いてしまい、完全に消えてはいなかった初恋の炎がまた燃え出す感じ、彼の謝罪を受け入れてしまいたい、でも……その葛藤の表現。身体を預け、跳ね除け、また吸い寄せられ、そして最後には理性が勝つ、その瞬間瞬間の姿が美しく、四肢のバネを使ったダンスも見事でした👏

 一方、ここでのフォーゲルくんオネーギンはひざまずき頭を垂れ、ひたすら許しを乞い、愛を捧げようとする(そしてタチヤーナからも自分への愛を欲する……って😔)。感情はまっすぐでブレはない、それなのにダンスはハードなんですね。ここでのオネーギンはリフト&サポートテクニックが問われます。なので長年ペアを組んできた2人ならではの一心同体っぷりが感動を呼びました。

 

 一方、レンスキーのガブリエルオリガのマッケンジーのペアもフレッシュでとても良かったし、悲劇を知っているだけに2人の初々しさが辛い。この2人もいつかオネーギンとタチヤーナを踊るんだろうな。ガブリエルはダンスにあと一歩の大きさがほしかったけど、決闘前の(死を覚悟した)ソロは胸に迫るものがありました。また、マッケンジーはダンスも悪くないし、特に表情がとても豊かで、すぐにでもタチヤーナに抜擢されそうな感じだったな。

 そしてグレーミン公爵のノヴィツキーが大人で素敵だった👍 タチヤーナとのPDDでは優しさと愛情と包容力を感じたし、とても丁寧な踊りだった。ところで公爵がタチヤーナの部屋を出る前、彼女がオネーギンからの手紙をもらって考え込んでいるところ、テーブルに鏡があって後ろから公爵が肩越しに、鏡に映った彼女の顔を覗き込み、タチヤーナがハッと驚くんですが、これって1幕の、彼女とオネーギンとの出会いの再現になっていることに今回初めて気づきました。うまい演出ですね。

 

 カンパニーとしてもとてもよくまとまっていたと思う。全幕通して群舞の振付がとても良いんだけど、ダンサーたちの踊りも各シーンの情景とその雰囲気をきっちり作っていた。3幕の舞踏会での男性軍がみなさん口髭を生やしていたんだけど、それがまたみんな似合っていてさー😆

 そんなわけで、細かい部分にちょっとずつ言いたいことはあるものの、全体的に大変に満足できる舞台でした。衣装や音楽も含めて「オネーギン」はよくできたバレエ作品だと思う。今後も上質な「オネーギン」上演を期待します。

(このあと、しばらくバレエの感想ブログが続きます)

 

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 パリ・オペラ座バレエの「マイヤリング」初日(ユーゴのルドルフ皇太子)と、翌日(マチューのルドルフ皇太子)の回を観に行ってきました。速攻で先ほど帰国し、明日のシュトゥットガルト・バレエ、フォーゲルくんの「オネーギン」に参戦します。パリ滞在中は時差ボケ治らず、その状態で帰国して今、二重の時差ボケ気味で、明日の観劇どうなることやら……😓

「マイヤリング」の感想は後日に簡単に書きたいと思います。先に言っておくと、両日とも素晴らしかったし、ダンサーの違いで作品がとても違って見えることが分かり、興味深かったです!

振付 ウェイン・イーグリング

音楽 チャイコフスキー

池田理沙子/奥村康祐/内田美聡/直塚美穂/東真帆/金城帆香/飯野萌子/五月女遥/奥田花純/山本涼杏/花形悠月/小川尚宏/山田悠貴/菊岡優舞/東真帆/赤井綾乃/渡邊拓朗/石山蓮

 

 理沙子さん&奥村くんの回を観てきました。今ちょっと鬼のように忙しくて、じっくり反芻しながら感想を書く時間がないため、あっさり感想です🙇‍♀️ 一部は Twitter(現X)に書いたまんまコピーです。私は理沙子さんをずっと応援してきているので、小野絢子さんの代役ということで緊張していないかなと登場直前まで内心ドキドキだったけど、良かったー!🎊 奥村くんとは何度もペアを組んでるから安心感あっただろうし、奥村くんも吸い付くような盤石サポートでした。

