3泊4日のツーリング記事では楽しかった事、走りや出会いに関することを徒然と記しました。
今回のツーリングでメインの『penguinさんにサベを見せる』ともう一つの目的
原発付近、行けるとこまで行ってみよう
これがありました。
先のブログにも記したとおり、この思いは物見遊山的な気持ちであり、感傷や正義感、もっと言えば原発反対という世論のブームに乗った行為であったと言えると思います。
そう。
あの光景を見るまでは。
町名を書くことはいたしません。何故ならそこに住んでいる人たちが居たからです。思いはどうあれ、そこで生活を営んでいる人たちが居るのを、あたしみたいな外部の旅人がとやかく言えるものではないのでしょう。
分かってはいますが。
仙台市からひた走り、いわゆる『立ち入り禁止区域』に近付くに従って、対向車の数は減り、同向車の数も減り、人影はまばらになり、赤灯が目立ち始める。
板で入口付近全体をうちつけたコンビニエンスストア。
忘れされれたガソリンスタンド。
生活感がない所にはカラスさえ居ない。
サベージの比較的大きな排気音は、遠くまで響き、そして煩がられもせず、非難もされず、そもそもそうする人たちが居ない町を走る。
行けるところまで行った先にはPCが赤灯を回しながらとまり、警官が複数名。
「この先は許可証がないと入れません」
ここまでかと思い、もちろんお上に立てついてもしょうがないのでUターンする。
マップを開き道を確認する。この峠を使えば東北道へ出られそうだ。地図に従い進む。進んだ先は「通行止め」。引き返し別のルートを探す。走る。「行き止まり」。結局、大きな町まで戻り、比較的交通量の多い国道を走らねば東北道へはたどり着けない訳だ。
交通のルートが遮断されるとその先へのアクセスがなくなる。つまりそこは陸の孤島と呼ばれる地域になる。
国道から山へ入った県道は震災の傷跡がリアルに残っている。段差があり、アスファルトは千切れ、あちこちで『危険』の文字がある。
セイタカアワダチソウが強く美しく伸びた空き地は、元は畑だったのであろうか。
入口にチェーンがかかった民家は、時たま訪れているように、わずかな生活臭が残っている。
わずかに?
まてよ?
生活はされている。住んでいる人が居るんだ。
民家の前には車が停まり、人影は見えなくても屋内には洗濯物が干してある。
軒先や玄関前には子ども用の自転車があり、学校は開いている。
人は住んでいるんだ。
それなのに、生活臭が感じられない。
北海道でも走っていると、いわゆる過疎の町とか忘れられた町、みたいのがある。そういうゴーストタウンみたいな景色は何度となく見ている。
そうではないんだ。
人は確かに居る。住んでいる。
でも、何処にも見当たらない・・・
つい5時間くらい前は、暖かい日差しの中、子どもたちがあそぶ姿が見られた。
10月の小春日和の中、子どもたちがはしゃぐ姿が見られた。
それがどうだ?
まだ気温が高い土曜日の午後。バイクで楽に走れる気温だから本当に暖かいのだろう。
秋晴れの日差しの下。
子どもたちはどこに居るんだ?
こんなに天気の良い、暖かい、土曜日の午後。
子どもたちは、一体何処に居るんだ?
考えると恐ろしくなる。
5時間前に見たあの風景は、日本のどこにでも見られる景色だと思っていた。暖かい日差しの中で子どもたちがあそぶ景色というのは、普通の景色だと思っていた。当たり前だと思っていた。
ここは違う。
子どもたちは何をしている?読書?TV?ゲーム?家の中で?
外に出てあそべない?あそんではいけない?
なぜ?
なぜ?と問いかけることすら、その答えを導き出すことが怖くなる。
そして、秋晴れの、小春日和の、週末の午後の公園に、誰も居ないこの風景が怖くなる。
penguinさんと話した事がある。
「原発で汚染された地域を完全に立ち入り禁止にすればいい。自然には浄化作用がある。この先何十年何百年かかろうとも、いつかこの土地は復活する。その時にこの土地に戻ればいい。それは土地を見捨てたことにはならない。しかし、ここに人が住んでいるということは、住んでいる人に少なからず原発事故の影響がある。それはこれからの未来を、人をなくすことになる」
東北の人は特に自分の土地に対する愛着が深いそうだ。
北海道の人間のように3代もさかのぼればどこの土地の人か分からないような土地柄ではないのである。
愛着は分かる。
でも・・・
この日の夜、penguinさんとも紅の豚さんともすずきななさんご夫妻とも語った。
福島の除染作業、その現場の実態。
愛着・・・
本当の愛着ってなんだ?
「震災後の復興を見に行こう」うちの子どもたちに言った事がある。
マンパワーの強さ、地域住民の心意気、日本人はこんなに強いんだ、そして、地震でこんなに苦労した人たちが居るってこと・・・
たしかに仙台港は綺麗になっていた。空港だって綺麗になっていた。大きな町は復興され、その力たるや凄いもんだ。
でも・・・
でも・・・。
あの景色は、子どもたちに見せたいとは思わない。
いや、親のエゴで言うならば、未来を生きる力を持つ子どもたちに、負の財産を見せてはいけない。
先日のお土産の写真の中の怪しげな瓶
ヨウ素剤である。
娘に「これ薬なんだよ。身体に良いから飲んでみるかい?」と聞いたら、ひとしきり瓶を眺め
「・・・やだ、気持ち悪い」
きっと何も分からず、何も知らされずこれを飲まされた子どもたちは沢山いるはず。
確かにこの薬は必要であり、その措置は必要な措置だったのだろう。
でも、そのような措置を取らなくてはいけなくなった原因とはなんだ?
物見遊山的な気持ちであり、感傷や正義感、原発反対という世論のブームと、いやらしい好奇心からはじまったこの目的。
あたしたちは良いのかもしれない。
次の世代、その次の世代・・・
それでも、電気は必要だと。原子力の再稼働と。
止めれば良い。動かせばよい。
そんな問題じゃないだろうな。
答えが出ないままではあるが、自分の力は非力ではあるが・・・
あの景色を忘れることはないだろう。
午後の明るい日差しの中、10月の小春日和に、誰も居なかった公園の景色を。
3泊4日ツーリングの番外編でした。