2010年12月21日
朝から浣腸。
もう、何も入っていません・・・・
終了後、弾性ストッキングをはき、下着類、コンタクトを外し、顔を洗って歯をみがく。
前日は、眠れなくても睡眠導入剤は使わずに、身体を対話していよう・・・と思っていたけれど、
まあまあ眠れました。
どっちにしろ、当日はほとんど寝ているはずです。
8:30
次女は学校。しかも社会科見学に行き、
次女以外の家族が手術室へ行くエレベーターの前まで送ってくれた。
私は自分の足で歩き、点滴の架台を押しながら、付き添いの看護師さんと一緒に出発です。
笑顔で手を振りました。
ずっと寝ている私に比べ、7~8時間にも及ぶ手術を待っている家族のほうがどんなに長い1日になるだろうと思う。
私にはそんな経験1度もない。
まさか、私がそんな経験をさせてしまうほうの立場になるなんて、本当に柄じゃないと思っていた。
手術の前室の雰囲気は、独特。
「工場」みたいだった。
衛生的で明るくてメタルな感じ。
ちょっと待ち時間があって緊張した。
小さな子供も手術を待っていた。私が手術を待つほうだったらダメだ・・・・とまだ思っていた。
20分くらい待って手術室へ呼ばれた。
広い部屋。
明るい部屋。
かすかに音楽が流れていた。
ここで私のお腹が開かれ、摘出されるという事柄が進められる場所なのだ。
私をこの状況から救い出してくれる場所なんだ・・・・
麻酔医のN先生、看護師さん二人、女性と男性だった。
ベッドに上がり、心電図をつけたり、脈をとるための装置をつけた。
横になって背中に局部麻酔。そして、全身麻酔の針。局部麻酔は1回ではいまいちきかず、2回打ってもらったように記憶している。
そして、真上に向き直って、「これから全身麻酔に入っていきます」という先生の声を聞いたのが最後。
数を数えるとかもなく・・・・
執刀医の先生の顔を見るでもなく・・・・
後から知るが、そのあと、あちこち消毒したり、直腸から体温をとるために体温計を入れたり、毛の処理をしたり・・・
きっと執刀までまではそれなりに時間もかかったのだと思う。
名前を呼ばれて目が覚めた時には19時過ぎだったという。
明るい部屋。
手術室から病棟まで運ばれる間に、どんどん寒くなってすごく震えていた。
ストレッチャーで運ばれながら、どこを通っているかはわからないが、夫が「よくやった。問題ない。
」と嬉しそうにほめてくれたことを覚えている。
子供たちも母も妹も口々に「お疲れ様」と言ってくれていた。
とりあえず、手術室からは無事に生還を果たした。
ストレッチャーからベッドに移されて電気毛布なのか暖かい布団にくるんでもらって、震えが止まったら少し楽になった。
少し楽になったら、なぜか左の足の付け根がすごい違和感。
その時、いろいろな先生が見に来てくれたようだったけど、「赤い」とかいろいろ言っていた。
原因はよくわからないけど、まっすぐ伸ばしているとすごい辛くて、曲げたり、身体の向きを変えてもらったりしてもなんだかあまり楽にはならなかった。
でも、なんとなくいつまでも続く痛みじゃないというのは感覚的にわかり、血栓を予防する足のマッサージ機の音を聞きながら、「早く時間が過ぎないかな・・・」と思っていたのを覚えている。
その日の夜は時間の感覚がないまま、家族ともそれほど話すこともないまま終わった気がする。
麻酔が効いていて、お腹の痛みなどはなく、よくわからない足の痛みさえなければ、きっとぐっすり眠っていたかもしれない。