明日もシアター日和

明日もシアター日和

観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

作 ジェイムズ・グレアム

翻訳 小田島恒志

演出 眞鍋卓嗣

志村史人/千賀功嗣/加藤佳男/山下裕子/河内浩/塩山誠司/渡辺聡/安藤みどり/八柳豪/宮川崇/野々山貴之/椎名慧都/松本征樹

 

 すごく見応えがありました🎊  イギリスの日刊新聞「The Sun/以下、サン」が、当時、売上トップだった「The Daily Mirror/以下、デイリー・ミラー」を発行部数において追い越すまでの内幕を描いた作品です。目指すのは大衆が求める記事、大事なのは部数と売上。そのために切り捨てたものもあり、失ったものもあった……。

 初演は2017年@ロンドンと、かなり新しいです。タイトルの「インク」は、もちろん印刷用のインク/インクで文字を書くという意味だけど、隠語として「報道」「契約書にサインする」という意味もあるらしい。

 

 作者のジェイムズ・グレアムは昨年NT at Homeで配信された「This House」を書いた劇作家で、イギリスの下院議員たちのバトルを描いたコレがとても面白かったので、「インク」も期待していました。その期待は裏切られることなく、巧みなセリフでグイグイ物語を進めていき、中だるみや饒舌さを全く感じさせず、役者さんたちの確かな演技力もあって、観る人の集中力を最後まで掴んで離さなかった🎉

 ちなみに、イギリスの日刊新聞は主に2つに分けられ、「ブロードシート」と呼ばれる大判の高級紙に対して、「タブロイド」と呼ばれる小型版の大衆紙があり、こちらはさらに、中級紙的なものと娯楽紙的なものとに分かれている。後者はより一般大衆の関心を引く記事が特徴で、「サン」「デイリー・ミラー」はこちらのカテゴリーの新聞です。

 

 1969年、部数が低迷していた「サン」を買収したルパート・マードック(千賀功嗣)は、ラリー・ラム(志村史人)をその編集長に据え、世界最大の発行部数を誇る「デイリー・ミラー」に勝つことを目標に新たなタブロイド紙「サン」を再生させる。モットーは「大衆が欲する記事を与える」こと。斬新なリクルート方針でスタッフを集め、派手な見出し、ゴシップ、セレブネタ、セックスなどセンセーショナルでスキャンダラスな記事、スポーツ・テレビ番組記事、懸賞などで紙面を埋め、ネタを他社の記者から盗めとけしかける😤  記事には「誰が」「いつ」「どこで」「何を」は必要だが「なぜ」は要らない、「なぜ」を突き詰めたら記事はそれで終わる、大衆が知りたいのは「次はどうなるのか」だ、とマードック。ニュースを推理小説のように描け、大衆が望んでいるのは物語だと記者に発破をかけ、ポピュリズムに走るラム。そして、ついに「デイリー・ミラー」を抜くという目標を達成したとき、ラムは、最初に彼が必要ないと言っていた「WHY」という文字を、空虚な表情で見つめ立ち尽くす。

 

 ジャーナリズムが超えてはならないものは何か、個人は、その集団である大衆は、報道に何を求めるのかなどの問題が提示されます。

 「サン」がトップに躍り出るまでに2つの大きな出来事がある。ひとつは副会長の妻が誘拐され残虐な方法で殺されたこと。マードックに恨みを持った者が、マードックの妻と間違えて副会長の妻を誘拐してしまったんだけど、芝居では誘拐後ラムが過激な報道😖を行なったことが犯人を挑発したようにも描かれていた。ここで、報道/ジャーナリストとしての倫理のあり方が大きく問われます。

 もうひとつは、一気に部数を増やすために、若い一般女性のセクシャルな写真を紙面の3ページ目にドーンと掲載したこと。最初は下着での扇情的なポーズだったのがすぐにトップレス😩になり、それが「ページ・スリー」「ページ・スリー・ガール」と今でも呼ばれるものになります。最初、その企画は皆に非難されるけど、それで「サン」は飛躍的に部数を増やし「デイリー・ミラー」を抜いた。モラル低下、女性蔑視、ポルノ……さまざまな批判があるけど、でも大衆はそれを買いまくったんですね😔

 

 最後、ラムは勝利の代わりに失ったもの、ジャーナリストとしての矜持を思って虚しさを噛み締めているように見えた。でも、インターネットの時代になった現代も、紙ベースの「サン」は大衆紙のトップレベルの売上がある(と思う)。綺麗ゴトは通用しない、これが現実なんですよね。

 ただ、本作で面白いのは、作者は、マードックもラリーたちジャーナリストも大衆も、誰も批判的に描いていなくて、観た人に芝居の受け取り方を委ねていることです。スポーツ紙、週刊誌、ワイドショーなどが相変わらず盛況で、さらにSNSがポピュリズム的ジャーナリズムの役割を果たしている現代日本にもつながる話で、自分も含めた「大衆」は何を欲しているのか考えさせられました。

 

 ラム役の志村さんが説得力ある力強い演技で物語を引っ張り、マードック役の千賀さんが得体の知れないメディア王を鷹揚な感じに演じる。敗北した「デイリー・ミラー」の編集長を演じた加藤佳男さんに哀愁を感じた。

 新聞や活字をモチーフにした映像や小道具、舞台をストリングズカーテンで前後に区切り、後方部分で異なる場面を見せる手法などが面白く、活版印刷による出版プロセスや植字のシーンが懐かしくて涙でした😊

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 5月に上野の森バレエホリデイの一環で上演予定だったけど、無情にも緊急事態宣言の発令が。でも中止ではなく延期という形をとり、このたび目出度く上演されました。とても良い公演で🎊1回公演きりというの、ホントもったいないなー。

 

「スプリング・アンド・フォール」

振付 ジョン・ノイマイヤー

音楽 アントニン・ドヴォルザーク

沖香菜子/秋元康臣/樋口祐輝

 全体的にすごく透明感があり、ダンサーたちの音楽性の豊かさに改めて感銘を受けました👏  これはノイマイヤーが言っているように「春と秋」というより「跳躍と落下」のダンス、その中に人生のさまざまな相を重ねている。そのコンセプト通り、東バの皆さん、躍動美も十分にあり、ちょっとした物語風の感情表現も丁寧でした。のびのびとした勢いのあるステップ、高揚感のあるリフト、なめらかに流れる複雑なデュエット……、楽章ごとに男女あるいは若者たちの期待感や喜びや哀愁を語る情感が溢れていた

