明日もシアター日和

明日もシアター日和

観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

作 フィリップ・リドリー

演出 白井晃

清原果耶/井之脇海/池津祥子

 

 2015年ロンドン初演からすぐの2016年に、白井さんの演出で日本でも初演されまして、そのときのキャストは高橋一生、吉高由里子、キムラ緑子。観ましたが、それがとっても面白くて、今回の10年ぶりの再演を楽しみにしていたのです。いや~、やっぱり、凄~く怖いのに凄く明るくて、シュールでドライで陽気度の強いブラックコメディー。ブラックユーモアもここまでくると清々しくすらあります😆

 

 ネタバレあらすじ→オリー(井之脇海)ジル(清原果那)の夫婦。ジルは妊娠中。生まれてくる子のためにも素敵なマイホームが欲しい2人。そこに、戸建住宅の仲介者ミス・ディー(池津祥子)から「一軒家を(ほぼ無料で)差し上げます」と案内がくる。それは浮浪者が徘徊している荒れた地域に建つ中古物件だったが、ミス・ディーはリフォームして素敵な家にすればいいと勧め、2人は契約する。翌日、オリーは家に忍び込んできた浮浪者を思わず殺してしまう。すると強い光が放たれ、浮浪者の死体は消え、死体があったはずの場所が一瞬にして美しくリフォームされている。浮浪者を殺すとそこがリフォームされるという不思議を受け入れた2人は、次々と浮浪者を連れ込んでは殺し、その度に、キッチン、バスルーム、廊下、寝室、リビング、納戸……と、家がどんどんリフォームされていき、夢に見たマイホームが完成する✨

 何年か過ぎて子どもも生まれ、ジルのお腹に2人目がいる頃、浮浪者を連れ込んでいたことを隣人たちに怪しまれ、2人はそこに居づらくなる。ミス・ディーが再び現れ、もっと大きな家があるからそこへ引っ越して、またリフォームすればいいと勧める。2人は「もっと大きな家だともっと多くの浮浪者を殺さなければならないけど、子どもたちにも殺すのを手伝ってもらえばいいね😊」と新たなマイホームへ移っていく。残ったミス・ディーが「さぁ、夢のマイホームへ!」と両手を広げて観客に呼びかける。終わり。

 

 タイトルの「レディエント/ radiant 」は「光を放つ、明るく輝く」、「バーミン/ vermin 」は「害虫、社会のクズ(社会の害虫)」という意味です。直接的には「浮浪者(社会のクズ)が光を放って死ぬ」ことを表していて、そのあと夫婦の家が素敵にリフォームされている、というところに繋がります。理想のマイホームのために、まるで花壇でも作るかのように嬉々として殺人を犯していく2人😰

 

 観客巻き込み型(イマーシヴ演劇)で、オリーとジルは観客に向かって説明するようにセリフを言ったり、観客に話しかけたり、あるいは「次にリフォームするのは、夫が望む “新車を収める車庫” か、妻が望む “生まれてくる子のための子供部屋” か、どちらにすべきだと思いますか?」と観客に挙手を促したりする。そして芝居の終盤で「(理想の家のために浮浪者を殺すという)私たちのしたことは間違っていませんよね、だって家族のためにやったことだから。皆さんもきっとそうするでしょ?」と観客に問いかける。問われた私たちは「形は違っても、そういうことかな……」と共犯者にさせられている😩

 

 真面目な夫婦が次第に欲望に飲み込まれていく。自分たち家族の幸せのためなら、弱者である他人を犠牲にしてもいいという、この感覚。それを、明るく人の良さそうなごく普通の夫婦が淡々と行なっていくわけですよ。人の欲望には際限がなく、その欲望がモラル(倫理や道徳)を超えていく。彼らが浮浪者を殺す、その口実は「浮浪者は社会の役に立っていない、社会で取るに足らない存在は犠牲にしていい、むしろ、いなくなったほうがいい」ということですね💦

 

 殺される浮浪者は登場せず、井之脇海と清原果那のセリフと動きだけで見せるのだけど、ひとりだけ池津祥子が2役目として演じる浮浪者が登場します。その浮浪者は「自分は今まで誰にも必要とされずに生きてきた。でも、ここで死ねば自分は一瞬だけ光り輝く、そしてこの家が美しくなる。そうやって自分が役に立つのなら、必要とされているのなら、こんなに嬉しいことはない、さあ、早く殺してください」みたいなことを言います。こうして正当性を持ってくる滑稽な皮肉。作品の中にある狂気と暴力性、社会性がストレートに刺さってきます😖

 

 ジルを演じた清原果耶さん。キラキラのマイホームに住んで絵に描いたような幸せな家庭を切り盛りしていくことに積極的で、ミス・ディーの勧誘に慎重になったり浮浪者を殺すことを最初は躊躇する夫を叱咤し、グイグイと前に進めていく。あの明るさが何か憎めないのでした。途中でサスガに良心の呵責に苛まれ「ソファに髪の毛が生えている😱」などと幻覚を見るのだけど、立ち直るのも早い😅

 オリーの井之脇海さんは、慎重でちょっと気が弱そう、妻に主導権を握られている夫で、家族のためというより、妻や子どものためなら頑張りますっという良き夫でした。その一見平凡な男が欲望に飲み込まれていくところの怖さが出てましたね。

 ミス・ディーの池津祥子さんは、普通に不動産エージェントにいそうな、口達者で押しが強いやり手の営業ウーマンそのもので、それゆえにリアルな不気味さが漂っていました。あんな感じだと気の優しいクライアントは普通に騙されますよ。

 

 劇中音楽でU2の「Vertigo」が使われているのだけど(戯曲上の指定ではなく、白井さんの選曲だそうです)、最後、暗転していく中にそれが爆音で流れるのが異常にカッコ良いのです👍 タイトル通り「めまい」を呼び起こすのでした。

 

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時蔵/獅童/隼人/歌昇/種之助/米吉/錦之助

 

 時蔵の雪姫は今回で3度目だそうですが、初役は2017年大阪松竹座、2度目は2019年博多座ということで(共に梅枝時代)歌舞伎座では今回が初なんですね。私も時蔵の雪姫は初めて観るんだけど、三姫のうち時姫も八重垣姫も観てたから、てっきり雪姫も……とすっかり思い込んでいました。

 

 雪姫は時姫や八重垣姫とは違って直信(米吉)という夫がいる既婚者です。なので、品格と可憐さと強さを持ち合わせていると同時に、大人の女の成熟さや色っぽさを見せるのも大事じゃないかなと私は思っています。松永大善(獅童)にセクハラ暴言を吐かれたり縛られて桜の木に繋がれたりという、ちょっと艶かしい場でも上品に対処して見せる必要もあるし。時蔵はそのあたりの見せ方が大変良かったです🎊