 

 オーロラの理沙子さんは可憐な深窓のお嬢さまという雰囲気、大輪の華のような鮮やかさや溌剌さはないけど、そこがまた “大事に育てられてきた” 感があり良きかな。ダンスは上品でテクニックしっかりあり、ローズアダージョなどのポワントワークも全くブレがなくお見事、目覚めのPdDの伸び伸びとした踊り、3幕でのGPdDも細部まできちんと見せていて優美でした。理沙子さんはおそらくまだドラマティックな役は難しいと思いますが(感情表現が型通りで平坦かも💦)、そういう演劇的表現は都さんの指導を受けつつ、真ん中をもっと踊らせてあげてほしいです。

 

 奥村王子は期待通りの素晴らしさ。踊っていなくて、ちょっとした所作で手脚を動かすときでもエレガンスがこぼれ落ちる。決してテクニックを見せつけない、目一杯足を広げるとか、うんと高く飛ぶとかしないことで、高貴な人としての控えめであることの美を見せていると思う。でも、指先まで優雅なんですよね✨ 「眠り」はいわゆる演劇的バレエ作品ではないけど、奥村くんは王子の心の動きを身体で丁寧に表現していて1幕と2幕での感情の変化がとてもよくわかる。3幕のキラキラながら柔かな表情には踊りきった理沙子さんへの気持ちも感じられました。

 

 主役以外のダンサーたちも全体的にとても満足しました。リラの精の内田美聡さん、圧倒的な包容力はまだ弱い感じだけど華やかで且つ慈愛が見えて良かったな。カラボスの直塚美穂さんは抜け目ない意地悪っぽさ満々だけど、ふと、その裏返しの弱さも感じられて、なかなか面白い作りでした。3幕では親指トムの石山蓮さんが軽やかに弾けた感じの踊りでよかったし、注目していたブルーバードの山田悠貴さんもキモである足捌きキチンと見せてくれました。

 

 水をさすようですが以下はネガティヴな感想です。踊りや振付ではなく、衣装デザインのことです。毎回思うけど今回も改善なくてがっかり、どうしても納得いかない、本当に好きじゃない😖 自分の感性と合わないだけなのだろうけど、書きます。メインの感想よりこっちの方が長くなってしまった💦

 国王夫妻や宮廷人の頭飾り(帽子の羽根飾り)の赤と白と青の配色が、そこだけ浮き過ぎ。フランスの国旗がモチーフだろうけど、そもそもトリコロールの国旗が制定されたのはフランス革命後なわけで、1幕をいつの時代に設定しているかは分からないけど、王と王妃がいる以上、少なくとも、それ(革命で王政廃止、共和制になった)以前の設定のはず。だとしたら明らかにおかしい。どうしてもフランスを象徴するモチーフを使いたいのなら、その当時だったらユリ紋章でしょう。

 

 リラの精以外の6人の妖精の衣装が皆さん同じデザイン、同じ色って? 妖精はオーロラにさまざまな美徳(個性)を授ける役なのだから、妖精もそれなりの個性=違いが見えるべき。ティアラの宝石の色が少しずつ違うようだけど、見分けられないですよ。

 極め付けは2幕の森の精。あのドギツイ緑ね。あれは南国の緑の色であって、フランスの森の色ではないです。もっと神秘的な、ロマンティックなグリーンにできなかったのでしょうか。3幕の宝石たちの衣装も硬い印象で、全く「宝石」を感じられなかった。

 

 2幕で登場する王子の衣装、胸元が開き過ぎ。王子なのに胸板が見えるって本当に下品です。やんちゃとかではない正当な王子なんだから、いくら狩猟というプライベートな場だからラフでいいとはいえ、きちんとした服、肌は見せないという身だしなみであるべき。

 ブルーバードの衣装も同じです。前はもっと肌の露出がすごくて、青い鳥というより海賊だったけど、それでもまだ胸がガバッと空いていてそこを薄い羽根で隠しているという感じ。あと、確かに鳥なんだけどさ、だからって、まんま羽根をくっ付ければいいってことにはならないと思う。以上のように、全体的に衣装が洗練されていないと思う。

 

