明日もシアター日和

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観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

監督 アラン・パーカー

ロバート・アーキンズ/ジョニー・マーフィー/ブロナー・ギャラガー/アンドリュー・ストロング

 

 公開時に観て以来の再見だけど、やっぱり素晴らしい音楽映画でした🎊 ダブリンを舞台に、ソウル・バンドを結成し成功を夢見るも、やがて内部崩壊するという若者たちのドラマです。私はソウル・ミュージックには全く疎いのですが、映画作品として、お話も音楽も演技も映像も編集もよくできている。終映後にピーター・バラカン氏のトークがあって、これがまたツボを押さえた興味深い話ばかりでした。

 

 ネタバレあらすじ→本格的なソウル・バンドを作りたいという夢を抱いたジミーは、知り合いに声をかけたりオーディションをしたりして10人のメンバーを集め、バンドを結成。ジミー自身はマネージャーとして奔走する。活動は順調だったが、やがてメンバー間での衝突、メンバーの脱退、恋愛のゴタゴタなどトラブルが頻発。それでもバンドは実力をつけてあちこちでライヴを行い、マスコミの記者にも注目されるようになる。しかしメンバーの人間関係はさらに荒れまくり、ある日のライヴで大きな成功を収めレコーディングの話も来たその夜に内部崩壊。バンドは解散、メンバーはそれぞれ別々の道を歩いていく。終わり。

 

 映画は、ジミーがバンド誕生について音楽雑誌のインタヴュアーに話し出すところから始まります。そのあとも、メジャーになった時を想像してジミーが一人芝居風に、架空のインタヴューに答える練習をするシーンが何度か出てきます。そして最後は、ジミーがインタヴュアーに顛末を語るセリフで終わるんだけど、結局それも一人芝居だった、鏡を見て自分に向かってしゃべっているだけだった。ちょっと切なくなりました😢

 でも、バンド解散後の彼らの人生は挫折するわけではなく、音楽活動を続けたり別の仕事についたりしていて、決して悲観的な印象は残さない、そこが良い👍 メンバーのひとりが終盤に言う「俺たちは何かを成し遂げたんだ」という言葉が印象的でした。

 

 舞台になったのはダブリンのノースサイド地区で、当時は貧しい人たちが住む地域だったそうです(バラカン氏談)。映画の中でも、バンド・メンバーのほとんどは肉体労働者で、中には失業者もいる。元になった小説の著者はそこで中高一貫校の教師をしていたのだそうで、それゆえ、若者たちと直接に接し彼らの癖や個性を知っていたからあそこまでリアルに描写できたと言います。街角が何度も映るのだけど、荒れてザラついた感じの風景は、ダブリンの辛い歴史を感じさせました

 なぜソウル・ミュージックなんだと聞かれてジミーは「アイルランド人はヨーロッパのブラックだ」「ソウルがあれば国民同士の戦いもなくなる」みたいなことを言います。ここでの「ブラック」はマイノリティー的な存在であること、ソウルは「魂/精神そのもの」のことですよね。でも実際には著者は、ロック・バンドだと男性4,5人くらいしか登場させられないけど、ソウル・バンドなら大人数になり女性ボーカルも入れられるし、という理由でソウル・バンドに設定したのだそうで、意外な方向からの理由でした😅

 バラカン氏によると、この作品はアイルランドではもちろん、イギリスでも好評で賞を取ったりしたのだけど、アメリカでは受けなかったらしい。ソウル・ミュージックの本場からしたら、彼らの音楽は紛い物!だからだそうです😆

 

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仁左衛門/吉弥/孝太郎/千之助/歌六/梅花/錦之助/壱太郎/彌十郎

 

 仁左さま権太、円熟の芸でございました🎊✨🎉 年齢を感じさせない緩急ある動き。「木の実」では憎めない小悪党から、女房大好き子煩悩の情愛あふれる男へ、「すし屋」では母に可愛く甘え父の手柄のためにしたことは空回りして……と、場面ごとのさまざまな表情とセリフ回し。今回も仁左さまの魅力全開の舞台でした〜。

 まず、上手から登場するときのヒョイヒョイヒョイという足取りの軽さよ。荷物から20両を抜き取ったな!と言いがかりをつけられた小金吾(千之助)がウダウダ言い訳しているところでドスの聞いた声に変わる、こういうときの、まさに人が変わったように声と表情でガラリと変身する仁左さまがまた素敵なのですよね〜😊 小金吾若葉の内侍(孝太郎)になだめられている様子を横目で見ながらヘッヘッヘ……😎と笑う、悪~い仁左さま(に、こちらも頬が緩んでしまう😊)。まんまと騙し取ったあと1人になり「元手いらずのちょろい仕事」と言う時の嬉しそうな顔、憎めません。

 女房(吉弥)と息子が現れるととたんにもう一つの面を見せる。女房に強がってもそこに甘えが感じられるし、息子のことベタ可愛がりだしと、仲睦まじい一家の光景が見えてきます。ここの表現も実に巧みなんですが、この辺りは普段の仁左さまそのままなんだろうな。でもこのあとの「すし屋」での展開を知っているだけに、もうここから泣きたくなる💦 花道に差し掛かったところで女房の後ろ姿を見て「えらい瑞々しいなぁ……」と思わず声に出してしまう、そのときの吉弥さんを見る眼差しが、本当に惚れてるという感じでした。

 その吉弥さんがまた実際、なんとなく色っぽいのですよね。それまで女房役を勤めてらした秀太郎さんには、そういう色っぽさはあまりなかったような……いかにも姉さん女房風でした(私が感じなかったのかもだけど)。吉弥さんは少しあだっぽさを感じさせる雰囲気を纏っていると思いました。

 