 前半の、身の不憫を思って憂いを湛えうつむく姿が儚げで、夫・直信を助けるために思い切った決断をするところでは健気さと同時に強い意志も感じられた。後半の、縛られてからの爪先鼠までが圧巻。夫との別れにはしっとりとした叙情性があり、一人になってから、思案し、父の仇が大膳であることをなんとか夫に知らせたいという意思を決めたところのきっぱりした表情が良い。

 そのあと足で鼠を描くことを思いつくまでの、セリフと動きと感情の見せ方がドラマティックで、たった一人で見せるこの場、舞台を完全に支配していました。絵に命が吹き込まれて現れた白鼠が縄を噛み切ってくれて自由になり、夫を追う途中、花道で刀(取り戻した家宝の倶利伽羅丸)の刃を鏡代わりにして髪の乱れを直すところは、色っぽさと可愛らしさとがあった。

 松永大膳の獅童は、押し出しから見られる “国崩し” としてのスケール感は弱いけど、邪悪な敵役味は持ち味でもあるし、十分に出ていると思いました。短気っぽい感じもあったかな。名刀(妖刀?)倶利伽羅丸を扱う時、刀袋を開けて→袋の口を畳んで→紐で丁寧に縛って……という所作がモタモタしていてちょっと情けなかったかも😓 最後の、絵面の見得で見せる形が立派でした。

 

 真柴久吉の隼人すっきり颯爽として美しく眼福、眼福✨ セリフ回しから知性も感じられます。今回が初役で、仁左さまに教わったそうですよ。身体がシュッと大きいので、後半での立ち回りなど、大きな動きが入るとさらに舞台映えするのね~。ちなみに、大膳が井戸に投げ込んだ碁笥を「手を濡らさずに取れ」と言われ、館の樋を外し、それで背後の滝の水を井戸に流し込み、碁笥を浮き上がらせる、と、そこまではいいとして、その碁笥を扇子で掬い上げ、碁盤に乗せて大膳に渡すので、本当に手は全く濡れないの、改めてナルホドね🤔と、変なところで感心してしまった。

 慶寿院はなんと錦之助で、これはちょっと楽しみにしていたのです。だって、尼とはいえ女方なのでこれは貴重ですよ。果たして、品格のある佇まい、慈愛を感じさる穏やかな雰囲気など、存在感ありましたです。その慶寿院を救い出すのが隼人久吉なので、ここで美しい父子の共演になってるの、いいですね。

 

 成駒屋型ということで、雪姫が繋がれる桜の木は舞台の(下手側ではなく)ほぼ中央。その前を通り過ぎる直信との別れでいうと下手の桜に繋がれる方が絵柄としていいと思うけど、そのあと爪先鼠を描くときは中央の桜に繋がれる方が自然かな。ドロドロの音と共に現れ差金で操られる白鼠2匹、お役目?を果たしたあと、パッと弾けて桜の花びらになり散っていくところ、美しくも幻想的ですごく好きです。それにしても、地面に積もった桜の花びらで「描いた」鼠、どこをどう見ればあれが鼠に見えるのか、いつ見ても分からないんですよね🙄 

 

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演出・再振付 宮尾俊太郎(原振付 ワシリー・ワイノーネン)

音楽 ボリス・アサフィエフ

山本雅也/菅井円加/武井隼人/長尾美音/栗原柊/日髙世菜/栗山廉/ニコライ・ヴィユウジャーニン/島村彩/宮尾俊太郎

 

 菅井円加さんがジャンヌを踊る回を観てきました。全幕の「パリの炎」は2017年のラトマンスキー版@ボリショイバレエと、2019年のワイノーネン版@ミハイロフスキーバレエを観てます。が、この2つの版が作品の解釈としてかなり違うということもあり、細かいプロットはよく覚えていないのです😓 今回の宮尾俊太郎さん振付版は(ワイノーネン版を元にしているとはいえ)演出がまた別物ということで楽しみにしていました。

 

 宮尾さんのプロダクションノート@プログラムにもありますが、フランス革命を題材にして何を表現したいかというコンセプトが明確で、それらの鍵となるシーンをダンスでしっかり見せており、重奏的な面白さがあった。庶民(フィリップとジャンヌ)と王侯貴族(ルイ王と王妃マリー・アントワネット)との対立、その垣根を超えて愛し合ってしまった2人(ジェロームとアデリーヌ)、三者三様の悲劇を通して、体制側にも反体制側にもドラマがあるという客観的なスタンスでの物語。こういうの、ともすると焦点がぼやけた中途半端な作品になりがちだけど、それを感じさせないほどの、悲劇の中にある「愛と生を渇望するドラマ」というのかな、ダンスやプロットにメリハリが効いた面白さがありました。Kバレエの特色の一つであるエンタメ性も十分だったし。

 

 ジャンヌの円加さん怒りも意志も溜め込んで民衆の士気を高め引っ張っていく役柄にぴったりの男前でした🎊 両手を腰に当て脚を広げて立つポーズとか木箱に行儀悪く座る姿とかカッコいいし、2幕1場の最後で皆と踊った後に見せる決めポーズが歌舞伎の見得のよう。ダンスは力強くてシャープで軽やか。エッというようなスゴ技を軽~くバンバン入れてきて、もう笑っちゃうレベルです😆 例えば、上手にいるフィリップに向かって下手から走り、途中でジャンプして空中で海老反りし😳着地した勢いでフィリップに抱きつく。すごかったです~。GPDDのフェッテではポワントのまま何度もジャンプするし。最後、フィリップが兄ジェロームを銃殺したことにショックを受け抗議するのだけど、すぐにその感情を振り切り皆の狂乱の輪に加わる、その、気持ちを切り替えた瞬間の狂気を帯びた表情にゾクッとしました。

 

 マルセイユ義勇軍リーダーのフィリップは山本さん。私はKバレエをそんなに観てきてないので山本さんについては多くを語れず、フィリップに関しては普通に良かったとしか言えないです。円加さんのパートナーに抜擢されるくらいだからKバレエでは筆頭メールプリンシパルだとは思いますが、個人的に特に惹かれるポイントはなく、GPDDでのヴァリも、繰り返しになるけど、普通に上手かったです(←褒めてます🙇‍♀️)。

 

 この作品ではフィリップとジャンヌが主役ペアではあるのだけど、宮尾版でのキーロールは階級に阻まれたロミジュリともいえるジェロームとアデリーヌかも。アデリーヌの長尾さん大変よかったです。1幕での貴族の娘らしい上品なダンス、2幕で運命が変わり父が処刑されてからの心を失った踊り(というか演技)胸を突く悲しさが伝わってきた。