 衣装に付随したことでついでに言えば、カラボスの手下たちが仮面を被ってるのも、なんかね……。そこはメイクでおどろおどろしく見せてほしい。3幕での2匹の猫と、白猫を輿に乗せて運ぶ犬たちの被り物も同様で、できる限りメイクで表現するのが好きです。

 はー、書いたらスッキリした😅 次回の同作公演ではとにかく衣装を一新してと、切に願います。

 

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作 バーナード・ショー

演出 小笠原響

佐藤誓/髙山春夫/清水明彦/山口雅義/内田龍磨/佐藤滋/大井川皐月/石川湖太朗/なかじま愛子/星善之

 

 面白かったー! バーナード・ショーらしいちょっと理屈っぽい会話も味があるけど、とにかく痛烈な皮肉と風刺とウィット満載。最後の最後で「衝撃的な結末」が 😱→😂 と、2段階で襲ってきて、痛快で傑作。

 ノーベル文学賞も受賞しているB. ショーはアイルランド出身の才人で(wikiでは→)文学者、脚本家、劇作家、評論家、政治家、教育者、ジャーナリストという肩書きで紹介されています。戯曲は50作以上書いているそうだけど、少なくとも日本ではあまり上演されてないですよね。配信視聴を含めて私が観たことあるのは「ピグマリオン」(映画「マイフェアレディ」の原作)、「ジャンヌ」(ジャンヌ・ダルクが題材)、「人と超人」くらいかな。この「ドクターズジレンマ」は1906年の作・初演で、日本では初上演だそう。

 

 ネタバレあらすじ→20世紀初頭ロンドン、結核の新たな治療薬を開発した中年医師リジョンの診療所に若き人妻ジェニファーが訪れ、画家である夫ルイスが結核に犯されているので治してほしいと頼む。リジョンは「スタッフやリソースの問題で、いま治せる患者は限られているが、あと1人なら治療リストに入れられる」と言う(この時点でリジョンはジェニファーに一目惚れし😅 ルイスの絵の才能も認めた)。 

 しかしルイスは、天才的な画家だけど金と女にだらしないクズ男だとわかる。また、医師仲間で貧者にも献身的に治療を行っているブレンキンソップ医師も結核であることが分かる。リジョン医師は、ルイスか同僚医師かどちらを治療すべきかジレンマに陥る。結局、彼は同僚医師を治療し、ルイスの治療は、自分が開発した治療薬を使うことを条件に別の医師仲間ボニントン医師に託す。しかしルイスの治療は失敗し彼は死んでしまう。

 半年後、リジョン医師はジェニファーに求婚するがあっさり断られる。医師は「自分が開発した結核治療薬の正しい使い方は自分しか知らず、間違った方法で治療すれば患者は死ぬ。ボニントンにはそれを言わずにルイスの治療をさせた。自分はルイスを殺したくてそうしたのだ、君を愛しているから!」と告白する。ジェニファーは呆れ「自分はもう再婚した」と言って去っていく。終わり。

 

 最後の演出は、ジェニファーはリジョン医師の顔に白い絵の具をベッタリと塗りつける。他の医師たち(同僚医師6人)も同様の顔になって登場し、全員が横に並んで、手にした額縁に顔をのぞかせ、道化面を晒したところで終わる、というもの😅 高慢な医師たちをバッサリと斬ってコケにするという痛快なラストでした。その前にリジョン医師がジェニファーに「君と結婚したいんだ」と告白すると彼女は「こんな年寄りと !?」と仰天するところは大笑い。ジェニファーの父親くらいの年齢ですよ、リジョン医師は🙄

 

 とにかく笑える会話がいっぱい。例えば、それぞれの医師たちの診断・治療法がいい加減すぎる。全ての患者を「敗血症です」で片付けてしまうとか、抗体の話しかしないとか、患者を目診で判断してるだけとか、「私はン十人殺しました」と自慢するとか💦

 本作には色々なジレンマが盛り込まれています。リジョン医師個人の問題としては、医師として誰の命を救えばいいのか。金と女にだらしないけど芸術的才能に溢れ将来性のある男か? 腕前は大したことないけど貧しい人を献身的に診てあげる誠実な医師か? いや、クズ男に騙されている若く美しい女性を助ければ(その男を死なせれば)彼女は自分と結婚してくれるぞ?とか……。芸術かモラルか個人的愛か。悩むねー😅

