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 なかなかに好き嫌いがハッキリしていることはもはや自慢だ。すぐに人を嫌いになることができるのだ。向こうから歩いてくる面識のない二人の人物をものの10秒で嫌いになったこともあった。諸々の理由は省くけれども,大雑把に言えば「こんな時刻なのに表情も歩き方も変えないから」であった。漠然と理解してもらえればそれでよい。その場に居合わせた板木企画(架空の名称)の主宰である板木くん(仮名)に「よくそんなすぐに人を嫌いになれますねー」という驚きとともにお墨付きをいただいた程だ。この「好き嫌いハッキリ」は,病の域を超え,個性となった。個性なのだから仕方なく受け入れている。むしろ何かに生かされることもあるのだろうと,どっかり構えている。せめて自慢してもよいだろう。でもどこかで,「え?本当は皆さんもすぐに人を嫌いになってるんでしょう???ウソがお上手なだけで(笑)」などと思っていることも確かである。


 私のこの「個性」は,そのへんの人たちに対してだけではなく,例えば本やタレントやら,携帯電話会社やら予備校やら大学やら,そういうものに対しても存分に発揮される。つまり,嫌うような要素が一つでもあれば,いや例えそれがなかったらなかったで構わないのであるが,深く知りもしないクセに「ああ,ああいうのは見ない見ない」「ああ,ああいう感じのヤツでしょ?終わってるよね」「ああ,あのタレントはエセだよ」「ああ,あそこのショーヒンは使わない使わない」「ああ,あそこの学生は出来が悪い出来が悪い」「ああ,代ゼミじゃなきゃダメ代ゼミじゃなきゃダメ」などとバッサバッサと斬っていく。きっと「深く知れば一気にその考えはくつがえさせられるであろう臭」のする,いわば「頑ななくせに脆弱な先入観」としてあらわれてしまうのである。


 自分の関わっていないモノに対してはほぼこういう先入観でいる。自分の使っていない携帯会社は,ダメ。自分が通った予備校以外は,ダメ。それがエスカレートしていくと,これ,読んでいてムカムカするだろうけれど,いつか「私が出ていない作品はそれだけで欠陥品です」とでも言ってしまうのではないかと自分でヒヤヒヤしている程である。


 であるからして,小屋管理時を除いて,そもそも芝居を見に行くこともなければ,人様に勧められた本を読むことさえない。「これ面白いよ!」と貸してくださった『ワンヒ○ース』もセリフの多さと,どこになにが描いてあるのか頭がこんがらがっちゃう迷路みたいな絵柄がどうしても肌に合わず,1巻の途中で挫折したほどである。こればっかりは,残念ながら先入観がくつがえされる前にイヤになった。


 ただし,全くの食わず嫌いではないことに注目である。人様が誰様なのかによっては,すんなり勧めを受け入れることもあるのである。つまりは実際の作品云々より「誰が」それを勧めてくれたかが大事,ということである。それによって,読む読まない無視するが決まる。『ワンヒ○ース』だって,私にとって大変ありがたい存在であるあの手品師のシロツキさん(仮名)からの勧めだったからこそ,読み始めたのであった。そう,自分にとっての「誰様か」が大事なのだ。そう,人との関係性には間違いなく順番&優劣があるということなのであろう。


 

ところで,私の好き嫌い&「頑なで脆弱な先入観」はもちろん映画鑑賞時にもきっちり発揮される。かつて『シカゴ』か『戦場のピアニスト』かの選択をする際,知人の「絶対にシカゴだって!」という言葉をさも納得したかのように完無視して『戦場のピアニスト』に行ってしまい,あまりにも衝撃的すぎて終幕後立ち上がれなかったのはいい思い出である。その作品を選択した理由の一つに「ピアノの方がカッコイイに決まってっだろ」というものがあったが,いやはや本当に衝撃的であった。一度ご自慢の液晶テレビで見てみるがいい。おそらく立ち上がれなくなるハズである。これで何とも思わないなら不感症すぎるから思い切って幼稚園からやり直すべきだ。


 ま,『シカゴ』とか『戦場のピアニスト』とかそういうのならば良いのだが,例えば勧められた映画が「コミック原作の実写!」となると,見る前からもうガッカリするのである。手のひらを上に向けてまゆをひそめて首を振りたくなってしまう。そもそも「実写=失敗」という方程式さえ成り立ちそうな世論であり(人様に勧められて漫画原作の実写を見たのは,宇宙兄弟とテルマエ・ロマエ1と2,ともにとっても面白かった。・・・アレッ?)とにかく自分から見に行くことはない。その原作が自分の大好きな作品であれば,怖いもの見たさで映画館に行くかもしれない。関心を寄せやすいからである。ドラゴンボールに関してはアメリカでの実写だったので興味を持てなかったが,まあ好きな原作であればそれなりに関心は持ってしまうかもしれない。キン肉マンの実写があれば,怖いもの見たさで映画館に行くであろう。


