そして、美容室で一仕事を終えたZはアラスカの自宅に戻って、テレビをつけながら、夕飯の支度に取り掛かっていた。
まな板の上に具材を乗せ、包丁で小気味よくカットしながら、
Z(V.O.):「美容と理容の違いと発展について。美容は『結う』。理容は『剃って、切って、結う』。近代化とともに発展した仕事。終戦後、おしゃれを楽しむ時代」
ちょうどその頃、テレビでは美容師に関する番組がやっていて、その声がキッチンにまで漏れ聞こえてくる。
テレビ番組:「美容師とはお客さんのリクエストに応え、美に関する幅広い仕事を手がける。美しさを提供するスペシャリスト。技術以外に大切なこと。お客さんとのおしゃべりであるコミュニケーション」
Z:「将来のビジョンを描いてみる。日本では美容師は国家資格で、厚生労働省認可」
そんな言葉が口から突いて出てくるのも、Zがひたむきに仕事に励んできたからだろう。まだまだやることはいっぱいある。
Z(V.O.):「主な技術と使用する道具について、シャンプー、カッティング、ワインディング、カラーリング、ヘアトリートメント、ヘア・セッティング。大型店(従業員が5人以上)」
テレビ番組:「いろいろな美容分野で活躍として、福祉美容師、訪問美容師、ヘア・カラーリスト、ヘア・メーキャップアーティスト、メイクセラピスト、アイリスト、エステシャン、ネイリスト」
その時、玄関のドアが開く音がした。
→Sound Effect→玄関のドアの音
どうやら夫で保育士のEが帰宅したようだ。
E:「ただいま」
Z:「おかえりなさい」
そう言って、Eは寝室に行くと、仕事用の荷物を置いて、素早く着替えを済ませ、再びダイニングに入ってきた。
Z:「どうだった、保育園は?」
E:「ああ、ここのところ忙しくてね。大切なのは保護者でもあると思っている。④保護者同士のコミュニケーションだね。園についての情報が不足した状態で入園してくる外国人の保護者にとっては、保育者は最も頼れる相談相手だ」
Z:「そうなの」
E:「分からないことを相談したり、保護者主催のイベントで母国の文化を取り入れた企画を提案するなど」
そんな話を聞きながら、Eはテーブル上にあった新聞を手に取り、ニュースを目で追った。紙面には事件事故がぎっしりと埋め尽くされている。地元アラスカの新聞だ。
E:「Presidential electionが近いだろ?presidential candidateが出揃うと、いよいよthe Presidential race.」
Z:「バイデンとトランプの争いだって言われているけど、二人とも高齢ね。健康問題は大丈夫なのかしら?」
そんな不安がアメリカ国民の心の中にはあったが、反対に、そうした不安が渦巻いている間は、アメリカは安泰と言えるかもしれない。結局、杞憂に終わることが多々あるからだ。
E:「オーストリアの作曲家・オルガン奏者のブルックナーはワグナーの影響のもとで、独特の重厚な様式を創出。後期ロマン派音楽を代表し、11曲の交響曲、ミサ曲などを作曲した」
Z:「こちらもロマン派の音楽家。フランスの作曲家ベルリオーズはロマン派を代表する一人。標題音楽を確立し、色彩豊かで大規模の管弦楽曲を作る。作に『幻想交響曲』、『ローマの謝肉祭』、『ファウストの劫罰』、『キリストの幼時』、『レクイエム』など」
E:「そうだな。もうパリオリンピック・パラリンピックが近い。ロマン派の音楽家でも、ベルリオーズのほうを持ち出すべきだったかな」
そう言って、Eは笑いながら、ダイニングテーブルに着いていた。そんな話を夫婦同士でよくしてきた。お互いがぎすぎすした感情はない。だが、結婚前に右腕をなくし、娘のCを出産して、片手で育ててきた。

→食卓の壁に掛けられたEとZ、Cの家族の集合写真

そんなことを思い、Eはつい口に出してしまう。

E:「私は両手であの子(C)を抱きかかえたことがない。出産して、生まれてきた時も両手で抱いてやることができなかった。子供が皆、父親にそうされる、『高い、高い』をしてやることができなかった」

Z:「それを悔やんでいるの?」

E:「いいや。そういうわけじゃないけどな」

そう言って、少ししんみりとした感情でその場は包まれた。