二人だけが鍵となるだけの力を持つ | Q1999=Q-IIIの奮闘記

二人だけが鍵となるだけの力を持つ

 今日はお休みでした。

 髪を切って来ました。

 さっぱりしましたね。

 またお袋にも会って来ました。

 お袋は比較的調子良さそうに見えました。

 今日は結構喋った方ではないかと思います。

 それと同時に、お袋にも今後の事でソーシャルワーカーから少し話が有ったようです。

 結果から言ってしまえば、病院の派遣型の補助サービスを受けられるようになるかもしれないという事で今話を詰めようとしている所です。

 ただそれを受けられるのが退院してから最大で三ヶ月間までになるそうです。

 私としてはそれが半永久的に続くのならば手放しで喜ぶ事が出来るのですが、三ヶ月間のみなのです。

 でもそのサービスを使えば、病院への付き添いなんかもやって頂けるそうです。

 それは凄く魅力的だと感じています。

 ただ慣れて来た頃に終わりを迎える事になるのが少し気になります。

 まあお袋はその三ヶ月間ですら嫌みたいですが。

 それと同時にそこと連携を取る為にこれまでとは別の訪問看護ステーションを頼る事になるかと思われます。

 病院のソーシャルワーカーの話だとそういう事となっていますが、私の方も独自に動いていて保健師の方の話だと、退院後に作業所に通えるようになると日中の心配事が無くなるのではないかと言われています。

 私としても、勿論お袋を早く退院させてあげたいですが、しかしながらそれで家で何もする事無く過ごすと言うのも不安では有ります。

 生きて行く以上、何かする事が無いとしんどいと思いますし、何より怖いのはこのまま一気に老化が進み、呆けてしまう事となってしまうと今の家では暮らして行けなくなります。

 そういう事を防ぐ為にもお袋には何かやるべき事を作ってやる必要が有ります。

 作業所はそれには打って付けだと思います。

 一応少ないですが報酬も頂けますし、家で何もせずに過ごされるよりかはこちらとしても安心です。

 前に一瞬退院した時なんか、真夏の中冷房も扇風機もつけずにただぼーっとしていましたからね。

 それだと身体的にもしんどいと思いますし、病気ってそういう意欲も奪ってしまう物なのですが、それを奪われたままにすると廃人になってしまいます。

 どうにかそういう失われた機能を取り戻して行く必要が生じて来る物なのです。

 私だってその為にせっせとデイケアに通っていましたから。

 デイケアも誤解の無いように言うと医療の世界の物です。

 そこでは遊んでいるみたいに見られますが、私の通っていたデイケアは就労する為のスキルを身に着ける為のデイケアな面が有って、プレゼンをしたりパソコンを弄ったり籠網をしたりと色々やりました。

 調理もしましたね。

 それは単に楽しいとかつまらないとかでは無く、そうする事でスキルを獲得して行く事が一つ目的に有ったと思います。

 体育もやりましたがそれは基礎体力を獲得する為で有り、私の弟が何を勘違いしたか卓球の時だけデイケアに通うという事をしていましたが、そういう使い方も別に否定はしませんが勿体無いと思います。

 そういう事を繰り返して行く内に、段々に社会性を取り戻して行くのならば良いのだと思いますがね。

 ただお袋はデイケアにも通いたがらないでしょう。

 それは分かります。

 お袋はデイケアも訪問看護もどちらにしても精神医療を馬鹿にしています。

 そんな事をしても自分には関係無いと言いたいようです。

 何かそれもどうかと思いますが、はっきり言って差別の世界です。

 自分が障害者になったと認めて欲しいです。

 それが同じ障害を持つ者としての私からの願いです。

 勿論出来るのならばそういう補助を一切受けなくてもお袋が自立して生活出来るようになれば一番良いのですが、もうお袋はそういう事を出来ると言う社会的信頼を失っています。

 実際退院してもう一度また症状が出てしまった時、それがどういう結果を生むかは分かり切っています。

 今回特にそうだったのですが、こちらが病院に行こうと言っても言う事を聞かず、どうせ病院に行っても治るはずが無いと言うばかりでした。

 そして入院後も電気治療を止めさせろとか、色々妄想も激しくなっていて血中酸素飽和濃度は正常値なのに肺がおかしいとか言い張ったり、今も喉や鼻に何かが有ると言い続けています。

 そういうのを妄想だと認められない内は、誰か第三者のサポートを入れないとやって行けないと思います。

 このままでは正直言うと、お袋は退院させられないなと感じています。

 先ず自分の病気を知って欲しいです。

 そこからスタートしないと、同じ状況になったら同じ事の繰り返しで終わってしまいます。

 矢張り人と言う生き物は過去から何かを学んで行く事が大事だ、眼目だと思うのです。

 私だって散々苦労して来ました。

 自分の病気の事を認めるまでには時間が掛かりました。

 それ故に無謀な事も沢山して来ました。

 でもそこから少しずつ学んで行って同じ轍を踏まないようにして来たつもりです。

 今回も体調を私自身崩してしまいましたが、前回とは少し違う面として矢張りドクターの指示にしっかり従った事が初動処置の面で大きく違うと思います。

 私も病気になり立ての頃はこの症状が病気から出ている訳では無いと信じていました。

 他にも人間関係を破壊する程の妄想に囚われた事も有ります。

 でもそれ等が自分の病気の症状から出て来るのだと知った時、矢張り違う結果を生み出せたと思います。

 今も病気と言う一生抱えないといけない爆弾を持っていますが、しかしだからと言ってそれに振り回される事が良いとは一切思っていませんし、それを自分で止める力を得ようとして来ました。

 お袋には先ず己を疑う事を学んで欲しいです。

 自分だけが特別色々知識が有って何でも判断出来る一種の秀才だと思わないで欲しいです。

 どんな人間にも病気になる種は有ります。

 それはお袋も同じです。

 お袋の場合はそこから芽が出て花が先、しっかりした幹まで出来てしまいました。

 そうなったらそうなったなりの生き方をしないといけません。

 健常者と同じ生き方はもう出来ないのです。

 どれ程頑張っても解決出来ない問題は矢張り出て来てしまう事は仕方が無いです。

 でもだからと言ってそれで諦めてしまうのは別だと思います。

 お袋の場合やり方を変えないといけません。

 それを認められるかどうかに関しては無理してでも頷いて行くしかないです。

 そこで自分の意見ばかり優先しても何にも始まりません。

 お袋は他人の言う事を聞く事を先ず身に着けるべきです。

 自分の判断を疑い、誰か他人を頼る事は必要になって来ます。

 それをどうにか手にして欲しいです。

 取り敢えず、ソーシャルワーカーがお袋と色々話を詰めて行って下さっている事は助かります。

 これでまたお袋も退院後のサポートが一つ付く事となりそうです。

 何か色々言いましたが、少しずつまた動き出しています。

 明日は生活相談施設に行きます。

 そこの方も今回の病院や保健師との話が伝わっているはずなので、上手く連携して行きたいです。

 一番私の話を聞いてくれる機関かもしれません。

 そこに行く予定です。

 早起きしないと。