 秋元さんはエレガントながら強靭な踊りで存在感がありました。上半身が裸だったせいもあるけど、上体と腕の動きが大きくて時に力強く感じられ、緩急のある動きが音楽に乗っている。ジャンプは相変わらず美しく✨ 沖さんとのデュエットには言葉を感じました。

 その沖さんの叙情性あるダンス表現も良かった🎉  しなやかで強い身体、表情豊かな腕の動き、繊細な首の角度(顔の向け方)、ちょっとした視線の動かし方などに感情がこもっていて、今回は特に心の強さみたいなのを感じたな。

 秋元さんと踊るときの樋口さんの溌剌とした動きをはじめ、他のダンサーたちも流動感や勢いを失わず、ノイマイヤーの舞踊言語を的確に体現していたと思う(上階から観たので顔や名前まで確認できず🙇‍♀️)。特に女性たちの生命力溢れるステップ男性たちの喜びに満ちたジャンプや戯れるようなデュエットが印象的でした。

 1991年初演である本作にはところどころ(ノイマイヤーが盟友と慕った)ベジャールを思わせる振付もあり、ノイマイヤーのプロットレス作品同様、ベジャール作品もレパートリーにしている東バだからこその身体表現におけるニュアンスを感じました。

 カテコでのダンサーたちの笑顔が眩しかった。観客の前で踊れる喜びを噛み締めているみたいで。こちらも久しぶりに東バの公演を堪能したこともありウルッときました😢

 

「カルメン」

振付 アルベルト・アロンソ

音楽 ジョルジュ・ビゼー/ロディオン・シチェドリン

上野水香/柄本弾/宮川新大/鳥海創/政本絵美

 アロンソ版は美術や振付に様式美や象徴性があって、すごく好きなやつです😊  赤と黒を基調にした舞台美術も本当に好み。舞台がずっと闘牛場風の空間なのは、カルメンの生きている世界が戦いであるということ。(牛や闘牛士と同じように)最初から死との勝負を受け入れているカルメン。そこを囲む見物席で、マッキントッシュ風デザインの椅子に座る観客や踊り子が、カルメンたちの戦いをじっと見ているのが不気味です。

 水香さんはファムファタール味を抑えた感じで「心は誰にも渡さない、自分の好きなように生きる‼️」というクールで強いカルメン、男を破滅に導く欲望に囚われた女ではなく、自分の自由を奪うものや自分自身(の運命)と戦い、そのためには死をも辞さない、ある意味、死ぬ自由を勝ち取った人間としてのカルメンでした。

 柄本さんのホセは勝手な思い込みでカルメンにつきまとう繊細なストーカー男で、だんだん虜になっていく感じが丁寧に表現されていた。カルメンとのPDDはけっこう難しいリフトがあるけど、サポートはとても安定していました。

 エスカミリオは宮川さんなんだけど、こぢんまりとしていて(踊りは良いけど)、ちょっとイメージに合わなかったな💦  エスカミリオはもっとカッコつけて色っぽさ(あるいはマッチョ感?)をグイグイとアピールするというか、イケイケ風でいいんじゃないかな。カルメンが見惚れるほどの説得力はなかったです。サポートもやや不安定で最後、牛(運命)を殺す踊りもタイミングが上手く合っていなかったような。

 牛(運命)の政本さんは、踊りのラインは美しいけど押しは控えめ。カルメンの背後に在って導く存在としてはもう少しまとわりつくような怪しさも欲しかったかも。

 今回良かったのはホセの上司であるツニガを踊った鳥海さん。直線的な身のこなしと相まって、権力、威厳、統制、支配、そして拒否といった、カルメンが戦うべきものの象徴として上手く見せていました👍  カルメンを殺したのはホセの歪んだ愛情だけど、実際にはツニガが体現している社会規範に殺されたんだなと思えました。

 

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松緑/扇雀/魁春/新悟/坂東亀蔵/團蔵/松太郎/種之助/荒五郎

 

 悪人が1人も出てこない、ホロリと泣けて心温まる人情劇……ちょっと苦手なタイプの作品ですが💦  お誘いがあって観てきました。

 松緑の長兵衛は初役だそうで、意外でした。朴訥とした雰囲気、女房の前で空威張りする感じ、娘のことが心配で仕方ない様子、ソトヅラの良さ、いろんな性格をもった江戸っ子をうまく見せていたと思う。菊五郎や勘三郎などだと、ダメ男だけど憎めないやつ、しょうがないなーって思うけど、松緑の場合は長兵衛の性格としてのパキパキした荒っぽさが全体的に感じられ、ハッピーエンドだけどこの先も心配(本当に酒もバクチもやめられるの〜?😏)になったりもする、妙な不安定感を覚えました(←悪い意味ではない)。

 大川端で、文七の無くしたお金が50両と知ったあたりからがすごく良かったし、その前の「自分にできることは何だってしてあげる」と言い切ったセリフ、ちょっと強調しすぎにも聞こえたけど、自分が言ったその言葉を嘘にするわけにはいかない松緑・長兵衛の人柄・心意気がにじみ出ていた。懐の50両にそっと触れた時の視線の泳ぎ具合もよかったし、それを文七にあげようと決心した時の目が、いつもの松緑の、キッと心を決めたときの目だった。最後の長兵衛内で、50両は本当にあげたんだよナと文七に確認するところ(お兼の顔を伺いながら😅)が何かいじらしかったなー。

 

 女房お兼との夫婦バトルは、2人ともパワーがあって傑作でした。特にお兼の扇雀がほぼ本気で喧嘩していてすさまじい😆  扇雀は何度も勤めているお役だと思うので、松緑とのタイミングの取り方も上手かったな。「人の金を盗んで逃げる人はいるけど、人に金を叩きつけて逃げる人はいないよっ😤」とか、怒り狂っていながらも言っていることは筋が通っていて、怒鳴り声でもそういうところはきっちり聞かせてくる。自然な中に強弱を付けてるから、ただドタバタになってしまうところを免れていると思う。

 文七は坂東亀蔵で、これまた初役なんですね。好きなことに熱心で(仕事も囲碁も😬)という真面目な男はお似合いだわ。少し硬い感じもしたけど(もっとウッカリさん風があるといいな)誠実さが前面に出ている文七も良かったです。最後にメデタシとなって、オリジナルの元結を売り出したいというお顔、キリッとした商人の顔でした。

