2011年1月14日


夫も半休をとって、一緒に病理結果を聞く日。

朝から、私の気持ちはかなり重い。


夫は「悪いはずがない」と言ってくれるけど、

私はやっぱり絶望するのが怖くて、悪い想定、悪い想定と気持ちを持って行きたがる。

でも、よい想定も時々頭をもたげ、気持ちの起伏の中でついつい言葉も少なくなる。


午後からの予定だったので、夫と二人早めのランチをコメダコーヒーで。

以前に家族と来た時には、がんなんて頭のどこにもなかったのんきな昼下がりだった。


何かしていないと、身が持たなくて少し車を走らせたりもして過ごした。


時間が来たので、外来へ。

入院中やこれまでの外来では一度も足を運んだことのなかった「がん情報コーナー」にも待ち時間を使って初めて言ってみた。

ウイッグのパンフレットや、いろいろな冊子や雑誌が置いてあった。

色々相談に乗ってくれそうな窓口もあって、今後の入院の時にはここで情報収集できるかもしれないと思った。


少し待って、診察室に呼ばれると、N先生。


パソコンの画面を見ながら「いろいろと書いてあります」と英語交じりの画面を指差した。


そして、

左側だけではなく、結局腫れていなかった右側の卵巣にも癌細胞があったこと

腹腔内を洗った液からは癌細胞が見つからなかったこと

リンパ節からも癌細胞がみつからなかったこと


境界悪性と区別が難しい点もあるが、しょう液性腺がんという組織型であったこと

術中に癒着のための被膜破綻があったので、ステージはⅠc(b)ということになること



を説明してくれた。


ステージⅠへの希望は捨てたことはなかったけれど、ステージⅠの卵巣がんが見つかることは、少ないという記事を何度も見ていた。

春先から腹痛もあったし、自分自身、しばらく検診から遠ざかっていたこともあったので、早期がんではないだろう。という思いのほうが強かった。


N先生は

「残念ですが、やはり化学療法が必要です」とおっしゃったが、

ほっとした気持ちが強く、残念さなんてわいてこなかった。


使用する薬の説明、副作用の説明などしてくれたが、

事前に調べていた通り、TC療法(パクリタキセル+カルボプラチン)の6クール。


自分の置かれた立場、そして病気の状態を踏まえて、

辛い治療になるであろう化学療法は乗り切っていかなければ。


入院は3日後の17日、抗がん剤の投与は19日に決まった。

あわただしいが、急ぐことが大事。


最後にN先生に、

「今現在PET検査など受ける必要はないか?」と尋ねたら、

がんのリスクは、他の人と同様にある、通常の検診をしっかり受けてくださいと言っていた。


・・・・そうなのかな?



診察室を出て、夫と思わず握手。

しっかり「がん」と本格的に確定したのは事実だけれど、

想定していた中ではもっともホっとした内容だったことは確か。


「がん」といわれて喜ぶのもなんだけど・・・・しばし放心してしまった私だった。


その後あわただしく入院説明・予約・支払いをして帰宅。

夫はそのまま仕事へ向かった

子供たちには、化学療法のことは可能性を含めて話していなかったため、

夫の帰宅を待たずに私から、


「また月曜から入院になったの」と伝えた。

当然子供たちは驚いていた。退院して、初めて病院に診察にいって、またすぐに入院しろって言われたなんて、

言うもんだから、当然かもしれない。


子供たちには「卵巣がん」という病名は伝えないと夫と相談している。


だから、これからの入院は


もう悪いものができて手術とかをしなくていいように「予防接種」みたいな点滴をしなくてはならない

6回にわけて1週間ずつ入院する

副作用で髪の毛が抜けてしまう


と話をした。


私も明るくにこやかに伝えたし、子供たちにとっても「手術」をする入院ではないというのは、

大いに安心材料のよう。


きっと子供たちには負担や、苦労をかける。

新年度が始まる時期にかかるから、保護者会やらなにやらと母親が出ていかなければならない場面に、いけないこともあるかもしれない。


大変だとは思うけれど、やっぱりここはしっかり気持ちを持って乗り切って成長してもらわなくては。


母と妹にも病理の結果はメールで伝えた。

二人とも喜んでくれた。


大きな敵との闘いは続くけれど、しっかり倒して、乗り越えていかなければならない。