 小金吾の千之助は、大切な方を守るお供にしては頼りなげだけど、十代後半の初々しさがあり、騙されたと分かっても権太に対してどうにもできないという、そのあたりも見せ方自然だった。このあとの「小金吾討死」では、あまり強うそうには見えなかったけど😅 立ち回りの所作はきれいでした。この場をひとりで持たせるだけの力がついたんですね仁左さまのご指導をしっかり受けたのでしょう、芸は随分安定していました。

 

 そして「すし屋」での仁左さま権太。さっきまでの調子のいい強請り屋→妻子大好きな一家の主人から一転、ここでは放蕩ヤンチャな息子まんま。妹お里(壱太郎)には兄貴ぶって当たり、母(梅花)には甘え方を心得ていて……と、ここで可愛らしいところを見せれば見せるほど、終盤の展開が辛いのですが。そういえば、今までは嘘涙にお茶を使っていたと思うんだけど、今回は花生けの水を使っていたのは何か理由あるのかな。

 首桶を抱え自分の妻子を若葉の内侍と六代君に仕立てて登場してからの一連の展開は何度見ても涙出ます。溢れ出る情の深さを表現する仁左さま流の演技は本当に唯一無二首実検のとき、もし偽物だとバレたら……と、掴みかかるような気持ちで身を乗り出しすごい形相でその場を睨みつける格好に釘付けでした

 そして、父に刺されて瀕死の仁左さま、最期、息子が大事にしていた笛を入れた巾着を愛おしそうに頬に当て、手を合わせるところがね……もう😭 幕が引かれ始めるところで、仁左さま微かに微笑むのですよね。自分の行為は無駄に終わったけど、父への恩返しもできたし勘当も解かれたし、これで良かったという思いなのか、運命の皮肉を自笑し全て自ら招いたことと受け入れた境地なのか、あるいは、これで女房と息子は犠牲にならずに済んだという気持ちもあったのだろうか。結局、権太って不器用な男だったんだなあ、そしてその死は全ての人の悲しみにつながるなあと思ったのでした。

 

 他の役者さんたちもすごく良かったです。一番に思ったのは弥助(実は維盛)の錦之助です。花道からの出、寿司桶を担いでフラフラヨタヨタと歩く様子、首を左右に微かに揺らすところ、本当に柔(やわ)な感じで、芸が細かいです。そして弥左衛門(歌六)あー、いや、まずまず……」のひとことでスーッと背筋が伸びて高貴な人になるところで、ほ〜っとため息でました。最初からまろやかな品性を纏ってはいるけれど、そこに一気に格が加わる感じ。そのシームレスな変身、見事です。今回はこの維盛、そして若葉の内侍、お里のシーンをたっぷりと味わいました。お里が不憫で健気でいい子だった。態度をはっきりさせてこなかった維盛さまがいけないけど錦之助だから仕方ないよね……と許す。

 そして彌十郎さんの梶原景時悪役で強面だけど実は深い洞察力を持った男というのが、ご本人のキャラと重なりすごく自然に出ていて、花道の引っ込みでの大きさには感動しました。

 良い芝居を観せてもらいました〜🙏 仁左さまの型の権太は誰が受け継いでくれるのでしょうか。もちろん愛之助でしょうが、勘九郎や幸四郎の権太は江戸前だったかな?

 

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 駐日アイルランド大使館の主催による「アイルランド映画祭2023」(@角川シネマ有楽町)が開催されていて、上映作品のひとつ、アイリッシュ・ダンスのドキュメンタリーを観てきました。紹介文を引用すると「イングランドによる支配の中で原型が生まれ……その何世紀にも渡る物語や抵抗運動ともいえる歴史を、貴重なフィルムや力強いオリジナルパフォーマンス映像と共に追う……」ということで、ダンサーや振付家や音楽家などのコメント、豊富なダンスシーン、歴史を物語る映像・画像を組み合わせた作品。日本初公開です。

 予想以上に面白かった🎊 タイトルからも分かるように、アイリッシュダンスはイングランド/GB(以下、イギリス)の圧政に抗い続けたアイルランド人の自由への希求の象徴、アイリッシュ魂の拠り所であり、彼らのアイデンティティーの表出だったったんだなと痛感しました。

 

トレイラーを貼り付けます。ダンス映像かなり多い。

 

 アイリッシュダンスの話をおよそ800年前、イングランド王ヘンリー2世によるアイルランド侵攻・支配にまで遡って語り始めます。それ以降、断続的に繰り返されるイングランド/イギリスによる侵略・支配・弾圧。中でもアイルランド史上で最も残酷だったのは、ピューリタン革命の首謀者クロムウェルによるアイルランド侵略(1649~53)で、5年間で60万人のアイルランド人が殺され、アイルランドはイングランド化されます😭 生き残ったアイルランド人の多くは年季奉公者として西インド諸島に強制移住させられ、そこでアフリカ人奴隷と一緒に働き、夜は皆で焚き火を囲んで踊り、そこから両者のダンスが混じって……という歴史は全く知らなかったのでとても興味深かった。ちなみにクロムウェルはアイルランドで最も嫌われている人物ですよ☠️

 

 その後アメリカ本土でも、黒人のダンス文化とアイリッシュダンスとが、影響しあい交わっていく。抑圧からダンスが生まれていくという意味で両者は同じだ。

 イングランド/イギリスの支配・圧政でアイルランド人が失ったものは多いけど音楽とダンスは残るんですね。18世紀、ダンス教師たちが村から村へステップを伝えて歩いたそうで、それを通してアイリッシュダンスが体系的になっていく。19世紀末にアイルランドでは文化の復興が始まり、ダンスはイギリスに対する抵抗運動(自治回復運動=脱イギリス化)のシンボルになったのだと🇮🇪 20世紀に入りイギリスからの独立を経て1960年以降、それまで軽視され忘れられていた文化が蘇り、今に至ります。競技化やステージショー化することで、その在り方も変わってきているようです。

 