 お久は新悟で、こういうお役がぴったり〜といつも言っている気がする。可憐な物腰、哀れ味を含んだ丸みのある声がたまりませんね。身体は大きいのに全くそう感じさせないの不思議です。魁春お駒と、團蔵の和泉屋清兵衛が場面をビシッと占めていてサスガ。

 

 今月は歌舞伎鑑賞教室ということで3階まで学生さんで埋まっていたけど、今の中学・高校生がこれを観て、歌舞伎って面白い! もっといろいろ観てみたいって思うかね🙄とても疑問です。確かに分かりやすい物語展開だけど、聞いてそのまま理解できるセリフで涙と笑いのあるいい話だから、若者も気楽に楽しめるだろうって、そういうもんじゃないと思うよ😔(まったりベタなシーン結構あるし😑)。「鳴神」を見せてあげてほしい。世話物なら「髪結新三」とか? 小悪党が出ている方が話として断然面白いと思います。

 

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 ロイヤル・バレエでは5月17日からようやく観客を入れての公演が再開。配信もしていて、「21世紀のコリオグラファー」公演はクリスタル・パイトの「ステイトメント」があって魅力的ですが、とりあえずマシュー・ボール目当てでこの「バランシンとロビンス」公演を購入しました(1996円)。7月11日まで視聴可能。

 

 

 

 

「アポロ」

振付 ジョージ・バランシン/音楽 イーゴリ・ストラヴィンスキー

マシュー・ボール/メリッサ・ハミルトン/クレア・カルヴァート/金子扶生

 レトの陣痛→アポロの出産から、アポロがミューズたちを率いてパルナッソス山に昇るところまで、セット付き完全版でやってくれました、感謝🙏

 マシューのアポロすっごく美しいです。上半身が眩しい。二の腕から胸へ、肩から背中へ至るフォルムの美しさ!(「スワン・レイク」で証明済み)。両腕を高々と挙げた神のポーズは神々しく、伸ばした腕や脚は力強い。無駄を削ぎ落とした身体とその動きは眼福もので😍アポロにふさわしいビジュアルです。

 レトの子宮から産み落とされたばかりのアポロは無垢そのもの、ピョンピョンピョンと飛び跳ねアーアーと声を上げ、初めてのステップはグラグラと危なっかしい。リュートを与えられて喜び、ブンブンかき鳴らすアポロ。

 ここまでは良かったんだけど、実は中盤あたりから、神性が薄れたように感じてしまった💦  時々、不安がよぎるような険しい表情を見せるのが気になって……。もう少し澄んだ穏やかな感じのほうがいいんだけど、マシューの持ち味なのだろうか。ミューズのうち扶生さんのポリヒムニアも笑顔はもっと抑えたほうが好き。アポロやミューズはどこまで感情を見せていいのか難しいところだけど、一応、神々の世界という空間での踊りなので、ピュアでストイックな雰囲気が強いほうが好きだな。なにせ、ボッレ様のアポロがデフォルトになってしまっているので😅

 その点、テルプシコールのメリッサは透明感ある踊りで、アポロとのデュエットもプラトニック感があり、いちばんミューズの雰囲気に近かったです。でも、そういうことを別にすれば、4人が創る幾何学的なラインはどれも綺麗だったし、最後、パルナッソスに登ったマシューは輝きをまとって崇高でしたー💓

 

「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」

振付 ジョージ・バランシン/音楽 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー

マリアネス・ヌニェス/ヴァディム・ムンタギロフ

 抽象バレエではテクニック的なことは書けないのであっさりした感想文になってしまうけど、特にバランシンのこういう作品の感想を書くのってすごく苦手。綺麗でした〜で終わってしまいます🙇‍♀️  ま、とにかくこの2人で悪いはずがなく、あとは好みかな。とても楽しそうに踊っていて(特にネラさん)、2人の力みのない伸びやかなステップは見ていて気持ちよかった。ネラさんは音楽に乗ったメリハリのある動きで、上半身の表情が豊かで華やか、しかもエレガント。ヴァディムのソロは流れるよう。トゥールアンレールがシャープで(最後の着地でほんの少し見得を切っていた😏)、マネージュが驚くほどダイナミック、ジャンプして空中で両脚を広げるところも鮮やかだったな。

 

「ダンシズ・アト・ア・ギャザリング」

振付 ジェローム・ロビンス/音楽 フレデリック・ショパン

ヤスミン・ナグディ/マヤラ・マグリ/アナ・ローズ・オサリヴァン/金子扶生/ロマニー・パジャック/マルセリーノ・サンベ/リース・クラーク/テオ・デュブレイル/ジェイムズ・ヘイ/中尾太亮

 NYCBで1969年に初演されてすぐ、1970年にロイヤル・バレエで初演されたらしい。もちろんロビンス自ら指導にあたり、そのときヌレエフが、今回サンベが踊った役を踊ったようです。プロットレスバレエだけど、男女の友情とか、淡い恋心とか、恋の駆け引きとか、すれ違いとか、スケッチ風に多様なシーンが繰り広げられます。退屈しそうでそうでもないという不思議な魅力のある作品。

 ダンサー皆さん良いけど、サンベが頭ひとつ際立っていました。最初に登場してソロを踊るんだけど、空間を有機的なニュアンスで満たす力がすごいというか、一瞬で作品の世界に引き込まれた。ちょっと首を傾たり腕を動かしたりするときの滑らかなラインとか、腕を伸ばす時に力を入れるのか自然に伸ばすのかの微妙な違いとか、とても繊細です。サンベは雰囲気やテクニックの高さや明確な演劇的表現など、同じラテン系という意味でホセ・カレーニョ(←大好きだった〜😊)を彷彿とさせるけど、あと10cm身長が高ければ……といつも思う😔

 

 ところで、ロイヤル・バレエでは昇進の発表がありましたね。プリンシパルには新たに金子扶生さん、アナ・ローズ・オサリヴァン、マヤラ・マグリ、セザール・コラレスが(アナとマヤラは9月から)。これでプリンシパルは男性8名、女性は11名です。フェデリコ・ボネッリとラウラ・モレーラは43,4歳なのでそろそろ引退が視野に入っているでしょうか。ネラさんやサラ・ラムは39,40という年齢でまだ十分に踊れますが、女性プリンシパルが増えたから、若手に役を譲ることが多くなるかも。観られるときに観ておかなくては。