 日髙さんマリー・アントワネット栗山さんルイ王も出色でした。日髙さんは王妃としての気高さと威厳があり、栗山さんは王というより王子のようなキラキラした気品に溢れていた。ギロチンにかけられる前のマリーが幻想の中で、既に亡くなっている王と踊るPDD、マリーの悲しみをたたえた表情に対してルイは無表情で踊るのね。それが悲劇性を倍増させ、マリーのルイに対する強い愛を感じさせる美しいデュエットだった。

 

 群舞のダンスや演技も工夫があって面白い。キレッキレのバスクの踊りの躍動感、その最中にロベスピエール(宮尾さん)が取材を受けジャーナリストが彼のメッセージをメモしているという細かい演出シーンが好き。王妃がギロチンにかけられるのを見届けた民衆の表情が歓喜ではなく無表情だったのも印象的でした。王宮での貴族たちのダンスが笑いを誘うヘラヘラした振付で😅貴族たちも気取った踊り方だし、最後はツンとすましてレヴェランスを見せるなど、遊興にふける貴族たちを揶揄したダンスシーンで笑いました。

 舞台美術では、冒頭が街の広場ではなく港町マルセイユの風景なのが良かったし、1幕の王宮内は豪華だけど柱や梁が傾いており崩壊を予兆させる造りでうまいなと思いました。1幕1場の終盤、パリへ向かう義勇軍の足音が力強い。そして終幕が降りたあと、その幕の奥からやはり民衆の足音が響いてくるのね。革命政府がまだ不安定であることを思わせる不穏な空気を感じました。

 

 若きナポレオン(栗原さん)が革命の光と闇を身をもって体験するという設定なんですよね。最後にジェロームの遺品の帽子をかぶると肖像画でお馴染みの “ナポレオン” になり、この先を予感させるという、よく考えられた演出。史実では、ナポレオンは革命後の混乱を収めるのだけど、のちに強力な軍事力をもってヨーロッパの反フランス勢力を押さえつけ軍事独裁政権である “ナポレオン帝国” を築き “皇帝” として即位する。ヨーロッパ諸国が団結して戦わなければ独裁者としてヨーロッパに君臨したであろう男なわけで、私はここに別の皮肉を感じました

 

 宮尾さんはこの回は革命家ロベスピエール役で登場していて、義勇軍を鼓舞するに十分なカリスマ性がありました。大きなダンスも見せてくれて有り難かった。この作品はその宮尾さんが初めて演出・振付した全幕バレエということですが、とてもよくできていて、来年あたりにも早々に再演されるんじゃないかと思ったり……どうでしょう🙏

 

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改訂振付/演出 ピーター・ライト

音楽 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー

小野絢子/奥村康祐/中家正博/木下嘉人

 

 全6ペア魅力的な配役ですが、私は基本1回だけ観る人なので、迷わず絢子さん&奥村くんの回を選びました。P. ライト版は、この間のロイヤル・シネマで観た「ジゼル」もそうですが、物語としての “語り” が大変しっかりしているので、運命の残酷さみたいなものも真っ直ぐに伝わってきます。

 そのあたりは観客全員に配られるプログラム内で解説されているので詳しくは触れないけど、私が特にそれを感じるのはプロローグとして王の葬列から始まることかな。とても象徴的なシーンです。棺の後ろを歩く王子の姿が暗い舞台の中にぼんやりと浮かび、彼の鬱々と沈んだ雰囲気は自分が背負った荷の重さ(次の王として子孫を残さねばならない義務など)を感じさせる。1幕で結婚を迫られて憂鬱になるのが、ただ単に、もっと自由でいたいとか本当の愛もまだ知らないのにとかそういう青臭い思いからではないことや、このお話が決してハッピーエンドにはならないことを印象付けます。そして、遠からず自らがその棺の中に入るという予兆……

 

 絢子さんのオデットとオディール、いずれも静かな表現ゆえの深みが感じられ、それが美しさになっていました。オデットは崇高さと孤独をまとったような透明感があり、2幕では、王子と出会ったことで少しずつ温かみを増していくようだった。凛とした姿には近寄りがたさすらあり、腕や脚はもちろん、背中や首の動きが描くしなやかなラインからは羽音が聞こえてくるよう。奥村王子のサポートで踊る姿からオデットの物語が紡がれていき、愛を知ったオデットの戸惑いやためらいが伝わってきました。オディールはあからさまな妖艶さは抑え気味に(私には)見えてクールな感じがしました。そして時々見せる視線や笑みで王子を絡めとっていくようだった。でも最後「騙してやったわ!」と王子を指差して高笑いする絢子オディール、痛快でしたね😆 4幕は出色でした。オデットは悲しみのあまり、謝罪に現れた王子を最初は拒むというパターンもあるけど、絢子オデットは最初から王子を赦し受け入れ包み込むように優しく腕を差し伸べるのね。そしてそれでも、誓いが破られた以上2人はもう結ばれないと知っている、絶望のダンスでした。

 

 王子ジークフリードの奥村くん、ノーブルな踊りはもちろん、セリフが聞こえてくるような感情表現、気持ちの変化の表し方がとても繊細なんですよね。1幕では、友人たちと踊っていても自分の行く道が見えずに不安にかられフッと心ここに在らず状態になるし、母に結婚を迫られて不安が具体的になったことでモロに憂いを見せる。クルティザンヌと踊るときはそれを隠して王子らしい礼儀をみせるところは立派だった。2幕では、絢子オデットを守る、支える、という気持ちがより強く働いているように見えました。オデットの運命に自分を重ねて共感し、それが次第に彼女への愛に変わっていき、永遠の愛を誓うことで、彼女を解放すると同時に自らも救われると思ったような、2幕最後の晴々しい表情にそれを感じました。3幕のオディールとのPDDは少年のように夢中になるというより、再会できた喜びを噛み締め将来を思って希望を感じているようなノーブルな踊りだった。4幕ではオデットを守り抜こうとする気持ちの強さ、どう考えたって敵わないロットバルトに抗ってオデットの後を追おうとする姿に泣けましたよ🥹

 

 そしてやっぱり「白鳥の湖」における絢子さんと奥村くんのペアは他に代え難いものがあると思いましたね。2人から生まれるケミストリーは別格で、余計な説明せずとも分かり合える愛を、伝え合い、感じ合える、不思議な相性の良さがあると思う。特に2幕のPDD、出会ったときの警戒心にもかかわらずグイグイと引かれていく2人からの、互いを信頼し合うまでのドラマがしっかりと表現されていました。4幕では死へと向かっていく2人の心が確かに1つになっているのが感じられるダンスで、次元を超えたところで踊っているかのよう。それゆえ、あの結末は必然のように思えました。

 