 

 もう少し真剣に考えると、医療倫理の問題とかね。ある人を治療して助けることは他の人を見殺しにすることでもある。では優先的に治療して生かす患者を、何を基準に選別すればいいのか、命を救う価値のある人とは誰のことなのか。「社会に役立つ人」なのか? では芸術は役に立つのか否か、社会に貢献できない人に医療を提供する意味はあるのか、そんなことを医師たちがあーだこーだ言う会話が交わされるんですね。「開業医は医師免許を持った殺人鬼だ」と言うある医者の言葉が痛烈。

 そんな身勝手なオジサン医師たちをよそに、ただ一人ジェニファーだけは、芯があり、現実や真実をきちんと見極め、ドライにしたたかに自分の道を進んでいるのでした✨

 

 医師たちを演じた経験豊富な6人の役者さんたち(佐藤誓/髙山春夫/清水明彦/山口雅義/内田龍磨/佐藤滋)がとても良かったです👏 理性あるエリートといっても、医師にだって慢心も欲望も見栄も妬みもある。堅物だったり、いい加減だったり、卑屈だったり、推しが強かったり、というそれぞれの個性や人間臭さが滲み出る演技でした。若手役者さんも手堅く、ジェニファー(大井川皐月)の、実は一番うまく立ち回っている感じや、ルイス(石川湖太朗)の、医師たちを煙に巻く口八丁手八丁っぷり、お見事でした。

 

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作 ベルトルト・ブレヒト

上演台本/演出 白井晃

葵わかな/木村達成/渡部豪太/ラサール石井/小宮孝泰/松澤一之/あめくみちこ/七瀬なつみ/栗田桃子/小林勝也/粟野史浩/枝元萌/大場みなみ/小日向春平/小柳友/斉藤悠/佐々木春香

 

 面白かった~。小川絵梨子さんが演出するマクドナー作品同様、白井晃さんが演出するブレヒト作品にハズレなしっ!👍 その演出、トンガっていて猥雑感があってとても好き。

 

 ネタバレあらすじ(名前の表記はシェン・テ/シュイ・タ/ヤン・スンですが「・」なしで書きます)→架空の街セツアン。“善人” を探しに訪れた3人の神(ラサール石井、小宮孝泰、松澤一之)が住民に一夜の宿を乞う。皆に断わられ、最後に娼婦シェンテ(葵わかな)が3人を泊める。神たちはシェンテの行為を「善良さ」の証と認め、宿代として大金を渡し「善人であり続けよ」と言って去って行く。

 シェンテは娼婦から足を洗い、そのお金で煙草屋を開くと、彼女からの援助を頼って人々が集まってくる。シェンテは彼らを助けていくが、次第に過度な要求に応えきれなくなる。そこで、シュイタという従兄弟がいることにし、その架空の従兄弟に変装して群がる人々を冷たくあしらっていく。

 シェンテに戻った彼女は、失業中の飛行士ヤンスン(木村達成)と出会って恋に落ち、彼にお金を工面するため店を売却してしまう。が、彼の愛が金銭目的だと知り、絶望して彼のもとを去る。かねてよりシェンテに気があった床屋の男(ラサール石井2役目)が彼女に大金を寄付。シェンテは無情なシュイタに再び変装し、煙草工場を立ち上げて従業員を雇い搾取側の人間になる。従業員たちはシェンテの長期不在を不審に思い、シュイタが殺したのではないかと疑って法廷に持ち込む。

 3人の神が裁判官として現れる。シュイタは神に「自分はシェンテで、善人でいることが辛くなるとシュイタに変装して冷酷に振る舞ってきた」と告白する。神は “善人” として生きようとするほど苦しみが増えるという現実にうろたえ、天に逃げて行く😓

 最後に役者(小林勝也)が現れ観客に「どういう結末が善人に相応しいのか、皆さんが考えてください」と語りかけ、シェンテが「良い結末を🙏」と願う。おわり。

 

