ダイヤと学ぶお家騒動~天文の乱~ | あき@旅するトリコニコ会

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 室町時代末期の東北では伊達家が周辺の豪族に養子を送り込んだり姻戚関係を結び陸奥国守護職を獲得。勢力を拡大していました。当主稙宗(政宗の曾祖父)はさらに塵芥集などの分国法を制定し家臣団と統制をはかりました。しかし領地を相馬家に割譲しようとしたことで長男の晴宗と対立。さらに越後にまで勢力を拡大しようと越後守護・上杉定実の養子として3男の時宗丸(のちの伊達実元)を送り込もうとしたことで稙宗と晴宗の対立は決定的となりさらに越後進出を望まない越後北部の豪族(揚北衆)と戦闘にまで発展してしまいました。

天文11年(1542)、晴宗はついにクーデターに動き鷹狩の帰り道に父を襲い逮捕し幽閉させました。しかし稙宗は脱走に成功。自分が作り上げた姻戚ネットワークを駆使し救援を以来。これにより東北が稙宗派と晴宗派に分かれて争う大乱に突入。天文の乱の勃発です。

この戦乱は6年もつづき天文17年(1548)、足利義輝の仲介もあり両者は和睦。稙宗は隠居し晴宗に家督を譲る条件で戦争は終わりました。これにより稙宗が進めていた越後上杉家養子問題は完全に潰えました。さらに伊達家内部にも不和が生じそれを潰すのに5年もかかったあげく重臣の中野家の台頭を招き天文の乱の傷が完全に癒えるのは晴宗の子供の輝宗の代です。