第五百十三話 | X1号の人生再出発

X1号の人生再出発

バツイチという表現は好きではないので「エックス・ワン →X1」と言おうかなと思います。
離婚後の日常を綴っていこうかなと思います。

今日、ニュースで宮沢りえの母である「りえママ」が亡くなっていたと
報道されていた。いい悪いの評価は分かれるが、宮沢りえという人物を
育て上げたのは事実であるので、親として子供に一生懸命だったのでは
ないかなと思う。
 
ちょうど俺も今年、母親が亡くなったが、母親からはいろいろ怒られたり、
叩かれたりしたが、よく言われたのは「大きくなってから自分が困る」みたいな
ことである。うるさいぐらいに言われた。でも、それは子供のためを思って
口うるさく言っていたのである。
大人になってから、それはもろに感じたし、感謝している。
 
散々このブログで書いているが、ダメ妻は子供を甘やかすことが多く、
本当に子供のことを考えていないと思う。ダメ妻は子供にとっていい親に
思われたいだけなのか知らないが、結局は自己満足なのである。
熱もなく腹も痛くなく、だるいだけで子供に学校を休ませるダメ親なのである。
(その日、子供は午後DSをしたので、俺は激怒してDSを没収したが。)
 
俺の母親は16年もガンとの闘病生活を送っていたが、家事は一切手を抜かなかった。
(去年の夏にリンパが腫れ起きられない状態になってしまったことを除いて)
抗がん剤によって気分が悪くても、寝込むことなく家事をこなし、気持ちが悪くても
食事を摂っていた。だから、最後は末期の肺がんでも、やせ細ることなく、
病人とは思えない姿で亡くなったのだ。それぐらい強い精神力だった。
 
朝起きて、いつもより息苦しいと言って、家事をして昼ごはんを食べ、病院に行ったら、
本人には告知されなかったが末期の肺がんで、余命は早くて当日、もって2,3日という、
聞いたことがない余命宣告を受けて、3日後に急死したのである。
夜中に亡くなった当日の午前中も、肺がんにより呼吸がかなり苦しいのに、酸素マスクを
外して自分でトイレにいくほど、驚異的な精神力の持ち主だった。
 
ギリギリまで強い精神力で生き抜いた母親は非常に尊敬するし、病は気からという
言葉の通り、多少はその要素もあるのだと思う。本人の運もあるだろうが、強い精神力が
あったからこそ、16年に及ぶガンの再発を乗り越えてきたのだと思う。
 
俺も親なので、子供たちが大人になってから、尊敬されるような生き方をしなければ
いけないと日々思っているのである。。(苦笑