■癌発発見から今までの通院・入院の経緯 | 末期肝細胞癌と戦う53歳オヤジ

末期肝細胞癌と戦う53歳オヤジ

肝細胞癌末期の突然宣告でパニクッていて風呂二回入っていいですか???
末期の告知にパニックに成りながら、どたばたやっている闘病記録です。「風呂二回」は気が動転して、気が小さくなって、言いたかった。内容は今後書いて行きます。

 

■癌発発見から今までの通院・入院の経緯

 

今年(2018年)8月29日。

E病院で検査してみる

大いにお腹が張り「ひどい便秘だな」と考えた私は「大丈夫でしょう」といつもの町医者の先生が言うのではないかと考え、大きな病院で検査を受けました。

以前、蜂窩織炎で二度入院したE病院です。

「これは便秘では無いです。可能性を検査してみましょう」と言われました。

「便秘では無い」。この時、ある程度予想は立てていました。「肝臓。腹水」

考え込んで、行動が止まってしまうほど気が重くなる不安でした。余命を何と言われるか「気にしないように、気にしないように」と思いその日を待ちました。

 

 9月5日。

E病院で癌告知

「検査結果が出ました。便秘では無くいわゆる肝臓癌ですね。肝硬変からの流れで。腹水でお腹が張っていたのです」

「先生。ステージは。余命は」

「ステージは3Bといったあたりで、余命は・・・長くて6か月でしょうか。大学病院を紹介しますからすぐに行ってください」

余命がいくらなんでも早すぎる。何年かではないのか。重い気持ちで大学病院行きを待ちました。「自分で余命を聞いておいて何を」と自分でも思いましたが「告知があっさり言いすぎだよ。もうちょっと、もったいつけろよ」ということまで腹まで立つほど、落ち着いては居られませんでした。

 

 9月7日

大学病院で検査を受け一度目の緊急入院

近県の中でも最高峰で、癌の治療技術についても評判に漏れない信頼を持たれている病院です。

主治医のK先生は、お若くは見えますが人格者で、それだけの地位にあられせられる事でもその実力のほどが想像できる方でした。

K先生曰く「肝細胞癌。つまり肝臓癌ですが、血管まで癌化しているので手術は無理です。ほかの手段も今のところ無い(素人の私が画像を見ても肝臓は黒くしか写っておらず、生きていそうなところはせいぜい二割程度でした)今のところの手立ては抗癌剤しかないです」

私は「なぜ」と沈黙してしまいました。

また私はここでも余命を聞きました。

K先生は「6か月は多分難しい。見立てでは遅くて3か月。普通ならひと月。突然明日来てもおかしくないです」と言われました。

E病院で聞いていたよりも診断された余命は短くなりました。つまり、知らない間に私はもう余命終焉の時期の中に居たことになります。

この時もやはり「先生の誤診ではないのか。お若いから経験が無いのではないのか。切除しようとすれば出来るのではないのか」と思い現実逃避。

妻から見ても「怒り狂っていた」と後になって教えてもらいました。

「このような告知には、誰しも、否認、怒り、取引、うつ、受容という経緯を経る」と、ずっと後になって妻が教えてくれました。彼女は元ナースです。

この初回の入院中に私はこのサイクルを全部通り、だんだん達観し出したようです。

しかし当時はまだ「全く余命を知らないまま突然死ぬよりも良かったじゃないか」そう無理にでも、無理にでも、自分に言い聞かすようにしました。

 

 

 この入院時、K先生には「全くお好きなようにしていただいて結構」と言われたので「はなむけの慈悲なのか。もう無理なのか」とも思い「さじを投げられた」と妻に愚痴りましたが再度「自分で余命を聞いておいて何を」と自分でも思いました。

 

「じゃあ本当に好きにさせてもらうからな」と考え、入院中は本当に好き勝手にさせて頂き。民間療法やサプリメント。買ってきた食事との入れ替え。不規則な時間での睡眠や運動。

ストレス解消を勝手な理由に、病院を勝手に抜け出しての喫煙(入院前のここのところは煙草を止めていたのですが)。

外出願いを出してはいますが、妻と何年かぶりにそれらしいデートして買い物など勝手にやっていました。

 こんな度量のある病院のご対応の経緯があったからこそ、私のK先生に対する信頼が深まりましました

 

9月19日

大学病院一度目の退院

病院の正しい処置と献身的な入院支援が。私も私なりに頑張っていたのもあったのでしょう、数値が驚異的に正常化し、通院と自宅療養に切り替えるために退院となりました。

ただし、「癌が好転しているのか。余命は増えているのか」と言えば「そうでは無い」と考えられます。

 そもそも発見から二週間やそこらで、投薬後の癌の変化を形状自体で見てわかるなど誰にも無理という状態でしょう。

後に『肝細胞癌治療方法と自分なりの戦略』の項目を作り、内容を書いて行きます。

 