 バレエ団のダンサー・ページを見ていてショックだったのは、エド・ワトソンの名前が消えていたことです😭  repetiteur(コーチ)のところに名前がありました(昨年そのポストについたらしい)。昨年マクレガーの新作「ダンテ・プロジェクト」でアデューの予定だったのがコロナで流れてしまった。この秋に改めて上演されるので、それを踊って終わると思っていたのに……😞  エドは非常に特異な才能を持ったダンサーで大好きです。生粋のロンドンっ子だしMBE授与されているし(関係ないか?)、アデュー公演はなんらかの形で絶対あるはずと(映像で観られることを)期待しています。

 

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作・演出 野田秀樹

高橋一生/白石加代子/橋爪功/前田敦子/村岡希美/川平慈英/伊原剛志/野田秀樹

 

 久しぶりのNODA・MAP、観てきました。💥🔥以下、完全ネタバレ💥🔥

 この作品は1985年8月12日、日本航空123便が高天原山の尾根に墜落した事故(死者520人、生存者4人)を題材にしたもので、芝居の終盤、十数分の中で、そのときのヴォイスレコーダーに残っている、コックピットの乗務員がやりとりした言葉が役者によってそのまま再現されます。芝居はそこに至るまでのあれこれなんだけど、事故そのものを伝えるのが目的ではなく、テーマは「フェイクではないマコトの言葉を聞け」ということかな。マコトの言葉には何よりも力がある、フェイクな言葉に惑わされるな、本当の言葉を聞き分けろと。実体のない言葉は演劇の中で喋られるセリフでもある。だから言葉の神様シェイクスピアを登場させた。

 

 あらすじ……というより大意→恐山でイタコ見習いをしているアタイ(白石加代子)のところに、mono(モノ・高橋一生)楽(タノ・橋爪功)が別々に訪ねてくる。monoは匣(はこ)を抱えていて、それを息子に渡したがっている。一方、楽は死んだ父を呼び出してほしくて来た。楽は人生が虚しくなり自死しようと思いつめていたとき、恐山に行って父に会えと「何か」に促されたのだと。実はmonoこそ楽の父で、あの日墜落した日航機の機長だった。持っている匣はブラックボックスで、その中のヴォイスレコーダーに録音されている自分(と他の乗務員)の声を息子に聞かせ、自死を思いとどまらせたかったのだ。匣を受け取った楽は父の言葉に耳を傾ける。その中で父は何度も「(機首を上げろという意味で)頭を上げろ!」と叫んでいた。聞き終わった楽は「わかった、生きるよ!」と力強くつぶやく。それを聞いた父monoは安堵して微笑み、かなたに消えて行く😭😭😭

 

 舞台は恐山ですが、4隅にシテ柱、笛柱、ワキ柱、目付柱が立ち、袖に捌けるスロープは橋掛かりのようでもあり、能の「夢幻能」(霊的な存在が旅人の前に現れて大切なことを伝えて消える)の世界観を表したものになっている。さらにそれを囲むようにプロセニアムアーチが作られていている。プロローグの後、白石さんがマイクを手に登場し「白石加代子です。女優になる前は恐山でイタコになる修行をしていたことがあって……」と話し出し、芝居の最後に「白石加代子でした」と終わる。つまりメタシアター的な演出になっている。これは重要案件でした。

 

 ラストに至るまでに伏線が縦横に張り巡らされていて、物語はとても込み入っていますが、キーポイントは言葉の神様シェイクスピア(野田秀樹)が登場すること。匣の中の言葉はもともと神様のもので、それをmonoが盗んでいったので取り返したいのです。monoは「匣の中のマコトの言葉……それは神様と戦った時の言葉」と言っている。シェイクスピアは「マコトの言葉」が入った匣を開けて欲しくない、なぜなら、自分が書いてきた戯曲の言葉がフェイクであることがわかってしまう、そうなったら自分の世界は崩壊してしまうから。そのあとシェイクスピアの息子フェイクスピア(野田秀樹)も登場し、父に代わって盗まれた言葉(匣)を取り戻そうとします。「言ったが勝ち、書き込んだが勝ち!」とラップを踏むフェイクスピアは新たな言葉の神様で、たぶんこれは今のSNS時代を揶揄している😔

 私は最初、シェイクスピアの悲劇を持ち出して、そんなカッコつけた言葉はフェイクだ、真の言葉、本当の悲劇の言葉はこれ(ヴォイスレコーダーの一群の言葉)だ、楽が父の言葉で生きようと決意したようにマコトの言葉こそ力を持っているのだと、言葉の神様に挑戦しているのかと思った。

 では、フィクション(演劇の言葉)はノンフィクション(マコトの言葉)に太刀打ちできないの?…と思ったとき、これが劇中劇であることに気が付きました。マコトの言葉は舞台という虚構の場に乗せたことでその一部になる。それを観て私たちは感動し充足し何かを考え自分が変わる。そうして演劇という虚構は力を持つわけで、そのときに、フェイク(のセリフを集めた演劇)は観た人にとって真実になるんじゃないかなと🤔

 

 終盤の、ヴォイスレコーダーの「言葉の一群」を引用した再現シーンは圧巻だった。monoだった一生くんは機長となり、神様の使いだったアブラハム(川平慈英)三日坊主(伊原剛志)も実は乗務員でそれぞれ副操縦士と航空機関士として並び、後方にはアンサンブルが乗客として固まっている。イタコや烏のリーダーだった村岡希美はCAとして乗客と共にいる。彼らが塊となりセリフとムーヴメントで墜落までを見せる。その直前に、尾翼にしがみつていた、フェイクな言葉を生んだシェイクスピアとフェイクの存在である星の王子さま(前田敦子)が振り落とされる……🙀

 

 白石加代子さんと橋爪功さんの凄さは改めて言うまでもないけど、高橋一生くんの演技が良すぎて震えた🎉  最初、楽が誰を口寄せしてほしいのか分からなくて、娘だ、いや妻だと言うたびに「リア王」「オセロー」「マクベス」が憑依するんだけど、その死んだヒロインたち(コーディリア、デズデモーナ 、マクベス夫人)が一生くんに降りてきて橋爪さんとそのシーンを演じるんです。そのときの女役のセリフが素晴らしくて、そこだけでもリピートして聞きたいくらい。一生くんのシェイクスピア劇女役の素晴らしさは蜷川さんの「から騒ぎ」のベアトリス役で証明済みだけど、かつて観たそれが蘇りました。

 また、この世とあの世を浮遊する実態のないような佇まい、身体による演劇表現もとても良かった。倒れる時の動きの優美なこと💓  楽が生きる決心をした時の笑顔が眩しかった✨ 高橋一生くん、ホントいい役者さんだと思う。年に1度は舞台に立ってほしいな。

