昨年は8月9日に靖国へ、今年は5月14日に沖縄県護国神社、1月2日、9月2日に香川県護国神社へ心静かに参拝します。
日本防衛戦に散華されたご英霊、先人たちのご尽力への敬意はいつも変わらず。
靖国や護国神社を8月15日に参拝するかいなかを、一種のステイタスとして書き立てるメディアに対してに言いたい。

「それがどう
したんだよ」と。

1945年(昭和20年)8月6日に広島へ原爆が投下されて以来、8月9日未明のソ連対日参戦、同日の長崎への原爆投下。8月15日に玉音放送はなされたが、停止停戦と武装解除は完全ではなかった。停戦は徐々に遂行されていったのである。
8月22日には樺太からの引き揚げ船「小笠原丸」、「第二新興丸」、「泰東丸」がソ連潜水艦の雷撃・砲撃を受け大破、沈没(三船殉難事件)。
降伏調印(ポツダム宣言)が9月2日に交わされたにも関わらず、南樺太や千島列島では、9月4日までソ連軍との間で大規模な戦闘が行われていた。少しでも多くの日本領土の占領を画策していたスターリンの命令によりソ連軍は、南樺太・千島・満州国への攻撃を継続していたのである。ロシアの暴挙は続いていた。
沖縄や南洋諸島においては、兵士達による局所的な戦闘がまだ散発的に続けられていた。
海外の日本軍は降伏後に武装解除されるが、欧米諸国のアジア植民地支配のための治安維持活動を強いられ、元日本軍将兵に多くの犠牲者が出た。
その後、多くは引き揚げるが、インドネシア独立戦争、ベトナム独立戦争、国共内戦などに多数の元日本軍将兵が参加することとなった。

 慰霊の気持ちは、8月15日にだけ表せばよいということではないと思う。