 途中何度も登場人物たちが観客に語りかけるのを含め、最後もブレヒト的なエンディングです。絶対的な “善” は可能なのか、人はどこまで “善人” でいられるのか。貧しさや悪がはびこる社会セツアン(=2024年の日本でもある)で “善” であろうとすることの難しさを、観客に突きつけます

 

 無償の愛でもって弱い人を救おうとするシェンテ、冷静に合理的に考え行動するシュイタ。シェンテは悩みます「人に善いことをし続ければ自分は潰れる。善行する自分を保つには時に鬼になる必要もある、悪いこともしなければならなくなる」。善人として生きていくには、必要悪を実行してくれるシュイタがいなくてはだめなのね……😔 「どうして悪行が報われ、善行が酷い仕打ちを受けるの?」愛した人にすら裏切られたシェンテの嘆きが、胸に真っ直ぐに突き刺さる😢

 

 誰かを救うために誰かを蹴落とす、という現実。金と力を手にした者が下の人を搾取するという構造。観ているうちに現代にも通じる社会の矛盾や歪みが浮き彫りになってきます。どうすればいいのか……答えは観客に委ねられるけど、戯曲が書かれた当時(1941年完成、43年初演)のブレヒトは「社会構造を変えることが必要だ」と言っているのだと思う

 

 舞台の後方と左右にカプセルホテルのようなキューブが積み重ねられ、そこで人々が暮らす様子が垣間見える舞台セットは、極彩色の衣装を着た登場人物たちの有り様と相まって、寓話性を可視化します。狂言回し的存在でもある水売り(渡部豪太)は、原作では樽に入れた水を升で汲んで売るんだけど、ここではペットボトルの水を売る。買った客は飲み干したあとのペットボトルを道端に捨てていくので、あちこちにペットボトルが散乱していて、役者は演技しながらそれを足でベコベコ踏んづけていく。それって消費社会の醜さを表している?

 

 神が現れるときに響く音は飛行機の轟音のようでもあり、失業飛行士ヤンスン(木村達成)の存在と重なります。そもそも彼をなぜそういう職業候補にしたのかなと思ったんだけど、天を翔ける=空から降りてくる、という意味で一種の神的存在の象徴なのだろうか、ただし、シェンテにとって厄災を運んでくる堕天使とか? でも彼が「この街から出ていきたいんだ!」って言うセリフがあって、あ、だから飛行士なのかな?とも。結局、彼はシェンテに捨てられてお金(=就職用賄賂ね)を得られず飛行士の道は絶たれ、セツアンから抜け出せないままなのですよね。

 

 主人公シェンテとオルターエゴのシュイタ2役(男女)をほぼ出ずっぱりで演じ分けた葵わかなさん、お見事でした👏 シェンテのときのピュアで無垢な感じ、シュイタのときの感情を殺した表現や男っぽい仕草、そして歌も上手い。シュイタの時は鼻から上に仮面を付けてるんだけど、その仮面がとても邪悪な表情をしていて人間性が希薄に感じられました。

 何も助けてくれないどころか、都合が悪くなるとさっさと天に帰っていく3人の神様ラサール石井、小宮孝泰、松澤一之の、緩さ、いい加減さ、頼りなさ、テキトーさが笑っちゃうレベルでした。最後は歌に合わせてスウィングのリズムをとりながら去っていくし😅

 そんなわけで、いろいろ考えさせられるし、エンタメ性もあるし、演出の力もあるし、役者さんたちも達者だし……と、良い芝居を観せていただきました🎊

 

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引き続き「十三代目市川團十郎白猿襲名披露 八代目市川新之助初舞台」夜の部です。

 

「義経千本桜/鳥居前」

右團次/児太郎/九團次/廣松/廣太郎/男寅/玉太郎

 夜の部の皮切りは様式美を楽しめる「鳥居前」。佐藤忠信は右團次で、荒事としてとっても良かったです👏 右團次は水を得た魚というのか、何か楽しそうにのびのびとお役を演じているように見えました。花道に現れた勇ましい姿が大きくて立派。軍兵との立ち回りにも力がみなぎっている。二代目猿翁さんに教わった型で演じているそうで、例えば、最後の花道では、2人の軍平が上下重なってうずくまっているその上に乗って見得を切るなど、難易度高い立ち回り(型)を見せていました。狐六法も力強くて良いし、ときどき狐に戻るところに自然な怪しげな雰囲気がありました。

