4月、5月、6月と、このブログを書くことができませんでした。

 

きょうは、東京都知事選の開票速報のため、「光る君へ」はお休みです。

 

そこで、これまでたまっていたブログを書いてみます。

 

【4月】

3月31日放送の第13回から4月28日放送の第17回まで。

 

高畑充希さん演じる藤原定子の一条天皇への入内が描かれた第13回。摂政関白の藤原兼家(段田安則さん)の死が描かれた第14回。

 

重要人物の登場と退場は、1年の長丁場の大河ドラマでは欠くことができないですね。

 

藤原定子登場となれば、この人を外すことができない清少納言(ファーストサマーウイカさん)もこのころからコンスタントに出演。

 

しかし、4月のドラマで最も印象的だったのは、藤原定子の父かつ藤原兼家の長男・藤原道隆(井浦新さん)の栄華と早世です。

 

4月1か月間は、藤原道隆の栄華があまりにも早く潰えることが本人にもわたっていた、その井浦新さんの演技は目を見張りました。

 

井浦新さんは、大河ドラマ「平清盛」で崇徳上皇を演じてあられたときもそうでしたが、鬼気迫る演技とその鬼気迫る峠を越した哀しみの演技が印象的で、今後も注目したい俳優の一人です。

 

【5月】

5月5日放送の第18回から5月26日放送の第21回まで。

 

藤原道隆、藤原道兼(玉置怜央さん)両関白の相次ぐ死により、浮上する藤原道長(柄本佑さん)と長徳の変により左遷される藤原道隆長男の伊周(三浦翔平さん)。不幸だったのは道隆長女の藤原定子で、伊周捕縛騒動の中、出家。生きる希望を失います。

 

そんな定子のために清少納言が「枕草子」を書き始めます。

 

いやぁ、清少納言が枕草子を書いて藤原定子にこれを差し出すところ、定子がこれを静かに読む姿、情景は、この5月の見どころでしたねぇ。日本人なら枕草子は学校時代のどこかでニアミスしていると思うので、それがこういうかたちで映像化されると、日本人でよかったとつくづく思いました。

 

まひろ(紫式部・吉高由里子さん)の周辺では、父・藤原為時(岸谷五朗さん)が越前守に抜擢されて、まひろともどもその旅立ちまでが描かれた月でもありました。

 

【6月】

6月2日放送第22回から6月23日放送第25回まで

 

まひろ越前の巻、そして結婚の巻。

 

まひろが越前で出会った宋人周明(松下洸平さん)が目立っていましたが、藤原道長にもまひろにも影響を与えた直秀(毎熊克哉さん)と違い、その失踪の仕方が物語的に尻切れトンボです。こののち、何か伏線回収はあるのでしょうか?

 

そんな周明をまひろが拒絶したタイミングで越前に現れたのは、親戚藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)。そういうタイミングで宣孝がまひろにプロポーズすることも、そしてそれをまひろが一時は受けることも、すべてまひろの運命。安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)がどこかのセリフで言っていたように「それが運命でございます」。

 

かくして6月も、のちに執筆される「源氏物語」の人と人の織り成す不思議な縁のネタになるような、まひろの周辺なのでした。

 

【7月から】

実は先週第26回放送はまだ6月中の6月30日でしたが、私は7月の感想に書こうと思います。

 

この6月30日の放送はタイトルが「いけにえの姫」とあるように、藤原彰子の裳着の儀式が描かれていました。

 

歴史的には藤原彰子は藤原道長とともに摂関時代の絶頂期にあった人です。(私はそう認識しています。)

 

2024年も、はや半年が過ぎました。

 

このあとの半年は、藤原道長もどれだけ偉くなるか(すでに左大臣だから、かなり偉いのですが)、これにまひろがどう絡んでいくか、とても楽しみです。

 

 

 

 

 

 

3月放映「光る君へ」の感想です。

 

