【言志耋録 45条より】 理・気の説について | 静岡 浜松 駅近 ボディケアサロン Li・La・Mente~リラメンテ~ 熊谷亜紀子

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【言志耋録 45条より】

主宰より
之れを理と謂い

流行より
之れを気と謂う

主宰無ければ
流行する能(あた)わず

流行して然る後
其の主宰を見る

二に非ざるなり

学者
輒(やや)もすれば
分別に過(す)ぎ
支離の病を免がれず

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宋儒の理・気説に従えば
理は本体
気は運用である


(一斎先生がいわれるには)

万物を統(す)べ
司どっているという点からいえば
理であり

万物が生成し
流行しているという点からいえば
気である

ところで
主宰なければ
流行することも出来ないし

その流行があるから
主宰を見るのである

丁度
水あるが
故に波あり

波あるをもって
水を知るようなもので

この理と気は
二つではない

しかるに
学者の中にはややもすると
分ち過ぎて

離ればなれに見る病が
あるものがいる


※この考え方は
王陽明の
「理は気の条理、気は理の運用」
という見方からいったもので

当時の朱子学者に
警告を発せられたものである


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あなたは

理と気
二つで一つの事柄を
理解していきます