 主役以外ではクルティザンヌを踊った五月女さんが特に良かったなと。あと、やはり五月女さんが踊ったナポリでの水井さんに目が入きました。そして群舞が素晴らしいです。一つの塊としての有機体のようで、描かれる幾何学的なフォームが芸術の域だし、4幕ではその動きがオデットの感情のうねりのようにも見えました。

 

 P.ライト版は王子のバディとしてのベンノ(木下嘉人さん名演でした👏)の存在が大きいのだけど、本日気が付いたのは、1幕で、白鳥が空を飛んでいるのを見つけて王子に教えるのも、弩を渡して「気晴らしに狩に行きませんか?」と勧めるのもベンノであって、湖に行くのは王子の意思ではないのですね。ということは、王子の運命を決定したのはベンノじゃん😥って思ってしまった。もしベンノが誘わなかったら王子はオデットと会うことはなかったのか……とふと思い、でも王子があのまま愛のない政略結婚を強いられたら「ジゼル」のアルブレヒトみたいになりそうだから😑真の愛を知りその人と天上で結ばれたのは良かったのかも、などと余計なことを考えてしまった😓

 私は「白鳥の湖」は断然バッドエンド派です。オデットが死に(あるいはロットに連れ去られ)王子だけ残されるというバッドエンドもいいけど、このライト版のように、2人とも死んで天上で結ばれるというのが一番好き。今回の、ベンノが王子の亡骸を抱いて佇み、天上には寄り添う2人の姿が浮かび上がるという幕切れ、最高ですね。

 

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松也/勘九郎/七之助/歌昇/権十郎/又五郎/彦三郎

 

 これ、直近の公演は2018年の八月納涼歌舞伎なんですね(源五兵衛=幸四郎、三五郎=獅童、小万=七之助)。ずいぶん長いこと上演されてなかったのには驚きました。面白いのに、南北だし。そのときの公演は観ましたが、その前の2017年大阪松竹座のが凄かったのです。源五兵衛=仁左さま、三五郎=当時の染五郎、小万=当時の時蔵で、このとき松也が八右衛門を演ってるんですね。

 今回は、その松也が源五兵衛を演じた回を観てきました。仁左さまに教わったのだろうか、セリフや所作の端々に仁左さま味を感じたんですけど。この源五兵衛は勘九郎とのWキャストで、以下は、勘九郎のは観ていない時点での感想です。

 

 松也の源五兵衛正統派というのかな、とても良かったです。色悪っぽさを出した白塗りの造りだけど、松也にはあまり色気は(私は)感じない……ものの💦 ズブズブと深みにハマって殺しを重ねていくナイーヴな哀れさがあった。

 最初の長屋の場、借金のカタに家財道具を持っていかれる最中、柱に気だるげに寄りかかった横顔の姿が綺麗でした。小万(七之助)が尋ねてくるといきなり柔らかい笑顔になって、もう小万好き好きビームがすごい。そこからの、裏切りに遭い→闇堕ち、ですよ

 

 茶番劇で百両を騙し取られたと知って茶屋を後にする花道、ただただ小万を救いたくて大事な金を差し出したのに……騙された悔しさと屈辱をグッと腹にこらえ、それが次第に怒りに変わっていき、花道半分くらい歩いたあたりで松也の目がギラリと光って鋭くなった。殺意が湧いたその瞬間がハッキリわかりました

 五人斬りの場は陰惨だけど見応えがある。自分を笑いものにした奴らを、表情ひとつ変えず一言も声を発さず何の躊躇もせず、スローな動きで次々と斬り殺していく。ゾクゾクしますね😊 ところが、亀蔵のトドメを刺したときの松也の顔がなぜか悲しそうだった。それでですね、松也の源五兵衛が抱えるのは怒りや狂気ではなく小万への愛と悲哀なんだと、そのとき思ったのです。

 

 逃げた三五郎(勘九郎)と小万が居る長屋を訪れる松也源五兵衛、花道を出てきたときの魂を失ったような横顔が切ない。そうしていよいよ小万殺しだよ~。まず三五郎と小万の子ども(赤子)を寝かしつけている里親(吉弥)を別室で殺し、泣く赤子を無造作に掴んで部屋から出てきて、手についた血を赤子の着物で拭き取る。ここでもうゾゾッとなります😰

 赤子が三五郎にそっくりだと笑い、小万の腕に “三五大切” と彫られた刺青を見て、自分は愛されていなかったのだと思い知らされ、苦渋で顔が崩れる松也。小万が赤子の命乞いをするのを見て、それなら自分の手で殺せとばかりに、小万に刀を握らせその手を掴んで赤子を刺し殺させるんですよ~。なんと陰惨な復讐でしょう😱 私はここが一番恐ろしかったです。

 

 観念した小万が「私を斬って三五郎さんは助けて」と懇願するセリフに嫉妬が燃え上がり顔がギュイッと歪むのだけど、松也のその目には悲しみしかなかったな🥹 「そなたの命はみどもがもらった」というセリフは、それでも小万は自分のものなのだと自分に言い聞かせているようにも聞こえた。そのあとの小万殺しは様式美たっぷり。帯がほどけて描くラインとか、七之助の海老反りとか、殺しの美学に魅せられました

 

 斬り取った小万の首を抱いて花道を去る松也源五兵衛、長屋を出たところで帯に包んだ首をそっと抱きしめて頬を寄せ、雨が降っていたので小万(首)が濡れないように傘をさし(ボロッボロの傘がまた哀れを誘うのよ😢)花道でもう一度、小万の首に頬ずりをする。やっと2人きりになれた、もう誰にも奪わせないという……ね😭

 隠れ家に戻って、首を前に食事をするところはホラーっぽいんだけど(首台?に乗せた小万の口元にご飯を近づけると首が口をパカッと開ける→さすがにヒエッと驚く源五兵衛)、ああやって2人で食事をしたかったんだろうなと思わせる悲哀を感じました。

 

 勘九郎の三五郎、小悪党っぷりが痛快でした。茶番劇の場に源五兵衛をなんとか引き留めておきたくてポンポンと調子よく嘘言葉を投げかけるサマとか、テンポが絶妙。最後、源五兵衛が犯した全ての罪を被ると言って腹を切るところでは、勘九郎のすっきりした人柄がそのまま出ていました。

 七之助の小万は婀娜っぽさと深川芸者の気っ風の良さがあった。夫の三五郎に心底惚れてるのが分かり、彼のためなら悪事もやってしまうという、純な女ではないところもうまく見せていた。それでも、源五兵衛を騙したことに気が咎めている様子や、彼が自分を本当に愛しているのだと知っているが故の申し訳なさも見えました。

 