 廣松の義経が品性と爽やかさを出していて、落人としての哀れさはちょっと薄いものの、お話の中心としての存在感がありました。児太郎の静御前もすっかりハマり役という感じ。愛しい人を追いかけてくるほどの強さが感じられ、同時に色っぽさも濃く出ていて、ふっと福助を思い出したり……。廣太郎の逸見藤太も滑稽味がちゃんと出ていて良いアクセントになっていました。

 

「一條大蔵譚/奥殿」

幸四郎/雀右衛門/鴈治郎/孝太郎/錦吾/高麗蔵

 幸四郎が大蔵卿役で襲名披露公演に華を添えてくれました。雅で気品があり、作り阿呆には愛嬌と柔らかさが見える。ただ、なんと最初の檜垣茶屋の場がカット。お京(孝太郎)成瀬(高麗蔵)の口添えで女狂言師として召し抱えられる所がないし、幸四郎大蔵卿が作り阿呆を見せる所(そしてチラッと正気の顔を覗かせるところ)が見られない。上演時間の関係とはいえ、ここを出さないのはちょっとどうなの?😑

 で、いきなり奥殿から始まり、門外にて、お京の手引きで鬼次郎(鴈治郎)が屋敷に入っていくところからです。常盤御前は雀右衛門(雀右衛門は團十郎と親戚関係にあるので、昼夜でお付き合いしてくれてます🙏)。品格と、お話の真ん中にいる女性としての存在感がさすがにあり、本心を語るところに説得力と迫真さ、それを偽っていることの辛さと悔しさ、そして清盛に対する強い憎しみの念が感じられました。

 そして清盛方スパイの勘解由(錦吾)を斬って、ようやく登場する幸四郎大蔵卿。まずは作り阿呆ではなく、長刀片手に颯爽と凛々しい姿を見せます。長刀を使っての所作と見得がとても良い。作り阿呆をしていた理由や源氏再興を願う気持ちを語るところのセリフ術の巧みさよ。勘解由の首を打ち落としてからの爽快な笑顔が爽やかで、再び阿呆になるところも自然。この、正気と阿呆を交互に見せるときの、物腰、表情、声色、セリフの緩急の変化が鮮やかで大変良かったです👏

 

「襲名披露口上」

團十郎/新之助/梅玉/幸四郎/雀右衛門/高麗蔵/男女蔵/右團次/市蔵/扇雀/鴈治郎/孝太郎/男寅(後見)

 口上の仕切りは梅玉さん。鴈治郎の「十二代目が闘病中、(当時の)海老蔵は精進に徹底し、出汁に鰹が使われている日本料理も絶った」というのが、唯一、人柄を感じさせるエピソード。あとは皆さん、真面目に型通りのご挨拶だったような。成田屋恒例の「睨み」もご披露いただきました。

 

「連獅子」

團十郎/新之助/幸四郎/鴈治郎

 新之助くんから「連獅子」を演りたいと言ってきたそうで、確かに、いつか演らなければならない演目だし、やるとしたら年齢的に今くらいからだよね。

 前シテの團十郎は柔らかさと華やかさを見せ、仔獅子と手を取りあって歩みを進めるところに情愛が溢れていました。仔獅子を谷に突き落とすときは厳しさを、這い上がって来ないところでは不安そうな表情を見せ、水に映る面影を見て仔獅子が立ち上がったのが分かりパッと顔を輝かせる。花道で、去っていく仔獅子を後ろから見守り無事を見届けて安堵する團十郎は、カンカンの成長を喜ぶ親の目になっていましたね☺️

 新之助くんもその所作は鮮やかで正確、時々ピッとキレを見せるなど緩急の動きもくっきりしている。ただ意外にも、若さのほとばしりみたいな大きな動きはあまり見えず、激しい踊りになると足元が心許ないというか、時々フラッと揺れる感じになるのがちょっと気になりました。

 

