中学生のWはこの日は教室で友人たちと一緒に会話していた。誰もがうらやむその体格。中学生ながらにして、Wはクラスの人気者だった。社会科の授業前に予習がてら、友人⓪と相撲のことについて話し合う。
W:「横綱は実力だけでなく、品格も備えていることが要求される最高位の力士。綱を締めた横綱は『露払い』と『太刀持ち』を従えて土俵入りを行う」
友人⓪:「江戸時代から続いているんだろ?」
W:「おう。江戸時代から数えても72人しか誕生していない。昇進の条件としては、大関で2場所連続優勝、もしくはそれに準ずる成績。しかし、その時の成績や横綱の人数などによって条件が変わることも」
友人⓪:「俺も聞いたことがある。横綱はたとえ負け越しが続いても横綱の地位から陥落することはないって。横綱の責任が果たせなくなったら引退の道しかないんだってな。強いわけだ」
そんな話がちょくちょく出ては、Wはクラスの注目の的だった。腕っぷしのある相撲部は体育だけでなく、頭脳のほうでもなかなかの成績を残している。それだけ文武両道の中学生生活を送っていた。
W:「大関は横綱の地位が作られる前の江戸時代の番付表では最高位だった」
そこに女子中生のQが参入してきて、相撲のことを聞いてみる。
Q:「そうなの?今度の名古屋場所では先場所で優勝した大の里が大関とりがかかっている。被災地の石川県に錦を飾れるかだね」
W:「だな。ある一定の期間、好成績を続けなければ大関になることはできない。関脇か小結を3場所以上務め、その時の勝ち星が33勝以上であることが条件」
友人⓪:「それって結構キツい条件だよね」
W:「三役の最上位で、カド番大関もある。大関以上の力士は化粧まわしの下部についている『馬簾』と呼ばれる房の部分に、特別な紫色を使うことができる。ゆるキャラの化粧まわしやスーパーカーの化粧まわしもある」
そんな会話をしながら、三人は一様に日本の国技ともいえる相撲ファンだった。とりわけ、QはWを好意の対象として見ている乙女。近づきたくて、いつもこうして会話に入ってくる。
W:「さあ、次は社会の授業で、その江戸時代からだ。徳川幕府」
三人は教科書を開き、その部分を指さしながら。もうすぐ社会のテストが近いから、嫌でも熱が入る。
友人⓪:「室町時代の足利から江戸時代の徳川へ」
Q:「本当にそうね。1603年、徳川初代将軍の徳川家康。幼名は竹千代」
W:「俺の得意分野だ。今川義元に属したのち織田信長と結び、ついで豊臣秀吉と和し、1590年関八州に封じられて江戸城に入り、秀吉の没後伏見城にあって執政」
Q:「1600年、関ヶ原の戦で石田三成らを破り、03年征夷大将軍に任命されて江戸幕府を開いた」
友人⓪:「将軍職を秀忠に譲り大御所と呼ばれた。07年駿府に隠居後も大事は自ら決し、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、幕府260年余の基礎を確立」
W:「諡号、東照大権現。法号、安国院」