人の心を惑わす宝 | Q1999=Q-IIIの奮闘記

人の心を惑わす宝

 今日は仕事でした。

 久々にフルで働いて滅茶苦茶疲れました。

 昨日のお袋の外泊で疲れが取り切れていなかった事も理由に入っています。

 それでより疲れましたね。

 今日は311です。

 つまり私が病気になってから十三年が経とうとしているという事となります。

 実はあまり311の記憶が無いのです。

 あの時は病気になり立てで、もう脳味噌がショートしている状態でしたし、確か江東区の方の病院に行っていてそこで帰宅難民になってしまったんです。

 それは覚えています。

 地下鉄が全滅で、人が地上に溢れ出ていました。

 その光景は覚えています。

 あの震災を皮切りに、調子を崩された方も大勢いらっしゃいました。

 私は311の直ぐ後に入院したのですが、周りに地震の事に過敏に反応される方がいたのを思い出します。

 あのタイミングで、地震と関係無く入院したのはあの病棟では私くらいでは無いでしょうか。

 それくらい震災は大きな事として感じられました。

 でも実際は私も震災の被害をそこまで受けた訳では無く、一番震災を受けた方々が大変な状況の最中、入院していて治療に専念していました。

 大体そういう人の為に、公共のテレビ前が凄い事になっていましたね。

 津波の場面や出棺の場面なんかが流れると、一気に調子を崩されてしまう方が大勢いました。

 また確か当時は病院のテレビがNHKに固定されていたと思うのですが、原発がどうのだの行方不明者がどうのだの連日流れていて、それでまた不安定になられる方もいらっしゃいました。

 あれってテレビ消せば良かったのにな。

 取り敢えず印象に残っている場面が病院とセットなのです。

 それが何か空しいですね。

 あの頃は私としても本当にしんどい時期でして、311の被害に遭われた方とは比べ物にならないとは分かって言いますが、もう本当に苦しい眼に遭っていました。

 また入院した病棟がカオスでしてね。

 中にはマーさんのように今でも仲良くしている方もいらっしゃいます。

 秋ちゃんはあの時まだ病気になって一年も経っていなくて、普段は優しい物静かな方でしたが、一度暴走し出すともう止まらなくなってしまっていました。

 それでも私は人間としての秋ちゃんは好きでしたが。

 車椅子のおばあちゃんは私に優しくしてくれたけれど、それでも結構きつい面も病気の症状として有って、外に婚約者が迎えに来ているんだと言い張って病棟の入り口前から動かないなんて事も有りました。

