そんな中、画家を志望する美大生のHは自分の大学のアトリエで、卒業制作に没頭していた。Hは自分が愛用してきた絵画制作の鉛筆を手に持っている。
→Props→特徴のある鉛筆
 H:「オーストリア人のクリムトは1897年、ウィーン分離派を結成。象徴的な装飾画や華麗な人物画などを制作。世紀末の雰囲気を表現。作『接吻』など。フランス人のジャン・フランソワ・ミレーはパリ郊外のバルビゾンに住み、農民の生活を描いた。作『春』、『落穂拾い』、『晩鐘』、『種まく人』などがある」
そうしてHはアトリエで油絵の作成に取り掛かっていた。まずは下絵の前のデッサンの段階。細かく絵画作成予定を仕切る。
H(V.O.):「初めから思うように描ける人はいません。とにかく、最初は一枚の作品を完成させることを目標にしてみましょう。上手くいかないことの中から、たくさんの次につながる発見が隠されています」
H:「初めて描いた作品は技術がないぶん、画面から自分の表現したいものが強くあふれているものなので、大切に取っておくといい。反対に描く技術が上達してくると、そればかりを追い、技巧的なものに頼りがちになる。技術は技術を表すために習得するのではなく、表現のための技術であることを忘れずに」
そんな中、Hは芸術の要素でもある写真のほうにも力を入れてきた。写真アートから力をもらうことも多々あり、それが油絵に生かされることもある。
H:「ゴッホは後期印象派のオランダ人画家。晩年はフランスで活動し、激しい色彩と縦長の筆遣いによる表現主義的な絵を描く。作『ひまわり』や『アルルの寝室』がある。モネはフランス印象派の画家で、同じ主題を一日の光の変化に従って描き分ける連作が特徴。ほかに『ルーアン大聖堂』や『睡蓮』などがある。ルネ・マグリットはベルギーの画家でシュールレアリスムに参加。作に『大家族』:などがあり、アルブレント・デューラーはドイツの画家で、宗教に題材をとった油絵のほか、素描・木版・銅版画の作が多い。作『四人の使徒』がある」
そんなことを思いながら、ひたすら一心不乱に絵画作成に打ち込む。その集中力はすさまじい。
そして、美大のHの恩師が助言を加える。
恩師:「人は誕生する最初の瞬間に大きく口を開いて泣き声を発生します。この泣き声は、人間が発する最初の表現であり、自分としての存在意識が誕生し、何かが始まった瞬間です。このように私たちは生まれた瞬間からこれまで無意識に自己表現をしてきましたが、これから絵を制作される中で、あらためて自己表現とは何なのかを意識的に問い直し、自分の感覚で感受したものをどのような表現で発生させるか、自分の感性を使って模索していきましょう」
H:「そうですね、先生」
H(V.O.):「自分だけの一枚を描くために。『私の絵』を描くことは。主題(テーマ)を決める。画面をコントロールする。客観的に見る。『画家の目』でものを見る」
H:「油絵を描く。油絵を描く上で何よりも大切なのは、『描きたい』という気持ちを完成まで強く持ち続けること。まずはおおまかな制作の流れと、形をとらえるためのイメージをつかむ。油絵を描く前に、制作計画を立てる、絵画を料理にたとえてみる(主題を明確にする)。制作の流れとしては、①イメージ(モチーフ)の発見・収集からテーマへ②テーマの決定③構図計画④明暗計画⑤色彩計画⑥試作・マチエール計画⑦下絵制作⑧本画制作」
そんな感じで制作に余念がない。完全にHは卒業制作に嵌入していた。
H:「さ~てと。カラバッジョはイタリアの画家で、宗教画に写実性とコントラストの強い明暗法を導入、バロック美術に大きな影響を与えた。作に『聖マタイの召命』、『キリストの埋葬』などがある。マネはフランスの画家で、印象派の指導者。作に『草上の昼食』、『オランピア』などがある。クレーはスイス生まれのドイツ人画家。自然・都市・人間を記号化・単純化して詩的幻想とユーモアに満ちた抽象的絵画を描く。そして、カンディンスキーはロシア(モスクワ)生まれの画家。初めドイツ表現派の青騎士グループに属し、抽象絵画に先鞭をつけ、またバウハウスで教え、創作と理論で抽象芸術に貢献。特色ある詩と戯曲も書き、多分野で活動。著『芸術における精神的なもの』などがある。あら、ロシアの軍事侵攻は終わらないかしら?」
そんなことをHは思っていた。