 源五兵衛の家臣である八右衛門は歌昇で、これがまた大変に良かったです。忠義一筋の生真面目な青年、ご主人さまを救うためなら自ら罪を被りましょうという献身、冒頭での家財道具を持って行かれるところでのあたふた感、芸者に入れあげてるご主人さまの目を必死で覚まさせようとする奮励。気持ちいいくらいの真っ直ぐな演技だった👏

 そういえば五人斬りのところで、殺される巳之助が軽々とトンボを切っていてびっくりでした(ちょっと前だけど「高時」でも見せてましたね)。それにしても南北って、他の作品もそうだけど、よくぞあんなに複雑な因果の連鎖を思いつくよねと思います。

 

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橋之助/孝太郎/梅花/中村福之助/芝翫/歌之助/魁春/松江

 

 国立劇場主催の歌舞伎鑑賞教室、6月は荒川区民会館サンパール荒川で上演されています。演目は「仮名手本忠臣蔵」のうち五段目の「山崎街道」と六段目の「勘平腹切」の2幕。成駒屋父&3兄弟を中心に、孝太郎、梅花、魁春、松江らが同座。A・Bプロがあって、私は橋之助が勘平を勤めるAプロを観てきました(Bプロは芝翫が勘平)。

 

 本編の前にいつものように「歌舞伎のみかた」が20分ほどあり、男寅が解説を勤めていました。しゃべりがずいぶん上手くなっていたな。本編では、義太夫の語り部分を上方に字幕で表示する工夫があって、これは良いなと思いました。

 

 橋之助の勘平は初役で、もう大熱演でした👏 勘九郎に教わったそうで、ナルホド、情をたっぷり効かせた熱い勘平だった。「二つ玉の場」では、猪と間違えて人を殺してしまったと知って恐れおののき、一旦その場から逃げるのだけど「しかし待てよ、あのお金を仇討ちの資金として渡せば仇討ちに加えてもらえる」と考え、恐る恐る死体のところへ戻ってお金をくすねる、そこまでの気持ちの変化が、セリフはないけど表情だけではっきりと分からせている

 そのあとの「勘平腹切の場」丁寧な楷書の演技でした。雨で濡れた着物から水浅葱色の御紋服に着替えると一気に “勘平” になり、少し悲劇の影を感じさせるその姿がすっきりとしていて美しい✨ お才(魁春)が見せた縞柄の財布を見てギョッと顔がこわばり→自分がくすねてきた財布を胸元からそっと出して見比べ→自分が撃ったのは親父さまだったか!😖と悟り、とんでもないことをしてしまったと驚愕して震える。そこまでの演技も表情と所作でしっかりと感情を表現していて、ことの重大さが伝わってくる。確かに、やや力が(情熱が?)入りすぎていて、前半はもう少し柔らかさを出して後半との違い、メリハリを見せる方がいいのだろうけど、初役なので甘口感想ですよ。

 その後半は、悲壮感あふれる演技で、どんどん追い詰められていく様子が見事だった。親父さまの遺骸が運ばれたところでは恐ろしさで顔がこわばり身体が震え、おふくろ様おかや(梅花)に責め立てられて言い訳もできず逃げ場を失った姿は見ていて苦しくなりました。

 

 中村福之助の斧定九郎も初役(Bプロは歌之助が定九郎)。定九郎は基本 “色悪” で、その雰囲気はよく出していて、「ごじゅうりょぉぉぉ……」のセリフはドスが効いていたけど、欲を言えばもう少しドロリとした凄みがほしかったかも。確かに、すごく短い出番でセリフも一言だけという中で定九郎の残忍な美学を出すのは難しいのだけれど。ちなみにコロンとしたどんぐりみたいな猪はいつ見ても可愛くて好き😆 今回は舞台をかなりグルグル逃げ回ってました。歌之助はAプロでは千崎弥五郎で、割と血の気の多そうな若き浪士のお役を、太い声でうまく演じていましたね。

 

 成駒屋3兄弟とも、こういうお役を歌舞伎座で演りたいだろうなあと思うよ🥹 特に橋之助の勘平はね。いつも思うのだけど、彼らは過小評価されている、というか注目度低すぎるのでは? 3人とも着実に力をつけてきているし、重要なお役を演るところをもっと見せてほしいです。今回の歌舞伎鑑賞教室を成駒屋メインでというのは、もしかしたら息子たちに大きなお役を……という芝翫の親心もあったのかも。その芝翫はAプロでは原郷右衛門で、登場するとさすがに場がキュッと引き締まりました。

 

 母おかや梅花はインタビューで「私にとってライフワークのようなお役です」とおっしゃっていて、実際、もうそのままリアルに、夫や娘や娘婿その全てへの愛にあふれた老妻&老母で涙でした😢 特に、勘平が縞柄の財布を見て自分が殺したのは親父様だったかと愕然としている時、外に出て夫の帰りを今か今かと気を揉みながら遠くを見ている年老いたおかやの後ろ姿(背中)が哀れだったな。勘平が夫を殺したのだと思い込んで、彼を拳で弱々しく叩きながら「親父殿を生けて戻せ……」というセリフに泣けましたよ🥹

 最後、すでに腹を斬っている橋之助勘平は、仇討ちの連判状に加えられたことに満足し、喉を切って低い位置で手を組み、一瞬だけ柔らかく微笑んで事切れます。良い舞台でした〜。

 

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監督 羽田澄子

 

 ドキュメンタリー映画監督の羽田澄子さんが、十三代目片岡仁左衛門丈の83歳から90歳で亡くなるまでの姿(舞台、稽古風景、芸談、家族との風景など)を記録した映画を観てきました。十三代目は1903年12月15日生まれ、2歳で初舞台を踏み、1994年3月26日に亡くなりました。最後の舞台は1993年12月南座「八陣守護城」の佐藤清正で、映画の中でご本人が「役者は舞台が命」とおっしゃている通り、まさに最期まで舞台の人でしたね。

 

 幸運にも十三代目の舞台は観てきています。特に、現・仁左さまや十二代目團十郎が「助六」を演ったときの意休、やはり現・仁左さまが「女殺油地獄」で与兵衛をやったときの父・徳兵衛、そしてもちろん菅丞相など、記憶に深く残っている。東京での最後の舞台は1993年4月歌舞伎座「御浜御殿綱豊卿」の新井勘解由で、このときの舞台は映画にも収録されています。綱豊卿は梅玉で、十三代目はそのときの梅玉をベタ褒めしていますよ。

 

