★★★☆☆
劇作家の松田正隆原作、玉田真也監督の『夏の砂の上』を観てきた。
玉田真也はもともと平田オリザの青年団出身で、演劇からスタートし、近年は映画監督としても活躍している。手垢に塗れた表現だが、まさに新進気鋭の劇作家・演出家と言っていいだろう。
原作の松田正隆は「静かな演劇」を代表する劇作家のひとりで、昔、座・高円寺で『月の岬』を観たことがある。作品自体の質の高さはわかったが、正直ピンとは来なかった。しかし、重要な現代の劇作家であることは間違いない。
また、玉田真也についてもタイミング的に演劇作品を観る機会はなかったが、玉田企画の評判は耳にしており、映画を撮ったり、テレビの脚本で賞を獲ったりと、みるみる出世していたので、いつか映画も観ておこうと思っていたが、ちょうどいいタイミングだった。
演劇ファン的には、玉田真也が松田正隆の作品を映画化すると聞いたら、見逃すわけにはいかいないし、否が応でも期待してしまうものだ。
あらすじは割愛するが、よかったシーンをひとつ。
オダギリジョーの離婚した妻である松たか子は、オダギリの元同僚と不倫をしているのだが、その不倫相手(森山直太朗が演じているのだが、気づかなかった)の妻に責められる。
そのときの台詞が実に演劇的だと思ったのは、松たか子が夫を奪ったことを責めるのに、自分がそのことを考えていたら自転車で壁にぶつかって怪我をしたということを、事細かに説明していくからだ。しかも、事故に至るまでの事実の羅列を時系列順に淡々と。何を考えていて、どうしたら、こうなって、こうなった・・・というふうに。
直接、不倫を責めるわけでなく、事故の事実を並べているだけなのに、それがむしろ感情的に非難するよりも心に訴えかけてくる。これは佐野元春の『情けない週末』のサビで、街の風景についての単語が羅列されるだけなのになぜが胸に迫るのと似ている。
ここからは不満点をいくつか。
まず当時人物たちは長崎の造船業の工場労働者たちなのだが、やけに歯並びが綺麗なのが気になってしまった。リアリティがないので、感情移入が阻害される。
次になぜ、オダギリジョーと松たか子は5歳の息子を水路での事故で亡くしたあと、第二子をつくらなかったのかというところだ。つくる気がなかったのか、あったけれどできなかったのか、言及があってもよかったと思う。
裏を返せば、子どもを失ったことによって離婚までしてしまう二人の人間としての変化があまり描かれていないと思った。
あと、これは前も『ラ・コシーナ/厨房』のときにも同様のことを書いたのだが、工場をリストラされた主人公たちが職探しに苦労している様が描かれているが、時代設定がはっきりと明示されないために、リアリティがなくなってしまっている。なにせ映画館を出れば、人手不足の世の中なのだ。これもまた白けてしまう。
最後に、これは不満点ではないが、高橋文哉が方言をしゃべるのだが、朝ドラ『あんぱん』にも同じような役で出ているので笑ってしまった。彼は大変にイケメンだと思っていたが、思いのほか声が高い。朝ドラで観るまで気づかなかった。しかし、特徴的でいい声である。
しかし、高知と長崎は地理的には離れているが、方言にはどことなく似た雰囲気を感じる。共通性があるのだろうか。そういえば最近観た『海が聞こえる』も高知が舞台だった。
Filmarksの感想に、長崎感がないので、主題歌にさだまさしか福山雅治を起用すればよかったと書いている人がいたが、論外だろう。