2010年12月27日


食事は五分粥。

乳び腹水もなく、順調です。


T先生にお腹の傷の付近の感覚が布の上から触っている追うな感じで鈍いと相談してみた。

神経もメスで切っているので、そういう感覚も残ってしまうかもしれないという返事。

お腹をきるってことは、そういう色々な事もあるんだろう・・・


でも、本当にたくさんの人が手術を乗り越え、生活しているんだから、きっとあまり気にならなくなるだろうと自分を慰めてみる。


離床していらい、いつもベッドの左側から乗り降りしていたら、どうやら左足の股関節あたりに無理がかかっているよう。腹筋も頼りなく、腕の力に頼っていて、片足に重心がかかっているからと思われる。

看護師さんに相談すると、右側から乗り降りできるベッドに変えてくれることに。

窓側にもなるし、ありがたい。


ベッドを変わったら、股関節の痛みはすぐになくなった。


2010年12月28日


術後1週間。

食事は七分粥。


そして、とうとうドレーンがお腹から外された。

研修医のY先生が恐る恐るはずす感じがこちらまでドキドキ・・・・


点滴も午前中から夕方までのもので終了。


いよいよ身体からすべてのチューブが外され、シャワー解禁になる日も近そう!!

1週間前の手術直後、自分では身体の向きを変えることすらできず、

痛みどめがなかったら激痛で・・・・


うつろな目で病院の天井や壁を見ていた私がこんなに動けるようになるなんて。

人間の回復力って本当にすごいと思った。


午後からは4人部屋なのに、他の患者さんたちが退院してたった一人になってしまった。

年末だし、新たな手術予定も入れず、化学療法もあえて年末年始は避けるからなのだろうけど、

病室も快適だし、きれいだし、あまりさみしくはない。


有料個室よりも広々とした空間を追加料金で占有していて、ある意味贅沢だったりしてました。



2010年12月29日


いよいよ全粥。

おかずはほほ常食です。


朝、とうとう首のカテーテルが外れました。

シャワーは翌日から解禁です。


首には同意書まで書くほどのたいそうなカテーテルが長いこと入っていたのに、

その後は軽く絆創膏が貼られているだけになりました。


でも、長期間にわたって、テープどめされていたので若干かぶれ気味。


まだまだ病院の廊下を長く歩くと息があがってしまいそうになるし、

食事をした後も苦しくて休みたい感じ。


架台を押さなくてもよくなったので、どんどん歩いてはいるけれど、細かく何度も歩くという状態です。



2010年12月30日


とうとう晦日です。

退院はまだ翌週の予定だけど、続々と退院の人たち、外泊の人たちもいて、

先生からも「外泊しますか?」と尋ねられた。


まだ朝晩のお腹の注射(血栓を予防する注射)は打っていたし、

ようやく初めてシャワーを浴びることができた状態で、どっと疲れ、外泊という気持ちにはまだなれなかった。


術後初めてのシャワーは本当に「生きている」って実感できるようななんとも言えない時間だった。

傷口のサージカルテープにしみていた血液はシャワーでだいぶきれいになり、傷口もなんとなく透けて見えた。

痛かったりはしなかったけれど、上から見下ろすお腹の景色は全然違っていたし、感覚的にも鈍かったり、

そけい部付近はなんとなくぽってりと浮腫んでいて、心配にもなった。

身体をまじまじとみて、「今までとは違う」ということも認識した一方、普通の生活に戻りつつあるのか・・・という喜びも交錯した。


首のかぶれに対して薬は処方されたけど、ステロイドだし、シャワーでだいぶすっきりしたので、

あまりぬらなくてもいい感じ。


このまま年末年始は一人で年を越すのかな。と思っていたら、大部屋に緊急入院のお仲間も入ってきた。