9月27日

免疫療法開始

現在の保険制度の一般療法ではカバーできない領域のため、別の病院で免疫療法を開始しました。非常に高額ではあります。

Y先生のクリニックでお願いしています。

後に『肝細胞癌治療方法と自分なりの戦略』の項目を作り、内容を書いて行きます。

 

10月3日

気功を開始

「癌に効く」と評判の超能力を身に着けさせるというものです。遠くまで出向いていますがU先生にお世話になっています。

詳しくは『肝細胞癌治療方法と自分なりの戦略』の項目を作り、内容を書いて行きます。

 

10月8日

救急車で大学病院へ緊急搬送。二度目の入院

 癌発覚からおよそひと月。

自宅療養で9月の26日に外来通院してから、家ではどんどん調子が悪くなり、頭の回転が悪くなり、自分で「認知症か」とも思いました。食事がとれず、薬も飲めない状況になって来ていました。

「いよいよ最後は家庭で迎えるのか」そう思い始めていましたが「本来俺は強い男なんだから」と今でも信じている私はまだ元気なつもりでした。

 元気なつもりでいる自分でしたが、後で考えるとすでに夢の中では死に神を見ていました。

 

 

これを元ナースの妻はちゃんと私を見ていました。「会話がどんどんおかしくなって来ている」と。

 そして、この日。椅子から立ち上がろうとして前にのめり倒れ、尻を上げたまま頭と両手で地面を押しながら「大丈夫だ」と言って立とうとしている私を見て「この人はもう死ぬ」と判断。私の意思を制止し、救急車を呼んで緊急搬送。休みの日でしたが、かねてからお願いしていたので同じ大学病院に運んでいただけました。そして再度の緊急入院です。

 

 

10月末の現在まで、この時が最悪の病状と体調だったと言えます。辛かったです。もちろん、これから先はもっと大変でそんなに甘くも無いでしょう。

 

 

救急車に自分が乗るのは三十年ぶりでした。妻に元気な姿を示そうと(そもそもそんなことをする必要も無いのに)階段を無理にでも4階から歩いて降りたのですが、救急隊からすれば「何だオヤジ。歩けるなら呼ぶなよ」と思ったかも知れません。

ところが乗ってみると30年前より乗り心地が悪い。医療機器が多くなり、重いからでしょう重量車用のサスペンションは酷すぎます。最初から意識レベルが落ちているのに、だんだん気分が悪くなり、病院に着くころには意識がさらにあやふやになっていました。

 

 

 

 この入院時に幻覚からかパニックからなのか見たもの、自分でやったことに面白話がいろいろ出てきて、それがサブタイトルの「風呂二回入っていいですか」です。このあたりは『奇跡的な回復の不思議』と称して、おいおい書いて行きます。

 

10月22日

大学病院二度目の退院

本人が意図的に下げたのもあり、病気発覚前の先月より体重は15Kg減りました。これだけでも普通に体力は落ちているのでしょう。しかしながら積年の悩みの高血圧や高血糖はほぼ改善していました。町医者の先生が正しかったのです。ですので、私は合併症、シンドロームというものを恐れ、減量も取り入れたのです。

身体の事を優先し、抗癌剤は休止になったのですが5日で再開にこぎつけました。

この回の入院生活は前回よりかなり辛かったのですが、それでも自宅療養よりは楽で、またしても「驚異的な数値の回復」を出して退院しました。

 

 

保険屋さんに「こんなに奇跡的な退院ばかりして保険金詐欺になりませんか」と言いました。もちろん冗談です。ちゃんと私も確認もしていて、医師の診断書に間違いはありません。そんなことにはなりません。

 

10月31日

大学病院の腎臓内科から呼び出される

可能性は低いと思ってはいますが、本人にとって一番怖いのは腎臓まで飛んだ(転移した)かということです。かといって、出来たそちらを手術で取れるにしたとしても、本体である肝臓癌がどうなるかと言えばどうなるわけでもなく。

結果が待たれましたが「いやあ、それは考えさせすぎました。数値を整えるためにサポートに入ったのみですよ。CTスキャンが来月半ばにありますから、その際に私も腎臓は見ておきます」との事で一安心です。

 

 

 

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にて、同じ、新しい日付が下の形式でご覧いただけます。

 

ここまでには初回以外の通常通院、検査などの項目は書いておらず、

書いてあるのは入院や初回受診ばかりです。実際には毎日なにがしらの予定がつまっています。

「奇跡の持ち直し」「奇跡的回復」と言われ、なんだかんだで、余命三ヶ月宣告を受けてから二ヶ月経ちました。

 

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    過去初出し記事も内容更新している場合があります。

 

序文 私の人物像 https://ameblo.jp/the-wildman/entry-12415867749.html

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