 

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振付 マリウス・プティパ/改訂振付・演出 牧阿佐美

音楽 アレクサンドル・グラズノフ

小野絢子/奥村康祐/中家正博/細田千晶/池田理沙子/木下嘉人/速水渉悟/五月女遥/奥田花純/飯野萌子/本島美和

 

 素晴らしかったー🎉  バレエを観る幸福感に浸りました。「ライモンダ」の全幕を生で観ること自体が久しぶりだったので本当に楽しかった。

 ストーリーは有って無いようなものなんだけど……中世のフランス、ライモンダと婚約の約束をしたジャンは十字軍に参加して出征。彼の帰りを待つライモンダは夢の中でジャンと踊る。翌日、ジャンの帰郷を迎える祝宴の席に、ライモンダに恋したサラセンのアブデラクマンが現れ、彼女をさらおうとする、まさにその時ジャンが帰ってきた! 2人は決闘しアブデラクマンは敗死。ライモンダとジャンはめでたく結婚

 本来は「白の貴婦人」という一家の守護神が登場して幻想性を加えているんだけど、牧阿佐美版はそれを完全カット。もともと人物の掘り下げが浅く演劇性が薄い作品ですが、複雑な物語ではないぶん踊りを存分に楽しめる。バラエティーに富んだダンスがこれでもかってくらい怒涛のごとく繰り広げられ、プリンシパルやソロイストはもちろん群舞まで含む、新国ダンサーの技術の高さを再認識しました👏  絢子さんと奥村くんがペアを組むのは初? 実は少し心配だったけど杞憂に過ぎませんでした、ホッ😊

 

 絢子さんのライモンダが完璧なライモンダでしたね✨ 感情を表現するところが少ない中で、1幕では可憐でスイートなお嬢さまだったのが、2幕では言い寄る男を拒み愛する人が戦うのを目の当たりにして現実の厳しさを知り、3幕では凛とした姿に成長している。それを絢子さんのダンス表現に見ることができた。繊細なポワントワーク、揺るがない身体、そこに溢れるエレガンス。夢の中でジャンと踊る姿にはロマンティシズムが漂い、背中のラインに気品があった。3幕の例のソロでは舞台も客席も完全に支配してましたね。手を打ち鳴らして踊る姿は気高く、そのあとの早いステップによる動きには色香がこぼれ落ちている。は〜、すごかった🎊

 

 奥村くんのジャンが予想以上に(騎士ですが)王子風味が濃くて良かったわ〜。奥村くんの良さは庶民的な味わいで、ノーブルな役はあまりニンではないと思い込んでいたけど間違っていました🙇‍♀️  夢のシーンでの甘くソフトな雰囲気も良かったし、2幕でライモンダの危機にスーパーマンのようにマントを翻して現れた時のカッコよさ😆  彼は演劇的表現が巧みだから役にすぐ成り切れるのかも。ソロではマネージュや足捌きが軽やか、足先が綺麗ですね。絢子さんとも良いケミストリーを生んでいて、サポートも安定。彼はがっしりタイプではないんだけど、リフトした時とても安定感があるのね。回数を踏めば2人の間にラブラブ感がもっと出るんだろうと思いました。

 

 アブデラクマンは類型的な造形である「力で攻めまくる粗野な感じ」は薄れていたものの、中家さんには程よいマッチョ味があり、敵役としての存在感十分。ライモンダへの熱い思いを伝えるところも適度に強引で良かった。会っていきなり「これをあなたに差し上げようっ」「そうか、いらないのか……」って宝物を押し付けるところの勢いが面白く😅  好かれていないという空気を読めないところには、なぜか魅力を感じてしまった。立ち姿には威厳と高貴さが共にあり、ダンスは情熱的でダイナミズムをよく表していていた。決闘して死ぬのではなく傷を受けて退場する形にしてほしかったな。

 

 ライモンダの友人4人も印象的で、特に速水くんが、ちょっとした動きにも伸びやキレがありひときわ目立ちました。細田さんのソフトかつ繊細なダンス、夢のシーンでの五月女さん奥田さんもgood、3幕での男性軍のパ・ド・カトルには萌えましたー。そして本島さんが本物の貴族の奥方でしたね✨ 群舞の、夢のシーンでの幻想的なダンス、2幕での民族色溢れるダンス、3幕でのグランドクラシックな踊り、どれも見応えあった。

 そして『ベリー公のいとも華麗なる時祷書』(←大好き)をモチーフにした舞台美術がまさにそのまんま、あまりに美しくイメージ化してあって息を飲みました。衣装も中世味のある形や色になっていて、とても好きな世界観だったな。

 

 最後に、作品には関係ないことだけど、公演リーフレット内の解説記事で牧阿佐美氏が「作中にサラセンの騎士が登場するなど、舞台設定に中央アジアの雰囲気が漂っていますので日本人が取り組みやすい……」と書いてあったけど、サラセン人は中央アジアの民族とは限らないのと(むしろ西アジア=アラビア)、なぜ中央アジアの雰囲気があると日本人は取り組みやすいのか意味不明でした🙄

 

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玉三郎/仁左衛門/孝太郎/歌六/吉弥/錦之助/橘三郎/中村福之助

 

 あー待ち遠しかった‼️  今回この下の巻を観て、これは外題通り桜姫の物語、その愛欲流転と復活の話なんだと納得しました。上の巻では、高貴ゆえの自由奔放さで自ら愛に溺れ道を外すお姫さま、この下の巻では無垢ゆえに底辺まで落ち、そこでサナギから脱皮して最後は姫に返り咲く、その凄まじく振り幅のあるお役を完璧に見せてくれた玉さま尊い🎉

 その桜姫の人生を翻弄する2人の男、桜姫に執着するストーカー清玄と図太い野性味ある権助という、全くタイプの違う2人を演じ分けたのが仁左さまだからこその面白さです。清玄の強い業(権助と兄弟というのも含めて)が桜姫の運命をかき回したんですねー😢

 

 1幕目「岩渕庵室」は、残虐な殺しや死者の蘇生など南北お得意の怪奇味いっぱい。寺を追われた残月(歌六)長浦(吉弥)が住み着く庵室に、赤子を連れた清玄(仁左さま)が身を寄せている。清玄が2人に殺され、権助(仁左さま)が墓穴掘りで呼ばれる。そこに桜姫(玉さま)が連れてこられ奇跡の再会。権助が残月と長浦を追い出して、桜姫を売るため女衒の所へ話をつけに行き、1人になった桜姫に息を吹き返した清玄がつきまとい、桜姫が清玄を誤って(今度こそ本当に)死なせる😱

