Q1999=Q-IIIの奮闘記 -5ページ目

私の故郷はラボなのです

 今日もお休みでした。

 珍しくお袋が調子良さげでした。

 多分躁鬱の躁とは違うと思います。

 久々に表情を取り戻していたなあ。

 ちょっと酷い事を言われましたがね。

 まあでもそういう所も元気だった頃のお袋っぽいです。

 この調子が長く続いてくれれば良いのですが、それを望むのは贅沢と言う物だろうなあと私でも何となく薄々感じる事が出来ますね。

 勿論それは言うまでも無く、お袋が今日のようなレベルで毎日を過ごしてくれていれば、私としても安心出来ますし、それはそれで嬉しいですよ。

 でも高望みをしては、後々がっかりするのは私ですし、またお袋に体調が悪い事がイコールで悪で有るとも考えて欲しく無いので、あくまでもお袋のペースに合わせる事とします。

 まあでも、ほんのちょっとですが、私も安心出来る一日だったと思います。

 何と言いますか、独特の緊張が有ったんです。

 お袋がもう少し自分の病気の事を知って、それで余計な事を考えずただただ治療にエネルギーを使ってくれれば良かったのですが、そういう感じでも無くお袋はずっと自分の内に閉じ籠ってしまっていて、表情も暗く、それで有りながらも何を考えているのかが全く分からない状態がずっと続いていました。

 それが今日に限っては解消された感じがしましたね。

 勿論完全復活と言う訳では有りません。

 でもここ数ヶ月で一番調子が良かった日では無いでしょうか。

 まあね、これが長続きしてくれれば言う事無しなのですが、それまでは望んではならない気がします。

 あくまでも今日一日だけの復調っぷりでしょう。

 それは分かって置いた方が私の身の為にもなると思います。

 あくまでも一日限定の物であると思う事とします。

 珍しく元気だったお袋ですが、車に乗りたいと言った時はさすがに制止しました。

 今日は偶々一日丸々元気でしたが、出先で体調崩してしまえば帰って来られなくなってしまいますので、さすがにそれは不安だと止めて置きました。

 でも何時かまたお袋に車の運転を許せる日が来ると良いなと思います。

 今は色々な面で心配になる事が多いです。

 まあ取り敢えず、お袋が少し元気になってくれたのは良かったです。

 日中もここまでまともに活動したの久々では無いでしょうか。

 まあ活動と言ってもテレビを見たり塗り絵をしたりですがね。

 それでも私の中ではお袋と言うと直ぐに自室に籠って寝て過ごす事が多い印象だったので、そこは少しでも良いので部屋から出ようと思ってくれただけで万々歳です。

 言うまでも無くこのままの調子を保ててくれていれば言う事無しなのですが、それを望む事自体がお袋にとってプレッシャーとなるかと思うので、出来るだけ自然体で過ごしました。

