帰って来た時からもう悲劇は始まっていたんだ | Q1999=Q-IIIの奮闘記

帰って来た時からもう悲劇は始まっていたんだ

 今日はお休みでした。

 昨日まで有った下腹部の痛みも取れました。

 結局何が原因だったかは分からず仕舞いでしたね。

 取り敢えずまた元のように動けるだけマシになったと思います。

 そこが少し朗報だと言っても良いでしょう。

 ただ原因不明なのだからまた再発する可能性も無いとは言えません。

 それが結構怖いですね。

 本当一体何が原因だったのでしょうか。

 対策の立てようが無いです。

 それが気になります。

 矢張り腰から来たのかな。

 若しもそうだとしたら、これがまた再発する可能性も無いとは言えないと言う事でしょう。

 そんなの本音を言えば御免です。

 私も随分とこれまで身体を酷使して来ました。

 思えば色々無茶もしました。

 そのツケを今払っている訳です。

 勿論人には多少の無茶を押し切っても頑張らないと行けない場面が有ります。

 それは紛れも無い事実だと思います。

 私としてもそれまで否定する事はしません。

 ただ私の場合は頑張った割には収穫が殆ど無いのです。

 それは一種忌々しき事態です。

 結局心身共に深い傷を負うだけで終わりました。

 悲しいですね。

 勿論そんな何でも上手く行くとは微塵も思っていませんでした。

 元々無理を承知で動いていたのです。

 でもそれだとしてもここまでボコボコにされるのは少し空しい気分になります。

 私が悪いんです。

 何にしても全力投球で行くから。

 人生という全てのイニングを全力投球で乗り切る事なんか出来やしないのにね。

 時には力を抜く事も必要になるかと思います。

 でもそれが私は苦手です。

 何にしても眼前に有る物には本気で立ち向かおうとします。

 それがどういう意味を持つかは分かっているつもりですが止められないのです。

 結果勝手に傷付いて終わってしまいます。

 何か情けないですよね。

 特に過去にはそれで見返りを求めていました。

 勝手に自分でした事なのに何か返って来る物が有ると信じていたのです。

 愚かの極みですよね。

 本当に馬鹿だったなあと思いますが、私の中ではそれが希望だったのです。

 そういう形でしか闇夜を照らす灯を持つ事が出来なかったのです。

 そして今に至ります。

 私は相変わらず全力投球を続けています。

 そうして何時か自分が認められる世界が見付かる事が有るのではないかと信じてです。

 そんな物幻覚に過ぎない、脳が勝手に作り出した虚像だと言う感覚も無い訳では無いです。

 そして多分その感覚の方が現実味を帯びているのです。

 私がどんなに頑張っても、認識して貰えない事の方が大きいと思います。

 それは事実でしょう。

 そこまでは否定出来ません。

 しかしそれでも私は世界にギブアンドテイクを求め続けます。

 良くテイクを求めないギブをする事が一番良いとか言う意見が有りますが私はそれは違うと思います。

 それは例えばホストに貢ぐ女性と大して変わりは無いですし、不健康な関係です。

 矢張りギブされた以上テイクして返さないと行けないのです。

 それは事実だと思います。

 だから私は堂々と言いますがこちらがギブした以上テイクも求めます。

 所が現実とは残酷で、ギブしたとしてもテイクが返って来る事の方が少ないのです。

 私、自分で言うのは何ですがこれまでかなり頑張って来ましたよ。

 しかしそれもこちらの勝手な一方的なギブでしか無かったのです。

 それに見合う対価は支払われる事の方が少なかったです。

 でも私が求めている物は本当に一つでしかないのです。

 それを理解して貰えません。

 私はただ自分の存在をそれで良いのだと言って欲しいだけです。

 しかしそんな甘い事は有り得ないのです。

 それが空しいですね。

 私はただ誰かに自分が必要とされる事に喜びを感じますし、それで故にでも私に優しくしてくれる存在がいればそれで良いと思うのです。

 結局そんな存在に出会う事は出来ませんでした。

 私はずっとそれを探して来ましたが、そう簡単に見付かる存在では無かったのです。

 結果今も孤独の中を生きています。

 これまで色々な事が有りました。

 酷い眼にも沢山会って来ました。

 それでも私は希望を捨てる事は無かったです。

 その僅かな希望を胸にここまでどうにかやって来たのです。

 しかしそれが果たして良かったのかどうかは何処かで反省しないと行けないと思います。

 このままだともう少しも幸せを感じる事無く死んでしまうかもしれません。

 馬鹿みたいだと思いますが、私は自分独りでは幸せになる事が出来ないと思っています。

 誰か隣に他人が立つ事で幸せを獲得出来ると思うのです。

 それは嘗て師が語ったように私を救えるのは人間の温もりだけだと思うからです。

 ただその為だけに私はずっと頑張って来ました。

 でもろくに私の心を癒してくれる存在には出会えませんでした。

 いや、違うか、出会ってはいますがそういう存在には私の存在は見えないのでしょうね。

 悲しいですがそれが今私が言える事です。

 結局私が世間に絶望するその理由がそれで有ります。

 私の事を想ってくれる存在に出会えないからです。

 そういう相手が一人でもいればそれは私も人生観が変わって来るでしょうね。

 しかし今の所そういう存在には出会えていません。

 でも私が求める物って過度なのでしょうか。

 世のパートナー同士はお互いをどういう風に認識しているのでしょうか。

 少なくとも私はそういう関係に一種夢想を見ています。

 でも現実はそんな甘い物では無いのかもしれません。

 それならばそれで私も一種諦めが付くと思います。

 ただ今は夢を見続けています。

 そういう甘酸っぱい感情を今も持っています。

 でも私の拒絶のされ方って半端じゃ無かったからなあ。

 個人的には病気になったあの時と、秋ちゃんに怖がられたあの時の二つが大きなトラウマになっていますね。

 どちらももう願うだけ無駄になるでしょうね。

 やり直したいとかは思いませんが、それでも今も悲しみの追体験をしてしまいます。

 夢に見る事も結構有ります。

 それだけ傷が深かったのでしょうね。

 私は幸せになる事が有り得るのでしょうか。

 それが気になって仕方が無いですね。

 しかし私はいつか来る救済を信じています。

 私も許される瞬間が有ると信じているのです。

 それを希望に今も生きています。

 明日は仕事です。

 頑張ってみよう。

 一日一善。

 明日をバーンと信じましょ。

 ドロン。