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Alone Together

 

 

そういえば

 

首藤健祐がお届けするラジオの深夜放送的ブログ。

 

、、、でした。

 

長らくタイトルコールをしていませんでした。

 

 

そういえば

 

入学試験に合格しました。

 

 

 

精神保健福祉士の通信課程。

 

この春から。

 

社会福祉士の国家資格を持っているので

 

10ヶ月というスピードで修了できる。

 

終われば来年1月の国家試験を受けることができるのだ。

 

 

 

精神保健福祉士。

 

PSW:Psychiatric Social Worker

 

 

この年になって精神病院に就職? なんてのもいいね !

 

とりあえず、また、レポート書きまくるぜ。

 

「資格マニアの学生さん」って呼んでくれていいぜ。

 

 

 

精神病院が印象的に描かれているのは

 

小説なら『ノルウェイの森』

 

 

ロックンロールなら

The Roosters - Case Of Insanity (1981 Live)

 

 

 

映画ならなんたって『カッコーの巣の上で』

 

ラストシーンがここに。

 

 

 

ここだけ観てもなんのこっちゃだと思うけど

 

何度拳を握り締めて泣いたかわからない。

 

うしろでかかってるジャック・ニッチェの曲も最高すぎ。

 

 

 

いまは、当時のような 「権力 vs 自由」みたいに単純な時代じゃないけど

 

必見です。

 

 

 

 

入試にあたって書いた小論文でもアップしてみようかな。

 

福祉にケンカ売ってるような内容になってますが。

 

とっちらかってますが。

 

ひよこの遠吠えです。

 

 

(小論文)

精神に障害がある(とされている)彼らが生きづらさを感じるのはどんなときで、なぜだろうと考えます。それは、健常者である(とされている)我々に適応しなければならないときであり、彼らがそう望んでいるわけではないからではないでしょうか。大声を出す、物事に固執するといったことを問題行動として、我々は、自立支援、相談援助という言葉を使って彼らのルールに介入し、インクルージョンしようとする。「~ができるようになった」と評価する。我々だって介入されれば抵抗する。それが不適応行動といわれても混乱するだけだ。マズローの自己実現の欲求論ならば、彼らの自己実現の達成を手伝うのが福祉のはずです。もしかしたらおぞましいかもしれない彼らのノーマルを包摂できて初めて、ノーマライゼーション、共生社会といえるのではないだろうか。障害とは?その境界線は?

 

アメリカ自閉症協会のニューロティピカルとエイティピカルの定義が興味深い。我々は、定型発達(ニューロティピカル)という障害を抱えているにすぎない。非定型発達(エイティピカル)である彼らは、ただ、ありのまま生きているだけである。福祉業界はニューロティピカルに寄せることを自立と呼び、我々の法律に従わせようとする。ありのまま生きることができないのは、実は我々のほうではないだろうか。社会不適合者であり、精神を蝕んでいるのは実は我々ではないだろうか。否、ありのままの結果が、相模原市障碍者施設や宇都宮病院での悲劇だとしたら…。そんな世界に彼らを移行、参加させるのか。

 

知的障害や発達障害を持つ(とされている)こどもたちが、その日その瞬間だけを生きている姿はとても幸せに見えます。彼らの将来を思うと、身が裂かれますが、そんなおせっかいなどまったく寄せつけない、彼らのそのあまりの無防備に勇気づけられ、心から.羨ましく思います。本当のところはどうなんでしょう。幸福であったとしても、誰かの支えがなければ、彼らはこの世界では生きていけない。それでも、たとえ生きていけないのだとしても、それでも、まず、幸福でなければと強く思います。ひとりで生きていけないのはみんな同じだ。彼らは問いかけてくれている。幸福ですか?と。試されているのは我々なのだ。

 

そして、すぐそこにある未来。彼らが輝いたままでいられる社会システムを、我々が輝ける世界を、普通なんてない、彼らも我々もない、おぞましく、幸福な世界を創造したい。

 

 

今宵も眠れない音楽。

NakamuraEmi - 「メジャーデビュー(Studio Session)」 MusicVideo

 

 

 

 

また、いつか、ここで、あいましょう。