 幸四郎鴈治郎による間狂言が最っ高でした😆 互いに最初からライバル心バチバチで、後半、蓮念(幸四郎)が題目(れんげきょう)を、遍念(鴈治郎)が念仏(なむあみだぶつ)を競って唱えるうちに相手につられて取り違えて唱えてしまう、そこにいたるまでにヒートアップするとこで幸四郎が笑っちゃって、そのあと2人がムキになって唱えていくとこ、すっごく可笑しかった〜😂

 

 後シテでの團十郎はさすがに力強くて姿自体に迫力がある。毛振りも身体や頭がブレないし豪快そのもの、獅子毛の描くラインが大きくて美しいかった。

 で、新之助くんなんだけど、最初、花道を2人で登場し、途中で仔獅子が後ろ向きのまま鳥屋にスススーッと戻っていくところは、床に垂れている獅子毛を両脚の間に入れた状態で後ずさるのが望ましいのですが、そのとき足で踏んづけて転倒する危険が高いため、獅子毛を左右どちらかの脚の外側に出して下がることもあるのです。でもカンカンは、獅子毛を手に取り右腕に引っ掛けて下がっていったのね。一番安全な方法をとったわけだけど、う~ん、ちょっと複雑な気持ち💦 その後の毛振りの舞も、新之助くんに負担がかからないよう振付を短くして変えてあったように思えたけど、どうなのかな? あと、まだ腰がしっかり入っていなくて体幹も弱い感じ。毛振りの最初の方は團十郎とシンクロしていたけど、後半は勢いがなくなってました。

 で、思ったのは、新之助くんは演技派なんだな、役柄を演じるのが好き。舞踊も、はっきりした物語性のあるもののほうがそこを表現できて本人も面白いのかもしれない。それでも、やはり実の父子による「連獅子」は特別な感慨を覚えました🎊

 

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團十郎/梅玉/右團次/虎之介/男女蔵/児太郎/鴈治郎/扇雀/廣松/莟玉/九團次/市蔵/雀右衛門/幸四郎

 

 大阪遠征して「十三代目市川團十郎白猿襲名披露 八代目市川新之助初舞台」昼夜の公演を観てきました。歌舞伎座から始まって博多座、南座、御園座、そして大阪松竹座と、2年間にわたる「團十郎襲名披露、新之助初舞台」興行の締めくくりです。その間には、他にも全国50数箇所にて襲名披露巡業を開催してきている。これは「ふだん歌舞伎をあまり観る機会がない人にも観ていただきたい」という團十郎の思いからのもので、純粋にエラいと思いましたよ。

 

 昼の部は通し狂言「雷神不動北山櫻」で、歌舞伎十八番のうち「毛抜」「鳴神」「不動」が入っているものです(というか、のちに七世團十郎がここから「毛抜」「鳴神」「不動」を歌舞伎十八番に選出した)。1741年に二世團十郎が大阪で初演したのだそうで、現・團十郎が、ゆかりの地である大阪での襲名披露では是非これを上演したいということで実現。海老さん時代に手を加え、團十郎は鳴神上人/粂寺弾正/早雲王子/安倍清行/不動明王の五役を勤めている。で、やはり「鳴神」が出色でした。

 

 お話の真ん中には、鳴神上人があることを恨んで、水を司る龍神を滝壺に封じ込め、雨が降らないように仕掛けて世に干ばつをもたらした、というのがあって、雨乞い祈願に効くという短冊を巡るあれこれがあったりして、そこに、帝位を狙う早雲王子、帝側にいる陰陽博士、文屋豊秀が絡み、最後に事を収める不動明王が登場する。

 発端を見せる序幕では、例の短冊を所持する小野春風(廣松)と良い仲になった腰元小磯を芝のぶがやっていて、とっても良かったです。ここにしか出ないのが本当に残念。ここで春風は小磯を信頼している証として短冊を預けるので、ここを出すと次の「毛抜」で、小磯と短冊の顛末が分かって納得。ここで團十郎が演じる安倍清行は100歳を過ぎても好色で……という設定だけど、あのヘナヘナしたセリフ回し何とかならないのかな😑

 