 お袋が出来る事ならば頑張る事無く、自然に今日のような状態をキープ出来るようになってくれれば、もう何も言う事無しになります。

 でもそれを期待し過ぎる事はしないようにします。

 精神疾患は二歩進んで一歩下がるなんか常道なのです。

 それでも微々たる物ですが前に進んでいると感じられればそれで救われる物なのです。

 私はそう思いますね。

 そんな急激にパッと良くなるなんか有り得ないでしょうし、若しもそうなったらその人の事を疑って見て仕舞う事となると思います。

 つまりそれは本当に治ったのかどうか、まだ何処かで痩せ我慢をしているのではないか、もう一度体調を崩すのではないかという点ですね。

 そんな簡単に良くなる病気では無いのです。

 それは分かって頂きたいです。

 多分同じように闘病中の家族をお持ちの方ならば良くお分かりになるかと思われます。

 そんな簡単な事では無いのです。

 そしてそれ故に私達が誤解される原因になるのでしょう。

 偶に調子が良い日が有るから、それで逆に体調を崩す日が出て来ても、まるでサボっているかどうかのように考えられてしまいます。

 それを私は皆さんに理解して頂きたいですね。

 私もついついお袋の態度に煮え切らない物を感じてしまいます。

 特にお袋は、何度も言うように治そうという意思が感じられません。

 それは大問題だと言えます。

 矢張り、治して行くには強靭な意思が必要になります。

 それをお袋には持って欲しいですね。

 結局そういう事が必要になるのです。

 今日は偶々調子が良かったでは終わらせたくないですね。

 ここを足掛かりにして、このままお袋が病気に立ち向かって行くようになる事を願うばかりです。

 それを私は望みます。

 お袋も今日の調子の良さは或る程度快として感じて欲しいです。

 それが有れば当然ながら、また今日のようになりたいと思ってくれると思いますし、そこに向けてどういう布石をして行けば良いかとか考えると思うのです。

 なので今日一日だけで終わらせて欲しくはないですね。

 私は決してお袋がそれで治療に前向きになった訳では無い事を分かっているつもりです。

 お袋は今日偶々調子が良いと言う事で、ただそれだけしか考えていないようですが、私は先も見て行って欲しいのです。

 特にお袋はもう誰にも助けて貰えないのです。

 自力で今後生きて行く為にも病気に向き合う事は考えて行かないと行けません。

 お袋はそれをいい加減に認めて行って貰いたいです。

 実際誰も助けを出してくれません。

 お袋は最後は私に頼れば良いと思っているようですが、それも私にすれば困った話になります。

 私でも出来る事は限られています。

 だから出来れば、お袋には自立して貰いたいのです。

 それを願っています。

 お袋簡単に訪問看護やら病院のアウトリーチサービスやらをキャンセルしようとして来ます。

 それもどうかと思います。

 何か考えが有ってそうしているとは思えません。

 気紛れでキャンセルしているようです。

 そういう事をしているから私も安心出来ないのです。

 兎に角自立して欲しいです。

 自分で何とか生き延びて行く方法を考え出して欲しいのです。

 しかしながら調子の良かった今日ですら、お袋は相変わらず変わる気が無い事を明らかにするばかりになってしまいました。

 そういう所を改善して行って貰いたいのが正直な所です。

 私は生活相談施設とも話をしていますが、何れこの家から出て行きたいと願っています。

 そうなるとお袋は独りで暮らして行かないと行けなくなります。

 その際に今のままでは困るのです。

 なので、厳しいようですが、お袋には自分の事を自分で解決出来るようになって貰わないと困ります。

 例えば病院に自主的に行く、例えば薬を言われなくとも飲む、例えば支援機関と繋がって行く、そういう態度が一つ一つ大事になって行くのです。

 その事をお袋理解して貰いたいですね。

 それが私の細やかな願いです。

 さて、明日は健康診断です。

 腹囲の事を言われるんだろうなあ。

 何か覚悟していよう。

 一日一善。

 明日をバーンと信じましょ。

 ドロン。

馬車に揺られて進むは荒野

 今日もお休みでした。

 でもあんまり気持ちは休まらなかったな。

 お袋が全然でして、中々こちらがリラックス出来る状態では無かったです。

 まあ仕方が無い、こんな日も有るさ。

 しかし私の身が持ちません。

 毎日毎日疲れます。

 お袋がとても生きる事に前向きだとは思えません。

 それも良く無いです。

 何とかそこの意欲のような物を取り戻して貰わないと弱いですね。

 意地でも生きてやろうという意識が無いのです。

 もう下手したら自分が死んでも構わないと思っているんじゃないでしょうか。

 それが本当に見ているだけでしんどいですね。

 まあお袋の本心の部分は分かりませんよ。

 或いはお袋なりに頑張って生きようとしているのかもしれません。

 でも見ているこちらとしては非情にしんどいと言うか辛いと言うか、もっと本当は生き生きと生きていて貰いたいのですが、そういうエネルギーはもうお袋には残されていません。

