いのちの長さに関しては、神さまにゆだねてしまう | 看取り看護師めぐ〜死ぬとは最期まで生きること

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友人が旦那さんを看取ったときのお話です。
旦那さんはがんの末期でした。

彼女は、いつも神さまにお願いをしていました。

「神さま、お願いです!」
「パパのいのちを救ってください!」


でも、旦那さんの病態はどんどん悪くなっていきました。


「神さま、お願いです!」
「パパのいのちを救ってください!」

彼女は祈り続けました。
するとあるとき、神さまからの返事があったと言います。

「あなたのその願いはかなえることができません」


彼女はそこで気が付いたのです。

そうか・・・
パパと神さまできっといのちの約束があるんだ・・・
だから私にはそのことに口出すことはできないんだ・・・・


そこで彼女は願いを変えました。


「神さま、お願いです!」
「あなたのすきにしてください!」





「あながは一番いいと思うときにパパを連れて行ってください!」


彼女はそう伝えると神さまは
「わかった」と言ってくれたそうです。



それからは、死を避けることも、死を焦ることもなく、穏やかに一緒に楽しい時間を過ごしたそうです。


彼女は、「神さまは、私の願いをすべて叶えてくれた!」と言いました。

神さまの一番いい時でいいって言ったけど、子どもを含め家族みんなで旦那さんと最期のときを自宅で過ごすことができたこと。
それは旦那さんにとっても家族にとっても一番いいときだったと思うというのです。


旦那さんの最期の顔がとっても男前でかっこよいままだったことも彼女たちの救いでした。
最期まで点滴をがんがんにいくと、むくんで顔が歪んでしまうこともあるんです。

旦那さんの写真と動画をみせてもらいましたが、ほんとにきれいな死に顔でした。
いえ、あのときはまだ魂が残っていたのかもしれませんね。

息が止まっても、しばらくは魂が残っているというか、「そこにいる」んですよ。

息が止まって直後より、数時間たってからのお身体は少ししぼんで小さくなります。
そうすると「もういないな」って思うのですが、私はしばらく「そこにいる」と感じています。
もちろん家族もそう感じていると思うのですが・・・・どうなのかな?


ラットでは実験した方がいて、魂には重さがあるというのです。
あるところで、すっと亡くなったラットの体重が減ったという実験結果があるそうですよ。



ちょっと話がそれましたが、
いのちに関しては「あきらめる」ことが大事だと思うのです。

「あきらめる」の語源は、「明らかにする」です。
つまり、自分にできることとできないことを明らかにするということ。

いのちの長さに関しては、人間がどうこうできるものではありません。
だから、そこはもう神さまに任せると、自分に「できること」、例えば、風邪をひかないように環境を整えたり、栄養のあるものを食べさせたり、ツラい症状をなくすために治療をしたり、気持ちがいいようにマッサージしたり、こういう「できること」に目が向くようになっていきます。



自分にはできないことを手放して、やらないと決めたとき、
人は自分にできることがよりできるようになります。




あなたも、できないことをどうこうしようとするのではなく、できることに目を向けて、死を避けるのではなく、だからといって死を焦ることもなく、穏やかで楽しい時間をぜひ過ごしていってくださいね。