長い階段を登り終えて、ついに「杉原千畝記念館」に到着した
杉原千畝は1940年の夏、日本を経由して第三国に向かうユダヤ人のためにVISAを書いた人として知られている
そのVISAは「命のビザ」といわれ、杉原千畝もまた「東洋のシンドラー」といわれている
私が知っていたのは、そんなことだけだった
この記念館はかつて日本の領事館として使われていた建物で
2階で杉原一家が暮らし、1階で執務が行われていた
当時の杉原千畝の執務室を再現した展示や東京の外務省宛てに送った電報、発給したVISAのリストなどが展示されています
それらを見学して、初めて知ることも多かった
杉原千畝が書いたVISAはおよそ2000枚 一家族に1枚だったので実際には6000人の命が救われた そして、このできごとが
1940年の夏の一か月の間だったということ
息詰まるような時代の様子が伝わってきました
当時、実際に使われていた領事館のスタンプもあって
「パスポートには押さないでください」という注意書きがありました
記念館を訪れたあと、杉原千畝という人についてとても知りたくなりました