 ステップの形式は打撃系で、アフリカのダンスに似ている。フラメンコやインドのカタックにもステップ系ダンスが見られるけど、そうしたダンスの中でアイリッシュダンスの足捌きは最速だそうです。その後、上に飛び上がるステップが加わったりした。でもなんといっても特徴的なのは、上半身は動かさず脚と足だけで踊ることですね。この、上半身を硬直させたようなスタイルこそ、イングランド/イギリスの圧政に屈しない精神性の象徴なのだと。アイルランド人の反骨の表現方法、弾圧から生まれ進化したダンスという言葉が印象的だった。屋外で踊る映像も多く、アイルランドの美しい自然の風景は目の保養でした。それにしても(私はイギリス贔屓ですが、それは置いといて💦)イングランド/イギリスはアイルランドに本当に酷いことしてきたなと、胸が痛みます😢

 

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最後の遠征レポートは、ロンドンで行った2つの美術展です。

 

「ロセッティ展」@テイト・ブリテン

 

 

 

 ロセッティを浴びるように堪能しました~🎊 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティは好きな画家の3本指に入る1人です。この特別展の原題は「The Rossettis」。複数形 s がついているのは、彼のほかに、クリスティナ(作家・詩人)とエリザベス・シダル(画家・詩人)の作品も紹介しているから。彼らの芸術に対する浪漫性と革新性、人生におけるボヘミアン精神、影響し合いながら磨いていった創造力や独創性などを考察しています。ロセッティの詩人としての側面やウィリアム・マイケル(作家・評論家)の業績などにも注目していました。

 私の好きな、中世テーマの作品が多く展示されていて、ロセッティが好んだ(というか憧れた)愛の形をたくさん観ることができた。十代の頃のドローイングや、彼が関わった家具や室内装飾品などもあり興味深かったです。いちばん楽しんだのはポートレイトのエリア。ロセッティはエリザベス・シダル、アニー・ミラー、ファニー・コーンフォース、ジェーン・モリスなど多くの女性をモデルにしましたが、私が一番好きなモデルは知的なクールビューティーと言っていいアレクサ・ワイルディングです。今回の展示では彼女をモデルにした作品が多かったのが嬉しい。「モンナ・ヴァンナ」とか最高ですね💖

 ロセッティとシダルとの微妙で危うい関係性も2人の絵画から伺うことができました。彼女は、ロセッティのモデル→恋人→ミューズ→画家としての師弟→妻……と立場は変わっていったけど、シダル自身の生き方のスタンスは変わらなかった。彼女はロセッティとの結婚をじっと待ち続けたのではなく意識的に独立心を保っていたのでは?とも考えられているそうです。彼女がもう少し長く生きていれば画家として才能をさらに伸ばしていたかもしれない😢

 ロセッティがウィリアム・ブレイクの詩を好んだとか、オスカー・ワイルドがロセッティの詩集出版に貢献したとか、興味深いエピソードもありました。ロセッティ世代のアーティストたちは実生活と芸術生活と交友関係が混じり合っていて面白いです。

 

 

デイヴィッド・ボウイ「アラジン・セイン:50イヤーズ」@サウスバンク・センター

 

  

 

 ボウイの1973年のアルバム「アラジン・セイン」が発表されて今年で50年ということで、それを記念したアート展です。とってもレアな鑑賞体験だった🎉 このアルバムがキャッチーだったのは、曲もさることながら、何と言ってもジャケ写(←死語?😅)のボウイの顔に描かれた稲妻マークですよね。このアルバムのためだけにメイクされたデザインで以後は使われなかったのに、以来、あの稲妻はボウイのアイコニック・マークとなった。それくらい当時としては斬新でインパクトとメッセージ性があり、しかも美しかったわけです✨

 アート展は、その撮影をしたフォトグラファーのブライアン・ダフィー氏が所蔵している写真や資料などが多く展示されています。内容は、70年代ロンドン音楽シーンからこのアルバムが誕生するまで、ダフィー氏との出会いから最終の仕事までの流れ、それに関連したさまざまなエピソードなどです。

 稲妻マークは、70年代当時イギリスにも入ってきていたナショナルの炊飯器にあったロゴマークからヒントを得たというのは本当のようです(スタジオに置いてあったらしい)。ボウイは頬に小さく入れるつもりだったけど、ダフィー氏の「もっと大胆にこんな感じで……」の一言であのようになったそうです。鎖骨に落かれた涙もダフィー氏のアイディアらしい。

 アルバム「アラジン・セイン」はいきなりイギリスのアルバムチャート1位に踊り出て、5週連続でそれをキープ。その時期ボウイはワールドツアー中で、アルバム大ヒットのニュースを知ったときはコンサートの準備で広島にいたそうです(初来日公演ね)。

 

「The New Heathen Archives」@サウスバンク・センター

 

 

 上記のアート展をやっているサウスバンク・センターは、ボウイが1969年に、オープン間もないパフォーマンス用会場パーセルルームで初めてコンサートを開いて以来、ボウイと深い関わりを持ってきたそうで、その歴史を辿るべく、同センターが所蔵する未公開のアーカイブ資料が展示されていました。ここで最初にマイムを披露したときの写真とか、パフォーマンスや企画運営時の舞台裏写真など、かなり貴重な資料を見ることができました。

 

 

チャールズ3世戴冠式@ロンドン

 5月6日。狙ったわけではないけど、遠征中に戴冠式があることが分かり、急遽ロンドン滞在を組み込んだのですが、肝心の戴冠式当日は朝から☔️☔️☔️ でも、このために旅程をやりくりしたのだからと、パレード開始時間を目指して周辺に行ってみました。当然ながら、何の計画も立てずに行ってもダメなわけで😓 パレード目当ての皆さんは2、3日前からテントなどを持参し、見学エリアの場所取りをしているのですから。で、こんなの(↓)しか撮れなかった😅

