CAPTION:Alaska, U.S.A. (アメリカ、アラスカ州)
ここはアメリカの北西部に位置するアラスカ州。そこで男性保育士として勤務するEがいた。男性保育士のEは過去に階段から落下し、利き腕であった右腕を切断し、今は障害者として生活している。
→Pan Shot→アラスカの観光名所であるデナリ国立公園、チェナ温泉、アラスカ大学博物館、アリエスカやオーロラの聖地フェアバンクスなどを映像でとらえながら
アラスカの保育所で大勢の園児を率いている保育士たちがいる。その中で、Eは保育士長を務めていた。今日も複数の保育士たちを前に、ミーティングを行う。
E:「外国人の保護者。不安な保護者。これは日本の話だが、日本の保育施設に子どもを預ける外国人の保護者の中でも特に、滞在して間もない保護者は生活全般についてわからないことや戸惑いが多く、毎日大きな不安を抱えて過ごしています。乳幼児期に母国を離れることで子どもにどのような影響があるのか、日本の保育園や幼稚園、こども園にうまく馴染んでいけるのか、また、日本人の保護者と同様、子どもをこの先どのように育てていけばよいだろうかという、誰もが抱える子育てに対する不安もあり、外国人の保護者は人一倍不安に陥りやすい状況にあります」
保育士⑦:「そうなんですね。ここアメリカでも園児への対応には苦労しますね。Childcare. Improve the quality of the childcare service.」
保育士㊿:「Yes, we are a two-year kindergarten.」
E:「We have so many nursery school children. 父母のどちらかが日本人である場合には家庭からの助言を受けることができますが、両親とも外国人の場合はより理解が難しくなります。今後日本に永住するのか数年後に母国へ帰るかによっても考え方や不安は異なってきます」
そう言って、Eは日本の保育園での、外国人園児を引き合いに出し、ここアラスカの保育士たちにそれと比較させながらではあるが、保育士としての心構えを説いてきた。
保育士⑦:「We are good nursery school teacher?」
そう言うと、同僚の保育士㊿はニコッと笑いながら、しっかりとした口調で、
保育士㊿:「Of course, I think so. Childcare fee(保育料)をいただいている以上は、我々もしっかりと保育しないとね」
保育士⑦:「Go to kindergarten, start preschool. 通ってきた道。I became to be a kindergarten teacher.」
E:「Alright. ミーティングはここまでにして、それぞれの持ち場についてくれ」
そう言って、Eは号令をかけると、複数の保育士たちは自分たちのクラスに散って行った。これから各保育士たちは激務に入る。
その間、Eは保育士長として一人その場に居残り、事務机に向かって、左手で業務日誌をつけていた。どんなに些細なことも逃さない目で、日々の業務に取り掛かっている。職場の各クラスを巡回し、その都度、不審な点がないかを巡視してきた。そのことを業務日誌に英語で記録し、それを各保育士たちに英語で伝えてきた。
無論、外国人としての、男性保育士としての悩みもある。そうした時期を乗り越えてきて今の地位がある。その地位を確立するまでは非常に苦労し、その苦労を私生活で支えてきたのが、妻で美容師として働いているZだった。
Eは心の中でZに感謝しながら、この保育園でも保育士長として統括する。まだ不足な点はあるにしても、もう立派な年齢だ。それなりに部下である保育士たちをまとめ上げていかねばならない。その責任を痛感し、日々の業務に当たっていた。

→Edit→業務日誌をつけているEの背後から園長がその両肩に手を置く

・『どうする!外国人の子ども ~園での受け入れ~』(株式会社チャイルド社/企画・監修 (株)チャイルド社出版・セミナー部、編著 松本叔子)