 

 歌六と吉弥の落ちぶれた姿が凄まじいんだけど、それでも吉弥は色っぽさを残していて、こういうお役の吉弥は本当に好きです。この幕はボロ屋敷風の舞台セットとも相まって少し地味なんだけど、芸達者な歌六と吉弥のメリハリある芝居で場がダレないのだと思う👏

 桜姫への想いに苛まれ病気になってしまった清玄は、やつれた顔に無精髭、髪の毛ボウボウで汚れたねずみ色の衣装。それでも、その低い声には品性が感じられますよ。でも、長浦が持っていた桜姫の小袖を抱き締めて「逢いたい……」と嘆くところは惨めを通り越して、まだ想っているのかと、その執着心に怖くなる💦

 雷で息を吹き返した清玄が桜姫にまとわりつくところはホラー😱  一緒に死んで未来で添おうと桜姫の身体にしがみつきねちっこく触りまくる、その仁左さまの手がエロスを通り越して薄気味悪かった。しかし、あの手の動きだけで清玄の桜姫(=白菊)に対する狂気じみた妄執が伝わるんですよね。ここでは清玄が死ぬまでの様式美を堪能できるのだけど、同時にそれはスプラッターでした🙀

 そして、この幕での玉さまの可憐でピュアなこと。女郎屋に売られるために連れてこられたとはつゆ知らず、まだお姫さまの影を十分にひきずっている。髪を整え髪飾りをつける所作が美しく悲しくもあった。みすぼらしい室内にいる赤姫、という絵柄がとても退廃的でした。権助(卑賤な色気😆)と再会した喜びで「逢いたかったわいのー」と仁左さまにすがる玉さまの、とろりと溶ける感じがなまめかしかったです。

 戻ってきた権助の顔にさっき死んだ清玄と同じ傷ができたのを見て、女郎屋に売られる途中の花道で桜姫が「所詮、この身は、毒食わば……」のセリフで表情がグッと引き締まったとき、身体の中身までガラリと変わったように見えてゾクッとした。

 

 2幕目「山の宿権助住居」は、仁左玉ラブラブシーンのあとに惨劇です。桜姫を女郎屋に売った金で権助は長屋の大家に。ところが、女郎になった桜姫の寝床に幽霊が出るので怖がられ、連れ帰されてくる。権助が出かけ(また😅)1人になった桜姫の前に清玄の死霊が現れ、預かっている赤子の素性を教える。戻った権助が酔った勢いで真相を漏らし、権助こそ自分の父と弟を殺しお家の重宝を盗んだ男と知った桜姫は、権助と赤子(自分の子だけど仇の子でもあるから)を殺して仇を討つ👍

 

 ここでの白眉は安女郎に成り下がった桜姫がお姫さま言葉と荒っぽい下司な言葉遣いとを混ぜこぜでしゃべるセリフの妙、これが耳にすごく気持ちいい。清玄の死霊に向かって「前世は白菊だとか、こっちの知ったこっちゃないよ😠(←大意)」「消えてしまいねえ😤」なんて啖呵を切る玉さまがカッコいいわ。最後に真実を知ってから姫に戻るところは鮮やかだった。1幕目の清玄殺しはか弱いお姫さまが必死で身を守る感じだったけど、ここでの権助殺しには凛とした潔さがあり、そこに様式美が溢れていました。

 一方、仁左さま権助は顔に傷はあるものの悪をにじませた男前。でもって、ここでの仁左玉のラブラブがまた良いのですよ😍  花道で、お十じつは吉田家の奴軍助の妹 (孝太郎)その夫じつは吉田家の忠臣粟津七郎(錦之助)が互いに素性を明かしてしんみり別れを惜しんでいるときに、本舞台では仁左玉がイッチャイッチャしていて、もうそちらに釘付けでした。そのあと枕を2つ並べて寝転び肘つきながら話す例の名シーンは脳裏への保存版

 

 大詰、お家の重宝が戻り吉田家再興も叶って大団円。ここで麗しい仁左さま(三役目の大友頼国)を愛でられました! お姫さまに戻った玉さまと並ぶ2人はまさに眼福。仁左玉による切口上で幕となりました〜。

 好いた男の手で女郎に売られても嘆かず、つきまとう亡霊を追い払い、身も心も捧げた男が仇と知って殺し、そして家を救う。高貴な姫から底辺の女まで生き抜き、1人で戦い、因果を断ち切った桜姫、なんとたくましいんでしょう

 一方、教養ある高僧だった清玄は執着に囚われて自滅する。でもそれは、白菊の後を追えなかった自戒、白菊を無駄死にさせた罪悪感に苛まれたことが大きかったのかもと思うと哀れです(白菊を本当に好きだったのね😞)。そして権助は最後まで気持ちいいほどの下司野郎だったけど、それを演じる仁左さまが放つ色気を浴びて💓ずっとニヤニヤしていたのでした〜。

 

海老蔵/右團次/市蔵/齊入/児太郎/廣松/堀越勸玄

 

 う〜む、海老さん非常にまずいです。とりあえず「実盛物語」の感想を簡単に書きます。

 34年ぶりの成田屋親子による「実盛物語」という貴重な公演だったらしい。1956年に海老さんの祖父(当時47歳)と父(当時9歳)が、1987年に海老さんの父(当時40歳)と海老さん(当時9歳)が、それぞれ親子共演を果たしている。今回、海老さん43歳、カンカン8歳という年齢での共演。調べてみたら、その1987年の十二代目團十郎さんと海老さん(当時・新之助)の上演は5月、つまり團菊祭でやったんですよ。そういう歴史があるなら尚更、今回の34年ぶり親子共演「実盛物語」は團菊祭の中でやるべきだったんじゃないでしょうかね。それなのになぜわざわざ単独公演を設けて……まあ、もうそれは言うまい。まずい、というのはそのことではないし。

 

 さて、仁惣太(九團次)が九郎助夫婦の住まいの様子を伺いに来るところから。ここで小よしとのやりとりがないなど、ちょこちょこカットされていて65分という短縮版でした。せっかくならフルでやってほしかったですよ。

