それから彼は化け物扱いされた。人間は、自分とは明らかに異質なものを恐れ排除すると言う……。
しかし、それは現実に目の前に突き付けられた時、初めて残酷さが分かる事なのだった。
(著書『あの丘を越えて』より抜粋)
ケータイ小説という新しい媒体で築き上げられる旧態依然とした作品集。
溢れるパラドックス。
これは、そんな一人の物書きのオフィシャルブログである。
孤独な騎士が消える瞬間
今日もお休みでした。
小説をちょっと書きました。
ここに来て創作意欲を掻き立てられていて、もうどんどん書いて行きたいと言う思いが生まれて来ていますが、中々思ったように行かないのが現実でして、結構色々な理由で今日も何やかんや、少しは書けましたが、そんな完全に沢山書く事が出来たかと言うとそれは少し怪しい物が有るなと言うように感じています。
書きたい事は沢山有るのですが、それを書く時間が中々も受けられずにいまして、まあそれも自分が悪いのですが、上手いように行きませんでした。
そう言えば、小説の執筆の為のインプットも少ししましたが、それはつまり本を読むと言う事なのですが、それが出来たのは大きいかなと思いました。
また、創作活動を同じようにやっている或る作者さんの作品も一気に読みましたが、何か凄いなと思ってしまいまして、全然私とは違う作品となっていましたから、そこは表現力の差と言いますか、多分完全に実力の差だろうなと言うように思っていますが、私も仮にも大学時代に文章力を褒められた経験の有る人間でして、レポート課題は私にとってご褒美のような物で、かなり楽しんでそれに取り組む事をしていたと言うとても或る種文章を書く事に喜びを見出していましたが、しかしながら今思うと、大学の文芸賞を取る事は結局叶いませんでしたし、色々有りましたが、しかし確かに私の文才を認めてくれたのは、文章法入門の担当の先生と、ゼミの担当の先生の二人だけでしたし、そんなに高く評価を特別受ける事は出来なかったですし、結局はちょっとだけ文章を書く事が好きな俗物でしか無いと言う事でした。
私はもう少し色々と文章力を鍛えて行きたいなと言うように思いますが、結局私は少ししかそれをまともに習う事も出来ませんでしたし、そう言う理由も有ってなのか、私は何時まで経っても所詮趣味の域を越えられないようなへっぽこクリエイターでしか無いと言う事ですよ。
そこから如何言う風に脱して行けるかなとこれまでも色々と考えていましたが、そもそもこう言うのって一種の才能が必要になる事なので、それがそもそも備わっていないと言う事となるのだと何処かで分かっていましたが、それでもそれに抗ってこれまで生きて来ましたが、それもちょっとしんどいかなと思うようになって来ました。
たださ、私だって幼い頃から元々は漫画家志望でやっていましたが、そもそも漫画家になるにはデッサン力があまりにも足りていませんでしたし、そこは鍛えて行こうと頑張りましたが、結局身に着ける事は出来ませんでしたし、それでも書いて行けるだけの内容だけは評価して貰っていましたので、それで漫画原作を書くようになって、それ相応の評価は貰っていましたが、所詮そこまででしか無かったですし、私はそれを超える事が出来ませんでした。
ただ私はそれでも、まあ創作活動の楽しさは感じていましたし、例え漫画原作でも、作品が形になるのは嬉しかったのですよね。
しかし私は結局その漫画原作者としても、所詮は俗物レベルを突破出来る物では無かったのですから、私は或る種の絶望に襲われてしまいましたし、そこから脱する事は中々叶わないようでして、つまりそれは私には創作活動をするだけの才能が無いのだと言う事を表しているのだと言う事が言えて、過去に一度だけ、シナリオ作家協会のシナリオ講座に通った事が有りましたが、その際にも他の受講生達のレベルの高さを痛感していましたし、私に出来る事はそれに只管付いて行こうとするばかりで、まあ私が作る世界観は或る程度認められていましたが、それを表現する力が全く評価される事は無くて、私は設定を考えるまでで終わっているとすら言われていました。