 パレードが終わったら街を散策して雰囲気を味わおうとか、数カ所のオープンエアでやっているパブリックビューイングに行ってみようとか考えていたんだけど、雨が降り止まないので断念。ホテルに戻ってTVでライヴ映像をずーっと観ていました。

 

 

 

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 日にちが空いてしまいましたが、ヨーロッパ観劇遠征レポートの続きです。バレエ鑑賞は④で終わり。ロンドンで2本のミュージカルを観たので簡単に感想を書きます。

 

  

 

「キャバレー」@プレイハウス・シアター in ロンドン

脚本 ジョー・マスターロフ

作詞 フレッド・エブ

作曲 ジョン・ケンダー

演出 レベッカ・フレクナル

 選り取り見取り状態のミュージカル作品の中で「キャバレー」と「ムーラン・ルージュ」を候補にしたんだけど、「ムーラン……」は日本人キャスト版を観る予定なので(脚本、演出、振付などスタッフはほぼ同じ)、ロンドン版を先に観てしまうと差を感じてしまうかな💦と思ってやめ、「キャバレー」にしました😅

 

 Playhouse Theatreが、作品内に出てくるキャバレーの名前「Kit Kat Club」という名称に一時的に変更されていました。粋ですね! 開演1時間前に来場するといいよと劇場からメールがあったので行ってみると、劇場内の各所で役者や演奏者がパフォーマンスを見せたり、他の役者が場内をウロウロしてたりしていて、観客はさっそくお酒を片手に見物。1930年代のベルリンのキャバレー「キットカット・クラブ」に迷い込んだ気分になるわけです👍

 上演が始まっても私たちはキャバレーのお客。1階客席にはお酒を飲みながら観られるテーブル席もあり、他の席でも観劇中のお酒OK。休憩になると皆さん一斉にバーにドリンクを求めに走り、オーダーして席で待っていればスタッフが持ってきてくれる。でも場内の撮影はいっさい禁止で、スマホのカメラレンズにシールを貼られました。

 

 作品ですが、とてもとてもデカダンスな体験だった!🎊 ちなみに、このミュージカル版は1972年の映画版とは内容が全く異なりますよ。ナチスが権力を掌握しつつある頃のベルリン。場末のキャバレーの歌い手サリーとアメリカから来た作家クリフ、クリフが滞在したアパートの大家シュナイダー夫人ユダヤ人シュルツ、2組の恋が結ばれかけ、ナチスの台頭と共に壊れていきます

 キャバレーのショーの進行役MCは強烈なオーラを放って舞台の世界を構築します。2年前にエディ・レドメインがこの役を演じて喝采を浴びたけど、今回のMCも両性的というよりは中性的、シャープで非情で冷めた存在感があり、結局彼は何者?という不思議な余韻を残しました。サリー役は限りなく生命力に溢れていた。客席=キャバレーのお客を巻き込むショーのような、でもしっかりミュージカル、という演出がすごくユニークで、観終わって外に出ると、時空をワープしたような不思議な気分になりました。

 

 

「オクラホマ」@ウィンダムズ・シアター in ロンドン

作詞 オスカー・ハマースタイン II

作曲 リチャード・ロジャース

演出 ダニエル・フィッシュ

 夜はホテルでゆっくりする日もほしいと思いマチネ公演を探したんだけど、これが本当に少ない。海外ってソワレ公演が圧倒的に多いんですよね。で、興味と日程とを照らし合わせ合致したのがこれでした。今年のローレンス・オリヴィエ賞ミュージカル部門で最優秀リヴァイヴァル賞を獲った、というのに釣られたのもある😅

 

 初演1943年のクラシカルな作品ですが、今回観たのは2019年の新解釈・新演出版です。登場人物のうち主要3人に絞って従来版の超短縮展開を書くと→1906年オクラホマ州の農村が舞台、農場の娘ローリーカウボーイのカーリーはお互いに好きなのに意地の張り合いで進展しない。農場労働者ジャドもローリーに惹かれている。カーリーとジャドはダンスパーティーでのオークションゲーム(勝ったほうがローリーとデートできる😖)に挑戦し、負けたジャドはローリーを脅す(ローリーはカーリーへの当てつけで、一度ジャドとのデートを受けたから)。カーリーとジャドは殴り合いの喧嘩を始め、ジャドは自分が投げたナイフの上に倒れて死亡。カーリーとローリーと結ばれる

 

 従来の「オクラホマ」では、ジャドは陰気な神経症の男、ローリーに執着する「変人」で皆から嫌われているという設定。だから誤って死ぬのは自業自得で、主役男女はハッピーエンドというオーソドックスなお話です。これがなぜ賞を獲ったの?と思ったのですが、この新版は現代にアップデートしてあった。

 ジャドを、村人からいじめられ除け者にされている被害者、繊細で傷つきやすい青年に変えてありました。逆にカーリーの方が無神経で意地悪な男にしてある。そして村人たちはジャドをローリーから遠ざけるために団結し、卑怯な手段を使ってジャドを除外しようとする。結局ジャドはカーリーの銃に撃たれて死ぬんだけど、村人たちはカーリーは正当防衛だったとし、隠蔽工作をし、カーリーを無罪にします😔 弱者をコミュニティーから排除する集団の恐ろしさを描いてあった。また、ゲームに勝った男が目当ての女性を手にすることができる=女性は男性の所有物、という、とんでもない設定にも批判が加えられていました。それを知ったうえで作品を反芻すると、なるほど興味深い新版「オクラホマ」でしたね。

 

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演出/振付 クリスタル・パイト

脚本 ジョナサン・ヤング

 

 ゴーゴリの戯曲を翻案したダンス作品。すごく斬新で刺激的で面白かったです。戯曲のタイトルは主人公の職業を示した「監察官/査察官」ですが、このダンス作品のタイトルは、原題「Revizor」にかけて英語の「Revisor」(改訂者・修正者)とし、内容もそういうものになっていました。

