5月第2回のピアノレッスン記録です。

(高3、17歳)

※5月から基本月2回レッスンになりました。


前回のレッスン下矢印

これまでのまとめ&これから弾かせたい曲下矢印



『ハノン』

1-3番をD-dur、G-dur、B-dur、g-mollで



『練習曲 Op.25-5』(ショパン)

5回目


娘はエキエルの日本語ライセンス版が出る前に始めたので、先生の指示でパデレフスキ版を使用。

曲はまだ半分くらい残っているので買い替え検討中。



『平均律第1巻』(バッハ)

コンクール参加のためしばらくお休みです

使用楽譜はシフの運指付きヘンレ版下矢印


ヘンレ版にぴったりのカバー下矢印



コンクール本選課題曲

『シンフォニア 第2番』(バッハ)

1回目

・大ホールなのでもっとはっきり音を出さないと聞こえない。

・各声部丁寧に強弱つけてレガートで

・自然に流れるよう指使い工夫


ダイヤオレンジ課題曲はシンフォニアから選択。昨年却下された2番にしましたニコニコ

 コンクールで弾くには意外と難しいので、先生からは他の曲にするか昨年のコンクールで弾いた曲はどうかと勧められたのですが、本人は2番が弾きたいと。

 本選は賞狙いではありませんので、気持ち良く弾ければ良い…と口では言いつつ、まだ本選申し込みは先なので再度確認したのですが、本人は絶対これが弾きたいとのこと驚き

 ちなみに私もシンフォニアの中では一番好きな曲ですラブラブ

娘の教室ではみんな園田版を使っています。

(音大生は原典版と併用)

インベンションとは別冊で、薄くて持ち運びしやすいです音譜



コンクール本選自由曲

『舟歌 第6番』(フォーレ)

2回目

ダイヤオレンジ出だしの所を先生が弾いてくださったのですが、CDでは気付かなかった素敵な音が聞こえてきて、

「あ、これは櫂(オール)を漕ぐ時に水がパシャって跳ねた音かもひらめき気づき

と気付いて嬉しくなってしまいましたアップ

左手(低音部)が水の中を動くオール、右手が揺れるゴンドラ。

そして低音から高音まで左右を自由自在に動き回るメロディは、水中から水上まで移動する水の動きと、明るい日差しを反射してキラキラ光る水面…かなはてなマーク

『水の戯れ』とはまた違った水の表現、奥深くて難しそうです。

でも、この曲はエディット・ピアフと比べるとあまり神経を使わずに思い切って弾けるみたいで、娘は嬉々として弾いています爆笑

(神経を使わないのはダメなのですが、楽しそうなのでまあ良しとしましょうニコニコ

技術的には特に問題はないので、課題は本人がどこまで表現に拘るかですね。

「こう弾きたい」というイメージが大事ビックリマーク


あと、私がこの曲で一番好きなのが2:57の切ない響きビックリマーク

この1音に様々な感情が凝縮されていて、何度聴いても毎回グッときます…。

しかしそんな感傷に浸る間もなく、人生も川も時間も止まることなく流れ続ける…という感じで終わります。

人生とはそんなもの、という一滴の諦観を含んだ前向きな明るさが、哲学的だけどお洒落でいかにもフランスっぽいラブラブ

エディットピアフの特別レッスンで、先生が

「フランス人の男なんて目の前を女性を口説くことしか考えていないんだからビックリマーク

と仰っていたことを書きましたが、これを目の前で弾かれたら絶対惚れるゲラゲラ


以前娘に話したことがあるのですが、音楽における印象派の曲は、動画(映画)ができる少し前の時代、絵に音楽をつけることで「動画」を見た時のような効果を感じさせるもの。

パリに世界初の映画館ができたのが1908年。

この曲が出版されたのは1895年。

写真が発明される前は絵画や彫刻が人が見た物を残す唯一の手段だったように、動画(映画)が普及する前は、音楽が時間の流れを再現する唯一の手段だったのかもしれません。

特にドビュッシー(1862〜1918)、フォーレ(1845〜1924)、ラヴェル(1875〜1937)などの曲は、聴く人の脳内で映像を再生させる装置のような役割を果たしていたのではないかという気がします。

(ちなみにラヴェルはフォーレの弟子。この2人に関してはそれぞれ本当に色々なエピソードが残っているのですが、長過ぎるので割愛。興味のある方はWikiを読み込んでみてください笑

特にフォーレは、私が敬愛する夏目漱石的な家族に対する酷いエピソードもあって、この2人が地球の反対側で同じような想いを抱えて同時代を生きていたのかと思うと面白い…。)

また、この3人の曲を年代順に並べて表にして比較してみると、誰がどの曲の影響を受けてその曲を作ったかがはっきり見えてきて面白いですビックリマーク


写真や動画が普及した現代においては、絵画も音楽も既に「必要ではないもの」なのかもしれませんが、当時の作曲家達が残そうとした美しい風景と一瞬の輝きに想いを馳せながら、「言語化できない複雑な感情」を音楽で表現したい。

これが今を生きる音楽家達の使命であり目標であり、喜びでもあるのではないでしょうか。

特にピアノ弾きは、究極には自分の感情を自由に思い切り表現したい人達。

(でなければピアノではなく合奏楽器を選んでいるはず笑)

言葉を上手く話せない場面緘黙の娘にとっては救いでもあったのかもしれません。







そういえば、娘がヴァイオリンを辞めたのが小4(9歳)の時でしたが、最後に弾いていたのがフォーレでした。レッスンでは発表会に向けて別の曲をやっていたのですが、これは私が娘にお願いして付き合ってもらっていた曲です下矢印

伴奏は緊張して失敗もしたけど楽しかった…いつかまたやりたいなアップ


各曲ピアノソロVer.もありますが、フォーレの曲はヴァイオリンやフルートの物哀しい音が本当に合いますね…。


娘は昨年音楽の授業で7年ぶりにヴァイオリンを弾いたのですが、毎回家で先生のやり方が間違っているとブーブー文句を言っていましたぶー

(先生、ヴァイオリンは教師になってからの独学だったらしい…汗

先生が間違えているならその場で言えばいいのにと思うのですが、

「習っていたのがバレると色々聞かれて面倒そうだから」

と友達にも言っていなかったそうです汗


娘はピアノよりも先にヴァイオリンを習い始めたのですが、同じ時期に始めた子達(10人くらい)の中では一番上手かったのですよね。

個人レッスンの先生と合わなくて辞めてしまいましたが、合奏教室の先生はいつも娘をすごく褒めてくださって、優しくて素晴らしい人格者でした。

(合奏教室は、耳が良すぎて「他の子の音程が合っていないのが気持ち悪くて耐えられない」と言って辞めました…泣

そのうちヴァイオリンもまた習ってくれないかな…🎻

3/4サイズの時に辞めてしまったので、まずはフルサイズのヴァイオリンを買わなくてはですが不安