💧 西小倉駅です!なんか私の魂が揺さぶられる場所に来ましたよ!
💧 小倉城です!
小倉城は鎌倉時代中期ごろに築城。戦国時代には豊前国北部(現在の福岡県北東部)は豊後を本拠地とした大友家と大内家、大内家が滅ぼされると領地を継承した毛利家との争いの舞台となり領主が目まぐるしく変わりました。
戦国時代末期、城主は高橋元種(1571~1614・のちの日向延岡藩主)が務めていました。天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州征伐が発動。小倉城は豊臣軍先鋒の毛利軍の攻撃をうけると元種は城を明け渡し逃亡。秀吉は関門海峡を扼する要衝である小倉城主に森勝信(?~1611。のちに毛利姓に改姓)を指名。勝信は6万石を与えられ小倉城に入りました。
関ヶ原合戦後、西軍に荷担した勝信と弟の勝永(吉政とも。1578~1615。のちの大坂の陣で真田信繁などと並ぶ豊臣軍将帥の一角となる)は改易(勝信は旧知の仲で土佐を賜った山内一豊預りとなり高知城築城にも関わったという)となり代わって丹後宮津から細川忠興(1563~1646)が封じられました。寛永9年(1632)、忠興は肥後熊本に転封。播磨明石から小笠原忠真(1596~1667)が封じられ明治維新まで存続しました。