私が小学生の頃社会科の授業で使用していた教科書「かいた」。
海田町の歴史を記したレアブックですが、昔の海田町の写真が多数掲載されております。今でもこの本は授業で使われてるんでしょうか。
今回はその「かいた」から写真をいくつか掲載いたします。
ちなみに「かいた」は最後のページを見ると
「1982年9月1日初版発行 1996年3月1日改訂版発行」
と記載されてました。
↓こちらは本に掲載されていた海田市駅。
↓下は最近の海田市駅。駅の建物自体はあんまり変化ないですね。変わったのは周りのようです。
本に載ってた写真を見ると、駐車してる車に一番年代を感じますね…
私の実家に行くにはこっち側(写真に写っている側、瀬野川方面)に出るため駅の反対側(山側)に降りることはほとんどありませんでしたが、駅の周りの風景に関してはどちら側も昔とは随分変わってしまいましたね。
↓そしてこれはもっと昔の駅の写真。
原型をとどめていません。まあ百年くらい前の写真ですから無理もありません。
↓お次はこちら。大正交差点付近です。
この写真もパッと見た感じ今とそんなに違いはありませんが、右側の方に注目すると、「うどん」の看板が。
これは昔よく家族で食いに行ったうどん屋、「あき路」の看板ではないでしょうか?ううーん懐かしい。今レプトンが入ってる建物ですね。
↓そしてこれは実家の近所の公園、曙公園です。
これも現在の公園の姿とあまり違いは見られません。とりあえず写真右端に写ってる遊具はもうありませんね。相当無茶苦茶な使い方をして遊んでました。
公園の隣にマンションが写ってますがこれは今でもあります。友達がここに住んでたのでよく遊びに行きました。
彼は高校に入った途端、学歴至上主義で人を見下す凄くイヤな奴になったので絶縁してしまいましたが…
マンションの隣は昔は畑でしたが、この写真を見る限り畑ももう無くなってますね。遊んだ帰りによく畑の中を通って帰宅してました。確かポンプ式の井戸水をくみ上げるあのマシンがあった気がします。トトロに出てきたやつ。
↓これは反対側から撮った写真ですが、最近の公園の写真。
これ見ると無くなった代わりに増えた遊具もありますね。真ん中の方の黄色いやつとか、滑り台も新しくなってます。昔は金属製の滑り台だったと思います。ベンチも樹脂っぽいものになってますが、昔はコンクリート製だった。
今バイパスの高架工事が進んでる曙公園裏側は私が小学生の頃は建物を取り壊し、道路用地として工事が進められてる最中だったのでそれはもう我々ガキどもにとっては格好の遊び場でしたので毎日のように遊びまくってました。
マウンテンバイクで走ったり野球したり捨てられてる廃材を破壊したり、非常に楽しい広大な遊び場でした。
以前ちょっと書きましたが、停めてあったユンボをみんなで破壊し、それがバレて工務店に謝りに言ったことがありましたが、それをやったのもこの場所でした。
確か実家で昔の写真を見てたらそこで遊んでた時の写真がいくつかあったので、今度それを載せたいですね。いつになるやらわかりませんが。
↓要するにここが全部広大なサラ地だったわけです。そんなの子供が遊ばないわけがありませんな。
ちょうどその頃大雨が降り、この辺はまだ舗装されておらず土丸出しの地面だったのでそこらじゅうが池みたいな水たまりだらけになったことがありました。
そこにおたまじゃくしが大量発生し、そいつらが成長してカエル天国になったことがあったのをよく覚えております。毎日ゲロゲロ鳴き声がすごかった。
巨大な水たまりを網でひとすくいすればおたまじゃくしが30匹くらい採れるので、片っ端から捕まえて家の水槽に入れまくったらカエルが大繁殖して大ごとになりました。
この頃、飼うってたハムスター5匹が共食いして全滅するという痛ましい事件もあったのですが、その死体を埋めたのもこの辺りでした。
つまりこのバイパス道路の下には、俺が飼ってたハムスターが人柱のごとく埋まっているのです。
現在まで大きな事故もなく工事が進んでいるのはハムスター達のおかげかもしれません。
この辺りはさらに昔は木造バラック小屋が沢山建っててススキがいっぱい生えてたと弟が言ってましたが、なぜかその頃の記憶がほとんどありません。普通にその辺で遊んでたはずなんですが。
その頃は曙公園も通称「タイヤ公園」と呼ばれており、廃タイヤが山積みになっててそこに登って遊べたとも弟は言ってました。
俺自身タイヤ公園と呼んでた覚えはありますし、タイヤがなくなってしばらくしてからも「タイヤ公園」と呼んでる友人はたくさんいました。登って遊んだ記憶もうっすらあります。
写真残ってないかなー。これもそのうち探してみようと思います。