75,90,103,58,59,56,181.

 受賞ラッシュが続いた約一週間後だった。それは突然やってきた。一通の手紙が私のもとに届いた。差出人はロシアの出版社だった。私は何だろうと思った。言わずと知れた、ロシアは今ウクライナと戦争中で、その戦時下にある国からの手紙に半ば恐怖すら感じる。私は不審に思ったが、封を開けて、中に入っていた手紙を読む。それは英語で書かれていた。

「突然失礼な手紙をお送りし、大変申し訳ないと存じ上げております」と。

 まずはその書き出しで始まっていた。私はこれは一体?と思ったが、その続きを読んでいく。

「ロシアからの手紙にひどく驚き、きっとあなたは動揺していることでしょう。無理もありません。私たちは戦時下にありますからね」

 私は思わず、「ん?これは…」と思う。

「このたびはあなたに嬉しい知らせを届けたくて、この手紙を出しました。この手紙があなたのもとに届いているのは3月の春。つまり、雪解けの季節だと思っています。あなたのブログを拝見して、全国平和旅2回目のゴールを果たされる時期。さて、ロシアを舞台にされた小説はもちろんのこと、そのロシアを想う情熱、分析は目を見張るもの。脚本にもあるように、ロシア経済を俯瞰的な視点で見つめる愛情はユーモラスに富んでいて、今後のあなたの活躍を信じて疑わない。私たちはロシア文学の最高栄誉とされているボリシャーヤ・クニーガ賞を授与したいと考えています」と。

 それを受けて、私はこれまた驚き、「あのロシアから?」と何度も目を疑った。戦時下で、なおかつ日本とは数々の国際問題を抱えている相手国にもかかわらず、そのロシアからこの偉大な賞をいただけるとは思ってもいなかったからだ。私のロシアへの情熱はしっかりと届いていたんだと確信した。私は即座に返信の手紙を書いた。

「スパシーバ。私のロシアへの熱い眼差しが届いたことに感謝します。これからも平和を希求し、ロシア国民に喜ばれるような小説を書いていこうと思っています」と。

 その二日後あたりだっただろうか。私のもとに中国の出版社からも手紙が届いた。私は日本の大学時代に中国語を専攻していたし、中国へも旅行に行ったことがある。そして、何よりも中国人の友人もいるほどだ。私は何だろうと思い、封を切って中身を確認してみると、

「このたびは中国を舞台にした小説などを書いていただき、我々は大変光栄に感じております。あなたの文章はまさに中国への愛情をストレートに表現したもので、これまでの日本の書籍に見られるような嫌中といった感情はまったく見られませんでした。それが中日の国際問題を解決するうえで、大きな障害となっていたことはあなたもご存じの通り。しかし、あなたはそれを取り払いました。その我が国中国への思い入れは私たちの想像をはるかに凌駕し、今後も中国を愛してくれることを願っています。そのお返しに、私たちは中国文学の最高栄誉である魯迅文学賞をあなたに」と。

 私はこれも驚きで目を見開き、二の句が継げなかった。すっかり中国に埋没していた自分がいたからだ。そして、文末に次の追伸もある。

「あなたのブログの中華料理ですが、まだまだ改善の余地はありますよ。あなたも本場の中国で中華料理を食べられたように、本物の中華料理はもっと奥が深いです(笑)。」

 そう冗談めかせて、最後に(笑)と書かれてあって、私は思わず笑みがはじけ、早速返信の手紙を書いた。そう、あの時のように。

「謝謝您。まさか私がこの賞をいただけるとは思ってもいませんでした。私の母と中国を訪れたのは確か私が28歳の時、ちょうど17年前でした。その時に見た中国をありのまま書かせていただいた、中国を舞台にした小説やこれまでの作品群を高く評価していただき、非常に光栄に思っています。これからも中国を見つめていく努力を惜しみません。追伸。もちろん、中華料理の勉強も怠りません(笑)。」と。

 私はそう書いて、郵便ポストに投函すると、思わずあの時と同じように青い空を見つめた。風も春らしく穏やかだ。

 そして、最後に、そのさらに6日後だった。とどめの一撃だったと思っている。それは北朝鮮(ここでは韓国)からの手紙だった。私は警戒心のある中で、その手紙を開いた。始めこそ、それは爆発物か、嫌がらせだと思っていた。

「これがあなたのもとに届いているのは春の3月。すなわち、韓日で卒業シーズンの時期かと存じ上げております。あなたの作品を読ませていただき、その朝鮮半島に横たわる南北間の問題、これまでの韓国に存在した反日感情、嫌韓で溢れる日本の書籍に一石を投じ、そして、我が国北朝鮮が長年抱えてきた日本との問題や国際問題に言及されていて、その朝鮮への志は非常に高いものだと感じております。あなたはその問題を根本から覆し、新たな視点を我々に提供しました。仕事後の疲れ切った心身でも一人黙々とパソコン画面に向かい、深夜帯に眠たい目をこすりながら文章を書き、土日の休日ですら地道な努力をいとわなかった鉄の精神は、まさに書き手(作家や記者など)の鑑そのもの。きっとこれまで辛かったでしょう。その涙ぐましい努力と、好意に報いるため、我々は南北合同で、朝鮮文学の最高栄誉とされる現代文学賞をあなたに授けたいと思っております。よろしければ、受け取っていただけますか?朝鮮日報編集部より」と。

 私はそれを見て、驚愕の連続だった。あの北朝鮮が?と何度も心の中で思い、「私の作品はここにも届いていたんだ」と感激した。独断と偏見を排除した作品はしっかりと浸透し、これ以上にない喜びで返信の手紙を書いた。

「カムサハムニダ。本当に驚きです。まさか北朝鮮から文学の最高栄誉を受けるとは思ってもいませんでした。韓国には友人がいますが、北朝鮮にはいません。いるはずがありません。それでも、こうして手紙を寄越していただいたことに感激しており、これが日朝間の諸問題を解決する糸口になってくれることを願っています。今後も世界平和を願っています」と。

 私は喜びひとしおといった表情で、そう締めくくると、後は記者会見の想定をして、何度も予行演習を行った。これで世界中の栄えある文学賞を軒並み受賞したことになる。だが、いまだに私の作品を評価していない国が世界で唯一ある。いわば、世界の「恥」だ。無論、ロシアや中国、北朝鮮ではない。