この、近現代に挟まれた感じの教会。

ENGLISH MARTYRS CHURCH  TOWER HILL

という、なんだか聞き慣れない名前、、キョロキョロ

それもそのはず、ここはカトリック教会。

イギリスは、英国王がトップであるイギリス国教会が主体。でも、イギリス国教会ははじまりが国王の離婚問題に端を発する完全にイレギュラーなプロテスタントなので、儀式的なものはカトリックに近い=豪華です。

ゆえに、パッと見だとわかりにくいみたいですね。

ずっと気になりまくっていたのですが、ついに


突入ーー!!!グッ乙女のトキメキ乙女のトキメキ


してみたら、なんか暗いぞ、、

あけてキョロキョロキョロキョロ

誰もいぬ、、

キョロキョロ、、

あっ!!!おじさん発見!!!

司教さん?ただのおじさん??かわからないけれど、うちが入り口でウロウロウロウロしているのを見つけて話しかけてくれたニコニコ

「入る?鍵かかってないから入っていいよー」

と言われ、しばし世間話をしたあと、一人で内部に。

入ってすぐ、圧倒されて息を飲みましたびっくり







うっわー、、なんと美しい、、、

キリスト教徒じゃないけれど、教会はなんとも落ち着くのです。

そりゃあ、セントポール大聖堂のようなどぅわーーびっくりとなるような迫力とか豪華さとは比べものにならないけれど、うちはこういう教会は気持ちが落ち着いて好き。

特にこのときは本当に誰もいなくて、教会貸し切りwだったから、まぁーーもう、ワクワクしてきちゃうよね(落ち着くんじゃないのかいパーハッ

そのうちおじさんがやってきて、再び話し始める。

「この教会は、いつ建てられたものですか?」

と聞くと、

「19世紀半ば過ぎくらい」

みたいに聞こえたので、

「ああ、新しいんですねニコニコ

と言うと、おじさん「真顔?!?!?!」

という顔になり、

「いやいやいや、新しくないよ!あのあたり見て!!あのあたりとか、こことか、第二次世界大戦の爆弾が直撃してね、、」

と。

はぅあーー!!おじさんごめん!!!

うち、150年くらいだと、最近としか思えないのです笑い泣き
職業病というかなんというか、1000年前くらいでなるほどなるほどまぁまぁ古いね、みたいな…

基準がローマ帝国になってしまってるのだ笑い泣き
いや、アッシリア、、

150年前を新しいと思うか古いと思うかは、人それぞれですね口笛
でも、これはのちにひっくり返される…!

そしてこの教会についてほとんどわからないので、



パンフレット購入

しようとしたら、2.5ポンド。

財布見ると、小銭は2ポンドと1ポンドしかない、、
どうしようかなーとおじさんに相談すると、どうもお釣りはないよう。

まぁ50セント寄付でもいーかなーと思っていると、



このハガキが一枚0.25ポンドだから、これを2枚持っていけばよし(๑•̀ㅂ•́)و✧

と満面の笑みで言われたので、そうすることに、、

したけど、いろんなグッズがあるのに、このパンフレットとハガキだけが同じところにあるってことは、そういうことですよねホホホニヤニヤ

そして、このパンフレットのおかげで、めちゃくちゃいろいろなことがわかりましたグッキラキラ

簡単に(?)説明しますと、、

いま、タワーヒル駅のすぐ近くに元貨幣造幣局の巨大な建物があるのですが(いまは中国所有らしい)、そこが、もともとウェストミンスターならぬ

Eastminster

という、エドワード3世によって1350年に建てられたThe Abbey of St. Mary de Gracesだったのです。

なんでも、嵐の中を船で大ピンチに陥ったときに、


無事に帰れたら修道院建てるからー!!!笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き(から助けて神様)

って願い、無事に帰れたからシトー派の修道士を招いて建てたんだそうな。

あるある。

ほんとあるある。ルターとかね。

でも、いつものヘンリ8世の修道院解散命令によって、ここも例にもれず1538年に解散。

そして時代は進み19世紀半ば。

イギリスは絶賛産業革命中。

つまり、労働者が集まりまくってきて、衛生状態とか治安とかが最悪を超える状態に。

パンフレットのなかでは、

miserable dwelling

とあります。悲惨なすみかとでもいいますか。
ディケンズの小説を読んだら一目瞭然とのこと。

当時、

“Drunk for a penny , dead drunk for two pence”

といわれる状況だったのです。

イギリスの有名な画家にウィリアム・ホガースという人がいるのですが(うちは絵は苦手分野なので、HKさんに教えてもらった!)、



こういう絵を残しています。

これは1751年の絵ですが、100年経って状況はおそらくさらに悪くなっていたのかもしれない。

というのも、このころになると、アイルランドやスコットランドなんかからも労働者が流れ込んできていたから。

そして、ユダヤ人がこのあたりに住み着いたことで、労働者たちはさらに追い詰められていった、と。

そういうことが背景にあって、救済の意味も込めて

Tower Hill Mission

とよばれるプロジェクトが開始されたのだそう。

このプロジェクト、本当に紆余曲折を経て、第二次世界大戦のバトル・オブ・ブリテンにて壊され、なんとかいまの形にまでたどり着いたのですね。

ロンドン塔まで来たら、ぜひ足を運んでほしい教会です。中ものすごい美しいですよウインク

そして最後のしめくくり。パンフレットの最後のページが素敵なのでそのまま。

1873年にこの教会の基礎の石が敷かれたとき、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教徒、ムスリム皆がストリートを飾るために旗とバナーを掲げました。

当時、人口のほとんどがプロテスタントだったけれど、アイルランドやドイツ系カトリック教徒、大きなユダヤ人コミュニティ、小さなムスリムコミュニティがありました。

のちにこの地域は主にユダヤ人になり、こんにちは主にムスリムです。

21世紀の多文化イギリスでは、私たちの教区コミュニティが、タワーヒルミッションの基礎にまで遡る敬意、寛容、公正さの伝統を継承していることを感謝して思い出すことができます。



ひとつひとつ辿っていくことで、これまで見えていなかった世界が見えてきましたOKキラキラ

決して短くない、、というか、150年前って、日本は明治維新真っ最中なんですよね…その変化たるや、、

いやー、歴史って、本当に面白いですねラブ(おや??)

そして多文化イギリスは、いまやブレグジット進行中ですグラサン

あしあとあしあとあしあと

そして、、

先日の日本についての番組があまりに美しくてこれまたものすごい勉強になったので、いま番組丸ごと翻訳中です鉛筆

日本人だけど、この番組で取り上げられていたことのほとんどがわかっていませんでしたキョロキョロ

まさかイギリスの番組で日本を勉強することになるとは、、

これも、進捗状況に応じてブログに載せられたらいいなぁと思っていますニコニコ


今回はめちゃくちゃ長かったですねアセアセ

ではでは〜

パーキラキラキラキラキラキラキラキラ