大きな政治的背景として、花山天皇の退位と藤原兼通の摂政就任がありました。

 

藤原道長も父兼通の権力掌握につながるように、源倫子、源明子を妻にする決意を固めます。

 

これは無視できない道長の行動です。

 

道長のまひろ(紫式部)への心情は、表現されてはいるものの、現実の生活はまひろを妾としても、迎えることはなかった(=まひろがそれを望まなかったから)のですから、それが現実としか言いようがありません。

 

まひろが道長と一夜、結ばれたというロマンがありました。これもまた現実です。まひろと道長との間に、愛情があることは確かです。

 

しかし、その前に、まひろにも道長にも、それぞれに生きている生活や環境があります。そういういろいろなものを背負って

生きていかなければならないのが人間です。

 

だから、今月の初めに無残な死を遂げた直秀が、いろいろなものを背負わない都以外の遠くの国へ行きたいと願ったことは、今後のまひろと道長の人生の変貌を語っていく上で、とても象徴的でした。

 

では、今後、まひろと道長は、別れたまま、お互い別の人生を歩いていくのか? 

 

基本的に二人は別の人生は歩むものの、一方は摂政、太政大臣に、もう一方は源氏物語の作者として、御所にいるわけですから、お互いの噂は聞くことはあったでしょう。

 

しかし月夜の晩に結ばれた思い出がふたりに繰り返すことはない。しかし、あの晩がふたりの通暁する若い日の思い出があれば、その後の長い人生を生きていくことができるのではないでしょうか?

 

ドラマはまだ3月が終わったばかり。この3か月の放映がふたりの人生にどのように投影されていくのでしょうか?

 

それには、源氏物語の数多い女君の物語のように、「光る君へ」の女性俳優たちの活躍に期待したいところです。

 

 

 2月の「光る君へ」は、藤原道長が紫式部から道長の兄によって母を殺されたことを告白され、あろうことかその人殺しの藤原道兼が紫式部の家にやってきて、紫式部が道兼の前で琵琶を弾く・・・なかなか紫式部にとってつらい話しが印象的でした。

 

 大河ドラマは人間のドラマなので、人物の描き方が注目されます。一方で登場人物にとって厳しい紫式部のような場面では、視聴者も見ていてつらくなります。

 

 しかし今月の「光る君へ」は、藤原道長や藤原公任らの打きゅうの場面は、見ものでした。打きゅうとは、馬も乗って行われた球技で、ドラマの撮影も屋外で行われたからです。

 

 ドラマは人間を描くため、スタジオのセットで撮影されることが多いです。それは美術的にも予算的にも制作にたずさわるさまざまなプロフェッショナルによって、視聴者も安心してみることができます。

 

 しかし、わたしたちの生活は室内と外での活動があるように、たとえば邸内の庭のシーンでもスタジオで舞台を製作して撮影することがほとんどでしょう。

 

 この時代、電気などないのですから、今の私たちより、気象や環境に当時の人たちは敏感だったのでしょう。それが一方では、怨霊を恐れることになり、一方では和歌に詠まれる自然の美しさになったりします。

 

 今月放映された打きゅうのシーンは、馬を操って、得点を競い合う球技です。競技者は道長たちの若手イケメンたち。若者と馬が屋外で汗してプレイする、なんとも生命力が感じられるシーンではないですか?

 

 シリアスな場面に陥りがちだった今月の放送も、あの打きゅうの場面は、視聴者も紫式部たち観客に交じって外気を吸い込んでほっとしたに違いありません。

 

 今月からの登場となった清少納言の「枕草子」第一段の冒頭です。

 

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 

 こんな感覚を文章に書き、読み手も感動することができるのが、当時の人たちです。人間ドラマの描写もつらくなったら、平安時代の人たちと同じように、私たち視聴者も外に出て行って、胸いっぱい外気を吸いたい、春が近いこの頃思うところです。