 映画は全6巻に分けられていてトータル10時間46分。長尺ゆえ、ディスク化やネット配信はされておらず、映画館上映も限られていたそうで、私は今回初めて観ます。

1巻「若鮎の巻」上方歌舞伎若手役者の勉強会「若鮎の会」が1987年に自主公演「一條大蔵譚」と「吃又」を行うにあたり、十三代目が監修と演技指導をした時の記録。

2巻「人と芸の巻(上)」1987年大阪中座での「伊賀越道中双六/沼津」舞台のダイジェストを中心に、他の作品の稽古風景など。

3巻「人と芸の巻(中)」1988年「菅原伝授手習鑑/学問所、道明寺」の舞台やプライベートの風景。

4巻「人と芸の巻(下)」1988~1991年の記録で、芸談や家族へのインタビュー、私財を投じて行った「仁左衛門歌舞伎」のことなど。

5巻「孫右衛門の巻」1989年「恋飛脚大和往来/封印切、新口村」の稽古風景と舞台ダイジェストなど。

6巻「登仙の巻」1991~1994年の最晩年の舞台やプライベートの風景、そして、亡くなられた後の家族のお墓参りの様子など。

 

 どの巻もすごく見応えがありました。なにより驚愕するのは、十三代目は77歳のときに突発性緑内障を発症して徐々に視力が衰えていき、映画の収録当時には、かなり目が見えない状態であったこと。それでも若手を稽古指導し舞台に立ち続けていたのですね🥹 「道明寺」の稽古では、目ではなく勘で動けるように何度も舞台を歩いたり、三段を降りる時かかとで段の後ろを触って足を下ろしたり、「新口村」では花道から出て本舞台に上がる時の目印の赤いランプや歩みの感覚を確認したり……。

 

「沼津」は平作を十三代目、十兵衛を現・仁左さまが演じていました。生き別れた親子の義理と愛のせめぎ合い、そのやり取りが実の親子だけにもうボロ泣きしました😭 「新口村」も孫右衛門を十三代目、忠兵衛を現・仁左さまが演じるという親子配役。ひとめ息子に会いたいと願う孫右衛門と息子との別れシーンに泣かされました😭 十三代目はスラリとした姿なので身長も高く見えるのだけど、仁左さまと並ぶと華奢で弱々しく見え、それがまた哀れを誘うんですよ。

 

 芸談もとても興味深く、芸に真摯に向き合う姿と言葉に深く感動。「戯曲全体を読み、やるたびに研究を加え、自らの演技や演出を創る」というのは今の仁左さまにも受け継がれていますね。それにしても十三代目は自分以外のお役のセリフも義太夫もすべて頭に入っていて驚きます。「仁左衛門歌舞伎」を立ち上げたときの苦労話も感動もの。たとえアパート暮らしになってもいいから実現させて関西での歌舞伎公演を復興させたい、と。それが成功して収益が出たときは、お金はご自身は受け取らず、他の皆に分けたそうです。

 

 プライベートな風景では、中折れ帽を被ったスーツ姿がダンディー✨ 毎朝神仏に手を合わせる習慣や、カセットテープで義太夫を聴いている姿が印象的でした。以前に現・仁左さまも、スマホはあまり使わないけど義太夫を入れていてそれはよく聴いていますとおっしゃってましたから、十三代目からの習慣なのかなと思ったり。家族のインタビューでは、現・仁左さま(当時40代の孝夫さん)の若々しいシュッとした姿がとても素敵でした~💖

 

 愉快なお話もされていました。「判官と由良助の2役をやる夢を見た。判官切腹の場で判官が腹を切った、そこに由良之助が駆け付けなければならないと分かり、どうすればいいんだと悩んでいたところで目が覚め、あー夢で良かったとホッとした」とか😅 「寺子屋の首実検では役者によって間の取り方に違いがある。(ナルシシストで有名な)十五代目羽左衛門は首を見るまでにすごく長い時間をかけていて、六代目菊五郎が『早く見てあげろよ〜』と言ってた」とか😆

 

 最終巻の「登仙の巻」では最晩年の十三代目の素顔が見られるのだけど、夏のある日の、縁側でソファにゆったりと座っている穏やかな表情が、余分なものが削ぎ落とされ、ただ芸のためだけにそこにいらっしゃるという感じで、役者人生を達観したような崇高な美しさでした。1992年南座「車引」で、十三代目の時平、我當の梅王丸、秀太郎の桜丸、仁左さま(当時の孝夫さん)の松王丸、進之介の杉王丸という、父・子・孫が同じ舞台にそろった映像は貴重でしたね。

 

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著 ウンベルト・エーコ

訳 河島英昭/河島思朗

刊行 東京創元社

 

 小説「薔薇の名前」の完全版が昨年末に出たというので読みました。エーコのこの小説は1980年に出版され、邦訳は1990年に刊行されのですが、邦訳が出る前の1986年にジャン=ジャック・アノー監督、ショーン・コネリー主演の映画「薔薇の名前」が公開されまして(日本公開は1987年)、私はまず、その映画を観てその世界の虜になりディスクも買ったほど(写真中央)。その後に出た邦訳本も、これは読まねばならないだろうと買いました(写真左の上・下)。で、今回その完全版が出たのなら、やはり読んでおきたいと、図書館で借りたわけです(写真右の上・下)。刊行を知って予約した時点で、すでに長~いウェイティングリストができており、先日ようやく順番が回ってきました。

 

 小説「薔薇の名前」は1327年の中世イタリア、ベネディクト会修道院を舞台にした7日間の出来事の話です。主人公はフランチェスコ会の修道士であるイングランドのウィリアム、その弟子として付き添うベネディクト会の見習い修道士であるメルクのアドソ

 物語のメインプロットは修道院で起こる連続殺人事件の発端→推理→解決で、ウィリアムとアドソが、さしずめホームズとワトソンのような関係を保ちながら事件に挑んでいきます。

 サブプロットとして、そもそも2人がその修道院を訪れた目的である、教皇側とフランチェスコ会との間で争われていた清貧問題の調停会談が行われます。さらには修道院に異端者がいることが発覚し急遽その異端審問も始まる。

 というわけで、殺人犯は誰で、なぜ、どうやって殺したのか=殺人事件の鍵となる修道院文書館(図書館)内の迷宮探求、写本探しをめぐる暗号と記号の推理が展開する中に、フランチェスコ会修道士と教皇使節団との論争、ローマ・カトリックにおける正統と異端問題、教皇と神聖ローマ皇帝との確執、“知” と “笑い” のもつ力とアリストテレス哲学、黙示録や終末思想といったテーマが、歴史的事実や当時の実在の登場人物などとも重ねて、縦横に織り込まれており、しかもこれらテーマがすべて何らかの形で繋がっているという、非常に脳を刺激してくる本です。

 

 今回読んだ完全版がそれまでのと違うところは、エーコ自身による文書館の図面や人物のスケッチと、別巻として刊行された「覚書」が収録されていること。また、邦訳刊行時に間に合わなかったエーコによる訂正が反映されているとか、ラテン語関連の見直しや本文の訳稿の訂正がなされているとかもあるようですが、正直言って、そのへんの違いは全く分かりません💦

