その後、A②からケンカしたAとYの仲直りの仲介役を担ってほしいと依頼を受けたMは、まずはA②の家にいる母のAのもとへ行った。いかにも男の子供らしい行動だろう。MはA②の家に入り、母のAと会う。
M:「お母さん。お父さんとケンカしたんだって?」
A:「う、うん」
M:「早く仲直りして、家に戻ってきて」
そうMから言われ、Aは少し考えた。夫婦の間に隙間風が拭くと、子供にも影響を与える。それは重々承知だったし、「それを子供に見せない」というのが結婚前の約束だった。それを聞かされて、Aはハッとした。心の中で呟いた。
A(V.O.):「『そうだった。もうあなたも一人じゃないものね』」
そう思い、Aはお腹を空かせている息子のMに、
A:「さあ、今日の夕飯は何が食べたい?」
M:「うん。お母さんのマーボー豆腐が食べたい」
A:「マーボー豆腐ね。分かった。マーボー豆腐を食べるのは随分と久しぶりね」
そう言い終え、しばらくしてAはそこで立ち止まると、ふと思い出した。それはAがYと新婚旅行でAの母国である中国の南京を訪れた時に食べたものだ。Yは中国本場のマーボー豆腐を食べ、「中国のマーボー豆腐は日本と違って辛いけど、本当に美味くて、これが中国の味なんだね」と言っていたのを思い出した。
そして、Aはその思い出に浸りながら、息子のMを見て、ある決心をした。
A:「ちょっとマーボー豆腐の材料を買いに、近くのスーパーに行ってくるから。あなたはここで待ってて」
そう言い、Aは妹のA②の自宅を颯爽と出ると、すぐにYの自宅へと向かった。それから、スーパーで買い物をし、A②の自宅でマーボー豆腐を作った。
その後、仕事から家に帰ってきたYはこの日も一人寂しく寝室で荷物を降ろし、シャワーを浴びて、ダイニングに入ってきた。すると、自宅の固定電話に留守電が入っている。誰からだろうと思い、留守電を再生してみる。
A:「(留守電に残された声)あなた、キッチンに梅とタラコのおにぎりを作り置きしておいたから。あなたと新婚旅行で訪れた南京での思い出が忘れられない。南京はあなたも知っている通り、中国と日本が過去に歴史的大事件があった場所。もちろん、それは中日双方の誰もが知っている。それを知っていながら、あなたがわざわざ新婚旅行に私の母国を選んでくれたのを今でも忘れない。あなたが南京で街の道路ですれ違いざまに肩がぶつかった時、南京の人に謝っていたこと。『中国のマーボー豆腐が美味い』と言っていたこと。私のためにと必死で中国語を勉強してくれたこと。そして、中国人の私と結婚してくれたこと。(泣きながら)本当に嬉しかった。(しばらく沈黙が続く)2つのおにぎりはあなたと私。そして、Mともう一人のお腹にいる私たちの子供」
Y(V.O.):「えっ?」
そこでYはAが妊娠したことを初めて知る。
A:「(涙をこらえ)我愛你(「中国語で愛してる」の意)」
最後は中国語で語りかけ、留守電は切れた。それを聞いたYは感傷的になり、しばらく無言で突っ立っていた。しかし、徐々にじわじわと込み上げてくる。そう、梅とタラコのおにぎり。隣接するキッチンへ行き、Aが作ったそのおにぎり2つを見た。生まれてくる、新たな命とともに、それはYが病気で寝込んでいた時や、Yが人生の勝負時にエネルギー源として必ず作る定番料理だった。それを思い出したYはぽろぽろと涙を流し、おにぎりを食べながら、
Y:「ごめんよ。ごめんよ。……ごめんよ」
と何度もその言葉を口にしていた。