捨てる神あれば拾う神あり | 賢三記

賢三記

バイクが好きだ。

車が好きだ。

Rockn'Rollが大好きだ。

まァ、あたしの標語的に言うのであれば


「もし、それが誰かの罠だとしてもだ」って感じですが・・・ね。



朝日新聞の記事で食物の廃棄について記事が載っていた。

某カレーチェーン店の某廃棄食材がスパーマーケットで販売されていたってのは記憶に新しいとこではあるんだが。


賞味期限とか消費期限とか、とにかくやたらと期限付きのものが多い食材なので、やたらと安いものを求める人間が多い割には捨てられるものも多いってのは、なんだろうね。これも資本主義なのかしらね。


回転ずしの記事が載ってた。

ご存じのとおり回転ずしってのはクルクル回るベルトコンベアの上にお皿に乗ったお寿司が回っていて、それをとって食べると。清算は皿一枚なんぼで計算。明朗会計。


悪く言ってるわけではないよ。回転ずしにはお世話になってる。

特に最近の回転ずしは、それなりにレベルの高く、美味しいし、尚且つ値段もそこそこ安い。

「時価」なんてないからね。自分で計算しながら食べれるわけさ。

その回転ずしは15分経ったら廃棄されるという記事。新鮮さというお寿司の原則にのっとり、時間が経過したものは処分しますよ・・・と。


なーんだろうね。


記憶にある初めてのお寿司は、故ゴッドファーザーに連れて行ってもらった近所の小さなお寿司屋さんだった。主が握り、奥さんが運ぶ。小さなお寿司屋さん。

広さで言えばあたしの車庫と変わらないだろうな。カウンターと奥に小上りが一つ・・・だったと思う。


そこで『トロ』を食べた。忘れもしない『中トロ』。

「食べれますかね?」と主。

「まァ、食べさせてみようや」と故ゴッドファーザー。

そのお寿司を口に含んだ瞬間、ご飯と一緒に流れ込んできた脂の味・・・。

小学生の低学年・・・だね。美味しいわけないじゃん。吐き出しましたよ。

それを見て笑う大人たち。

お寿司ってのは大人の食べ物なんだなとつくづく思ったね。


そもそも寿司ってのは頼んで握ってもらって出てきたものをすぐに食べる。

ぬるくなったらおしまい。美味しくないし鮮度も落ちる。当たり前。

それがお寿司屋さん。


初めての回転寿司はほとんど記憶がない。きっと記憶に残るほどのインパクトがなかったんだろうね。

かすかに手さぐりでたどれば、大阪で。バイト料が入って友だちと食べ比べをして、つまりどちらが皿を高く積めるか競って食べたのが最初。




最近の回転ずしは頼んでから握ってくれるし、ネタも悪くない。握りもそこそこの職人さんがいるので悪くはない。いや、美味しいんよ、ホント。


それでも回転ずしだから回ってるし、人気がなければ乾いていくし、それがいつまでもロータリーしてるのを見るのは食べていて気持ちの良いものではないんだけどね。


作り置きしたものをお客さんに提供する。

もちろんそうしなければできない料理があることは知ってるけど、この世の中、安くとか早くとか、そんなん求めた結果がファストフードだったりするわけで。


んで余ったものはシャウト。捨てるわけさ。

であれば「それ?捨てるのはもったいなくね?」と思ったか「これは銭金になるじゃん」と思ったか。


捨てたやつは神かねェ?

拾ったやつは神かねェ?




なーんて考えてたら、美味しいお寿司が食べたくなってきたな。


明日はライブを見に行くし、フリーだし。


帰りは美味しいお寿司でも食って帰るかな・・・と思った酔っ払った吹雪の夜でした。