今日歩いていて思ったんです。

 

幸せな人って存在しているだけで善だし、

不幸な人は存在しているだけで悪。

 

 

ここで言う不幸とは、

幸せになろうと努力をしないで

不幸にどっぷりつかって

自分を哀れんでいる人、

という意味です。

 

なぜそういう不幸な人が

存在しているだけで悪なのかと言えば、

私たちの幸不幸の状態は、

周りの人に少なからず

影響を与えているからです。

 

 

今は大変な人生でも、

幸せになろうと懸命に生きている人は

もちろん悪ではありません。

 

 

 

 

 

目があっただけで

明るい気持ちになるような人も

歩いていれば、

目があっただけで、

邪悪なものを感じる人もいる。

 

明るい気持ちになるような

エネルギーを出している人が

通り過ぎると、

 

なんだかわからないけれど

周りの人も明るい気持ちになったり、

楽しくなったりします。

 

反対に邪悪なものが出ている人が 

通り過ぎると、

周りの人たちは汚染されます。

 

 

 

 

 

今から12年前だったでしょうか。

こんなことがありました。

 

当時私は、道を歩いてるだけで

前を歩いてる人が突然振り返ったり、

または後ろから来る人が

追い抜きざまに顔を覗き込んできたり…

 

そういうことが頻繁にあったんですね。

 

 

頻繁にというか、

ほぼ毎日その状態だったので、

帽子とサングラスがないと

歩けないような状態でした。

 

 

 

 

 

これはそうならないと

わからないかもしれませんが、

 

毎日いろいろな人が

わざわざ私の顔を見たり

確認したりするのが

ものすごく苦痛でした。

 

当時はエネルギーのことが

今ほどわからなかったので、

なぜわざわざ顔を覗き込まれたり、

振り返られたり、

ひどいときはついてきたりするのか

分かりませんでした。

 

 

 

 

 

視える人にそのことを話したところ、

その人は私を見てこう言いました。

 

「あのね、佳花さんは、

歩いてるだけで人や道を

浄化してるんですよね。

 

身体から愛のエネルギーが

ダダ漏れになってるんです。

 

それが360度、

放射状に発射されているので、

どうしたってこの状態は

周りの人は見ちゃいますよねぇ」

 

と言うんです。

 

 

 

 

 

「もちろん周りの人たちには

悪気はないんですよ。

 

どんな顔か見てやろうとか、

何かを考えて見てるわけじゃなく、

愛がダダ漏れだから

惹きつけられちゃうんですよ。

 

気づいたら目で追っちゃう感じです」

 

 

 

 

 

自分では意識していなかったので、

何が何だかわかりませんでした。

 

「じゃあ、その愛がダダ漏れなのは、

どうしたら止められるんですか?」

と尋ねたところ、

 

 

「それは無理ですね。

そもそもそれは悪いことじゃないし、

人は人生経験でそうなっていくから。

 

それにいずれそれも

仕事に活かせるときがきますから。

いいことです」

 

と言われたんですよね。

 

 

 

 

 

今日、歩いていて思ったのが、

人はそれぞれ自分がどんな人間かを

発信して歩いている。

 

発信という言葉はちょっと弱くて、

発射と言った方がいいかもしれない。

 

道行く人も、道路も、街路樹も、

その人から発射されるエネルギーに

影響を受けている。

 

 

 

 

 

幸せな人は、

人生の様々なことを経験して、

幸せになっていっています。

 

だからやっぱり

そのエネルギーは善なのです。

 

 

不幸にどっぷりつかって、

幸せになろうとしない人は、

やっぱりその生き方が違うので、

エネルギーは悪なのですね。

 

 

あなたの輝く未来が叶いますように

私はいつも応援しています。

 

 

 

 

 

 

 

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楽しみですね☆

 

 

 

 

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