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真剣に




首藤健祐がお届けするラジオの深夜放送的ブログ




殺陣の舞台稽古中に摸造刀を使っていて死亡事故が起きたようだ。

詳しいことはわからないけれどショックだった。




実は自分にも身に覚えがあって

明日は我が身ならぬ

昨日は我が身だったのだ。




よく知られているが

時代劇などのチャンバラシーンでは

刀は「竹光(たけみつ)」というのを使う。

竹を刀の形に削ってアルミホイルなどを貼ったもの。

遠目には刀にみえる。

軽いのでとても扱いやすい。

ただこの竹光は

殺陣中に刀同士がぶつかると

表面が剥げたり折れたりということがよくある。

竹といえども先は尖っていて危険ではある。





以下は、あくまで僕個人のはなし。





でも所詮は竹。

軽すぎるのだ。

ちゃちいのだ。

リアルじゃないのだ。

もの足りないのだ。

本来はこの嘘丸出しの道具を使ってリアルに表現するのが俳優の役割であるのだが

道具自体をリアルにしたくなる欲求を抑えきれなくなる。





大阪で活動していたとき

ものがたりにアクションシーンが組み込まれていることが多かった。

80年代エンゲキの特徴のひとつでもある。

殺陣師にお願いするほど資金力も危機管理能力もなく

我流でやっていた。

立ち回りも千葉真一の映画を借りてきて動きをコピーしたりしていた。





そして

僕は摸造刀を使っていたのだ。





摸造刀は真剣と同様、鉄でできている。

刃の部分が切れないようにしてあるだけで

先端は包丁とかわらない。

ひとを殺すことができる。

凶器である。

そして非常に重い。

こんなもの振り回そうものなら筋肉痛がハンパない。

これがリアルに思えたのだ。

体を鍛えてこれを自在に操れるようになってやろうと。

メッキが剥げて地の竹の部分が見えて興ざめすることはない。

刀同士がぶつかっても竹光なんか軽く粉砕する。

刃に照明があたったときの光の反射も最高だ。

狂気である。





命を晒している気分になれるのだ。

もう少し正確にいうなら

命を晒している「気分」になって

本当に命を晒してしまっていることに気づかなかったのだ。

ひとの命さえも。




『座頭市』の撮影中に真剣を使っていて死亡事故が起きたことがあったけど

気持ちは理解できる。

僕も映画だったら本物でやりたくなっただろう。





ある演目を携えて東京へ進出

下北沢の小さな劇場で公演をしたとき。

大音量で音楽がかかる中

ひとりで剣舞のようなことをやるシーンがあった。

本番中

僕が摸造刀を思いきり振り下ろしたとき

柄のところからまっぷたつに折れて

刃の部分(刃渡り80センチくらい)が

僕の足元にボトッと落ちたのだ。



僕の足元に



ボトッと



落ちたのだ。



その瞬間の血の気の引き様はいまでもはっきりと覚えている。

いったいいままでなにをやっていたのだと。

否、

誰も怪我はしなかったけれど

なんということをしでかしてしまったのだというほうが近い。

一瞬にして狂気の世界から引きずりおろされた。

その後の立ち回りのシーンは刃の部分を持ってやったけど

こころのなかで泣きながら謝っていた。





何故下に落ちたのかはわからない。

普通は飛んでいくだろう。

その先には共演者がいる。

スタッフがいる。

観客がいる。




ただ

ただ

たまたまだっただけ。




幸い

とか

運がよかった

とかでは済まされない。




後輩たちに伝えていかなければと思った。





こころよりご冥福をお祈りいたします。