昨年"The Last Domino?"ツアーを終えたGenesis。終了後の「そして残った」3人の発言を聞いていると、彼らの活動もどうやら"Last"になりそうな感じですが、そんな中出てきたソフトが、ここのところ弊ブログでふれることの多い「BBC音源」。彼らの"BBC Broadcasts"は、CD5枚に1970~'98年、Anthony Phillips / John Mayhewがいる時期からRay Wilsonがいた時期まで、広範囲の演奏を収めています。音源が、初期のラジオ番組でのスタジオ無観客ライブからスタジアム・ライブの収録中心となっていくさまは、国営放送がその責任で国民的ロック・バンドの環境変化に対応しながらずっと追い続けていた証といえるでしょう。

今回のCDの監修を行っているのは、3人のうちのひとりTony Banks。だからという訳ではないと思いますが、CD#2から#3にかけて、ちょうど3人になった当時のネブワース('78)・ライシアム('80)の両フェスティバルでの録音が手厚くなっていて、特に彼の単独作品"Burning Rope"・"One for the Vine"・"The Lady Lies"・"In the Cage"・"Afterglow"の実況が楽しめる中身となっています。

 

※ 二つの「箱」。右側のバンクスのは、ジャケットも意味深です。

それにしても、"I Know What I Like"に「これが幸福さ」という邦題があったのは全く知りませんでした

 

私は、Peter Gabrielが居た5人組時代はまだしも、4人→3人と減っていってからのジェネシスは「バンクスのバンドだった」と考えています。

その時期は、それまでの約4年間、スタジオ・アルバム4作もの間「裏方」に徹していたPhil Collinsがボーカル・マイクの前に立ち、俄然作詞・作曲も行うようになった「大変革」で始まっていて、自信をつけたコリンズはソロ活動で大成功を収めることとなり、それに触発されたMike Rutherfordも「メカニック達」と組んで全米第1位ヒットを産みだします(たとえネーム・バリューがあったとしても、なかなか出来ることではありません)。そんな中、バンクスは、1) 本格的な(全米をツアーしてまわれるような)「自分のバンド」を組むことはなく、2) 単独ソロ作においても、決して歌えないわけではないのに歌を他の(旬の)達人に任せて、自身は鍵盤の奥に引っ込んでいる印象を受けます。このような彼のソロ活動に対する立ち位置は、まず本人を含めた3人に「バンクスが居なければ『ジェネシス』にはならない」という共通の認識があって、本人もそれをうけて「自分の本当にいいもの、やりたいものは『ジェネシス』として出せばいい」という意向があってのことだ、と思えます。

一方、バンクス個人の'15年までの足跡をまとめたボックス"A Chord Too Far"を聴いて/眺めていると、彼のバンド「ジェネシス」に対する世間の評価と、ソロ活動に対するそれのギャップ(出来・不出来ではなく、あくまで名前の通り方について)を、彼自身が受け止めかねている印象を受けます。私は、これは前記の事情から仕方がないことではないか、と考えているのですが…。

どうやら「ジェネシス」としての活動に区切りが付けられそうな今、この27日に73歳になるバンクスに対して「ここのところ取り組んでいるクラシック・オーケストラとの共演ではなく、本格的な自分の(ロック)バンド活動をやってほしい」という希望を抱いているのですが、果たして実現するでしょうか。

 

(3/17/2023)