 で「毛抜」では、小野春道=梅玉、執権八剣玄蕃=右團次、家老秦民部=男女蔵、弟秀太郎=児太郎、腰元巻絹=扇雀、小原万兵衛=鴈治郎などという配役で、なかなか手堅いです。團十郎の粂寺弾正は、児太郎と扇雀に言い寄るところはいやらしさ全開なんだけど、そういう “愛嬌” を見せようとするとセリフが漫画じみてしまうのね😓 それが可笑しくて客席からは笑いが起こるんだけど、弾正の色好みの可愛らしさってそういう感じじゃないと思うし、役を演じているというより “うわべ” をつくろっている風に見えてしまって……。のびのびと自由に演じているとも言えるかもだけど、むしろお笑いコント風演技になってしまってる。右團次の玄蕃が憎たらしくて良かったのと、梅玉さんが芝居に重みを出してくれてました。

 

 そのあと神泉苑という場があって、文屋豊秀(幸四郎)が許嫁の錦の前(莟玉)と、浮気相手の雲の絶間姫(雀右衛門)とに詰め寄られ、「2人とも同じくらい好きだよ~😊」と訳の分からないこと言って納得させる😅 好きものだけど憎めない愛嬌がある男って、幸四郎みたいなこういう見せ方だよなと思うわけですよ。絶間姫が「豊秀さまのお役に立ちたいから、鳴神上人に会いに行って騙し、雨を降らせてみせる」と、次の「鳴神」に繋がります。この場があると、絶間姫の行動が潜入スパイっぽくなってちょっとカッコ良いかも。

 

 そして、いかにも荒事というこの「鳴神」團十郎の面目躍如たる一幕。最初に見せる高僧としての品格と相まって、低く太い声がやっぱりお父さんに似ているなーと、ちょっとしみじみ(私は十二代目が好きでした😢)。現れた絶間姫(雀右衛門)の話で次第に煩悩が蘇り、どんどん引き込まれ堕ちていく(実際に祭壇の階段からずり落ちる😆)ところまで上手く見せている。

 まんまと絶間姫に大注連縄を切られ、謀られたと知って怒り心頭に……というとこから、荒事役者團十郎の本領発揮です。ブッ返った姿が荒々しくも華やかで、もちろん憤怒の塊。柱巻の見得も派手でカッコ良くて凄まじい。所化たちとの立廻りは力強くて、ここはお弟子さんたち大活躍です。最後、六方を踏んで姫を追いかけていくところは豪快でダイナミック、観客大喜び~👍(一瞬、手拍子が起こりかけてヒヤッとしたけど、所作がそういうリズムじゃないから続かなかった。ホッ……)。

 雲の絶間姫の雀右衛門は古典風味をたっぷり乗せてくれました。雀右衛門は永遠の赤姫って雰囲気が強いだけに(←個人の見解です)こういう、危ない色っぽさをダダ漏れさせるお役には独特な禁断感が出て面白いですね。

 封印が切られて解き放たれ滝を登っていく龍神は3柱で(大中小で親子みたいな大きさに作られている)、いかにも水を司る神といった感じだし、確かに雨を呼びそうな迫力があるし、それが天に昇っていくところは見応え十分👏 この龍神の作りは成田屋だけの演出だと思うけど、ちっちゃい魚が1匹、コイの滝登りみたいにチョロロ~と登って行くしょぼい演出よりずっと好きです😅

 

 大詰での、早雲王子(團十郎)と四天たちとの大立廻りはショーアップした動きが多く見ていて楽しい。「蘭平物狂」でやるのみたいな、花道で長いハシゴをつかった危険でアクロバティックな立廻りもあるしね(團十郎これやりたかったんだろうなーと分かる😅)。

 最後の、不動明王の空中浮遊は今風のイリュージョンを使っているんだけど、ここはもう少し古典歌舞伎らしいアナログな見せ方をして欲しいと思うのですよね。そういえば冒頭で干ばつ状態を見せるために、どこぞの国の干上がって赤茶けた大地の(ナショナルジオグラフィックに出てくるような)リアル映像を映すのもどうかと思いましたよ。とはいえ、総じて、大変楽しく観た昼の部公演でした🎉

 

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