 それは分かっているつもりですが、しかし矢張り関わっている側の人間としてはとっても苦しいのです。

 せめて感情がもっと復活してくれれば話は変わって来るのですが、それも無いのです。

 お袋は能面を被ったかのように何時も同じ表情をしています。

 楽しいとか悲しいとかしんどいとかそういうのを表に出しません。

 それがお袋の中で一番変わってしまった所でしょう。

 嘗てのお袋は感情豊かで、何でも顔に出てしまうタイプでした。

 それが今は全く反応が無いのです。

 真逆になってしまいました。

 あれ程好きだった卓球にもあまり興味を示しませんし。

 一応オリンピックで卓球は見ていたようですが、それも無表情のままです。

 あまりその事も話したがりません。

 そういうのを見るのが私としても苦しい所です。

 もう少し感情を取り戻して欲しいです。 

 それが私の細やかな願いです。

 お袋は一体何を考えているのでしょうか。

 毎日毎日時間を過ごす中で、何か思う所は有るのでしょうか。

 そういうのが全く見えません。

 だから或る意味不気味なのです。

 感情を失ってしまった存在になっています。

 これも病気の症状だろうと思いますが、しかしながらそれでも頭では理解していても実際それを目の当たりにした時の狼狽までは隠せません。

 病気はお袋から多くの物を奪って行きました。

 感情もそうですし、趣味もそうです。

 そういう物を本当は取り返して行って貰いたいのですが、それは望み過ぎなのかもしれません。

 でもこの先生きて行くとして今のままでそれで良いとは思えません。

 お袋のこの先がどれだけ残されているのかは正直言うと分かりません。

 でもこのまま脱力しただけの老人になってしまうのは避けたいのです。

 何か変わってくれる切っ掛けが有ると嬉しいのですが、そういう物は今の所期待出来そうに無いのが本当に苦しい所です。

 お袋に関しては、もう卓球やドライブや旅行を諦めて新しい趣味を探す方が良いのかもしれません。

 最近は塗り絵に少し興味を持ったり、デイケアでやっている書道がそれなりに楽しいようですが、それも病院からの報告であるので私の前ではただただ無力な精神障害者になってしまっています。

 私はそれでもお袋が良いと言うのならば、幸せならば良いと思いますが、とてもそんな風には見えません。

 もう少しでも良いのでお袋に幸せになって貰いたいという思いが私には有りますが、それも叶うかどうか分かりません。

 息子として出来る事は色々やって来たつもりですが、それも本当に良いのかどうかが良く見えません。

 このままお袋が若しもぱたりと死んでしまったとすると、お袋の人生は一体何だったのかと思ってしまいます。

 子どもの為に働き過ぎて、最期はろくに誰にも助けを受けずに死んで逝ってしまうのでしょうか。

 それは悲し過ぎますよ。

 私はお袋に関しては複雑な思いが有ります。

 矢張り親父の暴力から私を守ってくれなかった事は一つ心の底に怒りとしてこびり付いてしまっています。

 しかし、病気になった私を一番近くで支えてくれたのもお袋なのです。

 あんな皆が見捨てた私を拾ってくれたのがお袋だけでした。

 あの時私は多くを失いました。

 友達にも捨てられ、色々な所から梯子を外されて、もう生きて行く事だけでも難しい状態になってしまいましたからね。

 そんな時に私を唯一助けてくれたのがお袋だったと言えます。

 その後、私がここまで持ち直したのも、お袋がしっかり私を支えてくれたお陰だと思います。

 だからお袋には恨む気持ちと感謝の気持ちが混在して有ります。

 でも、お袋が病気になって、その大元の原因を作った妹が自殺して、それでもうお袋を支えられる人間が本当に私一人になろうとしている中、私までダウンしたら何も意味は無いでしょう。