 でも、カンカンの太郎吉よかったなー。最初の「おれが取った、おれが取〜った」からセリフに歌舞伎味があるし、相手のセリフに表情で細かく反応してみせるし、あぐらをかいて座っている姿勢もピンとしていて、ミニ歌舞伎役者の姿でした。実盛に向かって勝負だ!と向かうところも上手くて、決めの形もきれいだった。実盛に馬に乗せてもったところは本当に嬉しそうだったな。蘇った母・小万(児太郎)が太郎吉の名を呼んで、そしてまた死んでいくところ、ちょっと現実と重なってしまったけど。

 初日の夜には、瀬尾と小万の関係を海老さんに確認していたそうですね。初舞台の時から思っているけど、カンカンは本当に芝居心があると思う。だからその才能をまっすぐ伸ばしてあげてほしい。海老さん、カンカンを横道に誘ったりしないでほしいよ、ホント。

 

 市蔵の九郎助齊入の小よしは安定の老夫婦。右團次の瀬尾は貫禄と憎々しげな感じはよく出ているけど、やっぱりセリフが時々こもるのが気になる。平馬返りは立ち上がって一度構えてからデングリ返しというやり方だった(平馬返りじゃなかった)。以前に見た亀鶴の平馬返りは完璧で素晴らしかったなー。あれを超えるのはまだ見ていません。

 

 海老さんの実盛のことも書くつもりだったけど、2演目めの新作があまりに問題で、その気がすっかり失せてしまった。心臓が飛び出しそうでした。2019年に東京バレエ団が新制作(改訂振付)「くるみ割り人形」を初演したとき強烈な人種差別的表現があって驚愕したけど、今回の新作はそれを上回る、ひどい女性差別・人種差別・偽造文書礼賛的表現がいくつも出てきて非常に不快でした台本読んでも稽古していてもその問題性に全く疑問を抱かなかった、それ面白いねって舞台に上げた海老さん、そういうスタンスに居るっていうこと? これはかなりまずいです。カンカンもそっち側に行ってしまうのか?

 

作 ピーター・シェーファー

訳 伊丹十三

演出 ウィル・タケット

渡辺謙/宮沢氷魚/外山誠二/大鶴佐助/栗原英雄/長谷川初範/窪塚俊介/金井良信/下総源太朗/浅野雅博/首藤康之/広島光/竹口龍茶

 

 16世紀前半、スペイン人のピサロ(軍人・探検家・征服者)がインカ帝国を征服・滅亡させた歴史的事実が骨子になっています。60歳を過ぎたピサロ(渡辺謙)は黄金と名声を求めて3度目の新大陸遠征を計画し、兵士や僧侶たちを率いてスペインを出港。インカ帝国内に入り武器を持たない3000人のインディオを虐殺、財宝を略奪の末、自らを太陽の子と称するインカ王アタウアルパ(宮沢氷魚)を捕らえ、彼との契約を反故にして1533年に処刑した😖

 物語は、ピサロの小姓マルティンが40年後にそれを語るという構造になっている。老マルティンを外山誠二若マルティンを大鶴佐助が演じ、シーンによっては若マルティンが演じている後方で老マルティンが当時の自分を見つめていたりします。

 

 スペイン国王の代理、他国ヴェニスからの兵士、黄金目当ての傭兵たち、キリスト教の僧侶、そしてインディオ、さまざまな人物によって、カトリックの傲慢、文化や価値観の衝突、正義と独裁といった問題が突きつけられる。でも、作者ピーター・シェーファーが描きたかったのはそれじゃない(たぶん)。シェーファーの戯曲の1つ「アマデウス」でのモーツァルトとサリエリの関係同様、ここでもピサロとアタウアルパの人物像が深く造形されていて、2人が邂逅し、対峙し、そこから生まれる反発、理解、共感などを通して、人間の根源的な在り方、人を超越した絶対的存在を問うているようでした。

 

 老齢のピサロはもはや、キリスト教的な神にも、祖国スペインやスペイン王にも、黄金にも興味を失っていて、遠からずやって来る死の影に怯え、死をもたらす「時の牢獄」から解放されたいと願っている。そして、太陽が世界を照らすとき永遠なる何かがやって来るように感じ、太陽に畏怖の念を抱いている。そういうときに「自らは太陽の子である」と称するアタウアルパと出会うわけですね。アタウアルパは、たとえ死んでも翌朝に昇る太陽の光が自分に触れたとき自分は蘇ると信じているから、スペイン人に処刑されることに何の恐れも抱いていない。「時」に縛られないアタウアルパこそピサロが夢見た神なのか?🌞

 戯曲の原題は「The Royal Hunt of the Sun」です。ピサロは神を狩る旅に出て、それを生け捕りにした。自らを蘇らせ永遠に生きる神=太陽=アタウアルパを捕まえたピサロは、それが蘇るところを見たかった。そうすれば彼を真の神と崇め、時から解放されて永遠の生を生きられると思ったから?🙄 アタウアルパは絶対的な慈悲と包容力を持ってピサロを受け入れ、蘇ったときピサロに安らぎと喜びを与えると約束します。でも蘇らなかった……😔  もはやピサロには死ぬことでしか慰めは得られない。ここでピサロは彼を「私の息子」と言っているのねー。絶望したピサロがアタウルパの遺骸を抱く姿はまさにピエタでした😭

 

 演出は時にダイナミック、時に様式美に溢れ、好きなタイプの演出だったな🎊  演出のウィル・タケットは英国ロイヤルバレエでも仕事をしてきている人だけあって、身体による表現も素晴らしい。インディオの動きやピサロ軍による虐殺シーンなどにダンス風振付がされていて、その踊るような動きがシンボリック。アタウアルパのちょっとした所作にも振付味があり気品が感じられました。

 巨大な階段状のセットを動かしてのシーン転換も見事(階段を歩くたびにミシミシ音がするのには閉口だったけど😣)。カーブを作って舞台の三方を囲む横長のスクリーンには空や大地などインカ帝国の自然が映し出され視覚効果も満点です。

 太陽の子と崇められるアタウアルパの崇高なイメージ造形も素晴らしい。例えば冒頭に見せられるイメジャリー、舞台の高みに黄金像のようなアタウアルパが立ち、その背後に太陽が昇ると、その中に吸い込まれるように消えていく……。おおーってなりましたよ😳  本編でいよいよアタウアルパが登場するとき、大地(大階段)が2つに割れて道を作り、背後に黄金の太陽を従えるかのように奥から登場するところ、その圧倒的な神聖さにウルッときてしまった👏

 

