ようまるで学ぶ「2.26事件」 | あき@旅するトリコニコ会

あき@旅するトリコニコ会

良かったら見ていってください(^-^)

旅行と歴史が趣味です。ねそべりのにこと善子を連れて色々な所を旅する会、旅するよしにこ会主宰。

他には野球観戦(ベイスターズ推し)、2.5次元ラブライバー、ミルキアン(そらまる推し)です。


⛵️ ねえねえ花丸ちゃん!なんかふしだらご主人様が2.26事件について調べてて気持ち悪かっただけど2.26事件ってなに?
💮 2.26事件は戦前に起こった日本史上最大の軍事クーデターずら
💮 2.26事件についてのキーワードは「派閥抗争」「天皇」の2つずら。アメリカで起こった金融恐慌は世界中に波及して日本にも影響をうけ農村では身売りや欠食児童が増加。特に東北地方がひどくて東北地方では徴兵検査で甲種合格(兵としてふさわしい体格)する率がそれまでは高かったけど恐慌の影響で一気に低下したずら。
そして陸軍内では統制派と皇道派の対立が起きていて1935年には対立のピークとして統制派の領袖である永田鉄山軍務局長が殺される相沢事件が起こっているずら。皇道派に属する隊付将校は徴兵されてきた兵の身の上話を聞くと兵は上記のような故郷の状況を話す。彼らを率いる尉官クラスの青年将校達は絶句し直接行動による維新を目指すずら。そして陸軍青年将校らは1936年2月26日、雪の降る中歩兵第1、3連隊を中心とする約1500名の部隊を率い「君側の奸」打倒をかかげ決起し帝都中枢を占拠。連隊が所属する第1師団は満州派遣が決まっていたことからその前に決起したずら。
決起を知った軍としては同士討ちを避けたいことから何とか穏便に解決したいが昭和天皇が信頼する重臣を殺されたことから激怒。軍に早く鎮圧しろと急かし一時は自ら近衛師団を率いて鎮圧するとまで言ってたずら。青年将校らは君側の奸をやっつけたことで軍の支持と天皇の大赦を得られると考えていたがこの態度によってクーデターは失敗なのは確実でした。
天皇の怒りを知った軍は戒厳令を敷き鎮圧を命令。クーデター部隊も天皇の怒りを知り兵を返し投降。クーデターは失敗に終わったずら。

青年将校らは法廷で戦おうと考えていました。以前海軍の青年将校が起こした5.15事件で犬養毅首相を暗殺。死刑は確実なのにも関わらず全国から減刑嘆願が相次いで自◯騒動まで起こったことからこれに焦った軍法会議メンバーは首謀者ですら禁固刑という軽いものになりました。これを見た彼らは法廷闘争に訴えれば極刑は免れると考えましたが軍は5.15事件の反省から軍法会議では一審制、非公開、弁護人なし、上告なしというまさに暗黒裁判でした。主張が民衆に届くことはなく青年将校のほとんどは銃殺刑となり彼らに思想的影響を与えたとして北一輝や西田税も死刑となりました。
軍は粛軍と称し皇道派軍人を追放。彼らが戻れなくするために軍部大臣現役制(陸軍大臣、海軍大臣は現役の大将ないし中将とする決まり。以後陸軍はこれを悪用し気に入らない内閣に候補者を出さなくし内閣を成立できなくした)を復活。これ以後軍の発言力が増加するようになったずら。
クーデター部隊に参加した兵達は上官の命令は絶対ということから特に罪には問われなかったが師団内では不名誉と見なされ事件翌年に起こった支那事変では予定通り満州に行った第1師団(だが出征前にお決まりのセレモニー等もなくひっそりと出発していった)も動員されました。クーデター部隊にいた兵士は汚名返上の名のもとに危険な場所にばかり行かされたとされ指揮官からも白木の箱で帰還しろ(生きて故郷に帰れると思うな)とまで言われました。特に最後まで抵抗した安藤大尉の隊にいた兵はほとんどが戦死しました。