 それだけは気を付けています。

 ただ、私への精神的負担はかなり大きい物が有ります。

 お袋は別に私を苦しめたいとかは考えていないと思います。

 でもその言動は中々しんどい物が有ります。

 このままお袋は私にべったり凭れ掛かって過ごして行くのでしょうか。

 それは私としても支え切れません。

 私だって若しも赦しが有るのならばお袋から解放されたいという思いが有ります。

 それは当然本来倫理的には考えてはならない自分本位の意見なのだろうと分かっています。

 でも私には私のやりたい事や将来や夢が有ります。

 それを果たす為にはお袋の存在は枷になってしまいます。

 本当はこんな事思いたくも無いのですが、お袋さえどうにかなっていればと言う場面は幾つか有りました。

 生活相談施設なんかに言うと、それは私の人生を優先するべきだと言います。

 確かにそう有りたいという思いは有ります。

 お袋の事から解放されて、私も自分の生き方をこれから考えて行っても良いのではないかと思う場面が有ります。

 しかし、今はそう考える事に罪悪感が有ります。

 生活相談施設はどんどんと気持ちを整理して行って、それで段々にお袋から私も離れて行く方が私の人生を豊かにすると言う意味でも良いだろうと言います。

 そこに向けるのは中々覚悟が要りますね。

 私、何か多くを手放したいのですが、それを出来ないのです。

 難しいです。

 まあどの道今の仕事が今後どうなるかも分かりませんし、お袋が例えば――有り得ないとは思いますが――調子を持ち直してくれる可能性も有りますよね。

 そういう諸々の条件が重なって、それで私はこの先を決めて行きたいです。

 生活相談施設とも話を詰めて行きたいと思います。

 さて、明日もお休みです。

 連休って嬉しいな。

 明後日は健康診断になります。

 体重も増えたしお腹周りも大きくなったし、中々上手く行きませんが、取り敢えず受けるだけ受けたいと思います。

 バリウム検査が本当に嫌なのですが、やるしかないですよね。

 腹を括ろう。

 一日一善。

 明日をバーンと信じましょ。

 ドロン。

勇者達ですら彼一人には劣る

 今日はお休みでした。

 散髪に行きました。

 すっきりしましたが、頭皮のコンディションが良く無いと言われました。

 実際髪の毛もだいぶ薄くなってしまいましたし、これも暑さの所為です。

 しかし、一応それでもまともそうに見える髪型にして貰いました。

 百合さん、有難うございます。

 頭がお陰でスースーします。

 スースーと言えば、親戚の子が得度しました。

 丸坊主なっています。

 得度とはつまり坊さんになる事です。

 うちの宗派では九歳から得度出来るというシステムになっていますが、実は私はこれが気に食いません。

 九歳で得度って、色々宗教的信仰心を抱いてそれで坊さんになろうと意識している訳では無いでしょう。

 まあ良くって親やジジババが喜ぶと言う動機で得度する子が多いと思います。

 因みに私は二十歳になる年に得度しました。

 私の親戚にも坊さんは多いですが、私には何処かの寺を継ぐ権利が有る訳では無いです。

 なので得度してもあまり意味が無いと言うのが事実です。

 それでも私は恵機先生みたいになりたいと思い得度した訳です。

 結局得度しても何も生かせなかった人生だと言っても良いかもしれませんが、それでも後悔はしていません。

 読経も下手糞ですし、膝や足首の怪我の関係で正座も出来ない、おまけに統合失調症の症状が強く出ていた頃は、お勤めに参加する事すら出来ませんでした。

 あまり得度してから宗門界隈で良い事に巡り合えたという訳でも無いです。

 まあ恵機先生のお寺に行ったり学院に行ったりそう言う楽しい事は有りましたが、修練では本当に酷い眼に遭いましたし、何よりもう私に宗門的価値が全く無いのが寂しい所です。

