モンタナの自宅に戻ったOは家でパソコンで論文作成をしていた。
あれから、受賞ラッシュが続いた約10カ月後ぐらいだった。それは突然やってきた。一通の手紙が私のもとに届いた。差出人はロシアの出版社だった。Oは何だろうと思った。言わずと知れた、ロシアは今ウクライナと戦争中で、その戦時下にある国からの手紙に半ば恐怖すら感じる。Oは不審に思ったが、封を開けて、中に入っていた手紙を読む。それは英語で書かれていた。
手紙:「突然失礼な手紙をお送りし、大変申し訳ないと存じ上げております」
まずはその書き出しで始まっていた。
O:「これは一体?」
と思ったが、その続きを読んでいく。
手紙:「ロシアからの手紙にひどく驚き、きっとあなたは動揺していることでしょう。無理もありません。私たちは戦時下にありますからね」
O(V.O.):「ん?これは…」
手紙:「このたびはあなたに嬉しい知らせを届けたくて、この手紙を出しました。この手紙があなたのもとに届いているのは3月の春。つまり、雪解けの季節だと思っています。あなたのSNSを拝見して、平和旅2回目のゴールを果たされる時期。さて、ロシアを舞台にされた小説はもちろんのこと、そのロシアを想う情熱、分析は目を見張るもの。脚本にもあるように、ロシア経済を俯瞰的な視点で見つめる愛情はユーモラスに富んでいて、今後のあなたの活躍を信じて疑わない。私たちはロシア文学の最高栄誉とされているボリシャーヤ・クニーガ賞を授与したいと考えています」
それを受けて、Oはこれまた驚き、「あのロシアから?」と何度も目を疑った。戦時下で、なおかつ日本とは数々の国際問題を抱えている相手国にもかかわらず、そのロシアからこの偉大な賞をいただけるとは思ってもいなかったからだ。
Oのロシアへの情熱はしっかりと届いていたんだと確信した。Oは即座に返信の手紙を書いた。
O(V.O.):「スパシーバ。私のロシアへの熱い眼差しが届いたことに感謝します。これからも平和を希求し、ロシア国民に喜ばれるような小説を書いていこうと思っています」
その二日後あたりだっただろうか。Oのもとに中国の出版社からも手紙が届いた。Oは日本の大学時代に中国語を専攻していたし、中国へも旅行に行ったことがある。そして、何よりも中国人の友人もいるほどだ。
Oは何だろうと思い、封を切って中身を確認してみると、
手紙:「このたびは中国を舞台にした小説などを書いていただき、我々は大変光栄に感じております。あなたの文章はまさに中国への愛情をストレートに表現したもので、これまでの日本の書籍に見られるような嫌中といった感情はまったく見られませんでした。それが中日の国際問題を解決するうえで、大きな障害となっていたことはあなたもご存じの通り。しかし、あなたはそれを取り払いました。その我が国中国への思い入れは私たちの想像をはるかに凌駕し、今後も中国を愛してくれることを願っています。そのお返しに、私たちは中国文学の最高栄誉である魯迅文学賞をあなたに」
Oはこれも驚きで目を見開き、二の句が継げなかった。すっかり中国に埋没していた自分がいたからだ。そして、文末に次の追伸もある。
手紙:「あなたのSNSの中華料理ですが、まだまだ改善の余地はありますよ。あなたも本場の中国で中華料理を食べられたように、本物の中華料理はもっと奥が深いです(笑)」
そう冗談めかせて、最後に(笑)と書かれてあって、Oは思わず笑みがはじけ、早速返信の手紙を書いた。そう、あの時のように。