 しかしながら,今回の某作品は,「アニメもやっていたのは知っているけれど,なんか絵柄が人気取りのウケばかり狙っているようで信念というものをまるで感じられないからなんかイヤ」「とくに髪の色がスラムダンクと一緒だから結局はパクリ」という,これこそ「頑なな先入観」によって,まさに食わず嫌いをしていた作品であった。世間で如何に流行っていても見ることはない,むしろ見てやるもんか,そういう決意であった。そして,その実写映画に出ている俳優も食わず嫌いであった。「はあああっ?ケン????ニューホライズンに出てきそうな名前だな(笑)」そんなことを思っていた。



 そして自分の中で次のような図式が成り立った。



「単なるチャラチャラした時代劇風の茶番を見に行くヤツ=ダメなヤツ・わかっていないヤツ・ただのミーハー」






そう思っていた・・・



・・・でござるよ。



人斬りだった頃の拙者(せっしゃ)はそう思っていた・・・でござるよ。



続けざまに続編が上映され爆発的ヒットを飛ばしているあの映画を実際に見るまで,あんなにすごい俳優の名前を,「サトーケンさん」と誤読していたでござるよ。おっと,気づいたら彼の口調までうつってしまっているでござるよ。かおる殿も,この口調を使ってみるといいでござるよ。江口洋介と福山雅治のツーショットを見たかったでござるよ。でもパンフに二人が並んでいたでござるよ。これはすごいことでござるよ。


少年ジャンプは,ゆでたまご先生と鳥山明先生だけではなかったでござるよ。





続く。















 前回の記事投稿が,8月20日となっている。意地でも毎日アップしていたブログであった。そして,公演終了とともに見事に終息させようとしていたものの,あまりにスカウターに対しての情熱が高まりすぎて,公演終了後もお構いなしに更新してしまったのである。話したいことがありすぎてなかなか計算通りにはまとまりきらなかったため,そういう事態になってしまったのである。


 たった今は,来年度20校舎の閉鎖が決まってしまった,我が母校とも呼べる大手予備校「代々木ゼミナール」について書きたくて書きたくてたまらないのである。思い出を書き出せばキリがないことがわかっているし,以前更新してきた記事とも重複する部分が出てしまう。そもそも,未だに大きな影響力を与えられてしまっているこの予備校時代に関しては,浪人約10ヶ月の出来事を,当時の日記を紐解きながら書いておきたいところなのである。が,これは千本なぐりで今井啓介(元予備校講師)の役をさせていただく時に(次があれば三度目になるのか),そのプロモーションとして書く事にしようか。

 

 そしてどうしても書きたいこととしては,「スキーの思い出」。これ,以前のブログで中途半端なままで終わってしまっていたのだ。何度も何度も思ってきたのだが,これは完成させなければならない。下倉スキー場のレッドゾーンの話,少年の靭帯の話,スピードがのって勢いがついていれば土の部分は滑ることができるか試した話,いろいろあるのだ。これは冬に書く事にしよう。


 さてさて,この一ヶ月間,何をやっていたのかと言えば,体調に気を付けて仕事をしっかりしていました,そして少し遅い夏休みを頂き,宮崎に帰っていました,こんなところである。怪我をせず,クオリティースタートを心がけ続け,先発ローテーションを一年間無事に守るということは,投手にとってもチームにとっても大変大事なところ。もちろん別に自分は投手ではないが,同い年の岩隈久志投手の調整方法に触発され,今は最低限ローテーションを守る時期だと感じ,そのため無理をせずに急がずに生きようとしているのである。


 そうこうしているうちに,次回以降の公演の足音もちらほら聞こえてきている。まだ公表の段階にはきていない。ツメの話し合いを今しているところである。決まった段階ですぐにこのブログ上にて発表させていただくことになる。油断せずに読み続けていただきたいものである。


 といっても,12月23日(火・祝)は坂本企画の本番である。坂本企画のホームページは定期的にチェックしているだろうか?「知りませんでした~」「見ていませんでした~」が通用しないのは社会人の常識。職場であろうが観劇であろうが,同じことである。「知りませんでした~」「見ていませんでした~」は「忘れていました~」よりも怠惰でタチが悪い。世の中は人の都合などお構いなしに容赦なく進んでいくのである。であるからして,せめてもの対策として,ぜひ定期的にいろんな関係者サイトをチェックをしていただきたい。


 さてこの祝日公演に関しても色々時間帯とかいうものを調整しなければいけない段階に確実に差し掛かりつつあるものの,目下調整中である。私個人の出番としては,その日の「夜」。そういうことになっている。何時?とかではなく,今現在決まっているのは「夜」にやるということである。いつもの本公演とは違うことをすることになるようなので,期待していただきたいところである。私としても大変期待している。それを観に,必ずジャン・トゥトゥクーまでお越しになっていただきたい。というのもおそらくこの公演は,動画サイトに上げたりすぐに再演をしたり,そういうことは「しないの」だろうと予想されます,つまり一回こっきりしかやることができませんでしょうから,必ずイブイブの「夜」は空けておいてください。今なら前もって調整することも先約を断ることもできますよね。