厳しい話をすると、私はそれを全くそれを体得する事が出来ていなかったと言う事となりますし、もっと言ってしまうと所詮私なんか、そこ等にいる単なる俗物の一人でしか無かったのですから、それでも良くあの一年間食らい付いていたなと今ならば自分で自分を褒める事が出来ると思います。
実際一番作品数を提出していたのは、あの時のあのクラスの中では私独りでしたし、後にコユキちゃんが加わって、二人でただどんどんと作品を競うようにクリアーすると言う状態になっていましたが、それでもまあ全然才能は開花しませんでしたね。
或る意味先生達にとって呆れている存在だったのでは無いかと今になると思うのですが、それでも私をちゃんと面倒を見てくれて、それで一人前のクリエイターになるように無理を通して下さった先生方には今でも感謝してもし切れませんし、それに答える事が出来無かった事が、今でもとても悔やまれる事となります。
まあ私は本当に単なる俗物で、今までも創作活動は続けて来ましたが、それでも全然鳴かず飛ばずで、このまま頑張ってやって行っても、余程の事が無い限り、私の作品なんか評価される事は無いのだろうなと思います。
しかしながらそれでも私は書き続けるつもりでいまして、それは何処までも頑張って行く事をここに誓おうと思いますが、しかし本当に才能が溢れている方は、例えそれがプロの世界では通じないとしても、それでも一種売れていると言うか読まれている作者さんもいらして、それは本当に私からすれば羨ましい事だなと言うように感じます。
私もそこまで追い付ければ良いなと思いますが、それは叶うのでしょうかね。
まあ信じる事をしないと、全然それも叶わないだろうなとも分かっています。
それは私の作品のテーマでも有って、自分の可能性を見捨てない事が一種ここ最近の私の作品に共通する物と言っても良いかもしれないと思います。
自分で自分に絶望をしないって難しいのですが、それでも私は頑張ってやって行こうと思います。
或る意味私の作者としてのスタンスなのですが、これはヨーダの教えでも有りますね。
「やるか、やらぬかだ、やってみるは無い」のです。
それを私の一種の座右の銘としています。
うん、頑張ろう。
明日もお休みです。
執筆活動がまた出来れば良いかなと思います。
やれるだけやってみようかなと考えています。
そうですね、出来るだけ頑張って今書いている作品にエンドマークを付けられるまでは頑張りたいなと思っています。
まだまだ先は長い予定なのですがね。
気張って行きます。
一日一善。
明日をバーンと信じましょ。
ドロン。
それが僕の背負うべき罪か
新年明けましたね、本年も宜しくお願い申し上げます。
私は今日、伯父のお寺に行きました。
いとこの子ども達にお年玉を渡したり、一緒に遊んだり、まあ楽しかったのですが、ちょっとエネルギー切れな感じもしなくもないです。
それと、色々と門徒さん達と挨拶をしまして、皆、昨年は大変だったね、と伯母の事で言って来るのを何だか他人事のように効いている自分がいました。
ちょっとそれが嫌だったなと思っていて、確実に伯母を失ったダメージから回復するに連れて伯母の事を忘れようとしている自分がいるような気がしてならないのですよね。
そんな自分に少しばかりハッとさせられてしまいまして、何か人間の痛みと言うのは長続きする物とそうでは無い物が有るんだなと言うのを知らされました。
今思えば、妹が死んだ時は、私は残念な事に悲しむ余裕が無くて、それは家族の誰もがろくに機能しなかったからなのですが、親父は端から頼りにならないし、きょうだい達もそれぞれの理由でこいつ等に任せては駄目だと思ってしまうような一面が有って、それで私が一手に全てを引き受けて色々やった結果、私自身が痛みと向き合う時間を設ける事が出来ず、ただもやもやしたまま気付けば四十九日だ、気付けば一周忌だと過ぎて行ってしまって、そう言う感じだったので、妹の事はそもそも悲しむ余裕が無かったですし、またこう言う事を言うと多分弟なんかは無茶苦茶怒って来るのかもしれませんが、私は妹に関しては、家の中を散々引っ掻き回して好き放題した挙句、私達の事を一切顧みずに勝手に死んで逝ったと言う自分勝手の極みをやったと言うそう言う怒りの感情を持って今見ているので、勿論妹を亡くした喪失感も有りますが、それを超えて何で好き放題生きて好きなように振舞って、最期まで自分の勝手だけで決めて行くのかと言うそう言う苛々も感じていて、悪いですが妹が死んだ事で私のお袋は大打撃を受けましたし、他にも私も色々と後処理で大忙しになって精神的な負荷が半端では無くなったので、それを思うに妹が勝手に死んだ事で私は散々不利益を被って、悪いですが迷惑極まりないなと思うような感情も同時に持っていて、それも有って、思って以上に凹まなかったと言いますか、案外普通に怒りの感情が勝っていたんですよね。