 事前に戯曲は読んでおきましたよ👍 録音したセリフが全体を通して流れるという作りで、上演中その邦訳がプロセニアムアーチ上方に投影されるけど、プログラムに全訳を掲載したので観る前に読んでおくといいよ、との話だったのでその通りにしましたが、これは役立たなかった。いくらセリフの流れを事前に知っていても、いま目の前で踊られているダンスとその時のセリフとを同時に目に入れないことには意味がない。なので上演中は、字幕は見ずダンスだけに集中。戯曲であらすじを知っておいて良かったー😅

 

 最初のパートは、セリフに合わせて身体と表情を動かすもので、大袈裟な所作による無言劇といった感じ。その誇張した動きやポーズは笑いを誘います。固定された(録音された)セリフに合わせて身体を動かすことには、束縛、規則性、表面的取り繕いという意味を感じる。ダンサーの動き、役柄を表すムーヴメントは実に見事で、しなやかな関節や四肢の動き、相手との絶妙なタイミングを捉えながら見せる滑らかな絡み、一瞬その動きを止めた時の造形の美しさなどに感心します🎉

 ちょっと引っかかったのはリップ・シンクロナイゼーション(クチパクね)というやつかな。そこまでする必要ある?と思ったけど、ダンサーの鳴海令那さんのインタヴューによると顔の振付という解釈で、「セリフに合わせて口を動かすことでその瞬間の意味や感情が湧き上がってくる」のだそうです。

 でも、誇張した演劇的振付で見せる作品としては同じような手法の「ザ・ステイトメント」の方が様式的でダンスとしての面白さがあるなーと思いながら観ていたら、その後のパートから気持ちが俄然前のめり状態に。ここから圧倒的に面白くなっていった❗️

 

 続くパートでは、ダンサーたちは役柄の衣装を脱いでシンプルな上下で登場。最初のパートと同じ内容を繰り返しているようだけど、演劇的マイムではなくなり、もっと流動的、もっと伸びやか、もっと自由なムーヴメントになる。それによって、最初のパートの表層的な言葉と動きを分解し、解釈し直し、構成し直し……と、表現がどんどん重層的になっていく。そのことで、最初のパートでは見えなかったもの、人物の欺瞞、本音、偽装などが暴かれるような感じです。登場人物の内面の外面化になっているわけで、ダンサーたちの表情には不安や恐怖が現れていました。録音で流れるセリフもそのダンサーの動きを説明するというふうに、動きと言葉の関係性が逆転していた。この両パートは2つで1つ、表と裏、背中合わせの世界。だから最初のパートは絶対必要なのだと気づきました。

 ところで最初のパートで、枝角を生やしたクリーチャーが出てくるんだけど、そこではコミカルな造形なんですよね。ところが続くこのパートでは、その枝角を腕につけて登場し、背中には硬い背鰭のようなものが生えていて、ちょっとグロテスク。これは私たちの内に巣食っている醜い部分が「怪物」としてあらわになったということ?🤔

 

 最後のパートは、ダンサーたちが再び役柄の衣装をつけ、最初のパートで見せた戯曲の続きに戻るんだけど、リヴァイズされたパートを観たあとでは、もう単なる「芝居の続き」としては観れなくなりますね。彼らの行動や言葉には嘘が感じられ、もはや笑って見ていられない。肝心の主人公(改訂者)すら「私はなぜここに居るのか」「これは何を意味するのか」と自問して逃げていくし。その中で真実を最初に知った郵便局長だけが衣装を脱ぎ捨てたんだけど、その意味がちょっとわからなかったな😓 ラストは結末も大きく改変(リヴァイズ)するのかなと思ったけど、それはなかった。

 

 ゴーゴリの戯曲は痛烈な風刺劇、地位や権力や財力のある者たちの化けの皮を剥がして批判する意図で書かれたそうですが、このダンス作品はそういう社会的・批判的なメッセージがあるのと同時に、言葉と外見(衣装)と動きと無意識(内面)との関係性あるいは無関係性を改めて提示しているようにも思えました。並走していた言葉と身体表現の立場があるとき逆転し、そのことによって意味が変わる。でも、隠されている部分を知った上で表層を目にした場合、どちらをどう信じるかは自由ですよと言われているようでもあった

 ダンスとしては、特に集団としてのムーヴメントが素晴らしい。これはパイトの他の作品でも思うことです。集合体としてのダンサーが生み出すエネルギー、感情の奔流の見せ方、舞台の空間を支配する造形美👏 本作でのダンサーは8人と少ないけれど、それでもその面白さは感じられました。

 残念だったのは、ちょっと舞台が大きすぎる(舞台の横幅が本作には長すぎる)と感じたこと。何かスカスカ感がありました。もうひとまわり or ふたまわりほど小さい舞台の方が良かったのでは?と思いました。

 

「寿曽我対面」

梅玉/松也/尾上右近/巳之助/魁春/新悟/亀鶴/莟玉/桂三/吉之丞/友右衛門

 

 様式美を堪能しました〜。松也の五郎演じ初めの頃にあった力みや雑さがなくなり、溌剌としていて好感が持てる五郎でした。ちょっとお顔がふっくらしてきているのでシュッとしたラインが崩れないよう気をつけていただきたいですね😅 尾上右近の十郎すっきりとして品があり、セリフと動きには柔らかみがあってとても良かったです。顔が小さくて首が長いのね。全体的に古風な可愛らしさがありました。

 工藤祐経は梅玉さんですが、声がちょっとガラガラでした。工藤らしく低く太い声にすることで負担がかかっているのだろうか。その声は柔らかく細く、そもそも工藤のニンではないこともあり……💦 この作品は工藤の役者さんの持ち味が全体のイメージを決めることもあると思うので、その意味では何となくおとなしい「対面」でした。あ、梅玉さんは大好きな役者さんですよー😊