 また、初版本を読んだときは難しくて理解できない部分も多々あり(特に神学論争のあたり)、それでもまぁいいかとなったのですが、完全版を改めて読んだら、分からなかったところはやはり分からないままでした😅 自分、全く成長していなかったわけですが、それでも素晴らしく面白い小説であることを再確認しました。

 

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演出/追加振付 ピーター・ライト 

音楽 アドルフ・アダン

高田茜/マシュー・ボール/アネット・ブヴォリ/ヴァレンティノ・ズケッティ/前田紗江/ジョンヒュク・ジュン/ヴィオラ・パンテューソ/リアム・ボズウェル/五十嵐大地

 

 今回の映画館上映「ジゼル」は、ピーター・ライト版であるのと茜さん&マシューという割とレアな組み合わせというので楽しみにしていました。ライトの演出はイギリス人が好きな「クリアな物語性」=マイムの力を借りた演劇的表現と心理描写でドラマを進めていくことでしょうかね。

 例えば、アルブレヒトの不実を知ったジゼルは狂乱の中で胸が張り裂けて(心臓発作?)で死ぬのではなく、心を失いアルブレヒトの剣で自らの胸を刺して死ぬ。キリスト教では自殺は(基本的には)大罪なので教会墓地での埋葬はできないから、ジゼルの遺体が森の中にひっそりと埋められ十字架も粗末なのは納得なのです。

 登場人物の造形も分かりやすくて、例えばヒラリオン。版によっては不実なアルブレヒトよりひたむきに思ってくれているヒラリオンの方がずっといいのにと思う見せ方もあるけど、ヴァレンティノ・ズケッティのヒラリオンはちょっと荒っぽい森番でおよそジゼルとは合わなそう。オリヴィア・カウリーのバチルドはワガママで高慢でアルブレヒトが(おそらく政略結婚の相手である)彼女と家系のプレッシャーから逃れたく思うのも理解できる作り。彼女を含めた貴族たちは村人に対して尊大な態度を見せるゆえ、身分の違いによる社会システムを見せつけられ、ジゼルとアルブレヒトの間に最初からある深い溝を感じました

 

 茜さんのジゼルが予想の上をいく素晴らしさでした🎊 1幕は、踊りも良いけど、ジゼルの心情表現がとても丁寧。例えば、花占いで悪い結果が出そうなのがわかりビクッと震えて見せる。あるいは、ヒラリオンがジゼルの腕を掴んでアルブレヒトから引き離し家の方に連れ戻そうと引っ張っていきかけた時、その手を払いのけて「そんなに強く掴んだら痛いワ……」というふうに自分の手首をそっとさする。アルブレヒトもジゼルの肩や手に触れまくるのだけど😅そのタッチはジゼルが気にならないくらいソフトでノーブルなのね。可憐で内気な茜ジゼルは荒っぽいほどに力強いヒラリオンより優男アルブレヒトに惹かれるの納得できる。アルブレヒトがバチルドの手を取り自分に背を向けて行くのを見たとき歪めた唇をワナワナと振るわせる。狂乱シーンの最後に、両手で自分の胸を触り手のひらを見てそこに血が付いているのに気づき「え……?」という表情を見せるんだけど、その時まで自ら剣で胸を刺したその痛みすら感じてなかったのかと思うとあまりに哀れでした😭

 こんな感じで1幕では純真素朴な少女だったのが、2幕ではガラリと変わり、母性すら感じさせる包み込むような愛をアルブレヒトに注ぐ茜ウィリ。表情はまだ少し人間ぽさ=体温や情を感じさせ、それがまた、なんとしてでも愛する人を死から救いたいという献身の思いに繋がります。夜明けを告げる鐘の音を聴いたときに、微笑みを浮かべたかのようにふっと表情が和らぐところまで見事でした✨ 茜さんの浮遊感のある踊りは絶品で、繊細なポワントワーク、美しく且つ雄弁なアームス、マシューにリフトされた時のたおやかさなど、踊りにおいても感動的なウィリでした。

 

 マシューのアルブレヒトはインタヴュー記事にあったとおり「あまり好感の持てない人物」として造形されていて説得力がありました🎉 貴族という縛り、結婚を含め自分に課せられた運命、それらから逃れたい、自由な空気を感じたいという現実逃避型の男。その “逃げ場” としてのジゼルのことは確かに好きで、一緒に遊んでいると楽しいけど、それ以上の「彼女とこうしたい、こうなりたい」ということは考えていない、とても刹那的な逢瀬です。なので1幕の彼は結果としてかなり身勝手な男💦 角笛が鳴って自分の出自と婚約者がいることがバレてしまい、ジゼルが「嘘でしょう? 嘘だと言って!」みたいに手を差し伸べるのに、それから目を逸らし後ずさるとこではサスガにオイオイッ!😩て思いましたよ。ジゼルが死んでしまったことでようやく自分のしたことの罪深さと失ったものの大きさを知るわけだけど、1幕では最後まで貴族のボンボンでしたね。

 2幕ではその悲痛を見せ、懺悔の情にかられた踊りは本当に苦しそうで痛々しく、ミルタに許しを乞うてはいるけど、罪の償いになるのなら命を失っても構わないと思っているようにも見えた。アントルシャやトゥールアンレールなどテクニックを要するステップにも心の叫びが感じられました(マシューの踊りは回転系が特に綺麗だよね)。聖母のような茜ウィリに抱かれる姿は子供のようだったな🥹 ジゼルが去り十字架のところに戻って崩れ落ちるのだけど、その姿は最初にそこを訪れ嘆いた時と同じポーズで、一瞬、すべて夢だったかと思うのだけど、ジゼルが落とした花を拾い「確かにジゼルは現れ救ってくれたんだ」と悟る。彼の罪悪がジゼルの慈愛で浄化されたと分かる瞬間だと思いました。

 

 アネット・ブヴォリのミルタが非常に良かったです。ウィリの女王としての風格と気品と威厳があり、力強いんだけど、怖いとか恐ろしいとかには見えず、雰囲気としてとってもクール。他のウィリたちを率いる存在感があり、ある意味で理想的なミルタだったな。で、今回のロイヤル版を観て、とても奥行きのある作品であることを再確認しました。

 