それを一種悲しみの段階の一つとして受け止められるとか本とか読んで知っていましたが、未だに怒りの感情は消えないで、もう本当に今ですらまだ妹の事が許せなくて、まあ勿論哀れだとは思いますが、しかし決して許して良いとも思えませんので、伯母の死と妹の死は一種同一線上に扱えない物となっております。
また妹は亡くなる前に、あれは多分病気だったのだろうと思うのですが、私が悪口を言っているとか言って来ていて、他にも吐くまで毎日酒浸りになっていて、私はこれも悪いですが、妹が死んだ時にホッとしたと言う感覚も有りましたし、それを自分の罪だと一時期考えていましたが、今ならばそれも仕方が無い事だろうなと言うようにも思っていて、何しろ妹があのまま生きていても多分病院に行くとかはしなかったでしょうし、妹に攻撃を受けながらその吐瀉物の処理をするのは私と言う歪な関係が続いたのだろうなとも思っていて、そこからは如何にか脱せたので、私としては一応の解放感も同時に持つ事となっていたのですが、それを誰が責める事が出来るだろうかとも思っています。
グリーフサポートとかも受けましたが、多くの場合悲しみの共有は確かにするのですが、この怒りの共有とか、解放感の共有とかは中々出来無くて、それが一個私の中で悩みになっていましたし。
まあ私自身がかなりイレギュラーな状態なのか、他の皆も似たような物を持っていながらもそれを隠して生きているのか、そこは良く分かりませんが、私はもう妹の死を真正面から悲しむ事は無いんだろうなとは思っていますし、それを何か悪い事だと言う人がいれば、それは私に謂わせれば、じゃああんた代わって見ろよ、と言う話になってしまいますし、私はもう少しそこに寄り添ってくれる存在に出会えなかった事は大きいなと思っていて、自分の中ではこんな事を思ってはならないと思うのですが、皆死者の事を悲しむだけの一種の心のゆとりが有って良いねと思ってしまっていました。
ただ、伯母に関しては昔から身体の弱かった私を気遣ってくれていましたし、何より伯母は誰に対しても優しい方だったので、私は伯母の事をとても好いていたので、それがあんな風に一気に弱って行って、それで亡くなってしまったんだと思うと、矢張り胸にぽっかりと穴が空いた気分になります。
似たような経験はじいちゃんを失った時にも有りまして、あの時はじいちゃんの亡骸を荼毘に臥すのに物凄く抵抗を感じていたのですが、ただじいちゃんと伯母には大きな違いが有って、じいちゃんは私を出汁にして九州の伯母に意地悪をするような真似をしたりして、それはそれで伯母が辛そうにしているのを私も傷付いてしまいましたし、他にも和歌山の祖母の事を擁護するような発言をした事も矢張り私の中では違和感が強くて、良くも悪くもじいちゃんの人間的に間違っている部分が良く見えていたので、それ故これも言い方を選ばずに言えば、人間の死として受け止められたのです。
ただ、伯母はそう言う意味では、隙の無い優しい人間で、私だけでなくお袋もきょうだい達も皆伯母の世話になっていたはずなのに、それを何と言いますか、亡くなるまでに礼の一つも言えない私の周囲の人間には本当にがっかりしましたし、あんなに皆に優しく接していた伯母ですら死んでしまったらこんな雑な扱いになるのかと思うとショックを禁じ得ません。
そう言う意味で一種のトラウマを私に与えたのが伯母だったと言う事となります。
だからこそ私は伯母の生きて来た証をこの記憶に宿して、それで伯母を記憶の中で永遠に生かし続けて行きたいと思っていたのですが、これが人間とは不便な生き物で結構抜け落ちている部分が多いのです。
つまりそれでこそ今日は自分の冷たさを良く知りました。