 その親戚の子は、得度してどうなるんだろう。

 跡継ぎ候補になるのかなあ。

 お母さんも一緒に得度したんですよね。

 まあ最悪あそこは生まれが良いので貰い手はいっぱい有るでしょう。

 私はもう宗門で何か動こうと言う気になれません。

 それは矢張り妹を失った事やお袋が病気になった事が大きいです。

 妹は完全に勘違いをしていた人間なので、あまりこの手の話題では同情出来無いのですが、お袋に関しては本当に酷いと思います。

 仮に一つの寺の職員として働いたのに、苛めやパワハラやモラハラに遭って結果統合失調症になっています。

 それに対する謝罪の言葉すら無いのです。

 本当に酷いと思います。

 あのお寺に関してはうちの宗門の中で最もレベルの低い寺だと思うようにしています。

 と言うか許せません。

 凄い寺なんですよ、何しろ地下鉄に広告が載っている寺なので。

 しかしそんな物に騙されません。

 あそこは最悪な寺です。

 訴えれば勝てるのではないかと思います。

 本当にレベルが低い寺でした。

 他にも寺関係では結構嫌な眼に私は遭って来ています。

 妹の事もそれは同情は出来ませんが、彼女を弄んだ相手が今ものうのうとして住職を続けられるような立ち位置にいる事が許せません。

 あの男、私におべっかを使って来たんです。

 それで許されると思っているのが信じられませんね。

 本当にちっちゃいしょうもない男でした。

 他にも嫌な奴に結構会って来ました。

 またそれ以前に今の宗門の有り方自体が信じられません。

 金の使い方も酷いですし、それに加えて何という風通しの悪さ。

 もうちょっとそういう所を考え直した方が良いと思います。

 後、坊主や寺に位を設けるの止めたら良いのに。

 何かそう言う変な所が残っているのです。

 他にも寺と言う場を何か色々勘違いしているような寺院はよく見掛けます。

 まあもう私程度の人間が何を言っても無駄でしょうが、それでもかなりがっくり来ます。

 結果私の心は宗門から離れつつ有ります。

 それでも勉強会に出たりはしていますが、それが唯一の宗門との関りになります。

 親戚の子が大人になった時、このうちの宗派がどうなっているかは分かりませんが、しかし私はあまり期待出来ないなと思ってしまいます。

 私の所属する宗派は一度組織を見直して解体しても良いのではないかとすら思います。

 しかしそう言う事を言うと、私はまるで宗門を裏切ったり破壊したりするような危険人物だと見られてしまうのが本当に悲しい事です。

 何しろ私なりに考えての発言のつもりなので。

 それを真っ向から向かい合ってくれないのは本当に辛いですね。

 宗門だって間違いは犯しますよ。

 高木顕明の事なんか良い例ですし、ハンセン病問題も未だに宗門の中に彼等に対し差別的な事を言う人が普通にいるのがびっくりします。

 あの女の人、今どうなっているんでしょうか。

 他にも私の母校の代表者みたいな顔をしている女性がいらっしゃるのですが、その方の事は私は認められません。

 無茶苦茶な事を言って人を傷付ける事が平気な人なので、そいつをまるで卒業生代表のように扱うのはきっと宗門の人間の層が薄くなってしまっているのだろうと思います。

 他にも色々問題の有る奴が普通に住職になっている点からして、宗門に失望しています。

 と言うか、世襲制を止めた方が良いですよ。

 それが無いと消えてしまう教えならばそれまでなのです。

 世襲制なんて物が有るから志の有る在家の者は蔑まれ、地位や立場だけ確立された奴がふんぞり返って住職になっているのです。

 これは在家の僻みだと言われそうですが、そんな物です。

 私は宗門に対しそういう所は改めて貰いたいなと思います。

 勿論中には人間的に素晴らしい方もいらっしゃいます。

 それは零では無いです。

 先程から述べている恵機先生や浩先生、小夜子先生なんかは私にとって一種の師匠的な立ち位置になります。

 そういう素晴らしい方もいるにはいるのですが、それでも実際与えられた立場や地位に対し驕り高ぶっている奴はいっぱいいます。

 そういうのをどうにかして欲しいです。

 私はお寺関係の嫌な面を沢山見てしまいました。

 それも有ってもう戻る事は出来ないかもしれません。

 勿論全く今後関わらなくなるかと言えばそれは分かりませんが、しかしながら私はあまり積極的に関わりたいという思いにはなれません。

 あくまでも在野の人間として宗門を見守って行きたいです。

 さて、明日もお休みです。

 ゆっくり過ごせるかなあ。

 ちょっとお袋が不穏気味なので。

 最近の地震の所為でお袋のメンタルに波が生まれています。

 私もしんどいです。

 頑張ります。

 一日一善。

 明日をバーンと信じましょ。

 ドロン。