 茜さんはローザンヌ国際バレエコンクールで「ジゼル」のヴァリエーションを踊って入賞→ロイヤルへの入団を果たし、2016年に「ジゼル」を踊ってプリンシパルに昇格したのだそうです。マシューは、2018年にファーストソロイストでアルブレヒトデビューしたのだけど、その「ジゼル」に客演していたホールバーグが1幕で怪我降板してしまい、帰宅していたマシューのところにロイヤルから連絡→急遽の代役で2幕からアルブレヒトを踊り、その成果が認められて数カ月後にプリンシパルに昇格したんですね。マシューは今回もスティーヴン降板を受けての代役だったんだけど、奇しくも「ジゼル」に縁のある2人が組んだ公演になりました。

 

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作 ウィリアム・シェイクスピア

演出 森新太郎

吉田羊/赤澤遼太郎/星智也/中越典子/篠井英介/愛希れいか/渡辺いっけい/清田智彦/浅野雅博

 

 5月は彩の国「リア王」→日生「ハムレット」→PARCO「リチャード三世」とシェイクスピア劇を立て続けに観たけど、演出としては森新太郎さんのこの「リチャード三世」がいちばん面白かったです。

 舞台は、前方の上部から黒い幕が空間の半分まで下りている、つまり舞台空間が横長。後方も黒い幕が掛かっているだけで大道具としてのセットは組まれていない。1つのシーンが終わると暗転し、上の黒い幕の部分に次のシーンで起こる出来事が字幕で映され(ネタバレね😓)、必要に応じて椅子やベッドなど最低限の小道具が左右の袖から出し入れされ次のシーンが始まる。この奥行きのない横長の舞台は時の流れを感じさせ、上方の字幕はニュースのように事実を淡々と報道しているように見えました。

 

 シェイクスピアの戯曲に「リチャードは片脚を引きずり、片腕が不自由で、背中に盛り上がったコブがある “醜く歪んだ身体”」と書かれているけど、この芝居ではその不具を極端に誇張した姿にしてあって、吉田羊さんは片脚を曲げてもう片方の脚を伸び切らせ、腰を落として杖で身体を支え、片腕を曲げ背中を丸めた姿勢でずっと演技していた。その “醜く歪んだ身体” をカリカチュアライズして見せることでリチャードの心のきしみが感じらるんだけど、同時に、その身体から絞り出される言葉の力が強調され、例えばアンやエリザベスをたぶらかす弁舌の巧みさが際立ってくる感じでした。最初リチャードは顔を白塗りにしており、自身の運命が破滅に向かうにつれてその白塗りが剥げ崩れていくのはグロテスクだったけど、ちょっと哀れを感じてしまった🥹

 

 また、リチャードは白いジャケットを着ているので、心は清いことを表しているのかなと勘ぐったのだけど、終盤で登場するリッチモンドが赤いコートを着ていたので、あ、薔薇戦争(白薔薇ヨーク家と赤薔薇ランカスター家の戦い)だからかと納得😅

 その、赤いコートのリッチモンドですが、戯曲ではリチャードが死にリッチモンドが王冠を被って勝利宣言するところで終わるけど、ここではラストシーンが変えてある(以下ネタバレ💦)→リチャードがリッチモンドに射殺されて倒れたところで幕が一旦下り、再び幕が上がると、そこには王冠を被り赤いコートを着た人物が後ろ姿で立っている。それはリッチモンド(次期王のヘンリー七世)だよねと思っていたら、赤いコートを脱いで振り返ると、さっきまでリチャードだった男=吉田羊が真っ直ぐな姿勢で立っているのですね。そうして芝居が終わる。このすごい演出、鳥肌モノでした👏

 これは、政権は変わったけど、また別の「リチャード=暴君」が登場しただけ、為政者は結局みな同じで、同じことがまた繰り返される、権力は「リチャード化」していくのだということで、しかもそれは現在にまでつながっていることを痛感した。そういえば彼が王に推挙されるシーンはまさに茶番劇ふうな見せ方で、我が国の直近の選挙と重なったよ。リヴァースやヘイスティングズが刺殺ではなく銃殺されるところは生々しくて😖現代の拷問→銃殺を連想してしまった。

 

 私は「リチャード三世」を観るとき基本的にリチャードの心情に寄り添ってしまうのだけど、今回は何故かそういう気持ちが湧かなかったんですよね。全体を通して無機質というか、そこに流れるひんやりした空気は感じられるけど、ドロドロした悪の香りはしなくて、何か、物語を客観視しているような感覚でした。

 

 で、観劇後に分かったのだけど、字幕の多用はブレヒトが提唱した異化効果を生み出す手法のひとつなんですね。異化効果は「観客が物語に感情移入するのを防ぎ、作品を社会問題として批判的に考えさせる効果」を指すもの。今回のように、これから始まるシーンの展開をあらかじめ字幕で見せることで、観客は「どうなるのかな?」と気にしながら物語を追う必要がなくなり、「なぜそうなるのだろう?」という構造や社会問題に意識を向けられ、登場人物の行動を社会的なこととして捉えさせるのだそうです。私が先述のようなことを思いながら観ていたのはあながち見当違いではなかったのねと思いしました。

 

 リチャードを演じた吉田羊さん、素晴らしかったです🎊 彼女のリチャードは明確な野心を持ち、女性を口説く時の色気と言葉の力は半端なく、邪魔者を消していく(その指示を出す)ときは潔く、惚れ惚れするレベル😊 後半は思惑が負の方向にどんどん向かっていくのに、自分で自分を制御できず、もう進むしかないという絶望感と空虚さに包まれる姿が見えた。そして彼は最後まで孤独でしたね……。

 

 吉田さん以外の役者さんは複数の登場人物を兼任するんだけど、それも、特定の人物に感情移入する余裕を与えず、出来事として淡々と見せていくためなのかな。そういえば2人の幼い王子たちはパペットで、身体の動きはスティックで操られ、(原作にはある)殺されるシーンはカットしてあったので、2人への悲哀は感じなかったんですよね〜。

 

 複数兼任のうちメインのお役については、どれも個性がクリアに造形されていて、そこも面白かった。リチャードを陰から支え王座に登らせたのに最後に殺されるバッキンガム(赤澤遼太郎)は権力者におもねるお調子者だったし、最後まで弟リチャードを信じたのにそのリチャードに殺されるクラレンス(渡辺いっけい)は飲んだくれで決して悲劇の弟ではなく、次男坊の甘さが垣間見えたし、リチャードの真意を掴めず殺されるヘイスティングズ(星智也)は不遜な態度で自信満々な軽薄男だし、リチャードの甘言に引っかかるアン(愛希れい)エリザベス(中越典子)は女としての優しさと強さを持っていた。彼女たちとリチャードとのシーンは圧巻で、リチャードの口のうまさに騙される人間の悲しさを見せつけられました。リチャードに恨みを抱くマーガレット(篠井英介)は亡霊と魔女と巫女が混じったような作りで、登場するたびにその場の空気をかっさらっていくお見事な演技でした👏

 

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