ラ・コシーナ/厨房 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画

★★★☆☆

 

『日本戯曲大事典』で「宮本研」の項目を見ていたら、「“ウェスカー68”の発起人代表を務める」との記載があり、「そういえばウェスカーって誰だっけ?」と調べたら、なんと今、ウェスカー原作の映画が公開されていることがわかり、急遽観に行った。

 

舞台は原作のロンドンから移し替えた『ザ・グリル』というニューヨークのレストラン。登場人物はそこで働く移民労働者たち。

 

主人公ペドロはメキシコ移民の料理人。腕はいいが、短気でトラブルばかり起こしている。そんな彼が想いを寄せるのは、アメリカ人のウエイトレス、ジュリア。彼女はペドロの子どもを身ごもっているが、産む気はない(そして、実はシングルマザーであることを隠している)。

 

全編モノクロなのだが、暗闇のシーンでは画面が青くなったり、主人公の顔が緑になったりする。

 

終盤、カタストロフのように堪忍袋の緒が切れたペドロが暴れまくり、レストランは大惨事となる。しかし、駆け付けたオーナーが真っ先に心配したのが、スタッフや客ではなく、注文を吐き出す機械だったというのは示唆的だ。この店では労働者の価値は機械より低い。

 

レストランのスタッフはクビになることを恐れて我慢を重ねているが、人手不足の日本ではリアリティが感じられなくなっている。時代は変わった。今後、貧困を前提としたあらゆる過去の名作がリアリティを感じられなくなっていくのではないか。ある意味恐ろしいことだが、人間の疎外を解決するのが、人間の不足だと誰が予想しただろうか?

 

スタッフたちのサボタージュを解除するために、リクエストに応えて、料理長がフランス語の歌を歌い、最後に後ろを向いて尻を出すシーンは笑った。料理長は厳しいが、それでも労働者側の人間なのだ。

 

客に向かって主人公が叫ぶ「俺の焼いた肉だ!俺に金を払え!」という台詞が胸に残る。こんな環境じゃなかったら、みんないざこざを起こさず幸せに働けたかもしれないのにね。