 以上,つい最近も「知りませんでした~」「見ていませんでした~」「忘れていました~」を連発した愚か者がお送りいたしました。


 

 気を付けよう。連発してしまったときは,めーよーけんの「すいませ~~ん」で消臭しよう。










 




さて,あの夏のスカウターにおける一件はほぼ全て語り尽くした。

今後は,先に予告しておいたとおり,いかに肉体が20代に戻ったかを示すデータを取りに行き,大公開,という流れにするのが理想である。少しお時間をいただくことになるが,待っていてくれたまえ。


 スカウターは宮崎ではなく盛岡にあった。家のすぐそばにあった。



 あっけなく手に入ってしまった。盛岡では発売日当日に売っていたのであろうか。はたまた発売日から2週間以上も過ぎたその日に店頭に並んだのであろうか。とりあえず購入できたことには安堵したが,この夏あれだけ探し回って全くなかったのに盛岡には普通にあった,ということに対していささかの感慨がわかないわけではない。複雑な気持ち,という曖昧な表現になってしまうが,まさに複雑な気持ちであった。


 そして,複雑な気持ちに拍車をかける出来事が起こった。それはスカウターの箱を開けて,中に入っているカードダスをめくりだしてすぐであった。ここからは,きっとどんなにグーグルで検索しても同じ感想を持っている人はいないかもしれない。ので,やはりここからも個人の戯言として聞いていただきたいのであるが,そのカードダスの中で「ネイル」として紹介されていたナメック星人は,ネイルではない。あれは,ナメック星のある集落の危機に後から駆けつけた若者三人衆のうちの一人である。この中では一番お兄ちゃんなのかな?という感じのヤツ。ピッコロっぽいマントを羽織りながら.肩当てがないのでちょっと弱そう。「あ,きっと負けるぞ」と誰もが思った,その彼だ。フリーザ軍の兵隊はやっつけたけれど,ドドリアにはあっさりとやられた,その彼だ。彼はドドリアに挑んだとき,三人の中で一番最初に右側の腹部を貫かれてやられた(確かそうだったと思う)。意気込みや熱意は買うけれども,いかんせん戦闘タイプのナメック星人ではないわけで,こんな言い方をして申し訳ないのだが,弱い。戦闘力にして確か3000程度だったハズだ。ネイルは42000なのだから格段に違う。


 そういう彼が,こともあろうかその星唯一の戦闘タイプである「ネイル」として印刷されていた。この重大な問題,グーグルでどんなに検索しても回想している人物はいない。あれに違和感を感じた当時のちびっ子はいなかったということなのだろうか。「こんなのネイルじゃない!ネイルは沈着冷静!こんな舞空術は使わない。両手を伸ばしてスマートに飛ぶのだ!」そう思うハズなのであるが。少なくとも私は,怒りの形相で舞空術を使って駆けつけている「彼」のその正面写真を「ネイル」としてしまうその無神経さに呆れ返った。それが「複雑な気持ち」を確固たるものにした。作成者はきっとドラゴンボールに興味がない人だったのだろうと思う。ドラゴンボールが好きな人は,絶対に絶対に間違わない。


 果たしてその後,そのカードが本物のネイルに改訂されたのかはわからないが,ようやく手に入れたスカウターはあまり使うこともなく、現在に至っている。(終)



 




そういうわけで宮崎でスカウターは手に入らなかった。何度もお店を見て回ったが,売っていなかった。


毎年誕生日を過ぎた頃,だいたいお盆前に岩手に戻るのであるが,その年もそれぐらいの時期に母と私は宮崎から交通機関という交通機関を駆使して,一日がかりで盛岡駅に帰って来た。父が迎えに来てくれた。長旅で疲れているだろうということで,駅から徒歩10分ぐらいであろうか,とにかく街ナカにある川徳デパートの6階で中華でも食べようということになった。


この川徳デパート。今はどうか知らないが,当時4階にはおもちゃ売り場があった。私なんかよりも熱心なドラゴンボールファンである父にスカウターの事情を話した。父は私よりもドラゴンボールが好きなのである。ドラゴンボールのコミックも少年ジャンプも一番初めは父が買ってきていたのである。その後父はジャンプ担当,私はコミック担当となった。まあとにかくスカウターが売っていなかったことをチクらなくてはいけない。ジャンプ告知の発売日を過ぎても宮崎には全く売っていなかったこと。デパートというデパート,スーパー,いろいろ行ったが全く無かったということ。

結論から言うと,スカウターは盛岡の自宅から10分程もかからない距離にあるその川徳デパートにあった。あっけなくあった。あの大騒ぎは何だったのだろう。


どうせ売っていないだろうと思いながら


「あのぅ,ドラゴンボールのスカウター売ってませんかぁ?」


と最初からあきらめモード&半分バカにした気持ちで店員さんに尋ねてみたものの,あっさりと


「はい,こちらにどうぞ。」


と誘導され,バトルスカウターは見つかった。いくつか並んでいる。箱の裏にはスカウターを装着して半笑いの少年の顔もプリントされている。