 私の因縁の相手でも有るKG山は、当時から滅茶苦茶でしたね。

 今思えば本当に酷い事をされました。

 後、何歳かは知りませんが良い歳して餓鬼みたいな態度ばかり取っているヤギさんも私の天敵でした。

 ヤギさん何回か私に突っ掛かって来ましたね。

 しかもその内一回は、私の話を一方的にデマだと決め付けて来て文句を言って来ました。

 そんなヤギさんは今でも病院や薬局で見掛けます。

 はっきり言って凄い態度悪いですよ。

 特に薬局での態度の悪さは異常です。

 お客様だか何だか知らないですが、薬剤師は彼の為に動いてくれているのに、それを全く感謝もせずにただただ一丁前に文句だけ言っています。

 あいつそういう所全然成長して無いなあと思いますね。

 ヤギさんの方は私を認識していないようです。

 それはまあ良い事です。

 あいつとはもう関わりたくないですから。

 そしてボブもまた厄介な奴でした。

 いきなり切れだすんですよね。

 何回怒鳴られた事か分かりません。

 ボブは多分あの病棟で一番症状が重い一人でしたが、誰彼構わず金を毟り取ろうとしたり、急に怒鳴り散らかしたりで。

 ただ良く聞くと、ボブが悪化したのって矢張り震災に原因が有るようなのです。

 こういう時にも震災の影響を受けた患者が見られますね。

 そう言えばマーさんの退院が長引いたのも震災が原因だったと語っていた事が有りました。

 あれでメンタルをやられた方はそんなに少なくはないと思います。

 まあ東京も大混乱だったようですし、そう言えば初めて障害者雇用で働いた職場の同僚も、原発が爆発するんじゃないかと怖かったと言っていました。

 皆多かれ少なかれ何かしらの影響を受けていたようです。

 ヒロちゃんもそう言えば震災でテレビが見られなくなったと言っていましたね。

 それで私ですが、震災が起こって数ヶ月後に漸く少し体調が落ち着いて来て、それで退院してそこから色々知って行った部分が大きいです。

 東北地方に友人はいませんでしたが、それでも結構ショッキングな映像が流れましたからね。

 原発に関しても、私は元々自民党が言っていた安全神話に不信感を持っていましたが矢張りこうなったかという認識でした。

 廃炉って本当に出来るのでしょうか。

 国は責任を取るべきですよね。

 それなのにまだ原発を頼ろうとしています。

 ああいうのを見ていると、喉元過ぎれば熱さを忘れるではないですが、学ぶという事を知らないんだなと思いますね。

 311の津波の問題も本当に深刻だったと思います。

 今でもあの時の映像は眼から離れません。

 何キロにも渡って押し寄せる波。

 家々を巻き込んで濁流となり、押し寄せて来るあれは恐怖以外の何物でも無かったです。

 私には、もうどうしようもない状態で立ち尽くす被災者の気持ちが分かりませんが、暮らしを一気に奪われた絶望感は大きかったと思います。

 後に学院で出会った浄ちゃんと言う友達が気仙沼の方だったのですが、命の水という話をされていました。

 それを弁論大会でお話されていましたが、あれははっきり言って優秀賞を取らせるべきお話でした。

 藍助ややすのりとかとはレベルが違う話だったのに、何で優秀賞を取らせなかったのかが不思議です。

 あれこそ生で震災を体験し、そして水を奪い合うような状態を生き抜いて来た方の生きた証言だったのに。

 そこを学院側が認めなかった事が私は不満でなりません。

 本当に素晴らしい弁論でした。

 あの311で人生が変わった方も大勢いらっしゃいます。

 阪神淡路大震災も相当酷くショッキングな映像が流れていましたが、私は311の東日本大震災も本当に後から思うと何とも言えない感情が有ります。

 最低な話、当時の私は死ぬ事を求める瞬間が有ったので、嗚呼、私も流されてしまえば良かったなあとか思う事も有りました。

 病気ってこうも面倒な物なのですよね。

 本来考えてはならない事まで考えてしまいます。

 でも私が震災について色々考え出すのは東日本大震災が起こってから少し経ってからの事になります。

 それまでは私も自分の病気で精一杯でした。

 なので311当日にそこまで思い入れが無いのが本音の部分になります。

 寧ろその少し後にやっと実感出来るようになる感じです。

 それを私は薄情者だと言われてしまうともう返す言葉が無くなります。

 私の中では東日本大震災は入院時にそれぞれ患者が大混乱をしていた印象ばかりが強いですね。

 何と言いますか、自分の中ではそういうイメージが強いです。

 そして今私は東京にいますが、そろそろ東京にもどでかい震災が来そうですね。

 最近千葉辺りで少し地震が続いています。

 それが予兆なのではないかと思えてなりません。

 日本は地震大国なので、何処に逃げても仕方が無いのですが、私の家では備えが一切無いも同然なので、それもどうにかしたいです。

 色々な震災がこれまでも有りましたが、熊本の益城町の惨状を見たのが唯一実体験に近い物ですね。

 あそこもボロボロでしたから。

 熊本城も私が見た時は結構壊れていました。

 東京も油断出来ないです。

 我が家も何とか備えたいですね。

 避難先とかも考えて置かないと。

 一日一善。

 明日をバーンと信じましょ。

 ドロン。