 巳之助の朝比奈は姿も化粧も立派、迫力のある声とセリフ回し、一つ一つきっちりと決まる形、とても大きく見えました。五郎をやりたいだろうなとチラッと思ってしまった。珍しいことに莟玉が立ち役(家臣)。所作が柔らかく優しかったです。もう一人の家臣は亀鶴さんで、好きな役者さんが前に出てると嬉しい。そしてこのお芝居は大名たちも存在感ありますよね。化粧声にもお一人お一人の個性が感じられ、感情もこもっていて、特に今回は元気よく感じられて楽しかったです。

 

 

「若き日の信長」

團十郎/梅玉/児太郎/市蔵/右團次/齊入/男女蔵/九團次/廣松/家橘

 

 十二世市川團十郎十年祭と銘打った公演で、十一代目團十郎に当てて書き下ろしたコレを上演するんですねー。代々で演じ継いでいくという意味で、本来なら團十郎襲名公演で演ってもいい演目だと思うけど、なぜか演らなかった😑 今回の上演に当たっては、どなたかから「十年祭にふさわしいのでは?とのお話をいただいた」と團十郎が言っています。

 織田信長がうつけ者(愚か者)と呼ばれていた青年時代、迷いや葛藤から “桶狭間の戦い” を決意するまでの心理ドラマです。團十郎は新之助時代から勤めていて、前回の公演は2015年。今回が4回目。

 

 團十郎の信長見栄え良く颯爽とした押し出し。8年前に比べると生っぽさがなくなり、團十郎としての貫禄も手伝って、演技者としての成長が感じられる舞台でした🎊 序幕で子どもたちを相手にしたり形ばかりの法要に反発したりというところは、もっと若者の青臭さや危うさ、孤独感、何かに迷い悩む姿が見えたほうがいいのでは?とも思ったけど、團十郎信長はこの頃からもう何かきっぱりした芯が見えるようだった。

 続く中務の屋敷では、お守役の老臣・中務(梅玉)への気持ちをこぼす。口うるさい爺だけど心配してくれるのがなんとなく嬉しい気持ち、ぶっきらぼうながら老体をいたわる言葉、陰で見てくれている安心感など、中務への微妙な感情を丁寧に出していたと思う。中務の自害と本音を知った後、信長がスーッと青い殻を破った様子が感じられました

 最後の書院の場、「そこ」にいる中務の幻影と向かい合って酒を飲み交わすところは、團十郎が放つ独特の輝きと殺気が。弱肉強食の世界で生き抜かねばならない武将たち。「この世は地獄。残った者は生きてこの地獄を存分に蹴散らせてやらねばならぬ」と、迷いを捨てて桶狭間を決心する團十郎信長の鋭い眼光に強い決意が見え、やがて天下を取るであろう大物の片鱗を見せる👏 最後、出陣を前に舞う信長のもとに家臣たちが次々と駆け付けてくるところは心が沸き立ちますね。

 

 信長と中務とは正反対の性格だけど、だからこそ惹かれ合い、それぞれが相手を思っていたはず。團十郎と梅玉さんの関係は主従というより父子のよう。自害した中務を思うところでは特に父と息子のような絆が感じられ泣けました😭 梅玉さんは亡くなった十二代目團十郎さんと同い年、しかも高校の同級生同士なんですよね。「一生を通じての友人でした」と梅玉さんは仰っている。当代團十郎が梅玉さんに格別の安心感を抱いていてもおかしくないでしょう。

 

 その梅玉さんの中務は初役で、ここまでの老け役は珍しいですが、上記のような関係から配役された or 引き受けられたのかな。温かみのある良い爺でした👏 自分の息子たち(男女蔵、九團次、廣松)信長への思いを吐露するところは我が子の行く末を心配する親の姿だった。児太郎の弥生は純粋で健気な女性。美作守の市蔵さんがいつものように大変存在感があり良かったです。今回は悪側で、弥生に気がある見せ方はほどほどにいやらしいし😅 齊入の覚円と不穏な会話をするところの怪しさ加減、信長に対する嫌味など、役柄をとても上手く演じていた。木下藤吉郎を演じた右團次も爽やかでパリッとしていて良かったです。男女蔵は左團次パパに声とセリフ回しがますます似てきたし、体型も貫禄がついてきた。お芝居上手いし独特の雰囲気を持っているから大きなお役を任せてあげて欲しいです。

 

 團十郎さんが亡くなられて10年なのですね😢 そんなに経ったとは思えないほど、自分の中ではさまざまな舞台の記憶が鮮明に残っています。歌舞伎座タワー5階で開催されている「十二世市川團十郎十年祭特別展」を観てきました。「若き日の信長」を十二代目が團十郎襲名披露公演(1985年)で上演した時の抜粋映像を観ることができる。児太郎が勤めている弥生を玉さまが演じられていて、十二代目(当時38歳)と玉さま(当時35歳)お二人とも初々しかった✨

 

  

 

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隼人/米吉/門之助/猿弥/青虎/中村福之助/歌之助/笑三郎/笑也/團子/男寅/寿猿

 

 観てきました。 平将門の遺児・相馬太郎良門が死から蘇り、父の遺志を継いで天下を奪うべく策動するお話です。隼人くん、堂々たる演技でした、お見事でした~🎊

 1幕、早桶から蘇生した隼人良門が仁左さまレベルのカッコ良さ&麗しさで、ほぉぉぉぉぉ😍ってなりましたよ。その1幕最後で見せる宙乗り、上体と腕は微動だにせず脚だけを動かして中空を昇っていく……コレ体力的にも技術的にもすごく大変だと思うけど、まさに人外の存在を思わせるおどろおどろしさ、怪しい美しさを放っていました。装束の内側から炎(灯り)が漏れ、煙がシューシューと出ているのもすごい演出ですね。