結局私は何かを悲しむ事がそもそも出来無い人間なのかもしれないとすら思うようになってしまいました。
まあそんな年始でした。
人は一度の死で終わる物では無く、第二の死や第三の死が有るとか言う話は良く有りますが、まさにそれを感じています。
私が私の中で伯母を殺さないように生きて行きたいですね。
今日はそんな感じでした。
ちびっ子達と遊び過ぎてもうへとへとになりました。
明日もお休みです。
執筆活動が出来れば良いなと思っています。
一日一善。
明日をバーンと信じましょ。
ドロン。
君に会えて、僕は初めて幸せと言う物が分かったんだ
今日は大晦日でしたね。
比較的満足出来る大晦日でした。
振り返るとこの一年間、色々な事が有りましたね。
私は元来ネガティブな性格と言いますか、思考回路を持っておりますので、そんな良い一年間だったとはとても言えませんが、我慢に我慢を重ねた結果、得られた物が全く無かったと言う訳でも無くて、そこはちょっと良かったかなと思っていて、結構そう言うのが報われた一面が有った一年間だったかなと言うように思っていて、まあでも転職活動は全然上手く行っていませんが、今の会社が少し態度を改めつつ有るので、それは素直に良かったと言える部分で有って、私も何も完全に見捨てられた訳では無いと言いますか、散々仕事をするだけしてそれで要らないとなる訳では無いのが良かったかなと思っていますし、寧ろ私を欲しがってくれているのは嬉しいなと思っていて、しかももっと言うとそれが清掃作業員としてだけでは無く、他の一面でも私を求める部分が有ると言うのはちゃんと私の価値を見てくれている所は見てくれているのだなと思いますし、ただそれだけでも意味は有ったなと言うように思いますね。
まあそんな一年間だったかなと言うように思っていて、ただ身体の痛みとか精神的な部分とかでは結構しんどい面も有りましたし、そこはちょっと反省点かなとも思います。
そう言えば全く話は変わりますが、小野田紀美、如何にかならないのかと思っていて、まあ私もアニメ好きでアヤナミストを自称している部分が有るので、彼女と同じようにオタクは皆あんな滅茶苦茶な右翼だと思われるのが凄く不満で堪りませんし、と言うよりそう言うアニメ好きな仲間達が挙って小野田大臣を支援しようとしているのが信じられないと思いますし、何か彼女が『ヘタリア』が如何とか言ったようで、私の世代ってまんま『ヘタリア』を読んでオタクに走った人が多い世代なので、それも有って“親近感が湧く”とか言って、もう馬鹿なんじゃ無いかなと思っていて、私の場合、『新世紀エヴァンゲリオン』が好きだからとか『機動戦士ガンダム』が好きだからって、それが政治家を応援する理由になるはずが無いだろうと思うんですよね。
何と言うか、今年一番の悪いニュースは、私の中では高市政権の誕生だと言えるかなと思っていて、台湾の問題で中国に喧嘩を売った事もそうですし、OTC類似薬の事もそうですし、もっと言ってしまうと石破が米の増産指示を出したのにそれを撤廃した事も如何かなと思っていますし、あのトランプの横でぴょんぴょん跳ねているのも何処であんな態度を取っているのか改めて見ると情けないなと思いますし、対外国人の動きも酷い物だと思っていて、何か安倍晋三ももう本当に酷い首相でしたが、それに負けずとも劣らずと言うのが私の抱いている感覚でして、結局統一教会の問題も全く不問にされているように思えてなりませんし、何かスパイ防止法を如何とか言っていますが、結局治安維持法を復活させたいだけなのでは無いかと思っていますし、クラウドワークスの問題もそうですがあんな印象操作を図っているのが情けないですし、何より彼女は本来議員を辞めていないといけない立場――しかもそれは自分で言い出した事ですよ――なのに今ものうのうと政治家やっていて、挙句の果てには総理大臣なんかやっていて、もう自分の発言に責任が持てない人物なのだなと思っていて、私は全く、石破以上に支持出来ません。
何より自民党政治をいい加減に終わらせたいと思うのですが、野党も野党で、立憲民主党は素晴らしい議員も中にはいますが、野田佳彦も枝野幸男も何であんながっかりさせる事しか言わないのでしょうかと思いますし、結局そう言う理由も有って私は立憲民主党を支持出来ません。
