災害大国の日本で初めての陸前高田へ

3月に岩手県へ行きました!一月には能登半島地震が発生しボランティアを丸々5ヶ月行っています。金沢に何度も訪れました。そして子供たちが成長する中で毎年のように自然災害が発生しています。歴史から学ぶことも多々あるので、被災した場所として被害が大きかった地域がいま、どのような状況になっていたのかを知るために行きました。また、なぜ東日本大震災を経験したにもかかわらず、能登半島が復旧に時間がかかるのか?疑問でした。教訓をいかせてないような感じがするんですよね、率直に。

港町だった、陸前高田の地は、津波で全て流されたそうです。夫は、当時ボランティアでこの地にいたので変わった景色に驚いていました。

被災の状況をそのままにしてある場所も。被害の大きさを物語っていました。

ニュースで何度も取り上げられていた奇跡の一本松もありました。この辺りに松の木々あったかと思うのと、なぜこの一本だけが残ったのが不思議でなりません。

東日本大震災の伝承館があり、こちらを訪れました。以前、宮城県塩竈市を訪れた時も塩竈市の伝承館を見学しましたが、その時よりも実際の被災した掲示が沢山あったので迫力がありました。

ビデオもいくつかあり、涙なしには見れなくてまだ3月は雪もあり寒く盛岡から車で1時間以上山道を進むので大変でしたが行けて本当に良かったです。学んだこととしては、災害に対する意識や準備は、自分事として受け止めて備えたり考えたり訓練したりしているかどうかなんだなと。どこか、他人事して捉えていると一時的な支援にはなっても、全体を見通した長期的なサポートや迅速な対応への危機感にはならないんだと思いました。もちろん、みんな必死ですけど、本来はもう少しできていてもおかしくないくらい未曾有の経験をしてるんですよね。わたしは、東京が災害にあったら、どうするか?を考えるようになったことも、貴重な経験だと感じています。人や建物があり、火災がたくさん起こるだろうから、準備すべきことや訓練も、火災にそなえる必要があると思うんです。当たり前だけど、火災のときに口を覆うために毎日、ハンカチを持つ事くらいは自分のこどもには言えるし、最近は、電車が長時間止まることもあるので、防災の簡易トイレやマスク、ビニールなども3人にランドセルや通学バック、習い事用のバックに入れました。


市内に戻り、わんこそばも初めていただきましたおねがい

店内はレトロな感じで可愛かったです。

わたしも、頑張りましたがお菜があれど続くと難しい、、、53杯くらい!

男性は100杯くらいはいけるみたいで、表彰されていました。

胃が落ち着いた夜は、岩手のお肉を、、、ラブ

肉割烹というジャンルは初めてで。

ジューシーで、美味しかったです。

翌日のランチもまたまたボリューム満点のトンカツ!岩手来たら絶対頂いた方が良いと聞いていたのできました!感動レベルのとんかつで、、、リピート決定。

今回、岩手ではもう一つミッションがあったので別記事でレポートします。20年ぶりの再会でしたラブ