それから、Vは大学の研究棟の自分の講義室に着き、そこで専門の講義を受けていた。担当の教授が淡々と機械工学、コンピュータ工学の極意を吹聴する。
教授:「人間は道具を使って、人間の力以上の力を得た。初めは歯車や滑車といった、動力のいらない機械を使った。やがて、動力として、自然の力を利用し、さらにそれを飼いならすようにして、自分たちに快適な生活を作り出してきた」
V:「Professor. それは主に、環境を快適にする、という形で発展しましたよね?」
教授:「Yes. 環境を快適にするための道具=機械だ。一方、環境を快適にする機械と平行して、人間の能力を高める道具=機械というのもあった。言ってみれば、快適な環境を作るべく生み出された機械が、その機械を使うことで、人間の新たな可能性を引き出してきたともいえる」
V:「情報機器、というのがその良い例だと思います」
教授:「情報機器というのは、本来なら、情報を快適に集めるための機械だ。それが情報を集めて、さらにその情報を加工することまでできるようになった」
クラスメート:「パソコンなどはそのいい例ですね」
教授:「本来ならば、情報を集めて保持し、それを快適に処理するための道具だった。それが現在ではインターネットのように、一つの世界を構築してしまっている。現実が情報と化し、それが伝わるのではなく、情報が情報の中から生み出され、それで世界が成り立っている」
クラスメート:「そして、現実の社会と同様に、その世界で『生きる』こともできかねないほど、その架空の社会は整備されている」
教授:「これは人間が機械を使って、人間の社会、ひいては人間そのものを変えているといえるのではないか。パーソナルであれオフィスであれスーパーであれ、コンピュータの基本は人間だ。つまり、人間の行動を模倣した機械なのである。パソコンを例にとると、マウスやキーボードという入力機器がある。これは人間の目や耳、鼻などに対応する。つまり、情報を受け取る機械である」
そうした具合に、教授は講義を進めながら、学生たちの疑問点を洗いざらい出し、その答えとして解決法を指示する。明示する。時に温情的に、時に効率的に。まだ学生たちが向学心に飢えている時はいい。これが怠け癖がついてくると、少し厄介になってくる。怠惰が大学にとって一番の敵だからだ。そうならないためにも、講義に創意工夫が求められていた。
教授:「入った情報は脳、つまり、CPU(中央演算処理装置)で処理される。人間も一緒で、例えば、ある情報は忘れないようにしようとか、忘れてもいいやとか、あるいは、その情報をもとに判断するとか、そういう命令を実行する仕組みである」
V:「そうですね。さらに、記憶装置がある」
教授:「人間の脳とこれも一緒だ。この辺りになると、パソコンの専門誌を読んでもらったほうが早いが、書き込んだり読み出したりするのがランダム・アクセス・メモリー(RAM)、読み出しだけなのがリード・オンリー・メモリー(ROM)だ」
クラスメート:「外部記憶装置、例えばフロッピーやUSBはノート(メモ帳)だと思えばいい。要するに、忘れないように記録しておくための機械。あるいは書籍ともいえる。つまり、USBに記録されたデータを読んで、それがソフトだったらそう動く。データだったらそれを情報として読む」
教授:「その通りだ。ディスプレイや外部記憶媒体は、人間が表現しているのと同じと考えられる。人間が言葉を発したり、絵を描いて情報を伝える仕組みと同じだ。ソフトは人間の個性かもしれない。表を作って計算するのが得意な人もいれば、文章を書くのがうまい人もいる。あるいは絵を描くのが好きな人もいる。これらはソフトの違いに対応する。ここまではいいな?」
クラス:「Yes.」
教授:「という具合に、コンピュータの仕組みを人間に合わせて考えてみたが、分かったか?つまり、コンピュータは人間の能力を高める機械なんだ」

・『図解雑学 機械のしくみ』(ナツメ社/大矢浩史=監修)