 2幕での大立ち回りにはスピードと勢いがあり、大柄なおかげもあって華やかでダイナミク。回転すると着物の裾が大きくひるがえり、絵になります。大喜利所作事での6役早替わりのうち、サスガに女童は姿にも声にも苦しいものがあったけど😅 傾城薄雲の斜め横顔、首を傾けた時の角度によってアゴから首にかけてのラインがロセッティの絵にある美女のようでゾクッとしました。

 なんだかヴィジュアル面のことしか書いていませんが、このお話自体に、演技としての見せ所、良門の行動を裏づける内面表現、迷いや葛藤や怒りの表現みたいなものがあまりないんですよね。視覚を楽しませるという方にシフトしている感じでした。

 

 中村福之助歌之助の兄弟、セリフや所作がどんどん上手くなっていて、この2人の成長を見るだけでもこの公演の価値はあると思いましたね。福之助の勇ましい武将らしさ、歌之助は江戸っ子らしい軽やかなセリフ、啖呵を切るリズムとキレの良さよ。

 そして、男装(菰垂の安)した米吉が凛々しくて瑞々しい! その「男」の状態でセリフを言いながら内側から赤い着物を出しつつ、次第に所作と声が赤姫(桔梗の前)に戻っていくところ、あのシームレス感は凄かった😳 CGを見ているみたいでした。

 芝居上手な猿弥さんと気品ある門之助さんが若手中心の舞台をキュッと締める。でもね、笑三郎さん笑也さんがストーリーに直接絡まないお役(大喜利所作事「蜘蛛の絲宿直噺」だけにご出演)に当てられているのには疑問を感じました😔 先月の「新陰陽師」のときもそうだったけど、これはここ何年かで感じていることです。お二人の扱い、ちょっと軽すぎるのでは?

 お話は南北らしく「実は~」の連続で面白い。ただ、テンポよく進んでいくのはいいけどストーリーが浅くて、物足りなさも感じました。南北の「御贔屓繫馬」を洗い直し凝縮したとあります。そこに所作ごと「蜘蛛の絲宿直噺」を付け足した(筋書は買ってないので分からないですけど)。19時終演って割と早いと思うので、終演時間がズレてもいいから「御贔屓繫馬」の話をもっとじっくり丁寧に紡いでほしかったかな。

 

 最後に、今回観劇するにあたって思ったことを書きます。贔屓にしている方は気分を害する内容だと思います🙇‍♀️ 5月24日夜の時点での考えです。

 何よりも、段四郎さんがこのような形で命を落としてしまわれたことがショックであり本当に残念でなりません。段四郎さんの舞台では「夏祭浪花鑑」での義平次、仁左さま右京「身替坐禅」でお相手をされた玉の井が忘れられません。心よりご冥福をお祈り申し上げます🙏

 家族が病院に運ばれ……というニュースを知ったときは何があった!?と驚き、そのあと雑誌等の記事のことを知りました。それについては当事者の口から真実が語られることを待つしかありません。でも、あの記事に少しでも真実が含まれているとしたら、被害を受け、心に傷を負い、それをずっと抱えていかざるを得ない人がいることを決して忘れてはいけない‼️

 今回の作品もそのようなハラスメントが日常的に行われている中で作られたものであり、この公演に携わっている演者やスタッフの中にも被害に遭われた方がいるのかも、拒否したために役をもらえない役者もいるのかも……と思うと、自分は冷静に観ていられるだろうかと、心情とても揺れました。チケットの払い戻しも受け付けているので、キャンセルしようか当日まで悩みました。

 でも、当事者の罪と作品とは区別して考えなければいけない、何としても興業を続けたい、show must go on!という彼らの気持ちに応えたい、と思い劇場に足を運びました……と言うとカッコいいけど、違いまーす😊 南北の作品であること、そして隼人が代役で演じることに惹かれたのでーす😊 あの座組を背負って隼人が真ん中に立つ、これを観られる機会をどうして逃せましょう。ちなみに、昼の部はもともと買ってません。

 

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作 イモジェン・スタッブス

演出 千葉哲也

高山佳音里/湯屋敦子/古谷みちる/林佳代子/上林未菜美/舞山裕子/竹村叔子/磯辺万沙子/町屋圭祐/中西陽介/石田博英/岡田吉弘/関泰子/脇坂晴菜/望月真理子

 

 第二次世界対戦中、女性だけの劇団を作りイギリス各地の公共施設や野外などを回って1000回を超える公演(レパートリー30数作のうち半数ほどがシェイクスピア劇)を行った、その奮闘の話です。作者のイモジェン・スタッブスは俳優&作家。映画では、ジェイン・オースティンの「いつか晴れた日に(Sense and Sensibility)」やシェイクスピアの「十二夜」(主役のヴァイオラ役)を観たことがあります。2004年初演の本作は彼女の最初の戯曲だそうです。申し訳ないけど(誰に謝っているのか?🙄)あまり面白くなかったです😔

 

 ネタバレあらすじ→戦時中、人々の心が疲弊していくのを憂い、芝居を上演することで彼らに娯楽と文化を提供したい、男性役者は戦地に出ているから女性だけでツアー劇団を作ろうと決心したヘティ。団員を募集し、ヘティ含め7人で劇団結成。ドイツから亡命してきたユダヤ人の母息子のうち母親がピアノ奏者として参加。経費など助成金を得るには内務省の認可が必要ということで、彼らの前で「マクベス」を試演し、無事に劇団として成立する。ドイツによる空襲があるたびに鳴り響く警報に怯えながらの興行がスタート。第2部では、個々の団員のエピソードと団員同士の絆が描かれる。そして終戦。男性役者たちが帰還し再び彼ら中心の舞台が始まれば、自分たちの劇団は必要なくなるからと解散を決め、最後に「ヘンリー五世」を上演する。おわり。

 

