C:「ハワイに移住したお父さん(F)やお母さん(Q)も気になるわね」
K:「健康第一って言うが、あの年齢にもなると、それが心配で仕方ない」
C:「うん。すぐに飛んで行ける距離でもないしね」
K:「病気にもかかりやすい年齢だ」
C:「少なくとも、Rがいるから多少は安心ね」
K:「あいつが料理を作っているらしいぞ」
CとKが巧みに言葉を紡げば、二人だけの食卓に花を咲かす。まだ潤いある土壌ではないにしても、こうして夫婦水入らずで、会話を楽しむ。
そして、Cは自分の建設業界のことも話す。たくましく生きるCは建設業界では上のほうの重要なポストを任されている。
C:「女性技術者が活躍する建設業界。建設業界はこれまで男の職場だった。女性の活躍により、現場に明るさや潤いが生まれ、業界全体の活性化につながり、男女問わず働きやすい産業になることが期待される」
K:「しかし、現実には、女性が働く上での多くのハードルがあるんだろ?」
C:「ええ。トイレや更衣室、休憩所、洗面所やシャワー等の改善、そして、子育てに配慮した勤務体系などの問題」
K:「透明性は?」
C:「管理職や現場従事者との適切な接し方、キャリアパスが見えにくいことなども入職への不安となる。このような問題を解決するために、国土交通省と建設業5団体は2014年に『もっと女性が活躍できる建設業行動計画』を策定した」
そうした間合いがぎすぎすしない程度に、如実に根本を解き明かす。建設業界の知恵が集約されている上のポストでは、Cのような柔軟性も求められてくるし、かといって頑固一徹な面があっても、それは部下へのコミュニケーションの阻害にもなる。円滑に物事を進めたいなら、多少の柔軟性と細やかさがなければならない。後は必要に応じて、臨機応変に部下を𠮟れるかだ。
C:「建設業界は日本の縮図。建設業界は戦後の日本の発展とともに成長してきた。国土の復興を支え、産業構造の転換による農林業や炭坑からの失業者の多くを受け入れた建設業の歴史を抜きに、戦後の日本の発展は語れない」
K:「そうだな。地域経済や雇用を支えるだけでなく、防災・防犯や地域行事など、様々な活動で大きな役割を果たしている」
C:「東日本大震災の教訓。東日本大震災では、揺れによる建物の倒壊よりも、津波が大きな被害をもたらした。この津波に対しては、これまでのハード対策だけでは、地域を守れないことが明らかになった」
K:「その通り。その後、防波堤・防潮堤の整備、土地利用規制、高台への移転、避難体制の確立などの様々な対策が行われてきた。今後の津波対策として、防波堤の再整備だけでなく、減災効果を発揮する樹林帯の整備や、迅速に非難することのできる避難地・避難路などの配置が行われている」
C:「さすがね。大震災後には、一時、応急仮設住宅の建設に必要な住宅建設資材不足となり、大量の災害廃棄物も発生した」
K:「岩手、宮城、福島の3県の津波により倒壊した家屋などのがれきだけで、阪神淡路大震災時の約1450万トンを上回る約2260万トンと推計され、全国各地の自治体が災害廃棄物を受け入れた」
C:「放射性汚染廃棄物の処理は排出された都道府県内で行うことになった」
防災士と建設業界でも、こういった具合に接点はいくらでもある。それを探してみるのもまたいい。