 ピサロの渡辺謙は、なにか自分の役者人生を総括しているような、渾身の演技でした🎉   最初の荒っぽい将軍から次第に弱さをさらけ出して孤独の中に落ち、アタウアルパの前で子供のように無邪気になるところまでの変化が見事。最後、アタウアルパの亡骸を抱き涙を流す姿が切なかった。アタウアルパの宮沢氷魚はよく映える長身のビジュアルが高貴な役柄に合っていて、その佇まいは人間的な匂いを感じさせず、威厳を持ったセリフは役をよく表していたと思う。信じられるものをなくして精神的にどんどんボロボロになっていくピサロと、彼に捕らえられてますます神々しく絶対的存在になっていくアタウアルパの対比が印象的でした。

 老マルティンの外山誠二の語りが素晴らしかった。狂言回し的にただ状況を説明するのではなく、感情のこもった、強弱、緩急のある語りにマルティンの人生が反映されていて、全てを見てきた彼が希望を失い、その末の虚無感、後悔を語るセリフは胸に染みた。若マルティンの大鶴佐助の純粋さが眩しく、理想と現実の中で引き裂かれ葛藤するところでは、一緒に涙しました。他の役者さんもそれぞれのキャラの芯を確実に掴んだ演技で大満足😊  とても身ごえがあり、胸にズンと響く芝居でした。

 

 

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作 マイク・バートレット

演出 伊藤大

 

 マイク・バートレットの作品は以前に東京グローブ座での「WILD」を観たことがあり結構おもしろかったんですよね。本作も考えさせられるところが多く、とても見応えがありました🎉

 

 事業に成功したオードリー(50代半ば)はイングランドのカントリーサイドにある大邸宅を購入し、その庭園を20世紀初頭当時のイングリッシュガーデンに復元しようとするが、その過程で家族や隣人たちと摩擦が起こっていく。娘ザーラが自分の親友キャサリンと同性愛関係になったことで親友を激しく非難し、同棲した2人を許さない。イラク戦争で戦死した息子ジェイムズには恋人アナがいたが、彼女の気持ちを無視して息子の遺灰を庭に埋める。アナは(精子を凍結保存してあった)ジェイムズとの子を身ごもるがオードリーは受け入れない。オードリーが購入する前の持ち主は、庭を地域住民向けのイベント会場として提供しコミュニティーに貢献していたが、丹精込めた庭を他人に踏み潰されたくないオードリーは住民が敷地に入ることを拒否する。何十年も邸宅で働いてきた掃除婦(兼家政婦?)を効率的な清掃業者と入れ替える、等々……。季節が過ぎ、いつのまにか人々はオードリーの元を去り、庭は造りかけのまま荒廃。でもオードリーはそこから動くことができない💦

 

 タイトルの「アルビオン」はオードリーがその庭園に付けた名前。ラテン語「白い」を語源とする言葉で、ドーヴァー海峡沿岸の崖が真っ白なことからこの地ブリテン島に付けられた古称、のちにイングランドの別称になります。

 オードリーが作ろうとした「20世紀初頭のイングリッシュガーデン」とは、風景式庭園ではなく、広大な敷地をいくつもの小区画(room)に仕切り、区画ごとに形や色や質感などに統一感と個性を持たせて草花を植える造園スタイル。舞台になっているのは31のroomに区切ったうちの1区画、オードリーが「赤の庭」と名付けた庭園。彼女はそこを国のために戦って死んだ兵士たちに捧げる庭にしたかった。「赤」は彼らの血の色から。

 緑が敷き詰められ花に囲まれた舞台セット、後方に1本の樹木、ところどころにベンチやテーブル。1年間ほどの話で、季節が初春→夏→秋→初冬と進むにつれて花が咲き誇り、やがて枯れ果ていきます😔

 

 培ってきた文化や伝統、古き良き時代の産物を守るためには、新しいもの、他者や異質なものを切り捨て排除し、囲いを作って外界をシャットアウトしなければならないのか❓ 受け入れるのはそこに利益をもたらすものだけにすべきなのか❓ 個人的には、伝統は現代と共存してこそ伝統として存続していけると思うけど、それは難しいことなのかな。

 この作品は2017年にロンドンで初演されたのですが、その前年にイギリスは国民投票でEU離脱を決めた😩  ブレグジッドをめぐりEU残留派と離脱派とで国を2分する嵐がまだ収まらない中での初演だったそうで、この作品は「自国の文化を守るために」国民自身がEUから離脱することを選んだことで「ヨーロッパから孤立し、多元的でグローバルな世界に背を向け停滞することになるイギリス」のメタファーとして評価されたようです。

 

 一度失われた庭を再現することは、イギリスが手放した過去の栄光を蘇らせること。その美しいイギリスの庭を守るために戦うオードリーと祖国を守るために戦った兵士が重なります。国のために死んだ英雄たちをその庭で悼むことで自分の信念の証としたい、だからその象徴として戦死した息子の灰をそこに撒く😔  オードリーの思いは理解できます。でも、伝統や文化を守ることは周りを見ずして過去に生きることではないはず。それどころか、古き良き時代に理想的なビジョンを重ね郷愁を抱いたゆえの行動が、未来を麻痺させ取り返しのつかないものにするかもしれない。過去を大事にすることと今を生きることとをどう共存させればいいのか、とても考えさせられました。

 

 最後、オードリーだけが残った庭の壁面にいくつもの十字架が投影されました。愛国の名のもとに死んだ兵士の鎮魂の庭を、幻の中で見るオードリー。オードリーも祖国を守る兵士でしたね。庭師として何十年も務めてきて今は認知症を患う老人マシューが、もう庭のことしか頭になくなっていて、過去と現在が混同したような戯言を呟いて去っていきます。それはオードリーが最後に行き着くであろう姿に見えました😰

 

 役者さんは当然ながら皆さん達者で、特にオードリーを演じた津田真澄さんが完全に場を支配していた。確固とした信念と、ビジネスを成功させた手腕によって非情とも偏執的とも言える態度で夢を実現させようと邁進する。その一方、亡くなった息子のことになると理性を忘れ情に左右される母親になる、繊細かつ力強い演技が素晴らしかった👏

 オードリーの2度目の夫ポールを演じた山野史人さん、主筋に絡んでいないけど最後までオードリーに寄り添い、ピリピリした空気の中で終始「邪魔にならいようにそばに居てここぞという時に和ませる」スタンスの、ダンディーかつ自然な演技が良かった👍  オードリーの誕生日、ポツンと残されたケーキのロウソクに火を灯して「ハッピーバースデイ〜」と歌ってあげるところが切なかったんですが、山野さん歌声がすごく良くて、おお……❗️ってなりました。