また、野党の振りをした与党補完勢力で有る国民民主党はもう本当に何がしたいのか分からないですし、大体あいつ等も結局統一教会系の議員である玉木雄一郎が率いている部分でもう終わっています。
他にも参政党とか言うもう本当に存在してはいけないレベルでの酷さを誇る政党まで有って、更にそれがそれ相応の支持率を誇っていると言う所がもうがっかりしますし、悪いですがこう言う言い方はあまりしたく無かったのですが、日本人の醜い部分が全部集結したような政党だと私は参政党を評していて、あんなのナチスと変わらないじゃないかと思っていて、それを支持する人もかなり危険人物として見ています。
でも私の周りにも結構そう言う政党の支持者が多くて、悪いですがそう言う人ってもうネトウヨと呼んで良いと思うレベルでして、これは誤解して貰ったら困るのですが、私はネトウヨと右翼は違うと思っていて、本当に誇りの有る右翼ならば、自民党を支持するはずは無いと思いますし、かと言って参政党も支持するはずが無いと思っていますが、ネトウヨと本当の右翼の違いとしては、右翼はきっと統一教会なんか許すはずが無いと思うのですが、ネトウヨの皆さんはただ耳障りの良い事、ちょっと勇ましい事と言っているだけで、それで統一教会なんか不問にしてしまって、それで彼等が反外国人政策を取ろうと言うと、その一面だけでそれでそれを支持して正しいと言ってしまうのですからもう手が付けられません。
大体ネトウヨの皆さんは右翼の皆さんとはちょっと違うと思う別の点として、今の自民党界隈はもう天皇を大事にしていませんよと言う事が癒えるのですがそれに対して全く疑問を感じないのでしょう。
それって本当に良いのですかね。
そう言う所をちゃんと考えた上で支持していると言うのならばまだ私も納得出来ますが、それは有り得るのでしょうか。
そこはもっと真剣に考えた方が良いですよ。
事実私の知り合いで、右翼の方でバリバリの天皇信奉者がいるのですが、その方は自民党には期待出来無いと言って見限っていますし(とは言え、白票を入れると言っていたのでそれはそれで如何かなと思うのですが)そう言う意味でも誇り高い本物の右翼の方が今のこの世の中滅びてしまったのかなと言うようにも感じます。
て言うかさ、小野田紀美の話に戻りますが、アニメが好きだとか言っているネトウヨの皆さんは、例えば“孫悟空”と言う名の中国の『西遊記』をモデルにしたキャラクターがバリバリ活躍するアニメを見ても、あれは中国製だとか言って批判するんですかね。
そう言う所を冷静に考えただけで既に色々破綻していると分かると思うんですよ。
何かつまらない世の中になりましたね。
私はもううんざりしています。
因みにですが、こういう発言をすると必ず、ならば日本から出て行けばと言う事を言って来る人が少なからず出て来るのですが、私は日本が好きな事は変わりは有りません。
愛国心は有ります。
でもその矛先を間違えないで行きたいと思っているだけなのです。
そこはお間違えの無きように。
何か今年は本当に政治に絶望した一年間だったかな。
石破茂も私はそこまで滅茶苦茶好きな訳では無かったですが、相対的に見ると高市早苗なんかよりもずっと理性的な人だったなと思います。
まあ自民党の中では良心的な方だったかもしれませんが、私は腐っても自民党だと思っています。
結局一度自民党を下野させたいなと思うのですが、はっきり言って日本人にそこまでの力が有るとは思えません。
折角少数与党に持ち込めたのにこの体たらくですからね。
取り敢えず来年も高市政権が続くんですからそう思うと未来は暗いなと思ってしまいます。
もう結構深刻にしんどいですね。
嫌な国民性が今丸出しになっているので、それをもう隠そうともしなくなって来ていて、まさに戦前に戻りつつ有るなと言うように感じています。
取り敢えず私は今の世の中の動きに逆行して行こうと思っています。
それが私の政治的なスタンスですね。
明日は伯父の寺に行く予定です。
いとこの子ども達にお年玉をあげるつもりです。
ボーナスが出て本当に良かったよ。
一日一善。
明日をバーンと信じましょ。
ドロン。