 タイトルはそのヘンリー五世の “聖クリスピアンの祭日の演説” に出てくるフレーズから取られています。クリスピアンという名がヘティの個人的エピソードと繋がり、最後は涙腺が緩みました😢

 しかし、1部が1時間30分、2部が1時間20分、すごく長いというわけではないけど、良く言えば丁寧、言い換えれば冗漫に感じた箇所もかなりあった。思いついたシーンや会話を全て入れたという感じでした。もう少し推敲&整理できなかったのかなと思ったけど、元の戯曲はもっと長いらしい💦

 

 例えば、女性だけの劇団を作ろうと決めるまでのあれやこれやが長くてねー。そのあと団員を募るシーンでは不採用になる応募者のあれやこれやも見せる。色々なシーンを作ることで劇団結成の背景がより細かく理解できるのは確かだけど、ソレなくてもいいのでは?とも思うわけで、とにかく饒舌な感じだったです。

 そして2幕の団員エピソードがまたね……😔 ここはたぶん泣かせにくるだろうなと思っていたらその通りで、感傷的で苦手なやつばかりでした。いちいち挙げてみると、団員同士のレスビアン関係の始まり。母と娘との確執→和解。弟がゲイで父親から罵倒され自殺→団員のトラウマに。団員とユダヤ人男性との恋愛(男性の母が宗教の違いから許さない→男性はイギリス人として出征して戦死、団員は彼との子を産むが自分は産褥死)。そして先述したヘティのエピソード=彼女はレイプされ望まない息子クリスピアンを産んだが、彼が戦場に赴いたことで手紙のやり取りを通して絆が生まれるも、終戦直前にクリスピアンは戦死、その知らせを受けたまさにその日に、ヘンリー五世を演じるヘティの “聖クリスピアンの祭日の演説” がその現実と重なるわけです。ま、ここは泣きますよね😑 それにしてもどれも湿っぽすぎたー😓

 

 また、芝居の冒頭は現代で、小道具や衣装が保管されている古い倉庫に演劇関係者?が入り、戦時中にそういう劇団があったねと話すところから始まる。彼らが去ると倉庫の奥=過去から当時の団員がワラワラと現れ、劇団結成から解散までを再現するという戯曲構造です(時々「こうじゃなかったよね」と言って再現し直したりするんだけど、これがまた、必要?と思わせる無駄なシーンのようで💦)。面白い導入だけど、最後に再び現代に戻ってその枠が閉じるわけではなく、過去のままで終わる。だったら冒頭のシーンは必要ないのでは?と思うんだけど……。劇中劇の外枠を閉じずに終わる芝居は他にも観たことあるけど、個人的にはそういうのどうも座りが悪く感じてしまうのです。

 ロンドンでの初演の評判は芳しくなかったようですが、どんな作品だろうという好奇心に誘われて観たのでした。

 

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カンパニー・ウェイン・マクレガー「UniVerse: A Dark Crystal Odyssey」@リンバリー・シアター in ロンドン

 

演出/振付 ウェイン・マクレガー

音楽 ジョエル・キャドベリー

映像 ラヴィ・ディープレス

 

 ロンドン、ロイヤルオペラハウスの地下にある小劇場リンバリー・シアターでマクレガーの新作を観ました。休憩なしの1時間20分。踊るのはマクレガーのカンパニーのダンサーたちです。すご面白かった🎉 カテコ撮影できなかったので、The Guardianの画像ページを貼っておきます。

 

 

 1982年のジム・ヘンソンのハイファンタジー映画「ダーク・クリスタル」のコンセプトを現実の世界の文脈で再構築したダンス作品。映画はカルト的な人気を博しているようですが、私は未見です。空想上のクリーチャーとアニマトロニクスを駆使した映画で、ダーク・クリスタルの城を中心にした架空の世界を舞台に、種族同士の争いと世界の荒廃、崩壊目前の城の再生、勇気と犠牲などを描いた話らしい。

 でも、マクレガーのこの作品は映画をそのままダンス化したものではなく、映画を知らなくても、全く別物として楽しめます。映画が提示するコンセプトを、私たちが住む危機に瀕した地球を舞台に翻案したもので、エコロジーの要素を濃く盛り込んである。自然が壊れていく現実、癒しを必要とする地球の姿を突きつけ、人と自然が再び調和を取り戻すにはどうしたらよいか問いかける。ダンサーたちは、水、大地、火、大気という自然の要素(そして生き物も)を体現して踊り、時々ナレーションが流れて「次の世代がその代償を払う」と危機感を煽ります。

 

 映像とのコラボがすごくよくできていました👏 舞台奥と手前に紗幕状のスクリーンが掛かっていて、そこに映像が映されるので映像空間が3次元的になり、その間に挟まれて踊るダンサーたちが映像に呼応しながら見事なパフォーマンスを見せるのです。映像は、例えば浜辺に横たわる鳥が真っ黒なオイルに飲まれていくとか、炎をあげて失われていく森林とか、あるいは光差す深海とか宇宙空間を照らす光の輪とか……現実に起こっていることにゾッとしたり、異次元的な美しさに見とれたり。

 振付はマクレガーらしいクネクネはもちろんあるけど、鋭角的でシャープな動きや超アクロバティックなPDDは抑えられ、流れるような滑らかな動きが多かったかな。振付によってはラッセル・マリファント味(あのねっとり絡みながらデュエットが踊られていくような感じね😊)があったりしました。本作はテーマからしてそうなんだけど、マクレガーの作品はコンテだけど、基本、とても有機的なところが好きです。

 

 最後、緑の葉が豊かに茂る1本の木の映像が象徴的に映し出されます。これはわずかに残された希望の可能性、私たちがいま踏ん張ればいつか緑の世界が戻ってくるよというメッセージなのか、あるいは、最後のこの1本まで失ってはならないという警鐘なのだろうか。これはどこかの国の知事に見せたかったですね❗️

 

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