最期の時 | 乳癌と戦う妻。夫にできること、そして闘病の現実。

乳癌と戦う妻。夫にできること、そして闘病の現実。

 癌の治療,治癒として、私たち夫婦、家族が行っていること
 闘病生活の中で感じた医療や健康に関する疑問や不安
 癌の闘病生活とはどんなものなのか
 夫からの視点でお話していきます。
 何かお役になれば幸いです。

こんにちは。


2月24日の通夜、25日の告別式が無事におわりました。


喪主として挨拶が上手くできるのか、泣いて言葉にならないのではと心配しましたが、なんとかできました。


当ブログに多くの方からコメントも頂き、妻も喜び感謝していると思います。本当に、ありがとうございます!


これで、ひと段落しました。


妻、最期の時を記しておきたいと思います。


【2016.02.23の状況】
タイトル『お礼』にかきましたが、亡くなる前夜22時頃に氷を食べました。


食べ終わった後、『寝ようか?』と言って電気を消しました。自分は布団の中でタイトル『手紙』を書き、発信して就寝ました。


そして、夜中0時45分か55分に、ふと寒くて目を覚ましました。


日中から病室の室温が上がる傾向がありました。病棟の空調の影響かなぁとの看護師の見解で、微熱があるので楽にしようとエアコンを消していました。


『ちょっと寒いからエアコン付けるよ。』と妻に言って、エアコンを付けました。妻はもはや返事なんかできる状態ではないので、返答はありません。でも、穏やかな呼吸をしていて、『やっと落ち着いてきたんだ。良かった。今夜は安泰だ。』と思いつつ寝ました。


『〇〇さん、息してない!どうしました?〇〇さん!』と看護師の人が妻に呼びかけていることに気がつき、目を覚ましました。


自分は『え~っ?』と飛び起き、本当に呼吸していないことを確認。時間を見たら1時25分。


『30分前は息してましたよ!』と看護師に言うと共に、妻の名を呼びかけ続けました。看護師からは『息はなくても聞こえているから』と言われ、呼び続けてました。


寒くて起きたのは、妻が『最後の顔を見て!』のお願いだったのかもしれないです。


そして、義母に電話して義父母と娘を自宅から呼び寄せました。


妻の顔は本当に安らいだ顔で、苦しむ前の頃の寝顔のようでした。『やっと苦しみから解放されたんだ』と思と、『帰ってきて!』とは呼べませんでした。


そして、看護師も病室からちょっと離れ、2人きりになった時、『愛しているよ。お疲れさま。』と言ってキスしてあげました。そしたら妻の右目から瞼は閉じたままですが涙が!


義父母と娘が到着し、娘が『ママ!』と呼んだらさらに涙が。本当に聞こえているみたいでした。


最近、ママを避けがちだった娘ですが、安らかな顔のためか、今回はそんなことはありませんでした。大好きなママに戻ったみたいです。


その後、妻の息は戻ることなく、その安らかな寝顔のまま最期となりました。


妻の顔は本当に安らぎ寝ているような顔でした。これまでの苦しんだ顔を見ている人にとっては別人に思えるくらいです。と言うより、昔の妻に戻れた感じです。これまでは相当苦しかったんだうなぁ。


息を引き取った後、火葬されるまで、娘が妻を避けるようなことは無くなりました。寝ているママに寄りそうような感じです。最期は娘の好きなママに戻って本当に良かったです。




最後までお読み頂き、ありがとうございました。