PLEASE PLEASE ME! | OFFICIAL BOOTLEG!!

PLEASE PLEASE ME!


OSAKA-DAYS

W’OHOLというライブハウスの店長をしていたことがある。

オープン前の半年くらいから、オープンして1年弱くらいのあいだかな。



ミナミのアメリカ村の創設者といわれている伝説のひと「mama」から

高砂殿という老舗結婚式場のビルを巨大娯楽施設にするという計画を聞かされた。

1Fがエントランス&ロビー

2~3Fは結婚式場

4Fはオフィス

5~6Fをぶち抜いてライブハウスに

7~9Fぶち抜きで「QOO」という巨大ダンスフロアにするというプロジェクト。


総合プロデューサーのmamaに

QOOのほうはミナミ屈指の黒服軍団を率いてやるんだけど

ライブハウスのほうを手伝ってくれないかと誘われる。


当時僕は昼間出版社でバイトしながら

夜は学生時代の先輩×後輩と旗揚げした劇団で

いつかはTOKYOを目指していた。


物理的に絶対無理だと少々悩みはしたけれど

恩人からの誘いを受けることにした。


オープン前である。

酒はどこの業者の何を仕入れるのか

メニューはどうするのか

頭の固い老舗結婚式場のコックたちとのバトル

打ち合わせ地獄

PAや照明

アルバイトの教育、オペレーション

地元のコワいひとたちとの交渉・・・・・・・・・。


10時くらいから働き始めて深夜まで

それが終わったらバイクで劇団員が待っていてくれる稽古場へ

1時くらいから朝まで稽古して

ちょっと寝て仕事。


やっとオープンにこぎつけても

直後から爆発的に一世を風靡したQOOとくらべられ

支配人から嫌味をいわれ

(ライブハウスは定着するのに何年もかかるなんてことはわかってもらえないのだ)

東京スカパラダイスオーケストラや布袋寅泰、ポール・ウェラーなんかの売り切れライブのときは

4Fから波打つ天井を眺め

こりゃあ落ちるかもしれないなと思ったり。



朦朧とする意識。

セリフを覚える集中力もなく

本番もままならなくなってきた。



そんな僕を神様は不憫に思ってか

まもなくバイク事故で1ヶ月ほど入院することになる。


客演が決まっていて

すでに配布済みのチラシの一番上に名前があるにもかかわらず

その公演をキャンセル。

テレビのレギュラーもスチールの仕事も失った。


退院後リハビリをしながら復帰したものの

ちょっとした燃え尽き症候群と

エンゲキに対するオトシマエをつけるため

僕はそのライブハウスを辞め

某FM局へ行くことになる。


ほどなく劇団は解散する。


Mr.Childrenがそこでライブをやったとき

まだグラウンド・ナッツというバンドと対バンで

スタンディングで600人収容のところに観客は数十人

しかもトリじゃないころのはなし。

音楽には度肝を抜かれたけど。



そのW’OHOLで一緒に仕事をしていたのが

大御所ブッキング・マネージャーのTさんである。


この物語のキーマンの登場である。



つづく、